ネットの編み目から再会した彼女は物言わぬ花束になっていました……。

ぴこたんすたー

第1章 きっかけはあの言葉だった

第1話 数十年ぶりの巡り合わせ

(ほう、これが桃源郷とうげんきょうというものか……)


 今、ここに電灯を消した和室で、スマホから照らされた画面を目で追う、一人の陰キャな男がいた。

 セクシーな衣装の美女達の写真で彩られた、出会い系サイトの広告に酔いしれる僕、優希響ゆうきひびき


 年齢もいい歳で独身の32歳、職業はアルバイトでフリーター。

 ボサボサの伸ばした黒のロン毛、目は細く、低い鼻に口紅を塗ったようなたらこ唇で、世間で言うモテない男で、恋愛に対しては負け組。

 つまり、今の僕には彼女なし。


 よく男はハートを磨くのが一番というが、それは後付けで、女は初めは見た目から好意を抱くものらしい。

 頼みの綱の身長も170足らずで、唯一の救いは太っていないことだけだ。


 立派なのは、ひびきのいい名前だけ。

 見事に、名前負けしてるけど……。


(まあ、貧乏生活で、毎日もやしばかり食べていたら、太る以前の問題だよな……)


 このままではカッコ付けの名前どころか、栄養失調の名が付いてしまう。

 僕は将来、ヘロヘロのもやしっ子になってしまうのか?


 ──風鈴の音が心地よい、真夏の朝方。

 早くから病気で亡くなった両親が遺してくれた、築40年のボロい家で、ラフなTシャツにジーパン姿となる、僕が見ている出会い系サイトは気品に溢れていた。


 周りの友達が結婚して身を固める中、もうそれなりの歳だった僕は、何が何でも相手を見つけようと大真面目だった。

 出会い系と言えば、嫌なイメージしかなく、今回もハズレかと思っていたのだが……。


『登録料無料、契約金なし、悪質なアダルト行為もなし。

 純粋ピュアな恋愛を楽しむ、殿方へ最高の想い出を……』


 その癒しのキャッチコピーを読み、心の底から込み上げてくるものがあった。

 久々の休みにかまけて、酒を浴びるほど飲み過ぎた体に異変が起きたのだ。


 だけど症状は、急性アルコール中毒という危険な病に侵されているのではなく、ただの二日酔いだった……。


****


(ここに来れば、彼女に会えると返事があったけど?)


 ──あれから一週間後。

 太陽の光を覆い隠す曇り空の昼前、墓石が大量に敷き詰められた、人生の最期の場所に僕は立ち尽くしていた。


 季節は8月、俗にいうお盆のシーズンだけど、待ち合わせに墓場とは、場違い過ぎないか……?


 まさか、相手は幽霊や妖怪とも、お友達になりたいのか?


 つまり、妖怪口裂け地縛霊ときたものだ。

 マジで何の友達コラボだろうか……。


 ちなみに、こんな昼間からして、丁寧に髭を剃り、ワックスで髪を整えて色気づき、ネズミ色のスーツ姿でノコノコと出歩く僕は、コンビニで夜勤帯の限定でバイトをしているので、日中はこのように自由に動けるのだ。


 さすがに眠気には勝てなくて、半日以上寝る時もあるけど……。

 人間は、毎日六時間半は寝ないと体調に支障をきたすらしいが、仕事と同じく、生活習慣の慣れとは恐ろしい……。


「あの、すみません。あなたがさんですか?」

「はい、そうですが?」


 ネットのサイトでの登録名を呼ばれて、振り向いた先にいた、黒ぶち眼鏡を指で持ち上げ、腰まである茶髪をおおいになびかせた30代くらいの落ちついた風貌な女性。


 身長は僕と同じくらいだろうか。

 スラリとした足長なスタイルで、黒のビジネススーツを着込んだ女性は、豊かな胸元に負けじと大きな花束を抱えていた。


「今回、せっちゃんと交際したいと申していた、ゆっきーさんで間違いないですか?」

「はい、いかにも僕がそうですが?」


 女性は花束を一旦床に置き、ポケットから名刺を取り出す。

 僕は頭を下げて、無言の挨拶で受け取り、手渡された白い名刺にと目を通した。


 そこで、ふと、男の本能がざわついた。


「──名残刹那なごり せつなのプロデューサー?」

「はい、実は彼女はアイドルを目指していた方でして……」

「刹那……せつな?」


 その名前に、僕の頭の中が一瞬で真っ白になる。


「待って下さい、名残刹那さんって!?」

「えっ、せっちゃんがどうかしましたか?」

「僕が昔、高校の時に付き合っていた元カノと、名前が一緒なんですけど?」


 僕は確証を得るために、彼女の血液型や誕生日、通っていた高校、さらに奥の深い映画や音楽などの趣味や、彼女が秘密裏で教えてくれたスリーサイズまでも暴露ばくろする。


「えっ、同姓同名ですか? 偶然って、怖いものですね……」


 しかし、僕が必死に説明しても、女性は塩対応で、何とも思っていない様子だ。

 そりゃそうだ、こんな外見の僕とアイドルが付き合うだなんて、天変地異ほどの差がある。

 今まで恋愛には数ミリも縁がなかった、あの出会いは奇跡に近かった。


「でも、それが真実でも、せっちゃんは……」


 女性が長い髪を垂らし、俯きがちに後ろに置かれた墓石に、手持ちの花をたむける。


「……一週間前に、交通事故で帰らぬ人になりました」


 突然の返答に気分を害した僕は、その場にしゃがみこみそうになる。

 しかも、目の先には信じがたいが、『名残家』と刻まれた灰色の墓石……。


(おい、男の子だろ。これくらいの現状くらいで抱え込むなよ……)


