三日目:西帯広→忠類→中札内→幸福

「んぅ……」


 なぜこんな早い時間にアラームが……。寝ぼけ眼をこすりながら、ずるずるとベッドを抜け出します。ふぁ、とあくびを一つ吐いて、カーテンを開け朝日を浴びます。時刻は6時半、外は白く優しい光に包まれています。


「そうだ、朝市……」


 顔を洗ったくらいで、今朝の目的を思い出します。三日目の朝ごはんは決めていました。卸売市場の海鮮丼です。ホテルから少し離れているため、荷物は置いたまま車で市場へ向かいます。

 帯広の卸売市場には一般の人が買い物できるマーケットが隣接しており、上階には食堂が併設されています。そこの海鮮丼が今朝の朝食です。


 海鮮丼も道内各地で食べられるメニューですが、その種類と味は場所や季節によって異なります。特徴的なものとして、例えば積丹のうに丼、網走のいくら丼などがありますね。帯広は太平洋側なので、マグロやサーモン、エビ、イカなど、比較的なじみのある魚が多いものの、その味は南でとれるものとまた違った美味しさがあるのです。

 そして何より、卸売市場の食堂で提供されているため、安くて新鮮です。大きなネタがたっぷり入った三食丼でも1500円、毎朝20食限定の寿司定食はなんと600円という破格っぷり。朝、帯広にいるときは、ホテルの朝食をなしにしてでもこちらに来たいですね。

 今回こそ限定定食を、と思いましたが、さすがの人気で売り切れていました。本気で食べようと思うと朝一番に並ばないといけないのかもしれませんね。三食丼をいただくことにします。


「いい色のサーモンです」


 今日の三食は、サーモン、イカ、ネギトロでした。サーモンで喜んでいると「子供みたいだね」と笑われますが、美味しいものは美味しいのです。新鮮さはもちろんのこと、味が濃いですね。スーパーなどで売られているものに比べると、脂が少なく味が濃い感じでしょうか。イカはサクッ、サクッという噛み心地がいいですね。いかに普段食べているイカの刺身が、本来の味を十分味わえていないのかがわかります。そしてネギトロは美味しい。

 北海道は回転ずしのクオリティが高いので、安くたくさん食べようと思うと回転ずしに行きがちなのですが、朝時間があるのなら卸売市場はおすすめです。下階でお土産も購入できますしね。朝から海の幸を味わったところで、いま食べた魚を下で買うというのもありありです。


「うーん、今回ホッケを食べれていないので、郵送お願いしようかしら」


 一番おいしい焼き魚はホッケだと思っている私ですが、今回はタイミングがなく食せていません。せっかくなのでクール便で自宅に送ってもらって、家で楽しむことにしましょう。


「えっ……この大きさで、このお値段……!?」


 衝撃のお値段に口を覆う暇もなく、もろ手を挙げて購入します。せっかく郵送してもらうのだからと、コマイも10尾ほど入れてもらいました。帰ってからも北海道を楽しめる、素晴らしいですね。


 朝食とお買い物を済ませたところで、一度ホテルに戻ります。コーヒーを片手に、本日の計画を確認しましょう。今日は昼の便で帰る予定なので、時間に気を付けて計画的に回らなければいけません。といっても、今日はあまり移動距離もない予定なのですけれど。

 予定を確認できました。最終日を楽しむことにしましょう。ホテルをチェックアウトし、帯広にさよならをします。


「百年記念館とか美術館とか、あのあたりをスルーするのは少々後ろ髪をひかれる思いですが……」


 今回は帯広の半分も感じられていないので、今度来るときはゆっくりしたいですね。一度、札幌から鉄道を使って来るというのも体験してみたいですし。帯広畜産大おびちくに仕事があれば来やすいのですが。


 高速を使って、十勝平野南部を一気に南下します。日高山脈が段々と近づいてくるころ、道路は南東に舵を切ります。帯広から約40分、広尾まで延線予定の帯広広尾自動車道の現在の終点、忠類に到着しました。

 忠類は十勝平野南東部に位置する小さな町です。平成の大合併までは忠類村でしたが、現在は幕別町に入っています。幕別といえば帯広と池田の間というイメージなので、ここにきて幕別だと言われると違和感がありますね。

 忠類はチュウ波のルイ激しいベツという意味です。現在の忠類周辺の川(当縁川)はさして暴れそうにない細い川なのですが、かつては急流だったのでしょうか。丘陵地に挟まれた場所にあるので、川が狭まって流れが急になる可能性はありますね。


