死霊術師とその秘書官‐王国の御旗‐

北原小五

【第1章 稀代の死霊術師】

第1話 誓いの御旗


【第1章 稀代の死霊術師】


 御旗が、燃えていた。

 煌々と灯る炎に包まれ、御旗が灰になっていく。

 ただそれを見ていることしかできない。

 私は──。

 俺は──。

 僕は──。

 誓った。

 ただそうあるようにと、その御旗に誓ったのだ。


 ***


 深夜の夜闇を切り裂くような悲鳴で少年・エルは目を覚ました。ベッドから起き上がり、カーテンを開けて窓の外を見ると、街が真っ赤に燃えていた。ごうごうと音を立てて木でできた家々が崩れていく。道を行き交う人々の絶叫が空に大きくこだまする。

「エル!」

 エルの母親が勢いよく部屋を開けた。母の柔らかな胸の中に抱かれ、エルは訳も分からないままリビングまで連れていかれる。

「ママ、何が起きてるの?」

 母親の顔は蒼白としていて、繋いでいる手先が震えていた。

「わからないわ。でも大丈夫よ」

 とても大丈夫とは思えなかった。リビングに行くと、父親の姿がある。父親は今すぐ家を出ようと言った。

「湖に逃げるんだ」

「でも家はどうなるの?」

「言ってる場合か!?」

 滅多に怒鳴らない父親の大きな声でエルは泣きそうな気持になる。けれど今が泣いているような場合ではないことくらい子供でもわかる。

 そのとき玄関のドアが無理やり開けられ、剣を持った鎧姿の男たちがうちの中に入ってきた。男たちは雄たけびを上げながら、こちらに向かって走り出す。父親は暖炉の上に飾られていた槍を手にし、勇敢にも兵士に立ち向かう。

「お前たちは逃げなさい!」

「パパ!」

 エルが指先を父親へと伸ばす。母親がその手を取り、エルを再び抱き上げた。裏口へと向かう瞬間、騎士の剣が父親の胸元を貫く。父親は血を吐き、なおも槍をふるった。悲鳴にも似た叫び声が父親の口元から漏れる。まるで獣のようだった。しかしその獣よりも恐ろしいのは死にかけた父親をいたぶろうとしている騎士たちの方だった。

 母親が裏口から飛び出し、火で溢れた街を駆ける。エルは泣きもせずにただ茫然とその背中に背負われている。あちらこちらに転がっているのは死体だった。向かいのパン屋のおじさんに、床屋さんのお兄さん、よく飴をくれるおばさんに、えくぼが綺麗な隣の家のお姉さん。皆が、死んでいた。

 古い物見やぐらの柱が燃えて崩れ落ち、母親がその下敷きになった。放り出されたエルはなんとかその建物の下敷きにならず助かる。エルは母親に近寄ろうとした。

「来ちゃダメ!」

 柱が燃え、その炎は今にも母親を飲み込もうとしていた。近寄ろうとしても、熱くて足が進まない。

「いいの、エル。もういい。逃げて」

 ぶわっと大きな炎の柱が立ち上がり、一気に母を取り込んだ。すさまじい叫び声を上げて母親はエルの目の前で絶命した。

 かたかたと足が震え、エルはその場から動けなかった。そのときだった。

「…………」

 背後に誰かがいた。ゆっくりと振り向くと、それはパン屋のおじさんだった。床屋のお兄さんも、おばさんも、隣の家のお姉さんもいる。皆、見下ろすようにこちらを見ている。ただその体は煤けていて、服はところどころ破け、胸や足から血を流している。顔にはおおよそ精気と呼べるものはなく、虚ろな目だけが浮かんでいる。

「おじさん……?」

 本当ならば、顔見知りの人に出会えた嬉しさで抱きしめてもいい場面だった。それでもエルは大きな違和感を覚え、そうできなかった。おじさんたちは何も言わない。ただその手には家庭用の包丁や、薪を切るための鉈が握られている。なぜそんなものを持っているのか。どうしてこちらに向かってくるのか。

「…………」

 パン屋のおじさんが何も言わず鉈を振り下ろす。さくりと音を立てて、エルの右肩すれすれに刃が落ちる。そこでようやくエルは自分が殺されかけていることに気がついた。お姉さんが包丁を突き刺そうとしてくるので走って逃げようとするが、床屋のお兄さんに捕まった。

「やめて!」

 涙目でエルは訴えた。

 どうしてこんなことをするの?

 いつも優しくしてくれるのに。僕が何か悪いことをしたの? ねえ、どうして?

 どうして?

「〈止まれ〉」

 どこからか凛とした青年の声がした。その人物は離れた所、燃え盛る炎の間に静かに立っていた。白いベールをかぶり、司祭のような白い服を着ている。まるで誰かを弔うような衣装だった。青年の顔はベールに隠れて見えない。その声音も淡々としていて、何の感情も読み取れなかった。ただ一つたしかなのは、目の前の人間たちの動きが止まったということだった。

 弾かれるようにエルはその場から逃げ出した。湖に行けという父親の言葉を思い出し、必死に足を動かした。

 それからどれだけ走っただろうか。足は擦り傷だらけで、靴は破れている。顔中煤まみれで、喉の奥が熱くて痛い。それでもエルは命からがら湖にたどり着いた。そこには数人の村人がいた。その中にはエルの親友、レイチェルの姿があった。赤茶の髪をした男勝りな性格をしたレイチェルがこちらを見るなり、抱き着いてきた。

「エル! よかった。お前、無事だったんだな!」

「レイチェル……。お母さんは?」

 レイチェルは母子家庭の少女だった。

「死んだ。殺された……」

「僕のパパとママも……。あんな、こと……」

 レイチェルに会えたことでエルの涙腺が緩み、涙があふれてきた。父親と母親を亡くし、村はなおも燃えている。その勢いは収まるところを知らず、湖の近くの森ごと燃やしそうな勢いだ。

「さっき村の人に聞いた。オーリバインはヴァルスタインと戦争を始めたらしい。宣戦布告もなしに……」

 オーリバイン王国はエルたちの住むアウステル村の属する小国のことである。対するヴァルスタイン王国はオーリバイン王国の隣に位置する大国だ。

「戦争……」

 そんな言葉、本の中でしか知らなかったエルは衝撃を受けた。

「でも、戦争は騎士と騎士とが戦うんでしょう? なんで関係ない人まで……」

 レイチェルは泣き出しそうな顔で叫んだ。

「知るか! でもヴァルスタインは大きな国だ……。今回の戦争だって、なにか正当な理由をつけて攻撃してるに違いないって村の人が……」

 正当?

 この殺戮のどこが正当なんだ。

 この虐殺のどこに、正義があるんだ。

「あたしは決めた。ヴァルスタインに復讐してやる。母さんの仇を取る。お前ものるだろ?」

 レイチェルの目から涙がぽろぽろと零れる。それでも彼女の瞳は煌々と燃えていた。きっと自分も同じように涙を流し、同じ瞳をしているとエルは思った。

「復讐を」

 故郷の上に、ヴァルスタイン王国の御旗がゆらりとはためいていた。

 エル・ピンシアはただそうあるようにと、その御旗に誓ったのだ。


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