第82話 聖ジャンヌ・ブレアル学園の七不思議のひとつ……


 新子友花も大美和さくら先生も、二人共気持ちが落ち着いた。

 聖人ジャンヌ・ダルクさまの祈りの言葉、最後の章の言葉を暗唱したことでなのか、そうなのだろう。

 先に大美和さくら先生が長椅子から立ち上がり、ゆっくりと前へと歩んでいく。

 その先生の姿に新子友花は自然とつられたのか、彼女も長椅子から立ち上がった。先生の後をついていくようにスタスタと前へと歩んでいく。


 先ほどまで敬黙して祈っていた像、祖国フランスを勝利へと導いた『救国の聖女』、神格化して学園で信仰の対象となった像――聖人ジャンヌ・ダルクさまの像の台の下へ二人は進んだ。


 台の下には恐らくシスターか生徒達の誰かが供えたのだろう……、深い青紫色の花を束ねて置かれていた。

 

 桔梗の花束である――


 多年草の野草。

 野原や山里の川辺に咲いていて、フラワーショップの脇でひっそりと売られているような地味な花。

 何故、桔梗の花を供えたのだろう?

 薔薇やチューリップなどの可憐な花を供えればいいのに? ジャンヌ・ダルクはフランス人なのだから、西欧由来の花のほうがしっくりとくるんじゃないか?

 そう思うかもしれない。けれど……


「……」


 台の下で足を止めた大美和さくら先生。

 ふと視線を桔梗の花束に向けると、しばらく沈黙する。

 沈黙してから先生は唇を緩めて微笑むのだった。

 先生には、桔梗の花束の意味が理解できるからだ。


 桔梗の花言葉は――


『永遠の愛』

『変わらぬ愛』


 信心深い誰かが、桔梗の花言葉の意味を知っていて、だからこそこの花を供えたのだろうな。

 そう心の中で思い気持ちをほぐしてから、大美和さくら先生は話始める。

 隣に立って同じく桔梗の花束を見つめている新子友花、ラノベ部の部員に――



「部室に戻らないといけませんね! 顧問として、顧問だからこそ、ちゃーんと責任もって部活動に参加しないといけませんね」

「お……大美和さくら先生! 本当ですか!」

「はいな! 本当ですよ。第一、私が新設した部活動なのですから、私がさじ投げだしたなんてみっともないですからね」

「お……おお! せんせ……い おお……」

 新子友花の両目はうるうると……。大きな涙粒が出現してきたのだった。

「そ……そんなに、泣くくらいじゃないですよ?」

 泣きじゃくって、その次に逆ギレして……。

 また号泣するのですか?

 まるで真夏の夕暮れ時に起こる大雨のような、気性荒い性格だったっけ?

