乙巳蛇話――孔雀吃虺蟒への応援コメント
むかし沖縄へ修学旅行へ行った折りに、ハブ酒を両親に土産に買って帰ってきたのですが、気味悪がって飲まれなかった、という思い出が……。
霊長類は本能的に蛇にたいして恐怖を示すという話も聞いたことがあります。その畏怖から「薬効」を求めて酒漬けにしたり、「畏怖」の念から蛇や龍を神格化したりするのかな、と思ったりします。
作者からの返信
ありがとうございます。
「畏」の字に、「おそれる」という意味と、「敬服する」という意味がありますとおり、怖いものをありがたがるというのは、ありがちなのかも知れませんね。
乙巳蛇話――でんでらりゅうと共に消えた何かへの応援コメント
文化、とくに歌というものは、こんな風にして、混淆し変形しながら伝播していったのかも知れないですね……と思わされました。
作者からの返信
いつもありがとうございます。
伝言ゲームなど最たるものですが、人から人へ伝わる途中で欠けたり加わったりして形が変わっていくというのは往々にしてありますね。
伝説や昔話などはもとより、ことによると職人技の口伝などというものもそうなのかも知れないという気がします。
そうすると、書き手が死んだあとも何代も残り続ける文字というものの記録性、蓄積性が人の文明や文化に及ぼした影響の大きさを思い知らされるようです。
乙巳蛇話――草薙長虫ナーガラージャ 後篇への応援コメント
「蛇」と「古代エジプト」とといえば、大半の蛇は邪悪と混沌の象徴として、神々に退治される姿で描かれているのに、コブラだけは特別で、太陽神の使いやデルタ地帯の守護神とされていたのだそうです。
「八大龍王」と書かれると中国由来の龍を思い浮かべてしまいますが、元はインドのナーガなので、コブラの姿になるはずですね……と、本当に話が出て来ますね……(^^;
作者からの返信
ありがとうございます。
僕もコブラは非常に容子がいい蛇だと思っていました。
幼少の砌からそう思っていました。
マムシやハブやガラガラヘビなどクサリヘビ科の面々のいかにも咬んでやるぞというような獰悪な面魂に引替え、コブラ科の方々は全体のバランスとして頭が小さめで品があり、フードを広げたさまも何とも立派ですね。
エジプトやインドで神格化されたのもさもありなんという気がします。
乙巳蛇話――草薙長虫ナーガラージャ 前篇への応援コメント
蛇の文化的地位について調べてゆくと、世界中、それこそはるか太古にまで遡りそうですね。アフリカ、メソアメリカ、オーストラリアといったユーラシア外の文化でも重要な地位を占めているようですし。
霊長類全般が、蛇に対して敏感な反応を示すとする研究もあるとのことで……。
作者からの返信
ありがとうございます。
蛇はその姿形や生態、毒性などからして実に奇態で、何とも注目せざるを得ない存在ですね。
数千万年前には、あのような足の無い姿になったとも言われますね。
人間の形をとる前の僕らの先祖などは随分とその胃袋に収まったことでしょう。
今でも、ニシキヘビなどに丸呑みされたりする例があるようですから、なかなかに剣呑なものですね。
編集済
乙巳蛇話――草薙長虫ナーガラージャ 前篇への応援コメント
已に当たっていらしたら恐縮なのですけれども、『古事類苑 』(動物部十三・蟲上)の孫引きで宜しければ……平安中期の『倭名類聚抄』(十九)の訓みには「蛇〈和名倍美、一云、久知奈波、日本紀私記云、乎呂知〉、毒虫也」とあり、平安中後期の『類聚名義抄』(十)にも「虵蛇〈ヘミ、クチナハ〉」とだけ見え、「なが」「なぎ」「ながむし」の訓みは見えませんでした。
ニッコク第二版で「ながむし」を引いてみますと、「(1)ヘビ類の俗称」としての初出例は四世鶴屋南北の歌舞伎『独道中五十三駅』(1827)四に「こなさん、その長虫《ナガムシ》を捨てて下さんせ」とされ、「(2)回虫(かいちゅう)のこと」としての初出例が『訓蒙図彙』(1666)一五「(略)人の腹中の長蟲《〈注〉ナガムシ》也」だそうですから、「ながむし」=回虫の用例の方が古いようですね。
