遡及する事故物件

 友人のAから聞いた話だ。


 彼は「怖い話」や「オカルト」などに目がないのだが、如何せん霊感と呼ばれるものがない。

 だからかAはそういった話も全てが好みというわけではなく、話者が実際に体験した怖い話、いわゆる実体験に強い拘りがあった。

 自分が惹かれた幽霊の世界が本当にあるのなら、それをこの目で見るのが悲願だと彼はいつも熱く語っていた。

 そんな彼が事故物件、つまり何かしら人死が起きたマンションを選んで住み始めたのは必然と言えるだろう。

 好きが高じて事故物件に住む人間が居ることは知っていたが、こんなに身近にいるとは思わず、私も興味津々で彼の話を毎日聞いていた。

 が、実際に聞く話と言えば期待外れのものが多かった。ラップ音がどうとか、誰かの気配がするようなしないような……そんな眉唾な話ばかりだった。

 Aが住み始めたのは良くあるマンションの一室、三階の302号室、オートロックのエントランスからエレベーターに乗って上ると目の前にある部屋だった。

 私も何度か遊びにいったことはあるが、事故物件なんて嘘なんじゃないかというくらい綺麗な部屋だった。

 一世帯が住めるような想定の2LDKで、バストイレ別、広めのベランダがある構造の立派なものだった。

 もちろん他の部屋の家賃は高いのだが、Aの借りた部屋は事故物件ということで値段は相場より大幅に下がり、一人なら充分住める程度の額になっていた。過去に人が死んだということにさえ目を瞑れば、借りない理由はないと言えるほどだ。

 越してきてしばらく、Aは「幽霊を見る」という目的を忘れ、ピカピカの新居での新生活をただただ謳歌していた。


 夏の盛りが終わる八月の処暑の頃。その日はバケツをひっくり返したような大雨の日だった。

 運悪く外に出かけていたAは、夕方頃にびしょ濡れで帰宅した。大急ぎで風呂を沸かし、冷えた身体を温めていた。

 湯船に浸かり、心地よいひとときを過ごしていたAは、ふと見上げた風呂場の天井が気になった。

 バスタブの真上は、換気を兼ねた浴室乾燥機のファンがあるのだが、その隣、シャワーがある洗い場の上には浴室点検用の天井裏スペースに繋がる蓋がある。

 何故かその場所がとても気になった。

「浴室の天井裏に何かオカルティックなものがあった」という話をよく聞いたことがある。そのタイプの話には馴染みがあり、その時なんとなく「ここになにかないかな?」と思い至ったという。

 手早く身体を洗い、風呂からあがって着替えたあと、証拠を撮るためのカメラを持参して天井裏を開けた。

 まずは何があるのかを確認するため、懐中電灯を持ち、風呂場の椅子を脚立代わりにして頭を突っ込む。片手で蓋を持ち上げながら、片手で内部を照らす。

 点検用の配線やらホコリやらがあるだけで、目当てとなるようなめぼしいものは見当たらない。

 ため息を吐きながら蓋を乱暴に元に戻そうとした時、持っている蓋の重心が少し変わった。

 よくレストランでウェイターさんがトレイに乗せた料理を運んでくる持ち方があると思うが、その時のはそれと同じようにして蓋を持っていたそうで、重心が変わるのはハッキリと手に伝わってきたそうだ。

 つまり、蓋に何かが乗っているということになる。

 そのまま蓋を斜めにずらしていくと、下の方に重心が偏っていく。そのままガタガタと蓋を揺らしていたら、突然ボトリとなにかが落ちてきた。

 それは、ボロボロになった手帳のようなものだった。

 ラミネート加工されていたと思しき表面は変色しひび割れ、中の紙も湿気でふやけてボサボサになっている。

 拾ってみると少しベタついており、錆びたような臭いもする。あまり触りたくはなかったのだが、Aは「これは当たりだ」とその時思ったという。つまり、何らかのオカルト的なブツではないだろうか、と。

 早速いくつか写真を撮りながらリビングに戻り、中身の確認をした。

 それは古い交換日記のようだったが、ところどころ変色したり破れていたり、書かれている文字も滲んだり掠れたりしていて、すべてを読むことはできない。

 パラパラとめくってみても何かおかしなところは見つからない。おまけに後半のページは何かでこびり付いているページが多く、剥がしてしまうと中も破けてしまい、精査するのは難しい。