 忠類といえば? そう、ナウマンゾウです。ナウマンゾウの化石は日本各地(というほどたくさんではありませんが)で見つかっていますが、忠類のナウマンゾウはほぼ全身の骨が発見されたということで世界的にも有名です。大型動物の化石は大きくて重い頭骨が残留しやすく、他の小さな骨は川の流れなどによって移動しやすいので、全身の骨が同じ場所から発見されることは珍しいのです。忠類を含む十勝平野の大部分はかつて大規模な湿地であり、沼に沈んだナウマンゾウがそのまま流れることなく化石になったと考えられているそうです。

 ナウマンゾウはマンモスと同じくらいの時期に生息しており、人間の狩猟活動によって絶滅したと言われている動物です。マンモスほど耐寒性はないですが、動物園で見られるようなアジアゾウよりは毛深く、耐寒性もあったようです。

 忠類には忠類ナウマン象記念館があり、迫力のある全身復元骨格が展示されています。それだけでなく、ナウマンゾウ発見の一部始終や、十勝の古地理・気候、同時期に生きていた生き物の解説など、かなり濃密な勉強ができる素晴らしい博物館です。小さな博物館だと思って油断していると、なんでもっとお金を払わせてくれないんだ! と大興奮することになります。


「入館料300円は安すぎます! もっとお布施をさせてください!」


 大興奮しながら”時の道”を下り、隣接する道の駅へ向かいます。もう一つ、忠類といえば? そう、ゆり根です。ゆり根自体は道内各地で生産されていますが、忠類のゆり根はとても品質がいいそうです。ゆり根を食べ慣れていないので、味の違いはあまりわからないのですが。

 ゆり根の味を例えると、臭くなく甘みのあるにんにくといった感じでしょうか。ホクホクした食感が特徴です。ゆり根の食べ方は様々ですが、ふかしや天ぷらにすることが多いです。なので、シュークリームにしたりコーヒーにしたりというのはよくわからなかったのですが……ここの道の駅では、そんなゆり根を使った商品がたくさん販売されています。今日の第一目標はこちらです。

 ゆり根シュークリームは人気商品で、以前訪れた際は売り切れていました。今日は午前中に来たので手に取ることができました。味は――。


「シュークリームとしては美味しいのですが、ゆり根感はちょっと、よく……?」


 ええと、あとはゆり根入りコーヒーですね。初見時は驚いたものですが、大戦中コーヒーが輸入されなくなった際に代用として使われていたらしいので、知っていれば驚くことではないのでしょう。味は薄めの若干酸いめで飲みやすいです。ブラジルコーヒーに近い感じでしょうか。お土産にもいいですよ。隣接するJAではゆり根そのものも売られているので、そちらもおすすめです。

 忠類にはほかに、天然温泉のホテルと併設するレストランがあります。こちらでもゆり根を使った料理を味わえるのですが、今日はまだお昼には早いのでスルーです。


 忠類から更別を経て、中札内まで戻ってきました。更別は大規模農地帯なので、生産性は非常に高いのですが観光客が何かできる場所はあまりありません。道の駅はあるのですが、中札内方面に向かうには遠回りになるのでスルーしました。サーキットかキャンプ場に行く人しか立ち寄らないような気がする立地です。

 一方、中札内の道の駅は町の南側にあり、周りには物産館や食堂などもあります。しばしば周辺の街や関係ないものまで売られている土産屋ですが、中札内は特産品が多すぎるので、中札内のものばかりが販売されています。もちろんよくわからないものも売られています。ミミクリーペットとか。

 中札内も最強農業自治体の一角であり、特に玉子、大豆、芋が特産です。道の駅の裏手には青い屋根のお洒落な建物がありますが、これは豆の資料館で、無料で観覧できます。興味のない人だとスルーしてしまうでしょうが、世界各地の豆が百数十種展示してあったり、豆料理レシピの紹介、豆関連の器具などが展示されています。個人的には、都道府県ごとの大豆の生産量のグラフが見ものですね。ほかの地域が棒グラフ一本で競い合っているのに北海道だけ棒グラフが何本も乱立しており、絶対王者感があって好きです。


 今回は行きませんでしたが、中札内から札内川を遡上すると、日高山脈に入っていきます。一番奥まで行くと札内ヒュッテ(山小屋)があります。ここを拠点に登山を行うのでしょうか。札内川ダムの手前には日高山脈山岳センターがあります。日高の成り立ちや生き物などを解説していますが、なにより”福大ワンゲルヒグマ事件”の生々しい資料と、射殺されたヒグマのはく製が展示してあります。北海道で山に入る人間は一度は見ておくべき資料です。

