第11話 日の出
私の言葉に素っ頓狂な声が返ってきた。思わず笑みが零れた。穏やかな心地で言葉を続けた。
――清美を傷付ける人間は許せない。そういう人間に既に罰が下っていると分かって安心した。勿論、暴力はいけない。でも、私にとっては、それ以上に重要なことだった。
清美は何でと疑問を口にした。すぐには答えられなかった。自分でもどうかしていると思ったし、無責任さも感じた。同時に、清美を倫理観で断じてはいけない気がした。
――きっと私が伯父だから。
浮かんだ答えをそのまま口に出した。
――無責任だけど、どんな状況でも甥の味方でいたい。味方でいさせてくれないか。
清美は俯いた。そして、カーステレオを弄った。ダイヤルを緩慢に回し、掴みどころのない民族音楽のような女声の邦楽が流れると手を放した。三分程だったろうか、曲が終わるまで無言に続いた。次の曲も同じような調子だった。その音に隠れてしまいそうな、消え入りそうな声で清美は、嫌じゃないのかと尋ねた。凝り固まった自己嫌悪をまざまざと見せつけられた。どうにかそれを無くしてほしかった。自身だけではなく、状況も悪いと考えてみて欲しかった。だから、私は橙司と司央里と行った反省会のことを話した。
橙司が推測した豊一君の裏切りについても話した。清美は豊一君を庇った。証拠がない、話したとしても脅しを受けたのかもしれない等々、様々なフォローをした。あまりにすらすらと話していたので、清美も以前に豊一君を疑ったことがあると分かってしまった。それを指摘すると、清美は渋々肯定した。それから震える声で呟いた。
――最近は考えないようにしていたのに。
司央里の推測を思い出した。先程の事も浮かんだ。きっと清美は沢山のことを考えないようにしてきたんだろう。考えなければいけないのに考えられないものもきっと沢山あるんだろう。この状況は改善しなければならない。私は話題を切り替えることにした。
――他にも、考えないようにしていること、考えられないことがあるのだろう。宗助に桜刃組の話ばかりされては自分のことが見えなくなって当然だ。
私の言葉を清美は将来のことだととった。そして、そもそも幼い頃から特になりたいものがないという話をした。話が進むごとに清美の声はふつふつと妙な勢いを増していった。そして、それが最高潮に達した時、清美は桜刃組のことに言及した。
――桜刃組が嫌いになれない。嫌悪とか恐怖とか抱かねばならないのに、嫌いきれない。元々桜刃組に入りたいとも思わなかった。けれど、恩があるし、初代組長には憧れがあった。それがずっと消せない。そういう思いがあって、他に情熱を向けるものがないのに、桜刃組への道を拒めない。拒むべきじゃない気がしてくる。
清美は一気に捲くし立てた後、荒い息を零して俯いた。問題の根深さを感じた。背中を擦ってやりたかった。代わりにハンドルを握りしめた。清美に影響されて高まったテンションを抑えながら、清美に話しかける。今はそれしか見えないようにされていることを告げて、司央里たちと話したように清美を宗助となるべく二人きりにしないと約束した。
――きっとそれで清美の道が見つかる。大丈夫。
私がそう言うと、清美は頷いた。そして、感謝を告げてくれた。
その後は、もう清美の話にはならなかった。目的地の話をした。それから、父の話になった。駐車場に着くまでその話は続いた。
車を降りると、二人して白んだ空を見上げた。それから、笑いあって浜を目指した。
私達以外に何の気配もない車道を横目に歩いた。通りがかった立像の青緑が薄暗い中では色濃く見えた。案内するかのように道へと伸びた枝が時折私達に葉を押し付けた。
浜の手前の道は柵で区切られていた。道なりに行けば目的地に着くと分かってはいたが、他の道へと逸れることを許さないそれに嫌悪感を抱いた。振り返ってみれば、後ろについてきていた清美は浜を見ていた。先程沈み込んでいた事が嘘のように、目を輝かせていた。幼い頃と変わらないその姿に気が軽くなった。
浜に着くと、不規則な石の感触が靴越しに伝わった。久しぶりの感触に心を弾ませて踏みしめて歩いた。清美は慣れない感触が可笑しかったのか、愉快そうに私に感想を告げた。素直な言葉が嬉しかった。
私達の目の前には、黒々とした岩が並んでいた。その奥には際が橙色に染まり始めていた水平線が見えた。その前を黒く影になった一艘の船が行き来していた。太陽の白い頭は海から出始めていた。
