第23話「偽りの自分」
「こんにちは~、おじゃましま~す」
夢と透井、卓夫の3人は青樹家へと駆け込んだ。アルマスの手助けをすると決意したその日から夢達は毎日のようにオトギワールドへ通っては特訓を続けていた。
「今日もやるのか? もう疲れたでござる……」
「当たり前よ! 今の私達はナメクジより弱いんだから!」
「それは流石に過小評価しすぎなんじゃ……」
透井が横で苦笑いしながら呟く。武器は非常に強力だが、如何せん自分達は現実世界の人間である。魔法が使える漫画のキャラクター達より遥かに劣る存在だ。だが、少しでも対等に戦えるよう、基礎的な戦闘能力から鍛える必要がある。
夢達はオトギワールドで適当な場所に転移し、モンスターと戦って実践経験を重ねる。まずは戦闘の感覚を永続的に体に刻み込まなければいけない。
「ハルさ~ん、今日も来ま……え?」
「やぁ、いらっしゃい」
夢がリビングに向かおうとすると、リビングのドアを開いて男が姿を現した。メガネをかけた長身の灰色髪の男だった。穏やかな雰囲気で夢達を迎える。
「だ、誰!? 不審者!? 丁度いいわ、今日のモンスターはこの男よ!」
「ちょっ、待て夢さん!」
透井が慌てて夢の肩を押さえる。
「あ、
すると、研究室の方向から白衣姿のハルがやって来た。彼女の様子から男とは知り合いのようだった。
「連絡くらいしてくれてもいいのに」
「へへっ、驚かせようと思ってさ」
「イオリ……君? って、えぇぇぇ!? あの
男の名前を聞き、夢が目をぱっちり開けて驚く。彼の名は
「こっちの方が見慣れてるかな」
「わっ、本当に意織さんだ!」
伊織はメガネを取ってみせた。夢はYouTubeで公開している新生ドリームプロダクションのMVを思い返す。ギターを奏でながら歌う爽やかな顔が、目の前にある。彼のバンドがオープニングテーマを担当しているアニメを見ていたため、夢は一応彼のバンドの存在を知っていた。
「僕のこと知ってるんだ。嬉しいなぁ」
「す、凄い! ドリプロの意織さんがなぜここに……あっ、サイン! サインください!」
「さっきモンスターとか何とか言ってたくせに……」
伊織の正体を思い出し、手の平返しで態度を変える夢。透井が隣でボソッと呟く。友達が少ないくせに、漫画のキャラクターを含め顔立ちのいい男にはデレデレする。そんな夢の態度を眺め、透井はまたもや胸を痛める。
「……伊織さん、また来たの?」
すると、今度は香李が2階から階段を下りてやって来た。伊織の姿を捉えた途端、母親を相手にした際と同様に不機嫌な表情を見せる。
「やぁ、香李ちゃん、久しぶり」
「……」
伊織は微笑みかけるが、香李はそっぽを向いて研究室へと向かった。伊織の姿を目にしただけで、口を交わす気が失せてしまったようだ。
「ごめんね……伊織君」
「いいんだよ、ハル。はぁ……まだ香李ちゃんには認めてもらえないか」
落ち込むハルを剥げます伊織。
「まったく、お父さんにまで当たりがキツいなんて、香李ちゃんも困ったものですね!」
「あ、いや、僕はお父さんじゃなくてね……」
「え?」
夢は首をかしげた。伊織とハルの夫婦を思わせる仲睦まじい様子、そしてハルと香李は親子であるという事実。それらを組み合わせ、夢は3人が家族であると瞬時に理解した。しかし、伊織はささやかに訂正する。
「家族……ではあるんだけどね。僕と香李は血は繋がってないよ。たまにこうやって帰ってきて、面倒を見ているんだ」
寂しげに語る伊織。彼と香李に血縁関係は無いらしい。血は繋がっていないと聞き、夢は義理の父親である可能性も想像したが、どうやら違うようだ。
「父親として認めてほしいんだけどね……まだ嫌われてるみたいだ」
「そんなことないよ! 伊織君はいいパパになれるって!」
今度は伊織が落ち込み始め、ハルが励ます。2人も婚約しているわけではないようだが、夢の目には既に夫婦という言葉を越えた特別な関係にあるように見えた。
青樹家には何やら複雑な事情があるらしい。流石の夢も常識が働き、ここで深く追及することは失礼だと悟った。
「ごめんねみんな。あの機械で遊ぶんだって? 楽しんでおいで」
「はい……」
夢達は素早く着替えを済ませ、気まずい空気から逃げるように研究室へ駆け込んだ。
