第25話 光あれ

「俺も彼女の護衛を手伝おう」

「あ?」

「なんで?」


 ラリマーの言葉に、ネブラとコメットの声が重なった。二人とも、最早なんの驚愕も抱けぬ真顔である。

 挙げ句、「ではな」とラリマーが去ろうとするので、ネブラは「待て待て待て」と後を追った。コメットも目を白黒とさせながら、二人の後を追う。


「だれがなにを手伝うだって?」

「俺がお前を。実は、トリスメギストス先生にも、実戦経験が足りないという指摘を受けてな。防御魔法を極めるなら、攻撃の手数も知っておくべきだと。今回の話は、経験を積むのにちょうどいい」

「完全にお前の都合だな。俺に得もないのに、なに勝手なこと抜かしてんだ?」

「防御魔法に関しては、ネブラよりも俺のほうが秀でている。力になれると思うぞ。というか、お前の魔法は詰めフィーネが甘いし、改善したほうがいいんじゃないか?」

「んだとゴルァ!?」


 ネブラが無表情から一変した。

 ラリマーの胸倉を掴もうとする左手を、コメットが両手でしがみつくことで制した。そのままラリマーに訴えかける。


「でも! この仕事は、大先生が引き受けて、ネブラ先生に任された仕事だから」

「それを俺も手伝うと言っている。護衛なら人手が多いに越したことはないだろう? なに、報酬はいらないさ。お前たちほど金には困ってないしな」

「いやっ、ラリマーさんもってなると、ピアニカさん驚くと思うよ? ねっ?」

「なら、お前たちから伝えておいてくれ」

「えーと、ほら! さっきのピアニカさんのこと思い出してよ、絶対にいい顔しないと思う!」

「彼女の顔色を窺う理由が俺にあるとでも?」

「ハーッ俺もうなんかゾッとするわこいつ」


 ネブラはラリマーにドン引きしていた。こいつに心ってあるんかな、とか思い始めていた。

 そして、似たようなことをコメットも思う。


「むしろ、ラリマーさんは嫌じゃないの? ピアニカさんからけっこう辛辣なこと言われてたよね? そんなひとのことを守ろうなんて」

「第一印象は最悪だろ、お互い」

「俺は特に悪い印象はないんだがな。ピアニカ・ビアズリーは人格者だと、ブルース侯爵から聞いている」

「人格者ぁ? どっからどう見ても人格破綻者だろ。侯爵もすっかり騙されてんな」

「騙されているかどうかは知らないが、ピアニカ・ビアズリーは各地の孤児院や宗教団体に多額の寄付をしている。自分の稼ぎのほとんどを寄付しているために、スターとは思えぬ質素な暮らしをしているんだとか」


 ネブラが立ち止まり、コメットも足を止めた。口を閉ざした二人を見遣るように、ラリマーも足を止める。

 噂の真偽は知らないが、たしかにピアニカは慎ましく暮らしていた。自分はいくらでも稼ぐ歌手だと豪語するわりに、住んでいるアパートは質素で、食事はシンプルかつ少食、服にしろこだわりのない安価なものだ。

 コメットは感動したように両手を組んだ。


「すごいね。マドンナ・リリーみたい」

「誰だその女は」

「んふ。へへっ。ラリマーさん、純白の貴婦人って知らないの?」

「馬鹿弟子。習ったからってあんま調子に乗るなよ。国内でしか活躍してない偉人を、よその国のやつが知ってるわけないんだからな」

「ラリマーさん、あとで僕が教えてあげるね」

「結構だ。だが、その貴婦人と社交界で会う日を楽しみにしていよう」


 マドンナ・リリーは歴史上の偉人である。

 そう訂正するほどネブラは親切ではなかった。


「にしても、あのピアニカ・ビアズリーが、なんでそんな慈善活動を?」

「彼女は捨て子で、教会育ちだと聞いた。彼女なりに思うところもあるんじゃないか?」

「教会って、孤児院みたいなところなの?」

「いや。だが、国の支援制度が確立するまでは、宗教施設が福祉の役割を担う例が多い。その名残がある地域は、教会や修道院が孤児を預かることもあるんだ」

「そうなんだ」

「当時のピアニカ・ビアズリーは聖歌隊に所属していて、たまたま教会を訪れたプルート・ナイトフォードの目に止まったそうだ。それがいまでは大スターなんだから、運がいいな」


 コメットが相槌を打っていると、ネブラが左の手の平を振った。シッシッと動物を払う仕草だった。

 それをコメットは正しく理解し、しがみついていた腕から離れる。ネブラを一瞥し、怒りが下火になっていることも確認した。

 ネブラは解放された手を腰につき、「で、」と切りだす。


「お前は魔法の実戦経験を積むのために、ピアニカ・ビアズリーの護衛を買って出る、と」

「悪い話じゃないだろう」

「……悪くない話だ」


 ネブラはそっぽを向いてため息をつく。

 ラリマーの話を承諾しようとしているネブラに、コメットはわずかに驚いた。


「脅迫状に魔力の痕跡は残ってなかったって、先生から連絡が入ってる。正直、犯人を事前に取っ捕まえるのは無理だ」

「リスクは高いが、実行現場を押さえるしかない、というわけだな」

「が、できることなら犯人調査も進めたい。あの女を狙うのは、なにも外部の人間だけじゃないと、俺は考えてる」

「身内か」

「可能性の話だけどな」ネブラはため息をつく。「だが、可能性がある以上、潰しておかねえと。てなわけで、ギャラクストラのメンバーとも接触したい。俺も自由に動ける時間が欲しい」