 札内は乾くサッナイという意味で、水量の少ない時期に涸れ川になる部分があることに由来します。中札内から山岳センターへ向かうあたりは、札内川が急峻な日高山脈から平坦な十勝平野に出てくる場所であり、日高から流れてきた砂礫が急激に堆積します。川の水が地下に浸透しやすいので、夏と冬の雨が少ない時期になると、表層流がなくなり涸れ沢になるというわけです。ちなみに、日高中部から流れ出た札内川は、十勝南部を北上したのち、帯広北東部で十勝川に合流して南東に向かい太平洋に流れ込みます。昨日の夕方眺めた場所は、大雪から流れ出る十勝川と、日高から流れ出る札内川が合流する地点だったというわけです。ロマンですね。


 閑話休題。第二の目標に向かいましょう。中札内には六花亭と花畑牧場という二大企業がありますが、今回の目標は前者です。中札内の道の駅からすぐの場所に工場があり、その隣に六花の森という園地があります。10ヘクタールもある園内では、六花亭の包装紙に描かれた十勝の草花を見ることができ、十勝にゆかりのある画家のギャラリーも点在します。


「少々高いですが、美術館への入館料と思えば妥当なところですね」


 園内に入るとエゾトリカブトだらけでした。もちろんエゾミソハギやヤブカンゾウなども見られます。春季だとオオバナノエンレイソウやエゾリュウキンカの花なども見られるようです。

 心地いい木漏れ日の中、遊歩道を散策します。結構広いですね。ゆっくりお散歩するにはよい広さです。奥まで行くと一面の芝生があり、変な形のベンチや、絵画の額だけが置いてあったりして芸術的でした。この額に顔を入れて写真を撮るか、額の向こうに見える景色を絵画に見立てるかは個性がでますね。ちなみに私は後者です。

 クロアチアの古民家を移築したというギャラリーの一つには、十勝の様々な景色を描いた絵が展示してありました。私は写実的な絵が好きなのですが、壁一面に大きく描かれた札内川や日高山脈の風景は、本物を越えるほどの迫力がありました。まるで自分が絵画に入り込んだような感覚で、ほぅ、と息をのんだほどです。時たま美術館を訪れる私ですが、一番”感動”したのはこの時かもしれません。

 感動のあまりなかば放心状態になりつつも、ほかのギャラリーも見て周ります。園内を流れる川の中に遡上するサケのモニュメントがあり、眺めているうちに落っこちそうになったりしましたが、内壁が全部六花亭の包装紙になっているギャラリーに入ったあたりで、ようやく落ち着くことができました。というか目がチカチカして混乱してきました。


 六花の森を出たあとは、カフェで休憩&昼食にします。町中に戻って地元らしいものを食べるのもありなのですが、せっかくなので一度はここで食べてみましょう。豆のスープセットと迷いましたが、私はビーフシチューを食べてみることにしました。


「あ、これすごく濃厚。お肉も柔らかくて美味しいです」


 観光地……ではないですが、そういう場所の割高メニューみたいなものかと油断していましたが、思ったより美味しくて驚きました。お値段もリーズナブルですし。食後には、カフェオリジナルだというマルセイアイスサンドもいただきました。いつものバターがアイスにかわった感じで、あっさりしていて食べやすいです。出来立てなので、ビスケットがサクサクですね。こちらも美味しいです。大満足。

 食事が終わったあとは、ショップでお土産を物色します。六花亭の商品は道内各地で購入できますが、限られた店舗でしか購入できないものも多いです。各種お菓子も魅力的ですが、目を引いたのが六花亭包装紙柄のクッションカバーです。割と大きいサイズですが、あまりにもお洒落なので買っちゃいました。クッションを買いに行かないと……。


 さて、今回の旅の最後の目標に向かいましょう。中札内から北へ10分ほど、採草地を抜けた先にあるのが、国鉄広尾線幸福駅跡です。

 国鉄広尾線は帯広から広尾までをつないでいた路線で、今朝訪れた忠類や中札内にも駅がありました。これらの旧駅の周りは今でも町が栄えていますが、幸福駅周辺は農家が点々とあるだけで、なんでここに駅があったのだろうかと首をひねるような田舎駅です。