「香李、分かってるのか? 俺らの学費を払ってくれてるのは伊織さんなんだぞ。いつまでそんな態度を取る気だよ」
「分かってるわよ……」
「まぁまぁ、とりあえず今は忘れて、今日もオトギワールドを楽しみましょ」
険悪な空気になりそうな透井と香李を、ハルがなだめる。せっかく漫画の世界での冒険に勤しむという時に、深刻な問題を引きずっては台無しである。各々武器の調子と息を整え、ジゲンホールの前に立つ。
「この先を潜ればシュバルツ王国大戦記の世界だよ。いよいよだね、香李ちゃん!」
「えぇ……」
香李は期待と緊張が混じった複雑な心境で、揺らめくジゲンホールを眺める。彼女も憧れていた本物の漫画の世界へ飛び込むのだ。夢は香李の手を引いて一歩を踏み出した。
「いざ、しゅっぱ~つ!」
その後、夢達は再びベネジクトの毒液に翻弄され、危うく死にかけた。
「はぁ……」
オトギワールドでの戦闘訓練を続け、約一週間が経ったある日。昼食を終えた5時限目の体育のことだった。
今日の課題は走り高跳びの測定だ。日々の訓練で疲労が蓄積され、筋肉痛も日常茶飯事だった。体育の授業もあまり気乗りがしない。しかし、理由は疲れによるものだけではない。
元々夢は運動神経は抜群だった。だが、例の陽キャ女子軍団にオタクであることが発覚し、以降自慢の運動神経を隠すようになった。
誇るように自分の体力を見せ付けていては、悪目立ちしてしまうと考えたのだ。再び彼女達に何を言われるか分からない。
「うぅぅ~、ダメダメぁ~、記録伸びなぁ~い」
早速例の陽キャ女子達が、砂場で尻餅を付いて嘆いていた。わざとらしく尻を撫で、気弱な女子アピールで可愛こぶっている。近くで測定している男子グループへのアピールだ。見ているかも聞いているかも分からないが、そこまでして可愛く思われたいのか。
“うぇぇ……これだから陽キャは……”
夢にとっては戦慄の光景だった。見ているだけで吐き気が止まらない。周囲への印象操作のために猫を被る姿は、見るに耐えなかった。
「あっ、次あいつの番だよ」
「ククッ、やる前から嘲笑っちゃうんですけど」
スタートラインに立つ夢を見て、陰口を言い始める女子達。透井に素性を見破られ、担任からこっぴどく指導を受けたにも関わらず、まだ懲りていないらしい。
「……」
普段なら彼女達の悪魔の囁きに耐えられず、自信を失って運動が苦手な女子を演じることだろう。しかし、漫画の世界で凶悪なモンスターと戦ってきた今の夢にとって、偽りの自分でいることの方が耐えられなくなった。
自分の好きな物に自信を持ち、一生懸命になれる。それがお前の魅力だと、透井が言ってくれたのだ。
バッ
「……え?」
夢が砂場に華麗に着地する。嘲笑っていた女子達の表情が、一瞬にして真顔になる。記録係が彼女の着地点までメジャーを引き、距離を測定する。
「す、凄い……5m10cm!」
『えぇぇぇ!?』
他の女子生徒も驚いて砂場に駆け寄る。常に教室の端で自分の世界に入り浸る夢が、とんでもない才能を見せ付けた。平均を超えるどころか、男子の記録まで大幅に上回ってしまうほどの快挙だった。男子の耳にも歓声が届き、何人か集まってきた。
「浅香さん凄い!」
「これ、学年最高記録じゃない?」
「いや、それどころかプロの陸上選手目指せそうな記録だよ!」
「何だよ! こんなに飛べるなんて知らなかったんだけど!」
「やるじゃんオタ子!」
クラスメイトが夢を囲んで称賛している。それは彼女の日常ではあり得ない事態だった。
そう、彼女はオトギワールドでのモンスターとの戦闘を通し、いつの間にか足腰が異常なまでに鍛えられていたのだ。夢自身も気付いておらず、ただありのままの自分をさらけ出し、本来の実力を解放して飛んでみただけだ。
「……えっと、私何かやっちゃいました?」
結果として、夢はとんでもない記録を叩き出した。彼女自身が誰よりも困惑していた。目の前に広がる現実が信じられず、放心状態だ。
「夢さん……」
だが、悪い気はしなかった。男子グループの中から優しく微笑みかける透井を発見し、夢はありのままの自分でいることの快感を知った。
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