興味を惹かれましたので、私も今少し調べてみます。
作者からの返信
疑問点について、ご教示いただきありがとうございます。
なるほど、蛇たる「長虫」の文献所載は近世以降ということですね。
そうしますと、やはり、長い虫だから長虫という一般的な解釈が妥当なような気が致しますね。
僕としては、天竺あたりに脈絡が繋がればと、妄想の翼を羽搏かせておりましたが、いささか寂しくもあります。
なお、さらにお調べいただくとのこと、誠にかたじけなく存じます。
楽しみにしております。
乙巳蛇話――干支の縁起物への応援コメント
ここまで読ませていただきました。
日々の体験にせよ、お考えにせよ、ここまで丁寧に書き綴られるのは、並大抵のことではないと思います。
とくに、お食事については、光景や風味の想像を掻き立てられてしまいました。
白巳様をお迎えになられて良かったですね。ひときわ縁を感じると言いましょうか、残りものには福がある、という諺を想起させられます。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
また、過分なるお言葉を賜り、甚く恐縮致しております。
このところ、私事で何かとばたばたと忙しくしており、コメントを頂戴してから、お返事申し上げるまでに随分と時間が経ってしまいました。
大変失礼を致しました。申し訳ありません。
私事で忙しくと先程申しましたが、僕にとっては、のっぴきならぬ大事でも、他の皆様には、没交渉の些事。
また、目を転ずるところ、他の国や他の地域では、戦争や災害その他で、塗炭の苦しみに呻吟なさっている方々が多くいらっしゃる一方、関わりのない方面では、呑気に太平楽を奏でていたり。
世の常とは、このようなものではありますね。
一個の凡夫が触れうるのは方寸の世のごく一部とは言え、ここも禍福糾える三千世界。
どうかどちらさまも、安寧に日々を過ごされますよう、ただただ祈るばかりです。
何か、とりとめもないことを申してしまいました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
日本の〝文民統制〟が孕む差別意識への応援コメント
「文民統制」については、目から鱗でした。
ありがとうございます。
>概して普段は、民主主義、人権、平和、多様性などを声高に主張していらっしゃるらしい
私は、おそらく、この分類に当てはまる立場(自衛隊批判をしたことはありませんが)なので、少し気になったことを。
「ステレオタイプで杜撰な連想により旧軍にまつわる負の歴史を現代の自衛官のイメージと安易に結びつけ、ネガティヴな印象操作を行うことは実にひどい人権侵害と言わざるを得ない」
というご指摘は、そこで挙げられている事例を読む限り、おっしゃるとおりとしかいいようがありません。
ただ、自衛隊については、いてくれないと困ると思う反面、危惧するところもあります。
危惧の原因は個人的印象ではなく(そもそも、私の知り合いの自衛隊関係者といえば、防大に進んだ高校時代の同級生や部活の同期の1人の親御さんくらいですので)、近年の告発によるものです。
等松春夫「危機に瀕する防衛大学校の教育」
https://drive.google.com/file/d/16No3obd07-MOxRbwo6MsPuqImAYK_Tfv/view
の【註8】および、それにまつわる本文のところです。
この部分に関しては、
「本校教官の意見発表に対する防衛大学校長所感」
https://www.mod.go.jp/nda/information/files/files/1689337905phpRFcoJV/050714-001.pdf
でも取り上げられていないようです。
なんだか、まとまりのないコメントになってしまいました。
申し訳ございません。