 そんな田舎の駅ですが、二つ隣の愛国駅で切符を買うと「愛国から幸福」と表記されるので「愛の国から幸福へ」というキャッチフレーズのもと有名になりました。現在もプラットホームと駅舎が残されており、恋人の聖地として全国から恋人が訪れる来る場所となっています。


「保存状態がいいですね」


 線路のうえには橙色の車両、キハ22が2両保存されています。一つの車両には、板張りのプラットホームから車内に入ることができます。木製の床、固めで浅い座席、天井の扇風機――国鉄を感じますね。また、プラットホームは少し高くなっているので、防風林の向こうの日高山脈が一望できます。車両と日高、夕景が綺麗に映えそうですね。ちなみに、愛国駅も駅舎が残されていて、そちらには蒸気機関車が展示されています。

 幸福駅の木造駅舎には壁面が見えないほどのピンク色の紙が貼られています。幸福ゆきの切符を模したもので、訪れた恋人たちが幸福を願って貼り付けていくのです。幸福を願って名刺を貼っていったのがきっかけらしいのですが、現在は隣のお土産屋で切符を買って貼り付けていくのが主流のようですね。神頼みはあまりしないのですが、ここは神様がいるわけではないので、幸福を願っていきましょうか。


「こういうとき、なんて言うんでしょう」


 幸福を願って――とでも祈ればいいでしょうか。まあ、願ったり誓う相手は神様ではないので、思ったままを想っておきましょう。幸福駅には幸福の鐘もあるので、せっかくですのでこれも鳴らしておきましょうね。がらんがらん。


 二泊三日・ドライブ旅行も、これでおしまいです。「楽しかった」? それはよかったです。短い期間でしたが充実した三日間にできましたね。天気にも恵まれてよかったです。

 各地でお土産を買ったというのに、つい空港でも物色してしまいます。ワイン買っちゃいましょうワイン。あ、サッポロクラシックも買っちゃいましょう。あ、おつまみおつまみ……。


 *


 旅の終わりをどこに置くか。これはみんな同じ答えを返すような気がします。レンタカーを返す時、飛行機に搭乗するとき、飛行機が到着したとき――どれもしっくりこないですよね。着陸前、自分の住む街が見えたときも、まだ終わりという感じはしません。

 旅の終わりはやはり『家に帰り着いたとき』ではないでしょうか。一番安心できる場所、一番見慣れた日常を目にした瞬間、旅が終わった、ってようやく緊張がとけるんです。靴を脱ぎ、カバンを置いて、手を洗い、服を脱ぎ捨て――。


「あ”~疲れた~!」


 下着姿でベッドに倒れ込む。もう動きたくないわー。あーでも、メイク落とす前に寝ちゃうとまずいわよね。くっそー見せる相手もいないのになんでメイクなんてするのよ。社会がおかしいのよ、社会が。


「ビール冷やす時間で風呂に入るということにしよ」


 空港で買ったあと生ぬるくなったクラシックを冷凍庫にぶち込んで、その間にシャワーを浴びることにした。早く酒が飲みたい!

 髪を乾かすのもほどほどに、かろうじて冷えたクラシックとあちこちで買っておいたお土産おつまみをガサーっと机に広げる。


「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」


 やっぱチーズかー? でもチーズはワインに合わせたいわね。じゃあコマイ? ポテチ? バタじゃがをチンしてもいいわね。


「いやええわ、思うままに食べたれ! かんぱーい!」


 カシュっと缶を開け、ぐびっと喉に流し込む。美味い! やっぱビールはクラシックなのよ。バタじゃがをチンする間に還元用ポテチの袋を開ける。


「イモ待ちにイモ食べるとかウケるわ~!」


 ゲタゲタ笑いながらボリボリポテチを食べる。イモ美味しいからね、仕方ない。


「あ~楽しかったな、北海道。やっぱ北海道が一番ええわ。一番楽しいし、一番美味しいし、一番何もかも忘れられる。ああやだ、日常に戻りたくない……」


 明日から再開されるであろう、自分を削って業務に忙殺される日々を思い、せめて今日ばかりはと、クラシックをあおる。まだ北海道を感じていたいのよ、私は!


「あはは、北海道サイコー!」


 *


 自己紹介が遅くなったわね。私の名前は安藤玲奈あんどうれいな。26歳、瀬戸内の女。ちょっと特殊な仕事をしているただの社畜よ。


「あー……結婚したい……二人でドライブデートしたい……新婚旅行したい……北海道で……」


 彼氏? ――そんなもん捨てたわ。

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北海道が新婚旅行に向いている理由 Hymeno @Nakahezi

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