いけない嫁入り

 僕が住んでいた町は田舎で、今考えれば漫画やドラマの世界のような場所だった。

 山間の谷間に沿って拓けた郡の中にある一つの村だったが、今では周辺の村と合併して町になり、僕が住んでいた村は廃村となってしまった。

 廃村とは言えただ合併で村の名前が無くなったというだけで、限界集落や消滅集落などではなく今でも沢山の住人が暮らしている。

 その中には、昔からのしきたりや様式めいたものを大事にする風習がいまだ多く残っており、それを尊重するお年寄りも少なくない。

 身近なものだとお祭りやお盆、その他の季節のもの、あとは子供に聞かせる「夜に口笛を吹くと泥棒が来る」などの迷信もそうだろう。

 僕も子供の頃はそんな迷信など古臭くて陳腐なものだと軽くあしらってはいたが、それは決してぞんざいな扱いをしていいものではなかった。


 ある年、僕が中学生の秋頃、親族のお姉さんが嫁入りすることになった。

 田舎の代表的なイメージとして、親戚同士の付き合いというものがあるが、実際にはそうでもなく、冠婚葬祭でもなければ滅多に親戚は集まらない。

 せいぜいが自分の従兄弟くらいのものだが、うちは割と親戚同士の仲が良く、盆正月でも割と多くの人が家に集まっていた。

 その中でも祖父の兄弟が多く、その中にAちゃんという件のお姉さんが居た。

 祖父の兄弟の孫なので、僕から見れば再従姉妹なわけだが、子供の頃はそんな小難しい続柄はどうでもよく、ただよく遊んでくれる優しいお姉さん、という認識だった。

 年齢はAちゃんの方が七つほど上だったが、僕と同じ一人っ子ということで、僕はよくこのAちゃんに構ってもらっていた。

 大人たちが酒と小難しい話で盛り上がる宴会中など、つまらないことがあるとAちゃんの元に行き遊んでほしいとねだると、困り顔を作りながらも結局一緒に遊んでくれていた。

 Aちゃんはとても優しく寛容的で、実の母より包容力のある理想的なお姉さん、といった性格だった。僕もとても良く懐き、本当に姉だったらいいのに、と思うほどだった。

 Aちゃんも同じように思ってくれていたらしく、事あるごとに「○○くんが本当に弟だったら良かったのにね」と言ってくれていた。

 だからAちゃんが嫁入りするという事を聞いた時、失恋のような気分で落ち込んだのを覚えている。事実、僕は多少なりともAちゃんに恋心のようなものを抱いていたのかもしれない。

 本来は祝わなければならないはずなのだが、僕はその報せを受けた日はずっと部屋に閉じこもり、泣いていた。


 それから数日後の事だった。

 Aちゃんが嫁入りをするということは親戚伝いで聞いてはいたのだが、改めて本人が僕の家に来て、僕の祖父母と両親に報告をしに来たときの事。

 改まって報告をしに来たAちゃんを含め、居間にいる全員の空気がおかしかった。

 何故か分からないが子供心ながらにただ事ではない、とは思ったが、それにしたってその場所の雰囲気は尋常ではなかった。どう見てもお祝いする雰囲気ではない。

 何かいけないことをしてしまい、誰も擁護出来ず味方の居ない空間で背水の陣。そんな感覚がAちゃんを取り巻いていた。

 両親は青ざめたような顔で俯き、何も言わずにAちゃんの話を聞いている。祖父母はしかめっ面を浮かべ、その祖父に至っては今にも怒りで爆発しそうな勢いをなんとか留めている、といったふうだった。

 Aちゃんは何かを覚悟したように、炬燵を挟んで真剣な眼差しで四人と対峙している。

 夕飯後にAちゃんは訪れたので、僕は母に言われていた洗い物を台所でさせられており、会話は断片的にしか聞き取れなかった。

 それでも聞き耳を必死に立てて何事を話しているのか聞き取ろうとしたが、居間とは少し離れているに加えて洗い物の水の音が邪魔で細かいことは聞こえなかった。しかし水を止めるとサボっているのがばれるので、止めるに止めれなかった。

 辛うじて拾えた言葉を紡いでいくと、どうやらAちゃんは彼女の両親の反対を押し切って相手との結婚を決めたらしく、結婚すると言い出したときには既に婚姻届を出す一歩手前の状態だったらしい。