「ふん。決まりだな」


 ラリマーが右手を差しだし、ネブラに握手を求める。ネブラはその手をじっと見つめた。


「お前ってそうだよな」

「なんだ?」

「なんでも」


 ネブラは左手でラリマーの手を叩いた。きょとんとした顔のラリマーを置き去りにして、踵を返す。ピアニカのいる控え室へ戻ろうとしていた。

 その隣をコメットがついて歩くと、上から「最悪だあぁ〜」と項垂れるような声が漏れた。


「そんなに嫌なのに、どうしてラリマーさんとお仕事することにしたの?」

「あいつの言うことは正しい。俺は詰めフィーネが甘いし、あいつの魔法は有用だ。正直、痒いところに手が届く存在ではある」

「ふうん」

「でも、明日から、気性の終わってるやつだけじゃなくて、性根の終わってるやつの相手までするんだぞ。世界終末戦争の対戦カードか?」

「どっちがどっち?」

「気性の終わってるやつがあの女以外にいてたまるかってんだ」

「ネブラもそう変わんないよ」

「ネブラ先生な」ネブラは目を眇める。「てか、昨日からそればっかだな。俺とあの女のどこが同じだって言うんだよ」


 問いただすネブラに、コメットは目線を返す。


「悲しいときに一番怒るところ」


 見透かされている気分になって、ネブラは押し黙った。この子供を馬鹿と思って見くびっていると、こういう目に遭う。


「それに髪がウネウネしてる」

「癖毛を馬鹿にするな」






 さて、翌日。

 朝、玄関扉を開けたピアニカが、ネブラの横にいるラリマーを見て、怪訝に眉を顰める。


「……なんでこの男がここに?」


 当然、いい顔はしなかった。

 当然、その顔色をラリマーは窺わない。


「いい朝だな、ピアニカ・ビアズリー」

「どんな朝もただの朝よ。なに? 追っかけ? 護衛ならちゃんと仕事してくんない? こいつをあたしの前で野放しにしてる気が知れないんだけど」

「聞いて驚け。今日からこいつも仲間だ」

「ネブラと共にお前の護衛をすることになった。まあ、大船に乗ったつもりでいるといい」

「なに勝手に決めてんのよ。こいつ、こんなところをうろちょろしていい身分じゃないでしょ」


 ピアニカはラリマーを指差して言った。高級なミジンコが水槽から出てはいけないことくらいは理解している。

 ネブラもまったくの同意見だが、そんな正論がラリマーに通用するとは微塵もミジンコも思っていない。


「よし。行くぞ」

「遅いと置いていくからな」

「あたしの前を歩かないでくれる!?」


 先を行くネブラとラリマーを、ピアニカが怒鳴りつける。アパートを出るころには「歩くのが早いのよ!」とベレー帽を投げつけていた。

 三人が〈グレートウォール〉に到着すると、練習室には、すでに何人かの楽員が集っていた。休日ということもあり、朝から集まりがいい。

 ピアニカにつくのはラリマーに任せ、ネブラは楽員の様子をつぶさに確認する。


「おはよう、ピアニカ」


 練習室に入ってまず声をかけてくるのが、首席奏者のラスタバンだ。彼の声に合わせて他の楽員も挨拶をし、ピアニカも「おはよう」と返す。

 ラスタバンはプルート・ナイトフォードの右腕のような存在で、ナイトフォードの不在時には楽員のまとめ役にもなっている。真面目そうな見た目のとおり、真面目な性分の男だ。

 彼の周囲には各セクションの首席奏者が集まっていて、なにやら相談をしていた。


「ラスタバンはどう思う?」

「この曲の肝はハープとピアノ。どっちも編入楽器で久々の大役になるし、奏者二人の意見を参考にしたいんだけど……そこで意見が割れてるのかあ」

「だってさ、創設二百周年を記念するコンサートだ。きらびやかさは欠かせない。情緒のある艶と、目も眩む華美。二つの妙を作りだすには、むしろ、装飾は過度なくらいがちょうどいい」

「全体のバランスと尺を考えろよ。俺たちギャラクストラはエンターテイナーで、客が主役だ。目的はの提供なんだよ。癖があるほど客は魔力酔いを起こすって」


 ギャラクストラに所属する魔法使いは、それぞれに音楽性があり、美学があり、主義がある。

 そのため、こういった衝突は議論のうちで、それだけ全員が真剣に取り組んでいる証だ。


「魔法は常に進化しつづける。いまの流行りはスマートな短縮詠唱だろ。冗長で装飾的な呪文なんて時代遅れだね!」

「一過性の評価を求めるより、普遍的な美を重要視するべきだ。文芸復興ルネサンスに同時代性を求めるなんてナンセンスだろ!」

「はあ? たった一言“開けゴマ”って唱えりゃいいところを、“我、如何いかなる門番をも跪かせる、開闢かいびゃくの槍を得たり”とかのたまうのがそんなに美しいかよ!」

ってなんだって! 効率重視しすぎて、意図がまったく詠み取れないだろ」


 曲の歌詞についての議論のようで、楽員は徐々に白熱していく。

 魔法使いにとって、旋律も歌詞も等しく呪文だ。自己の魔法表現に誇りを持っている。たとえ機能性が違えずとも、自分のセンスから逸脱したものに情感は乗らない。


「落ち着いて。コーラス二人の意見も聞こう。ピアニカ、アリア、どう?」


 ピアニカは「あたしが歌うならどっちも同じでしょ」とつっけんどんに返す。

 そののち、アリアが「問題の歌詞、見せて」と言った。楽員が魔法で楽譜を飛ばす。受け取ったアリアは目を通した。


「……あはは、こりゃあ、ゴッテゴテに飾りたてた歌詞だね。花びら一枚を讃えるためだけに、世界の裏側まで行っちゃった」

「な? さすがにやりすぎだろ?」

「でも、演目の雰囲気には合ってる気がするな。私はこっちの解釈のほうが好き」アリアが楽譜から顔を上げる。「現行の歌詞に、この情感を乗せるってのはどう?」


 口論になっていた二人が一考する表情を見せた。

 続けざまにアリアが歌う。艶と張りのある歌声が、練習室の喧騒を断つように響く。

 すると、アリアの手の上に、光の波が浮かんだ。音に乗って宙を漂い、口遊ぶ音の終わりに溶けていく。


「——こんな感じ。情緒ある艶と、目も眩む華美、ちゃんと表現できてた?」

「いいんじゃないか? シンプルな歌詞に情感が乗ることで、むしろ伝わりやすくなってる。魔法式の書き換えも必要ない」

「やっぱアリアはテクニシャンだな。異論なしだ」

「ピアニカはどう? 斉唱ってなると、私たちの擦り合わせも大事だよね」

「問題ないわ。貴女に任せる」

「じゃあ、決まりね」

「マエストロには僕から伝えておくよ」

「うん。お願い」


 アリアの柔軟な提案により、話は決着した。

 ギャラクストラのまとめ役がラスタバンなら、バランサーはアリアだろう。人当たりがよく、他者の心意を汲み取ることで、衝突を避けられるよう調整している。

 ネブラの目から見ても、ラスタバンとアリアは楽団の中心人物だった。

 両者、無愛想なピアニカとも難なくコミュニケーションを取る人格者で、楽員からの信頼も厚い。ピアニカが楽団の看板だとしたら、二人は屋台骨と言える。

 そのとき、パンパンと手が打ち鳴らされる。

 皆が一斉に音の鳴るほうへ視線を遣ると、ナイトフォードが「皆さん、注目」と合図をしていた。


「それぞれの表現に熱心になるのも結構ですが、我々の目的を見失わないように」ナイトフォードは楽員を見渡す。「お越しくださるお客さまに、満足して帰っていただくこと。バランスを見誤ってはいけませんよ」