属性や印象論ではない危惧もありますよ、というのと、革新であれ、保守であれ、差別意識が露呈するような者や言説はしらみつぶしにしていかないといけませんから、私とは立ち位置の異なるすらかきさんの時に私にとっては耳が痛くなることもある論、今後も楽しみにしておりますということを伝えたかったということで。
作者からの返信
いつもお読みいただき、またご感想もありがとうございます。
ご紹介くださった等松春夫防衛大教授の告発については、僕も以前に読んだことがありますし、それに対する校長からの反論についても読みました。
この両者のいずれに信憑性があるのかについては、その根拠を確認する手段を僕も皆さんも欠いていると存じますので、確かな判断を行うのは難しいと考えます。
仮に、等松氏の論が全て真実であったとしても、それは自衛隊における教育などの改革論には発展すべきものでしょうが、自衛官の国会答弁を排除することとは、まったく別の話だと存じます。
ご指摘された、等松氏の論における【註8】、すなわち「商業右翼」が防衛大や幹部の学校で講演をしているという記述にしても、事実であれば、偏った思想の論者のみが講師として招聘されるような教育のあり方は是正が必要と考えます。
右も左も含め、様々な考えの識者に、偏りなく講演を依頼し、自衛官の方々に自ら考えてもらうような教育が妥当と、僕は考えます。
ただ、これも、あくまでも講演のあり方論であり、自衛官を国会から排除することとリンクすべきものとは考えません。
一般論として、現下の日本においては、様々な思想や言論が自由に表現されている現状にありますので、自衛隊での教育のいかんに関わらず、自衛官の方々であってもWebや書物などを通じてもそれら(右の言説も左の言説も双方とも)に自由に触れる機会は十分にあると存じます。
したがって、仮に「商業右翼」の講演を聞いたとしても、そうやすやすと皆が皆それを鵜呑みにして「洗脳」されるようなものでもない気もします。
ご紹介いただいた防衛大校長の所感の[結び]にもありましたが、同大学の教授である等松氏があのような意見を自由に外に発表でき、報道などされて、国民の目にさらされているという事実は、自衛隊内での表現の自由が少なくともある程度は健全に確保されていることをうかがわせるものであり、必ずしも硬直した画一的な思考が自衛隊を支配しているわけではないという、一つの安心材料的なものであるようにも存じます。
近年報道されているあちこちの私立大の騒動よりも、むしろましな気がします。
いずれにせよ、等松氏の告発などから、自衛官の内面の様相をあれこれ憶測し論うことは、自衛官という属性に対する偏見や印象論の域を出ないように存じます。
そもそも、内面の自由は憲法も保障する所ですので、自衛官がたとえ仮にどのような思想を持っていたとしても、犯罪その他の法令や条例などに抵触する行為が行われない限り、何人もこれを掣肘することはできません。
憲法第11条から第14条までを再確認いただければ幸いです。
僕がこの随筆で申したのは、システムとしての話であり、人権に関する話でもあります。
本稿中でも申していますが、仮に自衛官が国会に招致された場合、万が一どんな〝とんでもない発言〟を口走ろうとも、当該自衛官は政府参考人に過ぎないので、国会での議決権に参与することはできません。
したがって、システムとして自衛官を国会から排除しなければならない(そうしないと危ない)とする正当な根拠とは、本来なり得ません。
そもそも、国会議員にしても、官僚(文官)その他の公務員にしても、右から左まで、様々な思想の人がいます。
だからといって、そのことについてあれこれ憶測して国会から排除するようなことは行われていません。
しかし、自衛官については、その人が法令等に抵触しているわけでもなく、そもそもその人の内面など分る筈も無いのに、勝手に、危ない危ないと妄想をたくましくして排除されているというのが現状ですね。
これは自衛官という属性への印象論に基づく人権侵害なのではないでしょうか?