 言葉の端々から、Aちゃんが田舎の暮らしに辟易していたのが読み取れた。嫁入りし、相手の住む都会で一緒に暮らすらしい。

 なんとなくここまでの流れで、なるほど陰鬱な田舎暮らしが嫌になり、結婚を理由に逃げ出そうというわけかと理解できる。

 僕はというと、やはりそれを聞いてショックだった。僕は少なくとも田舎暮らしは嫌いではなかったし、Aちゃんと過ごす時間はとても楽しかったからだ。

 勉強を教えてもらったり、何もない神社でぼけっと二人で取り留めのない会話を楽しんだり、そんな何でも無い時間がとても有意義に思えた。

 けどAちゃんは違った。田舎の暮らしは彼女にとっては苦痛でしかなかったのだ。

 その時、Aちゃんがたまに零していた愚痴を思い出した。

 どこに行こうが何をしようが、町の人達は全て知ってる。悪いことはしてないのに監視されてるみたいであまり好きじゃない。

 僕は気にしたことはなく、それが普通と思っていたのだが、歳だけ見ればもう大人のAちゃんには、彼女にしか分からない気持ちがあるんだなと、一応漠然と受け止めていた。

 そんなもんなんじゃないかな、とだけ返事をしたその時は、Aちゃんもそうだよね、とだけ返事をしただけだった。

 それがこうも彼女を苦しませていたのだと知ると、僕は自分の愚かさ、デリカシーの無さにうんざりした。

 でも、言ってしまえば体のいい駆け落ちのようなものだ。それが、Aちゃんの両親が怒るのはまだしも、何故うちまで報告しに来て、加えてこんなおかしい雰囲気なのかは分からなかった。

 洗い物が終わり、居間に報告に戻ると、Aちゃんがもう帰るところだった。

 祖父母は既に居間におらず、父と母が俯いているだけ、Aちゃんは既に廊下へ向かう扉に手をかけていた。

 Aちゃんは僕の方を向き、一瞬何事か言いかけるように口を開けたが、しばし言い淀み、悲しそうな顔をして、じゃあね、と一言だけ言うと出ていってしまった。

 やはり僕程度の存在だけでは彼女を引き止めることが出来ない、と現実に打ちのめされ、僕は返事も返せずにただ見送ることしか出来なかった。


 親族間の繋がりは固い。たとえ実の家族では無くても、まるで自分の子供や孫のように親身になってくれる。うちではそうだった。

 だから祖父母も両親もあんなに変な雰囲気だったのだろう。僕はそう納得しようとした。

 Aちゃんが玄関の外に出て、最後にこっちを振り向いたその顔は、なんとも言えない表情だった。悲しい顔なのか、優しい顔なのか、僕には判別出来なかった。

 色んな思いが頭の中で交錯し居た堪れなくなり、Aちゃんから目を逸らしてもう部屋に戻ろうとした。

 その瞬間、父が凄い勢いで玄関までやってきて、Aちゃんを突き飛ばすように外へ追いやり、けたたましい音を立てて玄関を乱暴に閉めた。

 父は比較的温厚な性格だったので、僕は呆気にとられ、呆然と見ているしかなかった。父は鍵をしっかりと掛け、僕の方を一瞥すると、居間の方に戻っていった。

 母に何事か指示すると、がさごそと作業をする音が聞こえてきた。

 何かと思って居間の方へ戻ると、父がAちゃんに出していた茶菓子を乗せたお盆、湯呑、座っていた座布団なんかを纏めてごみ袋に詰めていた。

 母は、Aちゃんが歩いた場所、触った場所を雑巾でこれでもかと強くこすっていた。

 客人訪問の後片付けにしてはただ事ではない。それに当人が出ていった瞬間にこうも執拗にするものだろうか。まるで汚いものが来たみたいに。倫理的に駄目じゃないかと思った。

