美を憎む怪人

プロローグ 夜明け前の夢

【夜明け前の夢 水原知世】


 夢を見ている時、これは夢なんだって分かる時ってありますよね。


 今がまさにそう。夢の中の私はランドセルを背負っていて、田舎道を歩いていました。


 ああ、これは小学校の頃の夢です。

 悟里さんに連れて来られて、暮らし始めた祓い屋の里。

 里には子供が少なくて、歳の近い子は男子ばかりでしたけど、意地悪されることもなく楽しく学校に通っていましたっけ。

 そしてどうやら私は、朝投登校しているところのようです。

 時折道のすぐ横にある畑で、朝から農作業をしているおじさんやおばさんが、「おはよう」と挨拶をしてくれます。


 そんな中、学校に向かって歩いていると、不意に道の後ろから、一際大きな声がしました。


「トモー! トーモッ!」


 あ、この声は。

 振り返ると、そこにはやっぱり葉月君がいて、手をふりながらこっちに駆けて来ています。

 葉月君の姿は、小学生の頃のもの。無邪気な笑顔が女の子みたいに可愛いです。


 だけどそんな天使みたいな男の子は次の瞬間、信じられないことを口走りました。


「トモー、大好きー! 愛してるー! 結婚しよー!」

「へ? え、ええーっ!?」


 いきなりの告白に、目を丸くします。


 ああ、どうやらこれは、あの時の夢のようですね。

 どうやらこの夢は、かつて起きた出来事を再現していて、夢の中の私も葉月君も、当時と同じ言動をしています。


 だけど同時に、この珍妙なやり取りを冷静な目で見ている高校生の私が、私の中にいました。


 これは忘れたくても忘れられない、恥ずかしい記憶。

 祓い屋の里に越してきて数ヵ月が過ぎた夏の日の朝、葉月君は愛の言葉を大ボリュームで叫びながら、いきなり私に抱きついてきたのです。


 突然の出来事に、幼い私は目を白黒させます。

 そして夢だからでしょうか。頭の中に、幼い頃の私の心の声が響いてきました。


(い、い、いきなり何? 風音くん、わ、わたしのことが好きなの?)


 これは当時の私が実際に思っていたこと。

 だけどパニックになりながらも、嬉しい気持ちはありました。

 それまで兄弟子としか見てこなかった男の子ですけど、好きって言われたんですもの。やっぱり嬉しいですよ。けど。


「ははは、何だあれ、抱き合ってるよ」

「ええー、風音と知世、結婚するのー?」


 ハッと声のした方を見ると、そこには同じ小学校に通っている低学年の男子達。


 瞬間ら告白されたドキドキは、見られていた恥ずかしさへと変わって、全身からブワッと汗が吹き出した。

 そういえば、ここは学校への通学路。人目があって当然。


 私は顔を覆いたくなるのを堪えながら、くっついていた葉月くんを振り払いました。


「ま、待って。結婚ってそんな。風音くん、いきなり何なの?」

「ごめん、驚いた? 実はね」


 葉月君が何か言い掛けたその時、彼の後ろから二人、上級生の男の子が駆けてきました。そして葉月君の肩に手を置きながら言ったのです。


「おおー、スゲー。風音、マジで告ったよ」

「ちくしょう、度胸試しはお前の勝ちだ」


 え、度胸試し?

 訳がわからずにキョトンとしていると、上級生の男子が説明してきます。


「実は今の、風音が悟里ねーちゃんから借りた漫画であったシチュエーションなんだ。昨日皆で読んでて、こんな恥ずかしい告白なんてできるわけねーって話してたんだけど」

「風音が俺はできるって言うから、それじゃあいっちょ、度胸試ししてみるかって事になったんだ」


(ど、度胸試し!?)


 瞬間、火照っていた私の心は、水をうったように冷たくなりました。

 つまりは遊び。ふざけて告白ごっこをしてたってことですよね。


 よく考えたら朝の挨拶をするようなノリいきなり結婚しようなんて、そんな告白あり得ませんよね。

 でもこれじゃあ、一瞬とはいえ本気になった私がバカみたいじゃないですか!

 恥ずかしくて悔しくて、涙が込み上げていました。


「あ、度胸試しって言っても、俺は本気……って、トモ? おーい、トモ、聞いてるー?」

「……らい」

「え、何? よく聞こえない」

「風音くんなんて大っっっ嫌い! 最低! クズ! 女の敵! ×××××っ! もう二度と話しかけないで!」

「ええっ!?」


 思い付く限りの暴言をぶつけて絶交宣言をした私は、葉月君に背を向けて校舎に向かって駆け出します。


(初めての告白だったのに、こんなの酷すぎる!)


 幼い頃の私の心がひしひしと伝わってきて、夢を見ている私も胸が苦しくなります。


 小学生のちょっとしたイタズラ。だけどこれだけは今でも言えます。

 葉月君は最低です!