 もっと、可愛くておとなしい感じだったと思っていたけれど……。

「もう、新子友花さん。泣かないでくださいね……」

 彼女の頭を撫でながら、冷静になってくださいね……と、心でお願いする大美和さくら先生である。


 というよりも、自分のハンカチをこれ以上涙で濡らされたら感じ悪いから……


「……ご、ごめんなさい先生。あたし、もう……泣き止みますから」

 制服の袖で涙粒をサッと拭き取る新子友花。

「ええ、そうしてもらえると……助かります」

 大美和さくら先生もホッと胸を撫でおろす。


「……」


 先生は、新子友花が涙を拭き取っている姿をじっと見ている。

 そして、こんなことを心の中で思った――


 私がラノベ部に戻ることは必要なのだと、部員達みんなのためにも。

 顧問という立場として……、それもそうなのだけれど。

 新子友花さんをラノベ部に誘ったのは私からだった。

 国語の成績を伸ばすために、まずは国語に慣れるところから始めませんか? と言葉を掛けて。


 私が部室にいなければ、部活は始まらないんだ――


 もしかして、この気持ち――

 この気持ちは聖人ジャンヌ・ダルクさまが火刑に処されるときに仰った言葉と、同じなのかもしれない……。


 大美和さくら先生は、視線を聖人ジャンヌ・ダルクさまの像の後ろに見える十字架に向けた。

 再び、心の中で自問自答を始める――


 聖人ジャンヌ・ダルクさまは、

 きっと、自分が『フォローミー』と旗を振って、戦線を戦って、死んでいった者達に、本当に会いたかったのだろうな……。

 会って祖国フランスは勝利したと、胸を張って言いたかったのかもしれない。


 彼らに勝利したぞ! と、自分が報告することが戦場で指揮した者としての義務なのだと。

 だから、聖人ジャンヌ・ダルクさまは自ら火刑を受け入れた。

 皆が異端審問の評決を受け入れて頭を下げろと言われても、聞く耳をもたなかった。



『自分のために戦死した者達の、自分への信頼を決して裏切れない――』



 自ら死ぬ道を選択したことは、自分を信じてくれた戦友達に……、

 天国で会いたい。

 堂々と胸を張って、笑って会いたいから、さっさと会いに行こうと思った。

 こんな……わからず屋の生き残り達にはを突きつけたかった。


 十字架を旗印にして、戦って死んだ後で十字架の下で会おう。

 信仰の、信仰故たる――その証明だな。


 大美和さくら先生は十字架を見つめている視線を、もう一度台の下に供えてある桔梗の花束に向けて。


 さようなら、お祖母ちゃん――

 私は、やっぱり先生として生きたいなって。


 なかなか忘れられるものではない、幼い頃の思い出と記憶。

 先生の道を志して、でも思っている以上に苦しかったっけ。

 何度も何度も挫折して、もう先生なんて辞めたいなって思ってしまったっけ。

 その度に思い出したのは、田舎の頃の自分だ。

 あの頃が一番楽しかったと、何度も帰郷しては亡き祖父母の墓前に立って手を合わせた。

 

 私……大美和さくらにとっての逃げ場所だった。


 ラノベ部を創ったのは私じゃないか?

 聖人ジャンヌ・ダルクさまにも教えられた『工夫』、新設したラノベ部から継承していくラノベ部に考えろって。


 今度は、それを目指さないと――



「さあ! 新子友花さん。ごめんなさいね。先生はもう大丈夫ですよ♡」

 撫でる手を離して、大美和さくら先生は笑顔をつくる。

「大美和さくら先生……。は……はいな!」

 泣き止んで冷静さを取り戻した新子友花。

 先生の笑顔をしばらく見つめると……頬を緩めて笑顔になった。



 さようなら、懐かしい思い出――



 大美和さくら先生が、笑顔のまま心に唱えた言葉だった。

「そんな哀しまないでください。先生も大人げなかったと……」

「大美和さくら先生……じゃあ、部室に戻ってくれるんですね」

 新子友花が先生の両手をギュッと握った。

「……戻るもなにも、顧問ですしね」


「おかえりなさい!!」

「ええ……」


 ただいま――




       *




 ラノベ部の部室である。

 大美和さくら先生が教卓の前に立っている。

 先生はなんだかよそよそしい。そわそわした少し緊張気味な表情だ。

 何も告げずにしばらく部活を留守にしていたのだから、当然といえば当然。

 そんな先生の気持ちを察したのは部員達、現在部室にいる三人。

 いそいそと先生の傍に集まってくる――


「神殿愛さん。その……ごめんなさいね」

 大美和さくら先生が最初に話しかけたのは、自分が部活を留守にした原因を作った相手の神殿愛だ。

「……え、い……いいえ」

 神殿愛は、両手を左右に振って遠慮を見せる。

「私が部室の空気を読まなかったことが悪いんですから……先生はなにも」

「神殿愛さん……。それに新子友花さんも忍海勇太くんも……どうか聞いてください」

 自分に対して、もういいですから……なんてこれから聞かされるんだろうな。

 先生と生徒は友達関係ではないのだから――

 大美和さくら先生は顧問として、ちゃんと説明をしなければと考えていた。

「はい……」

 振っていた両手の動きを止める神殿愛、小さく返事をする。

「先生はね……」

 言い訳しようとは思っていない。

 これは説明だ。自分の気持ちをちゃんと説明することが、これからのラノベ部顧問としての工夫の第一歩なんだ。

 ……心の中でこんな気持ちを呟きながら、大美和さくら先生は顔を俯かせる。


「先生はね……ずっと今の今まで無理していたんだと、そう思ったのです」


「先生……思ったって? ……どゆことですか?」

 新子友花が聞き返した。

「神殿愛さんに酷いことを言ってしまってから、先生は教会に行き……。そこで聖人ジャンヌ・ダルクさまに祈りを……懺悔かな? ……祈り続けていたとき、ずっと私は何をやってきたんだろうって……先生として、先に生まれた者として、なにこんな……」

「こんな……何がですか?」

 忍海勇太が聞く……。

 今から説明しようと思っている先生に、空気の読めない問い合わせだ。


「こんな……うんじゅっさいに」


「うんじゅっさいに……? 先生、どういう意味ですか?」

 神殿愛が聞きなれない言葉を聞いたものだから尋ねた。


「う……。27歳にもなってね」


「……大美和さくら先生?」

「先生って、27歳なのですか?」

 新子友花と忍海勇太が先生の年齢を聞くなり、二人は顔を見合わせた。

 二人共……。神殿愛も同じように……キツネにつままれた顔になる。

 どうしてか?