 困惑はしたが、それでも一応手伝おうとした時、父から凄い剣幕で、触るな、と怒鳴られた。

 父のあまりにも想像を上回る変貌ぶりに愕然し、作業が終わるまで僕は何も出来ず、ただ突っ立っていることしか出来なかった。

 一通り作業が終わった時、僕は何事かと父に問うが、まともな返事は返って来ない。

 こうするしかない、とか、やらなきゃダメなんだ、としか教えてくれず、肝心の理由については何も口にすることはなかった。

 耐え切れなくなった僕はその足で祖父母の元へ行き、何事かと再び問いただした。

 祖母は険しい表情のまま祖父の顔を見やり、目線を落とす。明らかに言いたくはないようだった。

 だが祖父は依然険しい表情のまま、大仰に息を吐いた後、父よりは詳しく事情を話してくれた。


 どうもAちゃんは、「してはいけない時期に、行ってはいけない場所まで行き、してはならない嫁入り」をしようとしているらしかった。

 聞きたかった明確な答えではなく、逆に疑問が更に湧いてきたのだが、どう聞いてもそれ以上は教えてくれず、ただ、そういう決まりなんだ、としか言われなかった。

 加えて、僕ら家族がその嫁入りに関わったり、今後Aちゃんと繋がりを持つことはもう許されず、うちの親族から断絶、家に残した物まで処理しなくてはいけないらしい。

 繋がりも遺した物も、そのままにしておけば今度はうちが障りに遭う。そう言って、祖父はもう何も答えてくれなかった。

 僕は必死に、じゃあせめて手紙を出せるよう、どこに住むことになるのかを教えて欲しいと懇願したが、祖父は頑として教えてくれなかった。

「どんな形であれ繋がりは持てん。もうあの子のことは忘れてやれ、どうせもう二度と会えなくなる。あの子は知っていて選んだんじゃ」

 最後にそう言って、祖父は背中を向けてしまった。


 その後結局Aちゃんの事を話題にするのは自然とタブーになっていき、時が経ち、僕がおとなになる頃まで彼女の存在は完全に忘れ去られた。

 だが僕は決して忘れたわけではなく、親族の集まりがある時にそれとなく年の近い人達に聞いてみたりしたが、全員一様に「その事は聞くな、何も教えてやれん」としか言われず、その後のAちゃんの消息は掴めなかった。


 数年が経ち、僕も実家を出て生活をし始めてしばらく経ったお盆の帰省で、Aちゃんが死んだと知らされた。

 あの時と同じく、誰も詳しいことは教えてくれなかったが、あまりの衝撃で僕は新聞やネットなどを駆使し、Aちゃんの行方を必死に追った。

 Aちゃんは殺されていた。Aちゃんの住む民家に侵入した強盗に包丁で滅多刺しにされたらしい。

 夫も生まれていた子供も纏めて殺されており、一家惨殺の痛ましい事件として当時は県内でもニュースになっていた。

 込み入った状況などは分からなかったが、Aちゃんは他の二人より明らかに刺し傷が多く、単なる強盗というより怨恨殺人だと言われていた。

 だが犯人とAちゃん、夫にも関連性はなく、犯人も他県からやってきたようで、何故Aちゃんの家を狙ったのかは分からない。

 その犯人はその後捕まったが、動機に関して「指示されたからやらなくてはいけなかった」としか発言せず、さらに誰から指示をされたかについて「大勢の浮いてる人たち」としか答えず精神鑑定に回されたらしい。


 明らかに祖父の言っていた「してはいけない」迷信のようなものに因果関係があると思った。

 初めは半分駆け落ちのような状態で田舎から逃げたAちゃんを糾弾するような迷信だと思っていたのだが、「二度と会えなくなる」と言った祖父の予言が当たり、何かあるとしか思えなかった。

 実際にAちゃんが亡くなり、僕は一気に怖くなった。それでも祖父母も両親も、親族の皆が誰もかれも何も教えてくれなかった。

 後にこれだけは教えてもらったのだが、Aちゃんの結婚予定日と死亡した日は奇しくも一緒だった。日付は覚えていないが、夏の彼岸前だった。


 迷信は決してぞんざいに扱っていいものではない。

 きっと何か理由があり、してはいけない、行ってはいけないと言われているのだろう。

 それが超常的なものだろうがなんだろうが、僕はその日から迷信を信じるようになった。

 してはいけない嫁入りの内容は知る由もないのだが、両親にも、もしかしたら祖父母にも誰にも、この迷信の真実は知られていないのではないだろうか。

 それでも、きっとこれからも、後に生まれてくる子孫たちへは、僕に教えたのと同じように伝えていくだけなのだろう。

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