私達はそれがよく見える位置を探して歩いた。納得のいく場所を見つけると、何も言葉を交わさずに立ち止った。そのまま、二人でゆっくりと動く太陽の方を眺めていた。
清美は無心で日の出に見入っていた。私にはそのように見えた。
私は時折横目でそっと清美を盗み見た。
朝の静謐な光が彼の横顔を柔らかくなぞっていた。瀬戸香から遺伝した部分が不思議とよく目についた。その中に私とも共通した部分も見つかって嬉しかった。
太陽はゆったりと上がっていた。
太陽が動くとともに、空も色を変えていった。
太陽は這い上がっているように見えた。太陽は海と融け合った一つの液体だったが、今は自我を持って海と分離して一個体となろうとしている。空が太陽を助けようと引っ張っている。そんな妄想が浮かんだ。自然と自分の考えを確かめずにはいられなかった。それで体が強張っていたのか、清美に声をかけられた。
清美は船が視界から消えたことを教えてくれた。見てみると、船は確かにいなくなっていた。船の目的を一緒に推理した。言葉の応酬は長くは続かなかった。太陽が半円になった頃には、黙ってそれを眺めていた。
海に映った太陽の半身が波に揺れて、複雑な輝きを描き出していた。水面の虚像が幻想的であればある程、空へと昇ろうとする実像はより力強く輝きを放っているように見えた。
太陽の上に棚引く雲は多くの色を見せた。
湿気を多く含んだ風が私達の間を吹き抜けた。
段々と露になっていく太陽の円は欠けた所が見当たらない。滑らかで正確な輪郭に自然の偉大さを思わずにはいられず、長い息が零れた。
波の音が耳にやけに響いてきた。一定の調子のそれにつられて波打ち際に目をやった。角ばった岩を波が荒々しく打った。水飛沫が激しく上がった。それだけのことに心臓が大きく跳ねた。
呼吸を整えながらまたも太陽を見ると、その静謐さに胸が熱くなった。そこからは何にも目を奪われず、唯、太陽を見つめた。
不思議と雑念も湧いて来なかった。
正直、清美にもっと良い言葉をかけてあげたかった。苦悩を完全に取り去ってあげられる魔法のような言動を探していた。私達を隔てている溝を少しでも埋め立てたかった。
そんな焦りなど忘れ、唯、太陽を見ていた。
太陽は調子を乱すことなく、滑らかに姿を現していった。
やがて、海と完全に離れる時が来た。その際にも、太陽も海も空も何の抵抗も見せなかった。するりと海と太陽が分かたれた。
太陽は、分離している姿こそ当然であるというように平然と空に浮かんでいた。
海が名残惜しいように太陽の姿を不確かに映していた。それを強調するかのように、波が煌めいていた。
海に映る太陽が目立たなくなったところ、清美が私に声をかけた。興奮しているようで、声が生き生きとしていた。屈託のない笑みが浮かべられていた。久しぶりに目にした本来の姿が嬉しく、頬が熱くなるのを感じた。
はしゃぐ清美には苦悩がないように見えた。私も重苦しく胸に渦巻いていたものから解き放たれていた。二人の間を隔てるものはなかった。
駐車場に戻って車のハンドルを握った時、愛媛へと、現実へと戻るのが嫌になった。ずっとこの幸福でいられる時間が続いてほしかった。
現実に対する抵抗として、少しの仮眠を提案した。清美はそれで此処までの行動のハードさに気付き、労わってくれた。しかし、昂っているのか疲れは感じていなかった。その事を告げると、驚かれた。それがやけに可笑しかった。
瞼を下ろすと、すぐに眠りに落ちた。何も夢は見なかった。眠りは一瞬のように思われたが、目を覚ますと三十分程立っていた。
その間に清美も眠りに落ちていた。安らかな寝顔にほっとした。幼い頃にしていたように頭を撫でるも、清美は目覚めなかった。
ハンドルをまた握った。肌に吸い付く人工物の感触が不安にさせた。その不安から連鎖するように、脳裏に宗助の姿が過った。
清美が苦しみを吐露してくれて解けた心の壁も、二人で共有した日の出も美しさも、現実に戻れば、彼が全てを無意味にしてしまう気がしてきた。
宗助の呪詛を前に清美が考えを手放して無気力になっていく様がありありと浮かんだ。
どうすればいい? どうしてあげられる? 何も思い浮かばなかった。
沼にはまったように思考が鈍化していった。
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