でも、そう考えない人が多い(殊に人権などを普段から声高に主張する人たちの中に)という事実に、日本における人権意識とは所詮この程度なのかと、僕は愕然とします。
何にしても、様々な視座から自由に意見を述べあえるということは、実に良いものですね。
非常に長くなってしまい、大変失礼しました。
ありがとうございました。
日本の〝文民統制〟が孕む差別意識への応援コメント
とても勉強になりました。「文民統制」という言葉の多くが「文官統制」という意味で使われてきた、日本特有の誤解に満ちた政治的な文脈があるのだということを、初めて知りました。
ニュースでこの件は知っていましたが、なぜ制服組を呼んではいけないのか、その理由が曖昧模糊としており、どうしたら理解できるのかもよくわかりませんでした。
こちらの記事のお陰で、本質的な部分を理解することができ、大変感謝いたします。
作者からの返信
お読みいただき、また、更にご感想もありがとうございます。
文民統制とは、民主主義国の主権者である国民が、実力組織(暴力組織)をどうコントロールするかという非常に重要な仕組みであるにも関わらず、主権者たる国民はもとより、主権者の代表である国会議員の中にも、その本質を理解していない人が少なくないことは、何とも怖ろしいものだと思っております。
少しでも、ご参考になったのであれば幸いです。
ありがとうございました。
編集済
夏休み気分も尽きかけて色々ともの哀しくへの応援コメント
昔は引きこもりどころか『登校拒否』こと不登校も市民権を得ていませんでしたね。
正直、人間の性質がそんなに大きく変化するとも思えないので、そういう人は隠されていたか、それこそ無理に人づきあいに駆り出されていたのかも知れませんね。
「今まで経験したことがない」諸問題も、とうに根を張りながら呻吟して来ていたのかと思うと、恐ろしいような……。
作者からの返信
いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、引きこもりがちな性情の人柄は時代に関係せずに存在し続けているのでしょう。
ただ、人間は環境に影響されやすく、言葉を換えれば順応性に富んだ面を持ち合わせているので、現代日本の感覚からすると過酷であったらしい、例えば戦時中や戦国時代などの社会環境においても、多くの人はそれなりに順応していたのだろうとも思います。
「逃げてもいいんだ」ということが公然と認められるようになった現代日本は、フラジャイルな個人に対してそれなりにやさしい社会になったとは思いますが、一方では昔に比べて、建前と本音という機微が失われ、杓子定規な理想的規範のみが大手を振るい、例えば、多様性を謳いながらも実際は裏腹に画一的な価値観(特に人権とか SDGsとか)が押し付けられるようになった面などに関しては、何とも余裕がなく住み難い、窮屈な世の中になってしまったものだとも感じられます。
ことに、そういった理想的な価値観が、例えばグリーンウォッシュのように裏では利権と繋がっていたりするのを目の当たりにすると、何とも言えない気持ちになります。
何やらだんだんと脱線してまいりましたが、頂いたコメントからそんなことをつらつら考えました。
ありがとうございました。
寂しいビール事情――はかなくも繊細な泡への応援コメント
バス、輸入停止になってるんですか
アイリッシュパブでフィッシュ&チップス食べながらうごうごと飲んでいました
最近、外で飲むことがとんと減ってしまっていて、まったく知りませんでした
ああ、なんとも残念な……
作者からの返信
お読みいただき、コメントまで頂戴しありがとうございます。
バス・ペール・エールの瓶は、以前はアサヒが輸入を行っており、酒類量販店や一部のスーパーでも比較的求めやすい価格帯であったため、僕もよく購入していましたが、2018~2019年ごろ、アサヒが輸入を停止したようです。
小さな商社や個人輸入などでは今も入ってきているのかも知れませんが、簡単には飲めなくなりました。
僕の若い頃に比べて、本物が手に入りにくい日本になっているのが、実に残念です。
コウさんのことなど――コウさんと娘と聖火リレーへの応援コメント
興味深く読ませていただきました。
終戦後の日本の田舎町で、中国と台湾にそれぞれルーツを持つ方が、共に生活している状況。なかなか想像できるものではないので、こうした文章を読ませていただけるのはありがたい限りです。
東アジアを巡る現在の国際情勢、根っこのところではまだ全く変わっていないのではないかと感じました。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございました。
また、ご感想も頂戴し、嬉しく存じます。
人は往々にして他者をその属性によって先入観で判断しがちですが、僕のこれまでの経験上、人種、民族、国籍、性別、老若、職業、教育等々、様々な属性と、その人が自分にとって好ましい人柄か否かには、全く相関関係が存在しないことを認識しています。
属性にかかわらず、個人と個人との穏やかな関係を保つことができたら幸いと存じます。
ただ、現実には、それがなかなかに難しいことも併せて認識しております。
ありがとうございました。
コウさんのことなど――コウさんと娘と聖火リレーへの応援コメント
今は『廣東酒家』は公開されていないのですね。
再公開されるときには、随筆とあわせて読んでみたいと楽しみにしております。
作者からの返信
お読みいただき、ご感想も頂戴し、ありがとうございます。
『廣東酒家』については、そのうち自身でリライトして公開しようとは思っておりますが、いつになる事やら判りません。
今後ともよろしくお願いいたします。
小冊子の文学への応援コメント
すらかき瓢乎さんより時代は下ると思うのですが、私もポピーをやっていて、付録についてくる小冊子をいつも楽しみにしていました!
