卒業間近にできた友達
卒業間近にできた友達
作者 恋狸
https://kakuyomu.jp/works/16816700426630414633
北海道の高校に通う私は、拾ったハンカチの持ち主と旧校舎の図書室で会い、卒業まで一カ月いっしょに過ごして彼女と友達になる物語。
そうなんだ、というタイトルがついている。
どんな友達なのか、どうして卒業間近にできたのか、すべては「読んでみてのお楽しみ」である。
文章の書き方については目をつむる。
北海道の進学校に通う高校三年の主人公、一人称「私」で書かれた独白のような文体。やや文章におかしな箇所がみられ、よく使われるオノマトペを用い、ややアンバランスさを感じる表現がみられるのは、卒業を控えた主人公が「周りに流されてなあなあで生きていく」性分な性格、ということを表しているのかしらん。
書き終わったら、一度声に出して読み上げ、おかしなところはないか、気になるところはないかを確かめて、よくしていくといいと思う。
素敵なお話である。
いわゆる女性神話の物語。
自分が自身の本来の姿を認めることで何かへと変わる。
主人公が向き合うのは、抑圧された自分自身だ。
主人公は日常に不安を抱えていた。人付き合いが苦手て、友達ができなかった。そんな主人公から不安を遠ざけてくれていたのは祖母の本の読み聞かせだった。だがもう祖母はいない。安らぎを求めるように一人になりたくて、主人公は図書室へと向かう。
そこで出会ったのは一人の同級生。彼女は、亡くなった祖母が持っていた洋書を原本で読んでいた。主人公も形見として持っているが読めずにいた。そこで同級生の彼女が朗読してくれることとなる。
再びやすらぎを得られた主人公。いつまでも彼女といっしょにいたい、友達でいたいと再び思えるようになっていた。だが、卒業という時間が訪れる。しかも彼女は「夢だった小説家になるためにフランスへ行く」ことが決まっていた。
主人公は中学卒業のとき、将来の夢はなかった。卒業前夜にみた見た夢にも、ただ白い煙が漂う中で必死につかもうともがいていた。
彼女と会えるのは明日で最後。笑顔で見送るなんてできないと、殻に閉じこもるように布団の中でまるまってしまう。
主人公から安らぎが奪われていく。別れの日、ようやく主人公は自分の気持ち、彼女とのつながりを切りたくないと告げる。彼女は「私たちならきっと大丈夫」と答え、二人は友達となりそれぞれの未来へと旅立っていくのだ。
前半は、大学受験も終わった二月、主人公は冒頭「ハンカチを拾った。真っ赤な薔薇の刺繍が施された」とある。おそらく、真赤な薔薇の刺繍が施されていたのだろう。
本作の時間と場所は、「二月。ここ北海道では、冬の寒さは健在だ。雪だって積もっている」という。二月の北海道の冬の寒さはどうなのか。雪が積もっているだけでは寒いのは想像できてもどのくらい寒いのかわからない。服装を描写すると寒さが伝わりやすいかもしれない。
主人公が歩いて登校している様子が書かれている。
「氷に包まれた地面を歩くコツは太ももを高く上げて、足を上から下に降ろすのが重要だ」
地面が凍っているらしい。具体的で、実感がこもっている。
主人公の私には、友達が少ない、もしくはいないらしい。下校時にマクドナルドへ行って、友達の愚痴吐きに付き合うという女子高生特有の誘いを断っている。「思わず友達ってなんだろうと、哲学的なことを考えてしまった」とある。
人生を幸福に生きるには、地球上の人間全てと友だちになる必要はない。当たり前だけれども、あらゆる物事には限界がある。維持できる人間関係も、おぼえていられる人の数も、人生に多大な影響を与えた人の数にもすべて限りがある。
イギリスの人類学者ロビン・ダンバー氏によれば、人間の脳や社会が同時に関係性を維持できる人間の数というのは百五十人程度だという。
さらに日常よく接することができる人間は三十人ほど。その中で家族や親友といった、自分にとって重要な人物は十人から五人くらいで、もちろん個人差はあるという。
大事なのは、誰とでも仲良くすることよりも、何人くらいの人間関係で自分は幸せを感じるのかを考えることなのだ。
主人公は、「高校三年間は間違いなくこれから続く人生において最も無駄だった」と思っている。無駄を無駄として終わらせるか、無駄という失敗の中に学ぶ点を見つけ、失敗を成功に変えるかは彼女自身なのだ。
友達も少なく、かといって取り残されるのも嫌だからという付き合い方をする自分自身に嫌気を感じ、一人になりたくて旧校舎にある図書室へとむかう。