 ナイトフォードは指揮者であると同時に音楽監督だ。練習の方向性を考え、楽員を導くのが彼の役目なのだ。

 しかし、穏やかな指導者の顔から一変、ナイトフォードは神妙に目を閉じて首を振る。


「ただでさえ、帝国魔導法が年々厳しくなるおかげで、ギャラクストラは存在自体が法令違反になりつつあるんですからね。一小節間違えれば、ギャラクストラは犯罪集団に成り下がります。犯罪集団ギャングストラです」

「はー世知辛いですよねー」

「詭弁も詭弁だろ。数時間も魔法を聴かせつづける行為が、使に引っかかるとか」

「帝国魔導法第四条・魔法規制。三等級以上の魔導資格ソーサライセンスを持つ魔法使いでないと、人体に魔法を使ってはいけない」

「無理無理。こちとら死ぬまで五等級です」

「まっ、集団魔法中毒でも起きないかぎりは取り締まりも厳しくはならないだろうって、顧問弁護士が言ってたじゃん! 身構えすぎると、かえって悪いことしてるみたいだし、堂々としてようよ!」

「そうよ。半年前のコンサートで最前列のお客さまが倒れたときも、二日酔いだって誤魔化せたんだから」

「馬鹿、声が大きい」


 その会話を眺めていたネブラは「ここの人間はちょっとアレかもな」と思ったし、ラリマーも「ちょっとアレだな」と思っていた。

 そんな二人に、ナイトフォードが「君たちはなにも聞かなかった。いいですね?」と告げる。二人は黙って頷いた。


「お疲れさま」


 そこで、アリアがネブラに声をかける。

 ほがらかな挨拶に、ネブラは「おはようございます」と返した。


「今日もピアニカの護衛だよね」

「はい、まあ。無関係の人間が練習にまでお邪魔しちゃってすみません」

「全然。こちらが依頼したことだからね。むしろお世話になってます。コンサート前でみんな慌ただしくしてるけど、自由に動き回ってくれていいからね」


 部外者にも居心地を悪くしてはいないか気を遣うのだから、ずいぶん人がいいのだろうと、ネブラはアリアを分析する。


「ちなみにどう? 犯人探しは順調?」

「二日目なので、まだなんとも」

「だよね。そう簡単にはいかないか」アリアは苦笑する。「みんなも落ち着かないし、早く片づくといいんだけど」


 万が一、ギャラクストラに犯人がいるとするなら、最も可能性が高いのは、ピアニカと同じ専属歌手のアリアだろうと、ネブラは睨んでいる。

 ピアニカが降板すれば、自動的に、アリアの出番が増える。損得を考えたとき、真っ先に浮上するのがアリアなのだ。


「ちなみになんすけど、ここに在籍してどれくらいですか?」

「私は今年で五年目になるかな」

「あいつは?」

「ピアニカ? ピアニカは私の二年あとだったはず。私もあの子も、ギャラクストラの中じゃ中堅くらいの位置かな。一番歴の長い楽長なら、常任になる前も含めて十年くらいはあると思うけど」


 ギャラクストラは、楽員の入れ替わりが激しい。

 プロオケとして給料は出るものの、音楽家として別のオファーも受けている楽員も、まったく別の副業をしている楽員もいる。そのため、本人の都合で退団することは珍しくなかった。

 ただ、欠員に限らず、優秀な人材を集めるため、オーディションも頻繁に開かれる。そのぶん、多様な経歴の人間が集まりやすい。

 いまは楽長を務めるナイトフォードも、五年間の客演指揮者、その後二年間の音楽監督を経て、首席指揮者に就任している。


「あっ。過去の専属歌手の最長任期は六年だからね、実は、私もあと一年で殿堂入りだよ」

「そんだけ長く活躍してるなんてすごいですね」

「ふふ、まだまだ現役でがんばるからね。史上最長の専属歌手として、記録更新しちゃおうかな。握手しとくなら今のうちだよ、なんて」


 そう、手を差しだして、おどけたように笑う。

 たった少しの会話でも、アリアの明朗快活な人柄は見て取れた。

 ここまで毒も灰汁あくもない人間だと、ネブラは体がむずついてくる。ケートスを前にしたときと同じだ。ケートスやアリアが悪いわけではなく、ネブラの性分だった。

 すると、右手を差しだしていたアリアが、ネブラの右腕に気づく。やや緊張した面持ちで「あ、ごめん」と手を引っこめた。


「大丈夫なんで、気にしないでください」

「義手だったんだね。気づかなかった。ずっと杖を握ってるんだなって思ってたから」


 こういう反応を見るのは久々だな、とネブラは思った。ネブラの周囲は慣れているが、初対面の相手だと、大抵はアリアのように申し訳なさそうな顔をする。

 ただ、ネブラの「大丈夫」に嘘はない。

 腕を失くした経緯については、ネブラの中の憎悪と深く結びついていたけれど、失くした腕そのものに未練があるかといえば、それはやや疑わしいのが本音だ。

 失くしたものはしょうがないし、杖腕にもすっかり慣れてしまった。人間の手ではなく杖を直接つけるのはあまりに極論だとネブラも思ったが、魔法の扱いを覚えれば、見た目より不便はなかった。

 ただ、世間一般的に見て、ネブラの腕は普通ではなく、五体満足な生身の人間にとっては、哀れに映るのは仕方のないことなのだ。

 案の定、目の前のアリアは、自分のユーモアが凶器となったことを悔やみ、たまれぬと眉を下げている。


「本当に気に病まなくていいすから。そういうのにまったく気づかない無神経なやつも、世の中にはいるんで」

「はああ……年下の男の子に気を遣わせてしまった。私もまだまだ精進しなきゃだね」

「失礼かもですけど、いくつですか?」

「私は二十五だよ」

「若いすね。魔法使いなのに」

「魔力量には恵まれたかな。君のところの先生みたく、大物になれる器ではなかったけど」


 ギャラクストラに所属する魔法使いのほとんどは、見た目どおりの実年齢だ。

 魔法使いの手練ればかりが揃う近衛星団では、魔力量に応じて長寿の魔法を施しているが、四等級が精々のギャラクストラでは、普通の人間のように時を刻む。


「でも、私、小さいころからギャラクストラのファンでね。オーディションに合格したときは涙が出るくらい嬉しかったし、家族もすっごく喜んでくれたなあ。だから、生きてるあいだに創設二百周年の節目に立ち会えたことが光栄だよ」アリアは美しく微笑む。「今年のアニバーサリーコンサートは特別だからね。絶対に成功させたいよね!」


