第9話 二日目 4/4

「テレビのタイマーよし!」

 テレビのディスプレイにはなにやら色々な設定が表示されている。見れば、どうやら電源が20分後に自動で切れるようになっているとのこと。


 さっき日乃実ちゃんに切タイマー設定のやり方を尋ねられたので間違いない。

 家のテレビとはどうも勝手が違うらしく、なにやら困っていたので教えてあげたのだ。


 まぁこれは問題ないな。


「枕と枕代わりの座布団よし!」


 普段は僕一人で使っているベッドに枕が二人分。

 一つは日乃実ちゃん、そしてもう一つの枕、もとい枕代わりの折りたたんだ座布団は僕の分の枕なのだと日乃実ちゃんは指差し確認で主張する。


「つまり日乃実ちゃんが寝る場所のすぐとなりに、僕の枕がある?」

「そのとおーりっ、見ての通りっ」


 いやそーれは問題アリ。もはや審議の余地もナシ。


「昨日まで別室だったろ、なんでまたそんなことを。っていうかダメだろ未成年と添い寝する四十代とか」

「おトイレよし! そんじゃほらほら、消灯っ。ぴっ、ぽちっ」


 告げるや否や両手に握るリモコンを日乃実ちゃんは同時に操作した。一つは照明を消し、もう一つはテレビに向けて。


 暖色の居間から一気に色が引いていく。暗くなった居間に残ったのは影の黒、ニュース番組らしいスタジオの味気ない白。


 それから液晶の眩しさにより辛うじて浮かび上がる、妙に楽し気な女の子の輪郭。


「うおっまぶしっ。シンタロー明るさ設定どこっ?」

「まったく……勝手すぎる」

「このまんまじゃ私もシンタローも目がチカチカして寝らんないって。おせーてくださーいっ」


 ずいっとテレビのリモコンを押し付けてくる。が、僕はすぐには応じてやらない。


「教えたっていいけど、こうも暗いとリモコンのボタンもよく見えないからな」

「電気点けよっか?」

「電気点けて。あとなぜか日乃実ちゃんのとなりに敷かれた座布団僕の枕も元に戻して。それと僕の寝袋どこか知らない?」

「んー? それだと枕足んないけどっ、まさか一つの枕を二人で使って~」

「いや、同じベッドでは寝ないってことだ……、よっと!」


 あくまでシラを切る日乃実ちゃんに僕は実力行使に出た。僕は彼女の後ろ手に握られたもう一つのリモコンを奪いにかかる。


 身を出し腕を回すと自然、おっさんが少女に覆いかぶさる格好になってしまう。


「いやーんっ。襲われる~」


 日乃実ちゃんがわざとらしくおどけてみせた刹那。

 悲鳴に含まれるキャッキャウフフなニュアンスが、襲う襲われるとは違うベクトルの犯罪臭を演出していることを、僕はひどく敏感に感じ取った。


 悟ったのだ。

 抵抗すれば立場が悪くなるのは僕ではないのか、と。


「絶対に手は出さない。匂いも嗅がない。犯罪的なアレはしない。……ない…………しない」


 一人ごちる。すがるように誰かに誓う。誓うという行為を大げさだとは思わない。うっかり逮捕されかねないのだから、未成年者とベッドインなんて。


「もーいい自分でやるっ」


 結局日乃実ちゃんは液晶の明かりを頼りにリモコンを操作し、明るさを一番低く設定したようだ。


 暗くなる居間と同調するかのように、さっきまでの、まるで事案で死刑宣告を受けたような心地が次第に静まっていく。


 そしてその現象は日乃実ちゃんにも起こっているらしい。ニュースキャスターの静かで淡々とした口調に合わせるかのように、彼女の口数は減っていった。


「シンタロー、私奥ねっ。手前だと落っこちちゃうかもだから、シンタロー手前ね」

「いや、あのさ……」

「今日は別々に寝るのナシね。寝袋も私がもらっといたから」

「そんな、いつの間に……」


 僕のぼやきに耳を傾けず、日乃実ちゃんはその小さな体をもぞもぞと寝袋に食べさせていく。


「寝袋ってチャックついてるんだねっ。私知らなかった」


 そして最後にはジィーッとファスナーを閉め切ってしまった。これでもう僕の寝床はベッドの半分、すなわち日乃実ちゃんの隣しかなくなったわけだ。


「あーあ、しかたない……っていやいや、ホントにしかたないことなのか、これ?」


 とはいえ、もはや僕のぼやきは口先だけだった。


 部屋が暗くなってからというもの、身体が睡眠の準備を始めてしまっているからだ。気力を発散することを避けたがっている感じ、とでも表そうか。


 抵抗をあきらめた僕はベッドに横たわる。他でもないすぐそこに日乃実ちゃんが眠るベッドへと、現実感がないまま自身の体を滑らせた。


 端から壁、日乃実ちゃん、僕、テレビという位置関係で寝転ぶ。さすがに日乃実ちゃんの方に顔を向けて寝るのは倫理的にマズイので、自然とテレビに身体が向いた。


 『本日午後三時頃、△△県立○○中学校の校庭に直径七センチほどの隕石らしき落下物が――――』


 キャスターの抑え目に驚く声音が鼓膜を通して脳みそまでたどり着いた。

 が、肝心の隕石がどんなものかはわからなかった。僕のまぶたは落ちかけていたから。


「……別にぃ……私のほう向いてたっていいんだよ……?」


 昼間に隕石のニュースを聞いたら日乃実ちゃんは大騒ぎするだろう。


 が、ウトウトした声から察するに、今はとてもそんなテンションではないらしい。


「テレビ、眩しいでしょ……エンリョしないで」


 瞬間、身体が固まった。突如肩に触れた日乃実ちゃんの手の温かさに驚くあまり。


 そして同じベッドの上、僕の首筋に吐息がかかるほど近くまで迫る無防備な少女というシチュエーションに動揺、いや、正直に言えば高揚していた。閉じかけだった僕のまぶたが意思と関係なく見開かれる。