本の匂いは、洋書を集めていた今は亡き祖母を思い出させる。安心感が得られる図書室で主人公は、一人の女子と出会う。ハンカチの持ち主だったその子は、フランスの原本を読んでいた。主人公は読めないが、亡き祖母がもっていた本と同じだった。
彼女が落としたハンカチは「亡くなったお祖母ちゃんに貰ったんだ」とある。
主人公が形見としてもらった原本と同じである。
「貰った物には必ずその人の魂の欠片が入る。大事にしないとその魂は失くなって守ってくれなくなるのだと、祖母は生前口にしていた。きっと、そのハンカチにも魂が入ってる。そんな予感めいたことを思った」こういう考え方をさり気なく入れてある所が良い。二人の出会いに縁を感じる。
後半は、退屈な日常が一変し、「放課後になると、図書室に行き彼女の朗読を聞く」日々が過ぎていく。「小学校三年から中学三年まで親の都合でフランスにいた」彼女の発音は完璧だった。
フランスの教育は日本と違う。
フランスでは、三歳から幼稚園へ入る。保育園は幼稚園に入るまでのつなぎという位置づけ。朝八時半から十五時半や十六時半までの長い時間を過ごす。給食もあり、早朝や夕方十八時くらいまでの延長保育も行っているため、働いている人も安心して任せることができる。
しかし、幼稚園は基本的に学校と同じ。幼稚園の先生は教師である。
年中からフランス語のアルファベットを学び、通知表があり、年長に進むと小学校と同じ雰囲気になる。フランスの幼稚園では、小学校へ進む準備としてしっかりとした教育を担っているのだ。
公立の幼稚園や学校は、住んでいる場所によって入学するところが決まり、入試による選別はない。基本的に学校によるレベルの格差はないが、飛びぬけて成績がよい子は学区を越境して、公立の進学校に通う方法もあるが、ちょっとくらいの成績がいいだけでは認められない。
無事に義務教育を修了すると高等学校に進学。日本と異なりフランスには高校の入学試験がない。ただし、高校に進めるかどうかは中学校の成績で決まってしまう。
高校には、「普通高校」と「職業高校」の二種類がある。
普通高校に行けるかどうかは、中学校の内申で決まり、おおむね全教科の平均が二十点満点中十点が目安となっている。「高校生になったら、心を入れ替えて勉強します」と懇願しても無理。フランスでは十五歳で将来が決まってしまうのだ。
フランスの義務教育が終わるのを契機に、日本に戻ることを彼女は親御さんと相談して決めたのかもしれない。
主人公と彼女の関係にも終わりは訪れる。
卒業を一週間前に迎えたその日、主人公はこの関係が続けばいいと思っていたから「卒業したくない……とか思わないの?」と聞いてしまうが、「卒業したらフランスに行くんだ」「夢だった小説家になるために、フランスの作家さんの元で修行することが決まったの」と彼女の進路を知る。
「卒業後の繋がりなんて無駄だ、と思っていたのに、いつの間にか彼女との繋がりを切りたくない」主人公は「積み上げてきたものが壊れるような気がして、『本音』も『感情』も口に出すことができな」くなってしまう。
主人公の「中学の卒業アルバムに書く『将来の夢』。私はそれを白紙で提出した。何もなかった。空虚だった」とある。
ひょっとすると、この時期に祖母が亡くなっているのかもしれない。心の拠り所のような存在だった祖母がなくなって、心が空虚になってしまったのだろう。
夢の中で白い煙をつかもうとしている。
白い煙は、問題が少しずつ解消していく、まもなく事態が好転することを暗示しているという。それを必死につかもうとしているのだから、自分でなんとか変えていこうと無意識で思っているのかもしれない。
卒業を迎え、図書室で彼女と会う。
最後の朗読「何処に行っても変わることのない不滅の繋がり。それが友情の証明である」を聞いたあと主人公は「やっとできた繋がりを切りたくないよ」と思いを吐露する。
彼女は「最終章を敢えて残した理由」は「この日に聞いてほしかったから」と、「友情の証明。私たちならきっと大丈夫だよね」といわれる。この瞬間、主人公はようやく気づくことができた。「踏み出せば何時だってそこに新しい道は拓けたんだ。卒業は終わりなんかじゃない──"始まり"だったんだ!」二人をつないだ洋書のタイトルは「フランス語で──『不滅の友情』と書かれて」いた。
主人公はどこの大学へ行くのか、どう進んでいくのかはわからない。
けれど、彼女は高校最後に生涯の友を得たのである。
二人に幸多くあらんことを。
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