 っぽいな——少なくとも、ギャラクストラを陥れるような真似はしないだろう、というのが、ネブラの見解だった。

 その後も、ネブラはギャラクストラの楽員たちを観察していたが、容疑者として浮上するような人物はいなかった。

 そもそも、ギャラクストラは、生活基盤がばらばらのメンバーが集まっていることもあり、ビジネスライクな関係だ。

 音楽のプロフェッショナルとして、よりよい作品に仕上がるよう互いに協力しあうものの、プライベートでは距離がある。

 最年少のピアニカが相手ならなおさらで、ラスタバンやアリアのように気にかける者もいれば、必要以上に関わらないない者もいる。

 そもそも、練習風景を見るかぎり、ピアニカの影は薄かった。ギャラクストラでも怒鳴り散らかしているだろうと、ネブラは思っていたのだが、実際は借りてきた猫のようにおとなしく、歌手として真面目に活動している。

 摩擦もゼロではないだろうが、最低限の接触では、致命的な諍いは生まれようもない。

 アニバーサリーコンサートを台無しにしてまで、ピアニカを脅しつける理由がないのだ。


「そろそろ全員集まりましたかね? 揃ったなら、頭から通しで合わせましょうか」


 そんなナイトフォードの一声で、ギャラクストラの練習は始まった。






 昼時を迎えたギャラクストラの面々は、それぞれ飲食店までランチをしに出たり、自前のもので昼食を摂ったりする。

 ピアニカは後者で、ピーナッツバターを塗ったベーグルサンドと、トマトとアボカドのサラダを詰めこんだ、小さなランチボックスを持参していた。

 練習室前の廊下に続くベンチに、ピアニカが腰かける。膝にランチボックスを乗せたまま、首に下げた小さな光輪架ロザリオを握りしめ、目を瞑って祈りを捧げる。

 その対面のベンチに、ネブラとラリマーは座っている。


「お前なんも食わないの」

「ルピナスに持ってこさせている。もうすぐでこっちに着くと思うんだが……ネブラ、そのサンドイッチを一口寄越せ」

「やだね」

「お腹が空いている。口論すら惜しい」

「それが奴隷の気持ちだぜ、公子さま」

「奴隷契約を結んだ場合、雇用主が奴隷の衣食住を確保するのは当然の義務だ。帝国の杜撰な奴隷法を当て嵌めるな」


 ネブラはベーコンとレタスとチーズを挟んだサンドイッチを用意してきていた。保温魔法のかかったランチボックスに入れてきたため、焼きたての温かさのまま、美味しくいただいている。

 ラリマーは足を組み、退屈そうにネブラを見遣る。


「暇だ。なにか話せ」

「お前と話すくらいならコップの水の表面張力眺めてるほうが楽しいわ」

「ピアニカ・ビアズリー。話せ」

「時間と労力の無駄。あたしの美声も無駄」


 なんてやつらだ、とでも言いたげに、ラリマーは肩を竦める。ラリマーはラリマーでなんてやつではある。

 どう考えても上手くいきようのない三人だったが、半日すごしてみても、やはり上手くいきようがなく、三者三様の悪態をついていた。

 ピアニカは「邪魔なデカブツが二人」と不機嫌でいたし、ネブラは「終わってるやつらが二人」とうんざりしていたし、ラリマーは「癇癪持ちが二人」と呆れていた。三人全員が、自分が一番まともだと思っている。

 食前の祈りを終え、ピアニカは光輪架ロザリオを離し、ベーグルサンドに手をつけた。

 その様子を眺めていたラリマーが口を開く。


「お前は創造主信徒ロゴシタンなのか」

「だから言ってるでしょ。あたしが敬意を払うのは、創造主とアステリア・ワイエスだけ」

「食前に祈る風習があるのか?」

「この世の全ては神が作った世界の上にあるから。あたしのいただく命と、恵みを与えてくださる主に感謝を捧げるのよ」


 創造主信仰は、アトランティス帝国の四大宗教の一つであり、唯一神を万物の祖とする信仰だ。

 この世界にある命のすべては神が作ったものであり、そこに優劣や善悪はないとされている。

 ネブラは鼻で笑った。

 優劣がないなんてとんだ綺麗事だ。もし本当にそうなら、生まれながらに虐げられる者も、生まれながらに恵まれた者もいないはずだ。

 この世界は畢竟ひっきょう、出自だの才能だのに左右される。押し並べて不均等な命の価値。

 そんなネブラに、ピアニカが言う。


「あんたは神を信じてないの?」

「なんにも信じてねえよ」

「魔法使いなのに」

「関係あるか? それ」

「はじめに言葉があり、神は光あれと唱えた。そして、世界が生まれた。無に明かりを灯したことで、そこに世界という概念を齎したと、聖書に記されてあるのよ」

「ああ、呪文説?」


 ネブラ自身に信仰はないものの、学問としては一通り履修している。

 聖書によると、神は言葉と共にあり、光は音と共にある。そのため、万物の祖である創造神とは、「“光あれ”」と唱えた、全知全能の魔法使いであるという解釈があった。


「魔法で生命は作りだせない。神を魔法使いと解釈する旧訳聖書派には、俺は否と唱えるぜ」

「あたしは真訳聖書派よ。魔法使いだって、神に作られた生命の一つにすぎない。魔法を使えるからえらいなんてことはない」


 創造主信仰は古くからあり、元となる聖典もただ一つだが、その解釈の仕方よって、いくつかの派閥に分かれている。

 その中でも、大きく二つに分けられるのは、神は魔法使いだったとする旧訳派と、魔法使いでないとする真訳派だ。

 真訳派の思想は、均等かつ平等な条理。


「みんな等しく、水に沈めば終わりだわ」


 事実、神代に世界は水没し、種族を問わず、あらゆる生命がことごとく途絶えた。

 この世界のあらましは、信じられる神の数だけ説があり、しかし、そのどれもに《大洪水》は登場する。

 現存するあらゆる聖典や古記に「大津波」「暴雨」「氾濫」という記述が散見されていることから、神罰か自然現象かはさておき、《大洪水》は実際に起きた出来事だとされている。


「でも、水に沈まなかった命があったから、いまもこの世界は回ってる。彼らが生きのびた理由は、神に選ばれたからでもなんでもない。ただ運がよかったっていう、それだけなのよ」

「その運命さえ、神のお導きなんじゃねえの」

「聖書には、運命は神の手を離れている、とあるわ。主は私たちを創造されたにすぎない。この世のすべては神の意図でできてるなんて、旧訳派の傲慢よ。神からの試練だの救済だの、自分の運命に理由をつけて安心したいんでしょ」


