歪んだ価値観

 今回は暗い話になるので、苦手な方はスルーするか、ブラウザバックでお願いします。


 私はリアルでもネットでも、人の多いところが苦手です。自分がそこにいていいのかわからないからかもしれません。


 子どもの頃から、家にも学校にも居場所がありませんでした。家出をしても気づかれず、幽霊だから見えないし、気づかれない。それが当たり前だったので、一対一なら自分がそこにいてもいいとわかるのですが、そうでなければ自分がそこにいていいのかわかりません。


 なので、人が増えてきたら、自分はそこにいてはいけないような変な居心地の悪さを感じてそこから消えてしまいたくなります。それこそすっといなくなるので、一度それで知人と喧嘩になったことがあります。


 その知人は自分が避けられたと思ったようです。「私が嫌いなのか」とその人に聞かれ、私は驚きました。私はいてもいなくてもいい人間なのに、そんな私の動向を気にしてどうするんだろうと。その話をすると、お前はおかしい、となりました。


 ですが、私がおかしいとしたら、そんな私を形作った環境も歪でおかしいのだと思います。というか、結局はその人の価値観でおかしいと決めるからおかしくなるのでしょう。


 私はそうやって育ってきたから、そんな私の周囲も私と同じような価値観を共有しているということ。その世界にいれば私はおかしくないのです。違う環境の人がそんな私の世界に来たら、きっとその人もその価値観に染まっていく、ただそれだけの話です。


 おかしいと正面切って言えるその知人が羨ましく思いました。私はおかしいと思わないくらいに、そのおかしな価値観に染まってしまっているので。


 私は死ねと言われて素直に死のうとしました。そうするとまた、お前は頭がおかしいと言われました。散々暴力と暴言で支配して洗脳してきた奴に言われたくはありません。どっちが頭がおかしいのかと私からすると疑問でした。ですが、そのことをおかしいとその人も思っていないのです。それがその人の「普通」だからでしょう。


 自分の命に価値はないし、死んで悲しむ人はいないと、今でも思っています。希死念慮ではありません。死にたいわけではないけど、死んでも構わないという感じです。


 道徳の授業を受けたところで、環境が変わらなければ何も変わらない。染まった価値観からは一生逃げられないのかもしれない、と何となく思います。


 私は不思議に思うのですが、日本では被害者がカウンセリングを受けることが多いです。それは被害者救済のために必要なことだと私も思います。ですが、どうして加害者の方にカウンセリングを施して、被害者を減らそうとはしないのでしょうか。結局は被害者が増えるだけで、加害者の抑止には繋がりません。


 虐めは虐められる方が悪い? そんなわけはありません。虐めをする方がおかしいと思います。加害者側の歪んだ価値観を矯正できるならして被害者を減らして欲しいと、歪んだ価値観のまま生きざるを得ない私は願います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る