私の時は、世界の民話や童話が収録されていました。挿絵が流行のものではなく、一昔前のしっかりした画家の手によるもので、文章も古風な感じでした。そういった重厚な趣が幼少期から好きだったので、実家を出て独立する時に大事に持ち出し、結婚した今でも手元にあります。
子供が小さい頃は読み聞かせにも使いました。今ではとても手に入れられないものですので、とっておいて良かったと思っています。
思わぬところに共通点を見つけて、大変嬉しいです。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。また、非常に嬉しいコメントまで、重ねてお礼申し上げます。
ポピーを実際になさっていたという方は、めったにいらっしゃらないので、実に奇遇で嬉しいです。
そして、小冊子を楽しみにしていらっしゃったというのも、同好の士を発見した思いで、感慨深いです。
今でも大切に保管していらっしゃるとはすごいですね。
本当に、嬉しいコメントを、ありがとうございました。
寝るのが厭にへの応援コメント
夫がどうやら四十肩で、時折湿布を貼ったりしています。
経験者に話を聞くと、ある時急によくなるらしいのですが、次は五十肩が控えているかと思うと、怖いですね。
前回のコメントに、「むべ」の語源に関して詳細な補足説明をいただき、ありがとうございました!
大変勉強になり、お得な気持ちにさせていただきました。
作者からの返信
お読みいただき、再びコメントも頂戴し、ありがとうございます。
四十肩(五十肩)は、診断名としては肩関節周囲炎と言われ、四十歳ごろに発症すれば四十肩、五十歳ごろの発症では五十肩という俗称が用いられますね。
一度治癒すれば再発することは少ないようですので、どうかご安心ください。
僕の場合は、初めに左の肩に症状が現れ、それが治癒してから数年後に、今度は右の肩が痛くなり、可動域も極端に狭くなりました。
どちらも、初めの一、二ヶ月は痛みに苦しみましたが、半年ほどすれば、ほとんど痛みはなくなり、一、二年で可動域も回復しました。
なお、個人差も大きいようですので、あくまでもご参考ということでご認識いただければと存じます。
ご夫君の早期ご快癒をお祈り申し上げます。
微妙に手の届かないへの応援コメント
イヌビワ、カジイチゴ、ムベ、検索して画像を見てみました。私も食いしん坊なので、どれも美味しそうです!
むべなるかな、の語源だったとは、勉強になりました。
街中にも自然は豊富にあるものですね。
当方のエッセイもお読みいただき、ありがとうございます。
こちらの随筆集、とても面白いです。
作者からの返信
読んでいただき、コメントまで頂戴し、ありがとうございます。
面白く読んでいただいたとのこと、非常に嬉しく、何よりに存じます。
「むべなるかな、の語源」とおっしゃる件に関し、本文中舌足らずな物言いで、誤解を産んでしまったかも知れません。
大変、失礼をいたしました。
天智天皇の「むべなるかな」の伝説は、広く伝わっている有名な話ではありますが、記紀などに記載されているわけではなく、出典が不明です。
僕は後の世に創作された俗説と見ています。
そもそも、この果実が天智天皇の時代(上代)にどのように呼ばれていたかは、実のところ定かではありません。
文研研究などに基づき、上代の日本語を集めた『時代別国語大辞典 上代編』(三省堂)にも、この果実の名を「むべ」とする記載はありません。
それらのことを本文中明記していなかったため、今から読み返してみると、誤解を生ぜしめる可能性があったと反省しています。
申し訳ありません。
編集済
小冊子の文学への応援コメント
わたしも小学生のとき、従兄がとっていたという伝手で、ポピーをとってもらってました。たしかに国内外の文学作品の小冊子がついてました。わたしも読んだ覚えがあります。いまはもうどんな作品があったか憶えてないけど、懐かしいです。
簡潔明瞭な文章。いいですね。こちらは気がつけば装飾過多になってしまいます。吉田健一さんの文章も好きなものが多いのでこの作品に採り上げられているのが興味深かったです。