 ネブラは、食べ終えたサンドイッチの包み紙を両手で丸める。魔力を帯びさせて燃やすと、灰も残さずに消えた。


「運命に神の意図がないなら、お前が善行を積む理由はなんだ。孤児院に寄付とかしてんだろ? 善行を見る神も、悪行を裁く神もいない。なのに、他人に施しを与えて、お前は救われんのかよ」


 サラダにフォークを下ろしていたピアニカが、ちろ、とネブラに視線を遣る。

 ネブラと目が合ったのはほんの数瞬間で、薄荷色の眼差しはすぐに手元へ落ちた。


「死んで天国にきたいわけじゃない」

「…………」

「運命を書き換えられる人間になりたいだけ」


 なんだそれ、とネブラが口を開くより先に、「あ、いたいた」と、昼食から戻ってきたラスタバンが近づいてくる。どうやらピアニカを探していたようだ。

 ネブラとラリマーは口を閉ざして、ピアニカとラスタバンの会話を眺める。


「ラスタバン。どうしたの?」

「アリアからのお裾分け。クッキー焼いたんだって、楽員みんなに配って回ってたよ。僕は先に練習室に戻るつもりだったから、君の分も預かっておいたんだ」


 ラスタバンはそのクッキーをピアニカに渡す。濃いピンクのリボンで結ばれた包装の中に、星型のクッキーが数枚入っていた。


「ほら、この前も作ってくれたチーズクッキーだよ。あれ美味しかったよね」

「わざわざ人数分用意するなんてすごいわ」

「お菓子作りが趣味だからね、アリアは。食後のデザートにいただきなよ」

「もうお腹いっぱいだから、あとで食べる」

「それだけの量で? ピアニカが少食なのは元からだけど、本当にそれで大丈夫? もう少し食べないと、体によくないと思うよ?」

「いいの。満腹になると発声に影響するのよ」


 サラダを食べ終えたアリアは、カトラリーを空のランチボックスに収めた。膝に広げていたクロスを折りたたんでいくのを、ラスタバンは心配そうに見つめる。


「でも、あんまり食べないのもよくないんじゃないかな。歌手としては立派なことでも、君が体を壊さないか心配だよ。コンサート前に倒れたりしたら、君だって悔しいだろう?」

「自分の限度くらいわかってるから。あたしにはこれくらいの量がちょうどいいのよ。放っておいて」

「でも……」

「しつこいのよ!」ピアニカはまなじりを裂く。「大丈夫だって言ってんのに、バイオリン間近で聞きすぎて耳悪くなった? さっきから余計なお世話なのよ!」


 ピアニカは怒鳴りつけるように言った。隣の席に置いていたバッグに、ランチボックスとクロスを突っこみ、そのまま立ち去ろうとする。

 ラスタバンが慌てて「ごめんピアニカ」とその背に投げかけるも、ピアニカは足を止めなかった。

 ネブラはラリマーを一瞥する。

 意図を汲み取ったラリマーは、一人、ピアニカの後を追った。

 廊下には、肩を落としたラスタバンと、目を眇めるネブラが残る。ネブラは小さく「コワ、あいつ」とこぼした。


「怒らせちゃった……口を出しすぎたかな」

はたから聞いてても、当たり前のこと言ってるだけだったんで、問題があるのはあいつのほうだと思います」

「でも、彼女の言うとおり、いらぬお節介だったかも。体調管理くらいピアニカだってしてるだろうに、当たり前のことをくどくど言って。あとでもう一回謝ろ……」


 ラスタバンは本当に反省してるようで、手で顔を覆い、息をついていた。人のよさが出ている。

 ネブラは純粋に疑問に思う。


「今回の殺害予告も、自分で舌禍を巻き起こしただけなんじゃないすかね。正直ざまあみろとかないんですか?」

「君、なんてことを……」ラスタバンはやや困惑していた。「たしかに、ちょっと過激なところはあるけど、彼女の境遇を考えると、可哀想な子だと思うし……今回のことも、怖いを思いをしてるはずだから、僕は心配だよ」

「ふうん」

「それに、普段はおとなしいっていうか、淡々としてるタイプなんだよ。さっきのは、下手に踏みこんじゃった僕も悪いよ」


 どこが踏みこんではいけない線なのか、他者の目に映るものならどれだけ簡単か。しかし、現実はそうでないから、想像力を働かせるしかない。

 相手の逆鱗を、地雷原を、マグマ溜まりを、自分が危うく蹴りつけてはしまわないか。

 気をつけて踏みしめたその一歩が、相手に切りかかる言の刃になっていないか。

 ネブラの火山の麓を、あの馬鹿弟子は、事もなげにてくてく歩いている。


「でも、君たちこそ大丈夫そうでよかった。遠慮ないピアニカにもちゃんと言い返せてるし、案外仲良くやれてるよね」

「仲良くぅ? これで?」

「ギャラクストラは大人ばっかりだからさ。ピアニカも、同い年の君たちと一緒のほうが口数が増えるし、ちょっと微笑ましいんだよね」


 まあ、あいつ友達とかいないだろうしな、とネブラは思った。ちなみにネブラにも友達と言える友達がいない。コメットの言うとおり、二人はそう変わらないタイプの人間だ。

 似ているらしいのだ。

 遺憾ながら、自分と。

 ネブラは自分の沸点を理解している。急にラスタバンを怒鳴りつけたピアニカを思い出して、ネブラは逆算するようにこぼす。


「……本当に食べられないんだと思いますよ、あれ」

「え?」

「実際に歌いにくくなるのもあるだろうけど、長年ひもじい思いをしてると、それが当たり前になるんで」


 ピアニカは孤児の教会育ちで、ナイトフォードからスカウトされ、管弦声楽団〈ギャラクストラ〉に加入した。在籍して三年ほどしか経っていないということは、それより前までは教会にいたことになる。

 教会の規模にもよるが、一般家庭の子供と同じように孤児を育てられるほど、慈善事業は甘くない。宗教施設が福祉の役割を担うほど、国の支援が行き届いていない、都市部から離れた地域なら、貧しい思いをしてきたに違いない。

 ネブラがサダルメリクの弟子になってから、およそ四年が経っている。それでも、長年の食生活は響いており、ネブラは少食気味だ。身長のわりに脂肪がつかず、痩せぎすに見える。