 こうして初めてされた告白は、人生でも指折りの黒歴史になってしまったのでした。



 ◇◆◇◆



 ……最悪な目覚めです。


 自宅アパートの布団の中で目を覚ました時、パジャマは汗で濡れていて、心臓は変に高鳴っていました。


 さっきまで夢で見た、小学生の頃の葉月君からされた嘘の告白。

 あの時は本当に恥ずかしくて苦しくて、葉月君のことが大嫌いになりましたよ。


 実際あの後しばらくは葉月君と口をききませんでしたけど、他の男子達から「風音も反省してるから、許してやってくれよ」って言われ。最後はこの事を知った悟里さんにボコボコにされて謝る葉月君を見て、このままでは彼の命が危ないと思い、許してあげたんですよね。


 まあ許しはしたものの、嫌な思い出ということに変わりはないですけど。

 だからこうして、今でも悪夢として見るのでしょう。


 ため息をつきながらふと目についたのは、枕元に置いてあるウナギのぬいぐるみ、カバヤキ。

 そっとそれを手に取って話しかける。


「いくらなんでも、イタズラがすぎますよね。それとも葉月君にとっては、あれも軽い悪ふざけだったのでしょうか?」


 問いかけても答えが返ってくるはずもなく、カバヤキはつぶらな瞳で見つめてくるだけです。


 ……くしゅん!


 ううっ、汗かいちゃったから、体が冷えちゃってます。

 シャワーでも浴びましょう。


 こうして着替えを用意して、浴室へと向かったのですが、この時私は、スマホをチェックするのを忘れていて。

 仕事の連絡が入っていることに気づきたのは、お風呂から上がった後でした。




【同時刻 葉月風音】



 目を覚ますと、全身が汗でびっしょり。

 さっきまで眠っていたけど、おそらくうなされていたんだろう。自分でも分かるほど、今日は夢見が悪かった。



 最悪な目覚めだ。

 さっきまで夢で見ていたのは、幼い頃の過ち。

 あれはまだ、小学生の頃。祓い屋の里にやって来た妹弟子のトモに、俺は惚れてたんだよね。

 いや、正確には、今もメチャクチャ好きなんだけどさ。


 とにかく、いつか俺を越えてみせるって言いながら修行に打ち込むトモが、健気で可愛くて仕方がなかった。

 で、どうにかしてその気持ちを伝えたいって思った俺は、火村悟里ーー師匠に相談したんだよね。そしたら。


『そうかそうか、風音は知世ちゃんのことが好きなのか。よーし、だったらこれを読んで勉強するといい。胸キュンシチュエーションが、たくさん載ってるよ』

 そう言って師匠が貸してくれたのは少女漫画。

 師匠がいてくれて助かった。うちの里、女子があんまりいないからどうすれば良いかなんて分からないもの。


 俺は借りた漫画を広場で読んでいたんだけど、そしたら先輩の男子がやって来て。読んでいた漫画を覗くと、途端に笑いだしたんだ。

 こんな告白、恥ずかしくてあり得ない。相手がどれだけ可愛くても、こんなのできねーって。


 先輩が笑ったのは、挨拶代わりにプロポーズするという、今考えたら何やってるんだってツッコミたくなるような謎シチュエーション。

 だけど当時純粋ピュアボーイだった俺は、そうは思わなかった。好きな子に好きって言うことも、結婚したいって思うことも、変なことじゃないし、もしもこれがトモとハッピーラブラブカップルになるために必要なプロセスだとしたら躊躇わない。


 だから俺は宣言したんだ。明日これを、トモにやってみるって。

 先輩はその漫画の真似告白を、度胸試しか何かと勘違いしていたみたいだけど。俺は本気だった。

 けど、そんな告白の結果は。


『風音くんなんて大っっっ嫌い!』


 ものの見事に撃沈したよ。

 今思えば、あれは完全に俺が悪いよね。みんなの見ている前で、恥ずかしがるトモの気持ちなんて考えずに告白。

 しかも漫画のシーンをそのまま再現しただけなんだから、ごっこ遊びをしてからかったんだって勘違いされてしまった。


 あの頃の俺、本当にバカ。タイムマシンでもあったら過去に行って、愚かな自分をぶん殴ってやりたいよ。


 その後師匠にもバレて、『なにやっとんじゃい!』って除霊キックを食らってボコボコにされて。

 精一杯謝ったらトモは許してくれたけど、やっぱり初手を間違えたのは痛かったなあ。

 それから何度もトモに、好きだとか可愛いよとか言ったけど、本気にされなくなっちゃった。

 トモが鈍感なのは間違いないけど、未だに俺の気持ちに気づいてもらえないのは、あの時しでかした失敗も間違いなく大きいだろう。

 本当、昔の俺は何をやってたんだ。


 ……くしゅん!


 ああ、そういえば変な夢見たせいで、汗だくだったんだ。とりあえずシャワーでも浴びてスッキリしよう。


 ピコン!


 着替えを用意していたら、不意にスマホが鳴って、見るとそこには仕事の連絡が。

 こんな朝早くから連絡なんて、急を要する事件なのかも。


 浴室に向かうのを止めて、書かれていた内容に目を通した。




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