 そう! 大美和さくら先生――とうとうぶっちゃけたのだ!!

 聖ジャンヌ・ブレアル学園の七不思議のひとつ、学園のプロフィール覧にも歴代のラノベ部文芸誌にも、どこにも載っていない。授業でも運動会でも絶対に口にしない。教えてくれない謎の中の謎。それは?


 大美和さくら先生の年齢――


「私は27歳にもなって……、なに自分が学園の生徒時代だった頃の自分を、ずっと引きずってきたんだろうって」

 ずっと……自分の年齢を誤魔化してきた大美和さくら先生。

 もう誤魔化すことを、今この瞬間に卒業したのだろう。

 というより、それどころの気概じゃない……これが本心だった。

「ひきずって……って? 先生、国語教師になってもまだ生徒時代のことを思い出すのですか?」

 神殿愛が不思議そうな顔になって先生に尋ねた。

「そういうものですよ……大人ってね。案外たいしたことないんです。先生は……私は27歳にもなって、もう子供時代なんて卒業しなきゃなんない年頃なのにね……。27歳にもなって……」

「も……なって。ですか?」

「ええ……」

 俯いたまま、大美和さくら先生は小さく溜め息をついた……。



 大美和さくらよ――


 あなたが四捨五入して、30歳に到達してしまった自分の年齢を憂うのであれば、

 作者は、自分の年齢を四捨五入したら『織田信長の下天の内を……』の年齢だぞ。

 夢幻ゆめまぼろしの如くと思いたいだろうけれど……しかし、27歳。

 作者から見て、あなたはかなり若いぞな。



「先生はね……」

 話を続ける大美和さくら先生である。

「神殿愛さん……あなたの若々しい姿を、生徒会長として奮闘している姿を見て、……私はあなたの姿に自分が学生の頃に孤軍奮闘して、ラノベ部を新設した自分と重ねたのです。そう思います。今では――」

 両手の人差し指をツンツンしながら先生は言う。

 ――27歳の気落ち話。

「そ……私って、そんな先生が思うところの生徒会長なんて立派なんかじゃ」

「いいえ。生徒会長としてではなくて……。生徒会長になっても、ラノベ部に顔を出しているあなたに、先生は悔しかった」

「くやしい……いですか?」

 神殿愛にはチンプンカンプン。

 高校3年生の自分から比べても、27歳という年齢でどうして落ち込むことがあるのか?

 よくわからなかった。


「……いな。……悔しい。ちょっと違いますかね。……う~ん」


 ボソッと言い間違いしたのか。それとも思い違いか、勘違いか?

 大美和さくら先生はツンツンをやめて、人差し指を顎に当てるいつも考えるときの癖をつく。

「……」

 しばしシンキングタイムする先生。

「……あ、……あ……あのう、先生?」

 神殿愛は恐縮してしまった。あわてて隣にいる2人の顔を見る。

「……大美和さくら先生」

 新子友花が考える人に固まっている先生を、恐る恐る呼んでみる。

「……」

 忍海勇太は黙して語らず。

 どう接していいのか、問いかければいいのか? 皆わからない。


「……そうですね」

 顎に当てている人差し指をそのままに、まだ大美和さくら先生の考え中である。


 ――数分後。


「……懐かしいでしょうか。ええ懐かしいですね。でしょうねぇ」

 悔しいから懐かしいへと、大美和さくら先生が訂正する。

 先生は顎から人差し指を離してから、

「神殿愛さん。新子友花さんと忍海勇太くんも聞いてください。27歳にもなってしまった先生の人生訓を――」

 生徒会長の神殿愛に感じた気持ちを、

 27歳になった自分が感じた懐かしい気持ちを……、

 先生になった自分が今感じる気持ちを、大美和さくら先生は語り始めるのだった。



 にもなってしまったって……

 作者から見て、全然若いから!!





 続く


 この物語は、ジャンヌ・ダルクのエピソードを参考にしたフィクションです。

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