「クッキーも腹に溜まるから、いまは避けたいはずです。自分で作った昼食があれだし、あの量でちょうどいいってのはマジなんだろうな」

「そっか……」

「周りからしたら本当に可哀想なやつに見えるだろうけど、本人からしたらそうでもないこともあります。そいつにとっては普通のことだから」


 どれだけ不運で不遇でも、そういう人生でそういう自分なのだと割り切る。自己防衛でもあるが事実だ。

 ネブラも自分を可哀想だとは思わなかった。気づかなかった。サダルメリクと出会うまでは。


「そういうやつが一番みじめになるのって、自分の当たり前が、世間一般のだと、思い知るときなんじゃないすかね」


 ラスタバンは押し黙る。自分の厚意が凶器となったことを悔いている表情だ。彼の善性が、彼自身を切りつけていた。

 ネブラは肩を竦め、顔を顰める。


「でも、たぶんあいつだって、他人の厚意くらいわかってる。上手くやりすごせない自分にも腹が立って、あいつはおめおめ逃げてったんじゃないすかね」

「……君、やっぱりピアニカと仲良くやれてそうだね」

「あんな癇癪持ち無理」






 ピアニカが荷物を持って出ようとするのを、ラリマーが追っている。ピアニカの歩調には怒りが滲んでいたものの、速度はなかった。

 そのまま〈グレートウォール〉の中庭に出る。壁際に沿って移動する自分の後ろを、ぴったりとついて歩くラリマーに、ピアニカは吐き捨てるように言う。


「なんであんたも来るのよ」

「護衛だ。一人は危ないぞ」

「ついてこないで」

「なら、ついてこれるような速さで逃げるな」

「この野郎!」


 ピアニカは振り返り、斜めがけのバッグからベレー帽を引っ掴み、ラリマーに投げつけた。

 今朝も投げつけられていたラリマーは、ベレー帽をキャッチした。そのまま、ピアニカの頭へとベレー帽を戻す。


「“気をつけろよ”」

「なによ!」

「魔法だ。お前はもっと用心したほうがいい。命を狙われているんだろう。散歩に出るなら、あのサングラスもつけていたほうがいいぞ」

「っるさいわね、出て行かないわよ。一人で頭を冷やしたかったの。どっか行って!」

「だから、一人にはできない。さてはお前、話を聞いていないな」

「聞いてないのはどっちよ!? あああ、ああんたと話してると、頭がおかしくなりそう!」


 ピアニカは額を押さえ、わなわなと震える。

 そんなピアニカに、ラリマーは淡々と言う。


「そう怒るな。ネブラといい、お前といい、よくそこまで喚き散らせる元気があるな」

「あんた、喧嘩売ってんの?」

「そんな下品な商売はしない」

「その商才なら儲けで一国を築けるわよ」

「築かなくとも、俺には治めるべき国がある」

「本っ当、一から十まで、話が通じない……」


 ピアニカの声は尻すぼみになる。

 この男のすべてが癪に障ってしょうがなかった。こちらの深層心理を無理矢理引きずりだされるような傲慢さに、吐き気をするほどだった。

 ラリマーは目を瞬かせる。


「なにをそんなに怒っているんだ?」

「あんたに……あんたという人間を育んだ全部に。その涼しげな顔に。今日の寒さに。上着を忘れて出てきたことに。そんな自分に。相手にはどうでもいいことで腹が立ってる自分に。あたしなんかに」

「嫌になることが多いんだな」

「でも歌うことは好き」

「なら戻るか?」

「まだいや」

「そうか。では、俺に付き合ってくれ。ルピナスがまだ来ていなくてな。外で待っていたほうが見つけられると思うんだ」


 ラリマーはきょろきょろ見回している。

 ピアニカが心配でついてきたようなことを言いながら、自分の昼食の心配をしている顔だ。宥める気も慰める気もさらさらない。

 こういうところがネブラ曰く「終わってる」のだが、同じくネブラ曰く「クソなのがちょうどいい」ため、同じ穴のピアニカにも嵌まった。

 正道の善人をなじるよりも、外道の悪人を詰るほうが、安心してしまうのだ。


「……ルピナスってあんたの召使い?」

「従者だな。召使いとは違う」

「なにが違うの?」

「召使いより身分が高い。あいつはあいつで名家の生まれで、城に仕える下男とは違う」

「そのルピナスはずっとあんたの従者ってのをやってるの? あんたが生まれてからずっと?」

「物心ついてからは、常にいた気がするな」

「蝶よ花よと育ててもらったんでしょうね」

「いや。公子として育ててもらった」

「喩えで言ってるに決まってんでしょ」

「喩えられてないから訂正したんだ。俺の父は大公で、大陸を統治する皇家でも、神代から続く王家でもない。貴族がいつのまにか力を持ち、国主になってしまっただけだ。だからこそ、国内にも国外にも精通し、常に気を張っていらっしゃる」

「ふうん」

「国主を継ぐ俺もそうだ。広い世界と深い魔法を知るため、アトランティス帝国に来た。美しい花やか弱い蝶なら、きっと俺は海を渡ることなく、公国にいたままだった」

「あたしにはずいぶんと遠い話だわ」

「実際、公国は遠い。お前も海を渡ればわかる」

「行く機会なんてないもの」

「わからないぞ。生きていれば、そんな日が来るかもしれない。蝶や花でなければ」


 そのとき、遠く離れた場所で「ラリマーさま〜!」というルピナスの声が聞こえる。ラリマーが振り返ると、荷物を持ったルピナスが、こちらへ駆けてきているところだった。

 ラリマーは「やっと来たか」と息をつく。


「迎えに行ってあげたら?」

「そういうわけには」

「この敷地内で、たった数秒、あたしが一人になったくらいでなんだっていうの?」


 ピアニカはぷいとそっぽを向いた。

 立ち去りはしないため、ここで待っているということだ。

 ラリマーが「すぐ戻る」と告げ、踵を返した、まさにそのとき。


 ガシャン!