作者からの返信
読んでいただきありがとうございます。また、フォローとコメントまで頂戴し非常に嬉しいです。重ねてお礼申し上げます。
ポピーのお仲間だったのですね。
今まで、ポピーをやっていたという人にあったことがなかったので、それも大変喜ばしく思います。
現代の作家ではなく、近代の文士の作が好みで、私の文体や作風など非常に時代遅れのアナクロニズムですが、読んで下さる方がいらっしゃるのは、非常にありがたいことです。
今後ともよろしくお願いいたします。
欲しいものへの応援コメント
水辺の鳥の写真をよく撮りに行っていたのですが、最近、余裕がなく…。大鷭もよく見かけていました。そのうち撮りに行きたいな〜と思いつつ、気分転換にTwitterで以前、撮った写真をリツィートしました。
ところで、初めて白鳥の鳴き声を聞いた時はビックリしました。水辺の鳥は餌を求めて泳ぎまわっているので、「ハロー、ハロー」の挨拶ぐらいでは目もくれないようです。
作者からの返信
ありがとうございます。
パンくずなどを与える人があるらしく、人影を見ると、オオバン、スズガモ、マガモ、カルガモなどが様子を伺いに近付いてきますが、ハローハローの挨拶程度では、すぐにまた遠ざかって行きます。
微妙に手の届かないへの応援コメント
山肌の護岸の切り立ったコンクリートから、垂れ下がったアケビをなんとか取ろうと悪戦苦闘したのを思い出しました。
野生の果実には、えもいえぬ魅力がありますね(笑)
作者からの返信
いつも読んでいただき、本当にありがたく存じております。
今日は更に、感想まで頂戴し、非常に嬉しいです。ありがとうございます。
アケビ、子供の頃に、山の中に生えていたのを、祖父や父や近所のお兄さんなどに採ってもらって食べました。
ああいうものは、なかなかに採りにくいところに生っているのが常ですね。
採りやすいところに生ったものは、すぐに他の誰かに採られたり。
また、苦労して採ったわりには、実際の味は大したことがなかったりするんですよね。
それでも、天然物は栽培物に優る心のときめきがあります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
幻じゃなかったシウマイ弁當への応援コメント
念願の鮭入りのシウマイ弁当おめでとうございます。欲や願望を出さない方が、案外神様は微笑んでくれるのかも知れませんね(^^)
作者からの返信
ありがとうございます。
おっしゃるとおり、欲などは抑えぎみに生きた方が良いですね。
分かっていても、煩悩に囚われる凡夫なのですね。
糸瓜の田楽などへの応援コメント
いつもとても勉強させていただいています。へちまにそんな物語があるなんて知りませんでした。言葉とはとても不思議です。
お料理も彩り豊かでとても美味しそうで、お酒が進みそうです(^^)
作者からの返信
いつも読んでいただき、また応援の♡をいただきありがとうございます
今日は、コメントまで頂戴して本当に嬉しいです。
ありがとうございます<(_ _)>
ボソボソさん(ボソボソさん さん?(*^^*))がお書きになるご家族のエッセイもほほえましく、いつも楽しみにしています
お一人お一人がしっかり的確に描写、表現されていて、目に見えるように思います
今後とも、よろしくお願いいたします
吉田健一と百鬼園と用字と仮名遣への応援コメント
丸谷氏でしたか、「アフグ」「アフギ」を「アオグ」「オウギ」とすることで両語の語源関係が表記上で喪われてしまう、そのツケを我々は払うことになる、といった指摘を何処かでなさっていたことなど思い出し乍ら、国語国字改革については私も残念に思っておりましたから、大変興味深く拝読致しました。
その時々の気分に左右された現古綯い交ぜの怪しい用字・仮名遣いで、「文法の拡張」などと嘯いて好き放題に書き散らしております拙文などは、取り分け規範文法の点から様々にご指摘を頂戴することもございます。「ラ抜き」「イ抜き」などへのスタンス、記述文法の観点を踏まえた上で規範文法的「正しさ」に何処まで拘るかは書き手のセンスによるのでしょうか。カクヨムの中を游泳し乍ら何時も考えております。