 最後の方のページはほとんど白紙だったが、一ページだけ比較的損傷が少ない箇所があり、そこには大人の筆跡で何事か書かれていた。

 その殆どは落書きのようだったが、強い筆圧で二重線を引かれた二つの言葉が目に留まった。

「死が二人を分かつまで」

「mementomori」

 英文は括弧で括られて日本語に訳され、「いつか必ず訪れる”死”を忘れるな」とあった。

 Aはこれを見てぷっと吹き出した。そして、堪え切れずに大笑いしたそうだ。

 してやられた。

 事故物件、風呂場の天井裏、そして不気味な手帳と、気味の悪い言葉。余りにも舞台が出来すぎている。しかも陳腐だ。

 このページ全体に暗号を読み解くふうな感じが見て取れる。

 もう掠れてはいるが、「今日の一文字コーナー」というものが。ここにある一文字を繋げて文章を作っているのだ。

 筆跡は見た感じで二つあり、手が込んでいるなと思わせる。

 タニカワユミという日記の持ち主の方は、書かれた平仮名一文字を全て、日付を追って書き上げると「でまつかわをりたふがし」になるそうで、一見するだけでは読めないが、これを逆さから読めば「死が二人を分かつまで」と文章になる。

 マジマケンタという交換の相手の方は記号のようなものだったみたいだが、これは英字を反転させて角度をずらしてあるだけのようだ。ローマ数字の「3」に見えるものは「m」、平仮名の「の」に近い記号は「e」というふうだ。

 これを全て繋げていくと「mementomori」になる。これは訳してある通り、古代ローマで生まれた、死への警鐘の言葉である。

 確かに読み解けば不気味に思えるだろう。この物件で起きた事故との因果関係も匂わせるような演出に、素直には感嘆した。

 これだけ条件のいい事故物件だ、過去にも住んでいた人は多く居ただろう。そして、ここに住むような人間なら自分と同じように酔狂なやつに違いない。ならば次に移り住んでくる人間を脅かそうとこんなイタズラを仕込むのも頷ける。Aはそう思い至った。

 手の込んだイタズラだったし、事実は日記を見つけたときは内心かなり怖かったそうだ。その酔狂な何者かの目論見は成功というわけだ。

 Aはしばらくこの余韻を楽しんだ後、床についた。


 異変はその夜に起きた。

 Aは妙に寝苦しく感じていて、何度も夢現で寝返りを打っていたのだが、そのうちに顔に冷たい空気が当たってきた。鼻先が冷え、布団がずれたのだと思い、薄目を開けて掛け直そうとした時、それが目に入った。