 ラリマーの背後で、甲高い音が鳴る。視線の先にいるルピナスの顔が強張るのが見えた。体温が二度も上がったような焦燥に、ラリマーは振り返る。

 目を見開かせたピアニカが立っていた。

 その足下で、植木鉢が割れている。中の土と花が地面に飛び散っており、さきほどの甲高い音の正体を知る。


「えっ?」


 ぽかんとしたピアニカが漏らす。

 傷一つない彼女の頭上では、魔力が波紋を作りながら、ゆらりと消えていった。直前にかけられたラリマーの魔法が、盾となりその身を守ったのだ。

 植木鉢が落ちてきた——そう、ピアニカが理解すると同時に、ラリマーが声をかける。


「大丈夫か」

「え、だいじょう、ぶ……」

「怪我は?」

「ない」


 まだ混乱としたままのピアニカの肩に手を置き、ラリマーは見上げる。ちょうどピアニカの真上の三階の窓が開いているのが見え、そこから落ちてきたのだろうと察せられた。

 ルピナスが「大丈夫ですか!?」と血相を変えて駆け寄ってくる。


「ラリマーさま、ピアニカ嬢、お怪我は?」

「ない。が、今すぐあの部屋の確認を。怪しい人物がいたら捕縛しろ」

「かしこまりました」


 ルピナスがこの場を去る。

 ラリマーは足下の植木鉢に目を遣った。


「……魔法の痕跡なし。魔力痕もなし。命を狙うにしては無頓着だ。不運な事故と見てもいいが、どうだろうな」


 そもそも、どうしたら植木鉢なんてものが落ちてくるのか。窓辺に置いておくにはあまりにも不注意だし、窓を開けっ放しにしておくのも不自然だ。


「念のため、ネブラに報告だな」


 ラリマーが目を離した隙に、というのも引っかかる。植木鉢はピアニカに一直線に落ちてきていた。当たれば死んでいた。

 脅迫状も真実味を帯びてくる。ただのアンチの犯行とするには程度がすぎている。

 もしもこれが故意によるものなら、悪意ではなく、殺意だ。






「あれ、サダルメリクじゃん」


 同時刻の宮殿にて、星団塔の医務室の横、枯れ木と冬芝の涼しげな庭から、サダルメリクは声をかけられる。

 ちょうど宮殿から出ようとしていた足を止めて、サダルメリクは声のほうを見遣った。

 近衛星団の制服を着た魔法使いが三人、ベンチのあたりで固まっていて、その中のカメロパルダリスと目が合った。

 サダルメリクも「やあ」と答え、そちらへ近づいていく。


「三人ともお疲れさま」

「お疲れ。てか、今日お前休みじゃなかった?」

「休みだよ。たまたま用事があってね。君たちは出勤でしょ? こんなところでどうしたの?」

「脚の調子悪くて。フォーマルハウトに診てもらってたんだよ」


 そう言って、ベンチに座るカメロパルダリスが、自身の左太腿にそっと触れる。

 建国祭中に出没した星団殺しとの戦闘で、カメロパルダリスは左脚を失くした。現在は義足で生活をしているが、新しい脚にはまだ慣れない。


「幻肢痛ってやつ? なんかもうクソいてえの。普通の痛み止めは全然効果がなくてさ。治癒魔法の得意なフォーマルハウトにお願いしてる」

「とはいえ、私の魔法も、あくまで気休め程度でしょう。副団長の干渉魔法で痛覚をいじったほうが早いと思いますが」

「やーだよお! 副団長〜あのとき失くした俺の脚です〜おかげさまで超不自由です〜とか言うの? 絶対気にするじゃん!」


 カメロパルダリスはぐすんぐすんと泣き真似をするものの、言ったことに関しては本心だった。

 副団長シリウスにしたところで、先の戦闘で重傷を負っている。自分だけ泣き言を垂れるわけにはいかないという、カメロパルダリスの矜持でもあった。


「幻肢痛かあ。ネブラも最初のころは痛そうにしてたっけな」

「そういえば、貴方の弟子も義手でしたね」

「うん。定期的に医師に診てもらってるんだけど、いまでもたまに激痛があるみたい。慣れるまでは不便そうにしてたし」

「カメロもまだ義足には慣れないようで」

「まともに歩けたもんじゃないのよ。それに、自分の体の一部が欠けたってショックもある。じわじわ来るんだよな。あ、もうないのか、って。自分のものじゃないみたいな、扱いの困るものがくっついてて、俺はこれからずっとこうなのかあって、気が遠くなる」


 そうぼやくカメロパルダリスに、どのように言葉をかけてよいかわかる者はいなかった。

 魔法を用いた医療が発達した現代においても、欠損した身体からその部位を生やすすべは存在しない。切り落とした四肢さえ持ち帰っていれば、縫合できた可能性はあるが、あの激闘の最中、その余裕は皆無だった。


「ま、俺のことよりさ。サダルメリクはなんでここにいんの?」

「カノにちょっと頼んでたものがあってさ。できあがったみたいだから取りに来てたんだよね」

「頼んでたもの?」

魔力絶縁物質アダーストーンを加工したアイテムだよ」サダルメリクが視線を遣る。「ほら、ミリー。君が教えてくれた〈王の巌窟〉の」


 ミリーと呼ばれた魔法使い——ミルドレッドが、扇子の上の目を細め、「あら」と首を傾げた。

 フォーマルハウトのバディ、ミルドレッド。

 彼女は四大名家ウィンキー家の生まれで、齢七百歳の年長者だ。上品にまとめられた黒髪ブルネットの淑女で、その優美な微笑みを漆黒の扇子で隠す姿が印象的だった。

 近衛星団の制服も、スラックスではなくマーメイドラインのスカートで穿きこなしているため、一見すると、騎士ではなく貴婦人のよう。

 ミルドレッドは口元を見せぬままに、それでも愛想のよさが滲む眼差しで告げる。


「早速訪ねられたんですね。お目当てのものが見つかったようでよかったです」

「ネブラを使いに出したんだけどね。さすがは君の御用達だ。純度の高い魔力絶縁物質アダーストーンの宝庫だったそうだよ」

「ミルドレッドの……と言うと、貴女のその扇子のお店ですか?」

「ええ」


 ミルドレッドの扇子は魔力絶縁物質アダーストーン製だ。

 彼女は魔力に対する免疫が弱く、他人の魔力に敏感で、魔力酔いを起こしやすい。

 そのため、強い魔力にてられないよう、普段からアダーストーン製の扇子を携帯し、周囲の魔力を遮断しているのだ。

 フォーマルハウトは苦笑して言う。


「魔力に敏感な体質は、都合のよいときもあれば、悪いときもありますね」

「カシオペヤとかも敏感なほうだっけ? 俺は器官が図太いタイプみたいでわかんないですけど、魔力酔いって大変そうー」

「もう何百年と付き合ってきた体質なので、さすがに私も慣れましたが……顔を隠してばかりいるのも失礼な気がして、皆さんには申し訳ないです」

「そうかな? 君が扇子を広げると、強い魔法使いだって言われてるみたいで、僕は気分がいいけどね」

「“こらーあ”! 悪趣味だぞサダルメリク!」


 カメロパルダリスは喉と口元に杖を構え、サダルメリクの頭上につむじ風を起こす。サダルメリクのペリドットの髪を巻きあげた風は、グシャグシャに乱したあと、上空に昇って消えた。

