第3話

「そうだ。お題は『春の庭』にしましょう。それでもよろしいですか?」


「……好きになさい」


「晋太郎さんは、春の庭と言えば、何を思い浮かべますか?」


「私ですか? そうですね……」


何気ないおしゃべりは続く。


この人の隣でこんなにも長く話したのは、初めてかもしれない。


よかった。もう大丈夫。


奥の襖が開いた。


「ずいぶんと、熱心にしていらっしゃること」


お義母さまが入ってきた。


盆にどんぶりが二つ乗っている。


「志乃さん、今日はゆっくりしていなさい」


にっこりと微笑む。


すぐに襖は閉じられた。


義母は全力で応援してくれている。


お昼にと用意してくれたのは、アサリと大根の吸い物をご飯にかけたものだった。


「わ、何だか申し訳ないことをしました。私が作らないといけなかったのに……」


「いいのです。いただきましょう」


あっさりとした汁に、ふわりと磯が香る。


「志乃さんは、いつの頃から句を詠まれていたのですか」


「さぁ、もう忘れました」


そういうことにしておこう。


ニッと微笑むと、晋太郎さんは呆れたように笑った。


夕餉の支度は手伝って、寝所を整え床につく。


しばらくしてやってきた晋太郎さんは、すぐに布団に入った。


「明日は三味線を教えてください。床の間に立てかけてあるでしょう? ずっと気になっていたのです。よいですか?」


衝立の向こうでごそごそと音がして、その人はくるりと背を向けた。


「あれは飾り物であって、弾くものではありません」


「たまにお弾きになっているではないですか」


「駄目なものは駄目です」


「……まだ人に聞かせるほど、上達してはいないからですか?」


「はい?」


驚いたような晋太郎さんの声に、つい笑ってしまう。


「だって、お世辞にもあまりお上手とは……」


「もう休みます。おやすみなさい」


布団の山が動いた。


こみ上げてくる笑いをおし殺すのは難しくて、衝立の向こうのこの人を思うだけで、こんなにも楽しくなれることに驚く。


朝になって、お義母さまに尋ねてみた。


「あぁ、あの三味線ね」


義母は表情を変えることなく雑巾を絞る。


「耳障りなだけよ、やかましいもの。志乃さんまであんなものをかき鳴らさないでちょうだい。あの三味線はね、いろいろあって……、まぁ、形見なのよ」


「え? 珠代さまの形見なのですか?」


「そ。面倒くさいから、触れちゃダメよ」


義母の板の間を拭く手は止まらない。


ものすごい勢いで掃除を済ませる。


私は水の入った桶を持ち、立ち上がった。


「……。弾いてくださいって、お願いしちゃった……」


「あぁ、それは無理ね。無駄よ。諦めなさい」


今日は晋太郎さんは、お勤めに出て家にいない。


昼寝をしてもいいけれどこんな機会でもなければ、ゆっくりとあの部屋を見て回ることもできない。


私は奥の部屋に忍び込んだ。

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