作者からの返信
読んでいただいた上、コメントまで頂戴し、ありがとうございます。
「煽ぐ」と「扇」の話は、僕も随分前に何かで読んだような記憶があります。
言葉遣いについて、拘るポイント、譲れないポイントというのは、人それぞれに千差万別なようで、福田恆存は徹底した「守旧派」でしたが、丸谷才一などは和語の仮名遣以外は、むしろ「革新派」的な言説も少なくないですね。
僕も、旧字、旧仮名に細かな拘りがある一方、「ラ抜き」「イ抜き」については、全く受け入れて自らもしばしば用いています。
殊に「イ抜き」に関しては、漱石の『坊ちやん』にも「赤シヤツは、しきりに眺望していい景色だと云つてる。野だは絕景でげすと云つてる」などと出てきますので、令和の僕らが拘っても詮無いように思います。
こういうお話ができるのも実に楽しいものだと存じます。
誠にありがとうございました。
微妙に手の届かないへの応援コメント
子供のころは、果実の生る木はおやつの生る木。桑の実、おんこのみ(一位の木に成る赤い実。種は毒と言われますが。)草イチゴに冬イチゴ、モミジイチゴなどなど、
イヌビワの実と書かれていて、少し驚いたのです。私は山登りやハイキングを少ししてたので、木や草花の図鑑も時折読みなどしたのですが、イヌビワは蜂が寄生すると書かれてあったので、見つけたとしても、食べるのは、無理かなと思っておりました
作者からの返信
イヌビワコバチですね。
イチジクの仲間は、虫と共生関係にありますね。
イヌビワコバチの雄が寄生したり、雌が産卵したりするのはイヌビワの雄株ですね。イヌビワの雄株を食べる人は、まずいないでしょうね。
甘いのはイヌビワの雌株ですが、ここにも、イヌビワコバチの雌が産卵しようと誤って入り、産卵できずにそのまま死んでしまうという悲劇が。それでもイヌビワにとっては受粉のための大事な客人ですね。
割って見て、特に虫が見当たらなければ、僕はあまり気にしません。
それに、虫を食べたとしても、実害はないでしょうから。
気持ち悪いというのはあるでしょうけれども。
バナナとパイナップルへの応援コメント
兄弟姉妹が、交通事故にあうことは、怖いことです。
私も、高校生だった授業中、突然、担任教師から、名前を呼ばれ
姉の運ばれた病院へ向かいました。号泣するしかない弱い、幼かった日のことです。
作者からの返信
お姉さまは、ご無事でいらっしゃったのでしょうか?
今はお元気でいらっしゃることをお祈り申し上げます。
寝るのが厭にへの応援コメント
僕は四十肩がそろそろ来そう。そして夢見が悪いです。
しばらく前、数年(五年超)、出火を必死に止めようとするも延焼する夢を見て家屋が全焼する前に飛び起きることを幾度も繰り返しました。
こんな不幸はないと思っていましたが、人間の悩みが自分だけのものであることはない(故・瀬戸内寂聴)という教えの通り、同様に悩む人はいらっしゃるのですか。
自分だけ不幸だと思ったことを反省します。
作者からの返信
ありがとうございます。
火事の夢ですか。僕は火事の夢は見たことがありませんが、怖ろしいでしょうね。
でも、現実世界で家が焼けるよりは、はるかにましですので、そう安堵なさるのが宜しいのではないかと思います。
実は僕が学生の頃、僕の実家が近所からの延焼で焼けてしまいました。
火元は法的に賠償責任はありませんが、火元となった家の住人の方をその災禍以降見かけたことはありません。
まあ、そんなこともあります。
夢の話から随分と逸れてしまいました。
乙巳蛇話――跋への応援コメント
年末年始の前後は日々が過ぎるのが早い気がしますね。
十話から成る蛇、となると、体が節にわかれた古風な玩具の蛇を連想します。
なにはともあれお疲れ様でした。
作者からの返信
ありがとうございます。
体が節に分かれた玩具の蛇、お土産などにありましたね。
何とかシリーズを終えることができてほっとしています。