 ミルドレッドは嫌な顔こそしなかったものの、どう返事すべきか困った様子だったので、カメロパルダリスが唱えなければ、フォーマルハウトが手を下していたところだ。

 フォーマルハウトは呆れたふうに、ぼさぼさ頭のサダルメリクに尋ねる。


「それで、どうしてカノープスに?」

「耳栓でもよかったんだけど、もう少し普段使いできるものも欲しくてね。アダーストーンの原石を買ったから、友達に頼んでイヤーカフに加工してもらったんだ」


 グシャグシャ髪を整えたサダルメリクが、胸ポケットから小箱を取りだす。蓋を開けると、くだんのアイテムが入っていた。

 細身のチェーンで繋いだ、真っ黒なイヤーカフで、ネブラに似合うデザインにあつらえてある。

 スケジュールに無理を言って、ライラに納品してもらった、魔法遮断アイテムだ。


「ただ、デザイン性は自信ありの機能性ははてさて、なんて言われたもんだから、魔法工学に一家言あるカノープスにも確認してもらったってわけ」

「へえ。ずいぶん小ぶりだけど、使えんの?」

「動作に問題なし。魔法を削ぎ落として、音だけ耳に通す代物だよ。簡易的な干渉魔法くらいなら防げる」

「周囲への影響は?」

「近くの魔法はやや阻害されるものの、まったく無効化するレベルではないね。体感だと、なんか調子悪いかも、くらいかな」


 とはいえ、サダルメリクの想定する、ギャラクストラのような環境なら、奏でられた魔法の発現自体にはなんら影響はない。

 あくまでも、着用者にのみ魔法効力が抑えられる程度で、力ずくの魔法の前では気休めにしかならない。


「でもまあ、にはなるでしょ」


 そうこぼすサダルメリクに、フォーマルハウトは訝しげに言う。


「……そういえば、先日、ある物品の魔力痕を鑑識に依頼したそうですね? それも業務外に無断で」


 フォーマルハウトが言及したそれは、ピアニカ・ビアズリーに届いた脅迫状のことだった。

 魔導資格ソーサライセンス取得者は魔力名簿で管理されるため、犯罪歴のある魔法使いなどは、特に容易に割りだせるのだ。


「うわ、サダルメリクってば職権濫用! いーけないんだいけないんだ! 然るべきところにチクっちゃおう!」

「どうぞご自由に。今回のことが罪に問われても、ブルース侯爵が庇ってくれるはずだから」

「なにやらきな臭いですね……」

「それが、ここのところ貴方が休暇を取っている理由ですか?」

「ちょっとした頼まれごとでね。用心棒みたいな仕事をしてるんだ」肩を竦めるサダルメリク。「と言っても、ほとんどネブラが引き受けてるようなものなんだけど」


 今回、サダルメリクはフォロー中心だ。大人のやりとりはこなすものの、ピアニカの護衛自体は概ね任せている。

 サダルメリクは肩を竦めた。


「魔力痕から犯人を割りだせたら決定的だったんだけどなあ。さすがに、相手もそこまで考えなしじゃないよね」

「魔力痕なし?」

「まったくなし。タイプライターのインクに使われた原料の魔力が残ってたくらい」

「あー、魔法を使ってくれないと無理よな」

「魔力鑑定にしたところで、万能ではありませんしね。時間経過で魔力の残滓も薄れますし、まとまった量がないと鑑定は不可能。おまけに、名簿に登録された魔力は膨大で、照合にも時間はかかる」

「そもそも、犯罪歴のない魔法使いの魔力は、個人情報として保護されてますから、そう簡単には開示されません。前科のない魔法使いの場合、鑑定できても困難だったでしょう」

「こればっかりはしょうがないかあ。別の方法を探してみよう」

「ていうか犯人は魔法使いで確定なの? 魔法使いじゃない可能性もあるんじゃね?」

「いやー、うーん」


 サダルメリクはやや神妙な顔で唸る。

 いつも飄々としているサダルメリクが、こういう顔をするのは珍しかった。打つ手なしで困っているとも違う、言いようのない表情だ。

 フォーマルハウトは目を瞬かせる。


「……もしかして、貴方、犯人の目星がついてるんですか?」

「マジ? 勝ち確じゃん」

「んー……それっぽい人間、いや、はいるんだけど」サダルメリクが宙を仰ぐ。「ネブラが気づけるわけないんだよね。僕も半信半疑だし。だから、ヒントをあげたいところなんだけど、魔力の照合もできなかったから、どうしようかなって」


 今回の依頼を引き受けたのは、ネブラの実力試しのためだ。認定試験に向けた、実践訓練みたいなもので、ネブラの応用力を測ろうとしている。

 実のところ、サダルメリクにとっては、依頼人の身の安全は二の次なのだ。多少は恐ろしい目に遭うことも織り込み済み。もちろん、誤って死なせては元も子もないし、無傷で済むに越したことはないが、ネブラがスムーズに解決すれば、自ずと結果はついてくる、という考えだ。

 そのため、悠長に構えられた。


「……ま、しばらくは様子見かな。しばらくは命の危険もないだろうし。たぶん」

「お前の楽観主義、ときどき怖いよ」

「長く生きると、それだけ肝も据わってきますが、貴方、本当はおいくつなんですか?」

「やだなあ、ミリー。僕は近衛星団の中でもまだ若手のほうだよ? 何百歳と生きてる君らと一緒にされても困るよ」


 ミルドレッドもフォーマルハウトも「どうだか」という目をしていたが、追及する気はなかった。

 長寿になりやすい魔法使いにとって、年齢など瑣末なことだ。実年齢より多少の上下があっても、それがどうしたという話。

 近衛星団なんて、齢三桁の魔法使いがほとんどだし、当時二十代の最年少に団長を任命したこともあった。

 さすがに齢四桁の魔法使いがいるとは夢にも思っていないが。


「さて、目的は果たしたし、僕は帰るかな」

「じゃーなー」

「よい休暇を」

「あんまりはしゃがないように。大きな事件になれば報告義務が出てきますからね」


 そんな声に見送られながら、サダルメリクはその場を去る。星団塔を出たとこで、真っ赤な外套ケープが目に入った。


「お待たせ、コメット。付き合わせちゃってごめんね。僕の用事は済んだから、お昼ごはんは外食にしちゃおうか」


 サダルメリクについてきていたコメットは、星団塔には入らず、あたりの芝や茂みを見回っていた。いまは外套ケープの尾が地面につくのにも気にしないで、植木の根本の前でしゃがみこんでいる。


「コメット?」


 空五倍子うつぶし色の丸い頭は俯いたままだ。

 その小さな背に、サダルメリクはきょとんとした顔で話しかける。


「しゃがみこんでどうしたの? お腹痛い?」

「あ、大先生。どんぐり落ちてないかなあって」

「落ちてないと思うけど。なんで?」

「ラリマーさんにあげるの」

「なんで?」

「欲しがってるみたいだから」

「……なんで?」

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