第45話 滝つぼは楽し


 崖をふたつ越して二時間ばかり渓流をのぼったさきにめざす滝が見えてくるまえから、とっくにサラはつかれきっていた。歩いているあいだずっと森の奥から聞こえてきていた猿の声が、かれらのなわばりに踏みいった人間たちを威嚇していた。文明からとおく離れた秘密の園のなか、いやでもサラは自分が異端者だと気づいてしまう。魔法で移動すればらくちんなのにティッカとエㇽダがつかえないもんだからずっと歩きどおしで、滝の音が聞こえてきたころにはサラの足はもうすっかりがったがた。


 そんなつかれがぜんぶふっ飛ぶような光景だった。

 ひっきりなしにおちてくる水が滝のとちゅうの岩でわれてはしぶきをあげている。しぶきに虹がかかる。虹色のはねの蝶がそのまえをよぎる。葉っぱがずっとおちてきていた。アルバ村では生命のおとろえの証に思えた落ち葉さえ、この地ではあふれる生命のいとなみを思わせる。つぎからつぎへと萌え出づるあたらしい葉がふるい葉っぱに「もう場所ゆずってよ」って背中を押して、そうやって葉っぱはつぎつぎ樹からおちる、おちた葉っぱは地に満ち折りかさなってやがて腐り、その下で虫たち菌たち地を這うけものたちを育み、生命の循環はどこまでもつづいてく。



 滝のほとりの生命の祭典に見惚れていたサラがふと気づくと、となりでエㇽダががばあっとシャツを脱ごうとしている。

「うあっ、ちょっ、ストップ」

 ぎりぎり手前でエㇽダは止まって、ふしぎそうにサラを見た。

「なに?」

 エㇽダの背中の方ではサンガとティッカが周囲の妖魔を追いはらっている。人があんまりやってこないこのあたりは妖魔たちの王国だ。

「ぜんぶ脱いじゃうの?」

「そりゃそうよ」

「サンガとティッカもいるのに?」

「あ」

 いけね、わすれてた、ってシャツをおろすエㇽダ。出会って十日、はやくもこの子のに慣れたつもりのサラなんだけど、油断するとまだまだびっくりさせられる。それでも「ティッカに見られたってへいちゃら」なんて言いださないでよかった、案外まともじゃん、とほっとしているサラは知らないうちにハードルどんどん下げちゃってるよね。


「うー。シャツ着たまま水浴びするかあ。でもそれじゃいまいちだよなあ……重たいし、ぴとってシャツが貼りついちゃうし、ぜんぜん解放感がちがうし、うううむ」

 あきらめわるく、ぶつぶつ言うエㇽダ。サンガだけだったらべつにいいんだけど、ティッカはなあ。

 そのティッカは、

「おれたち上の滝つぼに行くよ」と言って、おちてくる滝の水を見あげた。「なあ、サンガ」

 もちろんせっかくいっしょに来たんだからそばにいたいし、それにほんとはエㇽダを見たい。見たいったら見たい。でもこのまえみたいにまた怒られてきらわれたくないし、あのとき見ないと言った約束をさっそく破るわけにもいかないし。ここはがまんだティッカ。


 さてさて、サラはエㇽダの反応にほっとしたけれど、じつは安心するのはまだはやい。サンガはきょうだいだからまあいいとしても、エㇽダったらたぶんほかの男の子に見られたって、それがなにか? って顔してしまいそうなんだよな。ま、男の子たちだってべつに見たってうれしくもなんともないんだろけどね。

 ただ、ティッカにだけは見られたくないんだな。ほかのだれに見られたってべつにどうでもいいけど、ティッカに見られるのだけはずかしいんだ。

 幸いティッカはサンガを連れて崖のよこの険しい道をのぼって行ってしまった。歩くっていうよりよじのぼるって方がちかい、険しい山道。ここの滝は二段になっていて、のぼった先にもひとつちっさな滝つぼがあるのだ。ほんとは移動魔法でさっと上の滝つぼに行けるはずのサンガもティッカにつきあっていっしょに汗をかいて登ってった。


 ふりむくとサラは水着すがたになっている。

「やっぱり落ち着かないんだよ」そう言い訳するサラは滝の水のおちてくる方へ目をそむけた。「いつ見られるかと思うとさ」

「サンガもティッカも見ないよ。サラがいやだって言うなら見ない」

 エㇽダは自信たっぷりに言った。言ったあとちょっと首をかしげて、

「でもティッカはえっちだもんなあ……いや、やっぱ見ないね、あいつえっちだけど、いったん見ないって言ったらまもるやつだよ」

「ほんとにぃ……?」

 思いきれないサラへむかって太陽みたいにわらってみせて、迷いなくシャツを脱ぐとエㇽダは泉にとびこんだ。


 滝つぼは碧の水をたたえて、いくつもの水のしずくがひっきりなしに表面をたたいて大雨みたいなのがもぐると一転、しずかな世界がひろがる。をうつ滝の水おとがとおく聞こえる。銀のうろこをきらめかせて逃げ散る魚たち。むかしは人間も水のなかに住むことができた。むかしは魚も蛇も竜もよろこんで人間を水の国に迎えいれてくれたのに、ハイヌウェレを祠に封じた日からひとは水のなかで生きるすべをわすれてしまった。いまではウルデンデ族だけがそれをおぼえている。ウルデンデ。七部族をみちびいた英雄。いまもこの密林のどこかをさまよって、ときどきエㇽダの里にもすがたを見せる。末裔たちだけどね。人間がいまでも水にもぐれるのは、ウルデンデが水の国の者たちにかけあってくれるからだ――おかげであたしたちの息がつづくあいだだけは水のなかにいてもいいってことになっている。水あそびはたのしい、魚はおいしい、人間が水にもぐることをかれらがゆるしてくれてよかった。水がいまもきれいで人間のともだちでいてくれてよかった。


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