 自分で心の僕に言い聞かせていた。

 この僕の抱え込み症候群は、いつものことだ。


 もう僕も30も越えた、いいおじさんだ。

 生き物も人も生まれてきたら、必ずしもいなくなるもの。

 人の生き死にくらいで動揺するわけにはいかない。

 例え、元恋人が、この地上から消えてしまっても……。


「それであなたに直接会ってから、お話をした方が良かったかと思い、私から、せっちゃんの名前をお借りして、直接メールをお送りしましたのですが……やっぱり、お気に障りましたか?」

「いや、嬉しいんだ。彼女が高校生の時に夢をえがいていたアイドルを未だに目指していたから。所で、お姉さんのお名前は?」

「あっ、申し遅れました。私の名前は瀬井手矢奈せいで やなと申します。呼び名は矢奈でいいですよ。よろしくお願いします」


 矢奈さんが笑顔で眼鏡を外して、絵にいたような美人顔で僕に握手を求め、同じく挨拶をする。

 その姿は現役の大学生が就職活動をする面接のように、丁寧な、お辞儀の形をしていた。

 

****


 それから僕は矢奈さんと一緒に、刹那との想い出話に華を咲かせ、しばらくして矢奈さんを墓場に残し、空腹を満たそうと近所のコンビニに寄り、矢奈さんの分を含めた、お弁当と飲み物を買った。

 ついでにそこで買ってきた、大量のお菓子の山を刹那の墓石にお供えする。


「そうそう、彼女、三度のご飯よりも、お菓子が好物でして……」

「特にケーキ型の洋菓子が大好きで、僕の財布は常にだったな」

「ふふふ。あれ、高校生には割と高いお菓子ですものね」


 代表的なケーキ型のお菓子として、あの『シルベーユ』がある。

 一口サイズで、二等辺三角形のケーキの上に乗った、豆粒のような干しブドウを、チョコレートで丸ごとコーディングした洋菓子。

 赤色の長方形の箱に包装され、6個入りとなっていて、安くても値段は200円はする、高級菓子の1つだ。


「うーん、素敵ですね。社会人になり、お小遣いを貯めて、大人買いというものですね。いい子、いい子、よしよし」


 矢奈さんが、僕の頭を優しく撫でてくる。


「よしてくれよ。僕はもう30過ぎのおじさんだから」

「いえ、大人だからと関係ありません。たまには甘えていいのですよ」

「だから恥ずかしいってば……」


 こういう切ない気持ちの時に思う、母性は罪だと……。

 矢奈さんに撫でられながらも、目の前にある膨らみから、器用に体の軸をずらし、僕は照れ隠しに顔を背けた。


 ──その時だった。

 僕の目の前に黒い人影が迫り、矢奈さんを襲ったのは。


「危ない、矢奈さん!」


 僕は慌てて、矢奈さんの前に出て、相手から守る姿勢になる。


 そう、瞬間的に気付いていたのだ。

 その相手が、鈍く光る鋭利な刃物を持っていたことに。


「きゃあああ、ゆっきーさん!?」

「ぐっ!?」


 それはハサミだった。

 ちょっと刃の長い先には、僕の血液がベッタリと付着している。


「おい、おっさん。さっきから話は聞かせてもらった。

おっさんだな、せっちゃんが昔から、ずっと好きだった元カレの正体は!」


 顔はフードとマスクでよく分からないが、150くらいの小柄な背丈で、全身赤の雨合羽の人物が、腹部を押さえて、僕の姿を確認する。

 雨合羽には似つかわない赤い格好は、ハサミで散乱する血の現場を誤魔化すつもりだったのだろうか。


「……だ、誰だ、君は……?」

「せっちゃんのファンだよ。まあ、彼女は死んでしまったけどな。その隣にいる、おばさんの荒っぽい運転のせいでな!」


 雨合羽の高い声からして、女の子だろうか。

 その雨合羽が血の色のハサミを持ちかえ、今度は腰を抜かした矢奈さんの方へジワジワと迫っていく。


「ひいいいいー!?」

「あんたの飲酒運転で、たまたま、そこにいたせっちゃんが避けようとして対向車にはねられてな。難なく、その運転手が逮捕され、あんたは警察には捕まらなかったが、その罪が分かっているのか?」

「でも甘酒は、お酒に入りませんよ!?」

「甘酒でも、それなりに飲めばアルコールは残るんだよ!」


 雨合羽がハサミの切っ先を、怯える彼女の首元へと突き刺そうとする。


「矢奈さん!」


 いけない、彼女が危ない。

 甘酒での飲酒運転がどうこうより、もう矢奈さんは僕にとっては、大切な刹那の理解者の一人になったのだから。


 今、ここで矢奈さんまでも失ったら、一生後悔する。


(僕はもう、誰も失いたくないんだ!)


 僕は痛みを食いしばり、思いっきり矢奈さんの元へ駆けていた……。


「だったら、おっさんが、先にあの世で詫びろー!!」


 矢奈さんをかばって、今度は腹に突き刺さったままのハサミが痛みと意識を遠ざける。

 僕は脱力し、そのままズルズルと、墓石のある砂利に倒れ込む。


 空がますます暗くなり、これまで降るのを我慢していたのか、一粒の雨がポタリと頬に落ちた。


 それが僕が生き抜いてきた、32年間の人生の最期だった……。

 

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