 ベッドの縁の方、布団が上に持ち上げられるように隙間ができ、そこから顔が覗いていた。

 が、それが顔なのだと認識するまで時間がかかった。大きな発疹のようなブツブツしたものが顔全体を覆っており、目や鼻などの区別がつかなかったからだ。

 Aはあまりのことに、目を閉じるのも忘れてそれを見つめてしまった。

 それはしばらくモゴモゴと口の位置を動かしており、しばらくそれを繰り返すと、めくっていた布団を元に戻した。

 視界が遮られたが、気配でまだそれが部屋の中にいることはわかった。衣擦れのような音も聞こえてくる。

 ゆっくりと、なるべく自然に見えるように寝相を変え、布団から顔が出るようにする。そして、叫びだしそうになった。

 さっきの発疹顔が、俯いたまま部屋を歩き回っていた。

 暗かったので分かりづらいが、スカートのようなシルエットの服を着ており、顔から垂れた長髪が女性であることを匂わせる。

 だが、ところどころ露出している皮膚は見るに耐えないもので、顔と同じく、発疹まみれだった。

 やがてその女が歩き回る先を目線だけで追っていると、後ろから違う影が女を追いかけていった。

 その影は首がなく、部屋中手探りで女を追いかけ回している。だが、結局追いつくことはない。

 そして、無いと思っていた首は見えないだけで、存在している。首の部分は、ありえないほど伸び切って、頭部ごと床に転がっていた。

 それはどうも男性のようで、表情はおぞましく、怯えているのか怒っているのかは分からないが、口を大きく開けて叫ぶような顔をしていた。

 転がった頭を自分で蹴飛ばしてしまい、その都度女のいる方向を見失い、両手をぶんぶんと振っては女が歩く方向にあたりをつけて向き直る、というのを繰り返している。

 そして、最後に部屋の角に見つけたのは、傘を差して俯く何者か。これが一番恐ろしかったという。

 何が可笑しいのか、この異形二体がこうして部屋の中で終わらない追いかけっこをしているのを、肩を震わせて笑いながら眺めていた。

 その様子はやけに気味が悪く、押し殺した笑い声のような「くくっ」という声がそいつの方から漏れて聴こえてくるたび、何故かの肌は粟立った。

 この部屋全体のこの様子が、理屈抜きで恐ろしかった。Aはただ、たぬき寝入りをしながらもう一度眠ることにだけ集中した。

 カーテンの隙間から朝日が覗く頃、まず傘の男が最初に消えた。それから日が昇っていくと同時に、残りの二人も溶けるように消えていった。


 それからAはこの三人の幽霊のようなものを毎晩見続けた。

 そして原因が日記にあると推察し捨てたのだが、どういうわけか毎回ゴミ捨て場に日記だけが戻ってきてしまう。

 ある時、ゴミの回収の様子を監視していたら、作業員がその場で機械的な動作で日記だけをゴミ袋から取り出しているのが見え、その様子が恐ろしすぎて捨てるのを辞めたそうだ。

 あんなにも「本物の幽霊との遭遇」を欲していたAは、予想を遥かに超える現象のせいで憔悴していき、ついに堪りかねて日記を元の場所に戻し、退去を決意したそうだ。

 そのマンションから逃げてからというもの、その異形の三人を見ることもなくなった。

 後日Aはどうしても気になり、日記の中に見つけた名前「タニカワユミ」と「マジマケンタ」をネットで検索したそうだ。

「タニカワユミ」は見つからなかったが、「マジマケンタ」に関しては本人なのか確証はないが、何年か前にこの地域付近で同姓同名の人間が死んでいたのが分かった。硫化水素自殺のようだった。

 そして最後に、マンションの管理人に聞いてみたところ、あの場所が事故物件になった発端は、住人が部屋の中での首吊りをしたということだった。

「あれがなんだったのかは分からないけど、本当にやばい物件ってあるんだな」

 そう言ってAは話を締め、その後幽霊やらを追求するのは辞めにしたという。


 私はその後、そのマンションの事件について調べてみた。

 事件のあった日付や地域のお悔やみ欄を照らし合わせてみると、どうやらそこで亡くなったのは「ヤマムラユウタ」という男性のようだった。

 そして、この名前で検索をかけてみるとSNSがヒットし、それによるとどうやらこの男性はヤマムラユミ、旧姓「タニカワユミ」の夫だった。

 点と点が線で結ばれてしまい、多少眉唾だったの話が本当だったのかもしれないと思わされる。

 だとしたら、この三人に一体何が起こったのか、そのが見つけた日記は何だったのか。

 不明な点も多いが、これ以上調べないほうが賢明だと思うので、この話はここで終わりにする。

 最後に、これは最近知ったことだが、ある女性がこの近くで飛び降り自殺したとニュースで聞いた。彼女は気味の悪い遺書のようなものを遺したらしく、SNSでそれが拡散されていたりする。

 それによると彼女はシロカワリエという女性で、調べてみると彼女は、タニカワユミの同級生だった事がわかった。

 正直に言うと、この件は恐ろしい。この先を知りたくない。知ってしまったらいけない気がする。

 ただ一つだけ確かなのは、あのマンションにはまだ、きっとその交換日記が置いてあるということだけである。


 独白 三


 だからせめて、もし一端に触れてしまった人がいるのなら、どうか気をつけて。

 飲み込まれないように、意思を強く持って。

 先に書いたように、言葉自体に意味は無いけれど、思念を持った言葉は意味を持つ。

 言葉は何でもいい。「怖くない」だとか「自分は強い」だとか。

 そうすれば、災いが降りかかることはないはずだ。

 そしてできれば、そんな人が居ないよう願っている。


 ○○年○月○日 シロカワリエ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る