 僕がじっと我慢するのに対して日乃実ちゃんはしびれを切らしたのか、ほぼゼロの握力で僕の肩を引き寄せようとする。


 その非力さ、その手の小ささ、細くかかる呼吸の熱さ。

 ソレ以上はアウトだ。僕の背中に二対の健やかな膨らみが柔らかくあてがわれる、その前に――――。


「わかった、わかったから奥に詰めてくれ」

「ん」


 熱い手が僕の肩をするりと離れ、やがて彼女の気配がもぞもぞと壁際まで遠ざかったのを感じてから僕はようやく寝返りを打った。


「って、これじゃまるで……」


 まるで添い寝、自ずとそういう格好になった。顔と顔は、開いた手のひらほどの距離しかない。


 もはや僕の情緒はぐちゃぐちゃだった。あまりにおかしな状況に対して、暗さとニュースのホワイトノイズのおかげでどうにか心を落ち着かせたかと思えば、年甲斐もなく盛り上がったりもする。


 もっとも日乃実ちゃんとしては、そんな僕のことなどどこ吹く風でさっさと眠る気満々らしい。


 日乃実ちゃんの両目は完全に閉じきっていて、すうすうという穏やかな寝息に合わせて胸が起伏する。


(この状況下でなぜ平然と寝ていられるのか)


 おかげで、本来なら激しく湧くはずの気まずさに襲われないので僕としては助かるが、かわりに現実感もない。


 行き場をなくした感情たちが僕を宙ぶらりんにする。そのまま数分彼女の寝顔を眺めていると、その時は来た。


 パツンッ――――。テレビが消える。青白い明かりに淡く映るその寝顔も、ついには壁際の暗闇と同化して見えなくなった。


 僕も目をつむる。すると伝わってくる日乃実ちゃんの寝息。彼女の発するそう(・・)いう(・・)もの(・・)に、僕の意識はまた引き寄せられてしまう。


 すうぅー、ふうぅ………………、すうぅー。僕は注意深く耳を澄ませていた。もう眠っているだろうか、呼吸の間隔は長い。


 寝顔を晒す日乃実ちゃんに対して、もちろんというか当然というか僕には一向に眠気が来ない。


 大体僕らはなんだって突然一緒のベッドで寝ることになったんだ?


 居間のベッドは日乃実ちゃん、書斎に寝袋敷いて固い床でゴロ寝するのが僕。昨日はそうして部屋さえ別々だったというのに。


 もしや。


「考え事してた僕に気を使って……だったりするのかいね?」


 ――なんか悩んでるかなーと思ってハナシを振ってみるんだけどさー、そーいうときに限っていっつも調子軽いから訊くに訊けないんだよねっ――。


 ――やっぱり心当たりがあるっぽいよねっ……私に隠してる悩み? みたいな――。


 日乃実ちゃんが洗い物をしていたときの一幕を思い起こす。

 このとき僕は、徳枝さんの言う『正しい素質』が引っかかっていたのだ。


 そして、日乃実ちゃんの答えが腑に落ちずモヤモヤしていたところを、彼女に悟られたのだ。


 いや、もっといえばそれ以前から彼女は僕の苦悩を見透かしていたらしい。しかも、その度に彼女は僕に話を振っていたのだと教えてくれた。


 だから今回のこれ……その、添い寝もその一環なのかと思ったのだが。


「すうぅ~……んむぅ、ふうぅー……スー……」


 日乃実ちゃんから返事はなかった。強いて言えば寝息が返事だった。


 あるいはいつものように僕が考えすぎなだけで、なおかつ日乃実ちゃん自身は「いっしょに寝るのって修学旅行みたいでたのしーよねっ!」とテンションに従って行動しているに過ぎないのかもしれない。


 僕はいちおう反応をたしかめるべく目を開ける。暗闇に慣れたのか、暗い中にぼんやりと彼女のアウトラインが浮かぶ。


 そのアウトラインの内側に時折もにゅもにゅとゆがむパーツがあるのを目視した。


 位置的におそらく顔の一部で、寝言に合わせて柔らかそうに形を変えるそれを。


 局所的につんと突き出た、人にとって特別な意味を持つ肉感が瞳に灼きつく。

 日乃実ちゃんの唇の色を思い出していた。


 血色のいい赤。彼女が無邪気に晒した、あの小さく厚みのある舌。


 ――――…………。


 もし。


 もしも彼女が本当に悩める僕を気づかってこの状況を用意してくれたなら、それ自体は狙い通りだったろう。


 一緒に寝れば安心、とは程遠い感情だけど、苦しいわけではないから。


 でももう耐えられない。日乃実ちゃんは眠っていてこちらに気づかないし、テレビも切れて眩しくもないし。


 と、くれば。


「さては逆向きで寝ればいいだけだな、これ?」


 日乃実ちゃんに言われて添い寝の形になってしまったけど、日乃実ちゃんが気を失った今、逆を向くどころか書斎に移ったって…………あ、寝袋盗られてるんだった。


 日乃実ちゃんに背を向けて一時間経った後くらいだろうか。普段の考え事とは別の意味で悶々としながらも、ようやく眠りに落ちたのは。

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