#19-2


「及川匠さん、その節は、お世話になりましたっす」

「いえいえ、お役に立てて光栄です。それで、私に聞きたい事とは?」

「まず手始めに、及川さんは、恩とか仇とかを非常に重要視して生きている、違いますか?」

「はっはっは、まるでインタビューですね。芸能人にでもなったみたいだ」

「芸能人では無いっすけど、2~3日したら、きっと有名人にはなれますよ。新聞やテレビは大賑わいだと思うっすよ」

「すいません、そう言うのには興味は無いです」

「それは残念。それで、どうなんすか?」

「そうですね、自覚はそれ程無いですけど、確かに言われてみれば、そうかもしれません」

 愉快そうな匠に対し、圭は蛇に睨まれた蛙の様に強張った笑みを浮かべる。

「田村昌司君と門倉桃慈君は、どうやって脅したんすか?」

「昌司は簡単でした。彼は菱川に多大な恩がある。断れる筈が無いし、事実断らなかった。それに比べて桃慈は大変でした。水原桜の恋人でしたからね。それでも、菱川家に援助して貰っているのは事実。今までの恩義を耳を揃えて返せと言えば、最終的には従いました。難しいのは役割でしたよ。どちらを執行者、観察者にするかで悩みました。けれど、執行者よりも、傍観して助けない人間の方がずっと罪が重いと判断し、桃慈を観察者にしました。彼は感情の乗ったいい文章を書きます。でも撮影技術はガタガタでした、そこだけが残念です」

「それじゃあ、水原桜を、いじめの対象に選んだ理由は?」

「簡単です。あの女は莉子お嬢様の心をズタズタに切り刻み、踏み躙った。戯れに優しさを与え、その後与えた優しさや希望を奪い取り、突き飛ばし、お嬢様に地獄を見せた。あまつさえ、お嬢様の好意を知っているにも関わらず、他の男に靡くなどあってはならない事だ。お嬢様にあれ程涙を流させるなんて、あってはならない事だ。そんな愚行を犯した女は、自ら罪を自覚し、この世から去って頂かなければいけないと思いました。この世界に、お前の味方も居場所も無いのだ、それだけの傷をお嬢様に与えたのだと、しっかりと刻み込んで死んでもらわねば意味が無い。まぁ、お嬢様の傷の100万分の1でも、伝わって死んでいればいいのですけれどもね」

 体内に湧き上がる嫌悪感を、圭は必死で抑え込む。

「薔薇の花束を供える理由は?」

「いやぁ、酷い女なりに、最期は見事に僕の想いを達成してくれたので、ほんの弔いです。納骨は未だですが、生憎私にはもう時間が無いのでね。私はこの国の法も警察も、優秀だと思っています。遅かれ早かれ、僕は捕まるでしょう。昨日の内に、雷太先生にも謝罪と辞表を出して来ました。僕を捕まえて困る人はもう誰も居ない。逃げも隠れもしませんよ」

 気温の所為か、それとも言い知れぬ恐怖の為か、メモを取る圭の指先は、痙攣を起こしているのでは無いかと思われる程の震えを起こしていた。

 目の前の男は、本当に人間なのか? 

 色々な人間を取材してきたが、こんな相手は初めてだった。彼の犯した愚行が、まるで聖職者の正義の行いの様にさえ聞こえてしまう。彼は、一人の罪の無い女の子が壊れ、絶望し、死を選ばざるを得なくなったまでの足跡を、嬉々として語ってみせたのだ。なのにその朗々とした語り声には、不思議な温かさと、彼の言葉に従わなければいけないと思わせる、奇妙な説得力があった。

 優れた人身掌握術の為せる術なのか。だとしたら、彼は本来、一介の使用人に収まる器の人間では無いのかもしれない。良くも悪くも……。

「……さ、最後に、聞かせて欲しいっす。莉子さんの事が本当に大事だったのなら、どうして、桜さんのいじめの様子のノートやDVDを渡したんすか?」

「あれですか、捨てられてたのはショックでしたよ」

 及川はそこで、少し拗ねたような顔をした。

「絶対喜んでくれると思ったのになぁ」

 捕まえて来た昆虫を、折角お母さんに見せて喜ばせてやろうと思ったのに、嫌がられてしまってがっかりだ。

 信頼していた人間に寄せる、子供染みた押し付けの善意。歪と呼ぶにはあまりに純粋で、優しさと呼ぶにはあまりに残酷。圭はそんな印象を匠から受けた。

「本気で言ってるんすか?」

「この期に及んで嘘なんて言いませんよ」

「莉子さんが! どんな気持ちになるか、考えた事は無いんすか! 今莉子さんがどんな気持ちでいるか、解らないんすか?」

「失礼ですね。いつも考えていますよ。あの女が苦しみの末死んだ。きっと今頃、晴れやかな気分で居てくれている事でしょう」

「……莉子さんが、そう言ったんすか?」

「いえ、最近は引継ぎと残務処理で忙しかったので、残念ながらお会い出来ていませんでした。でも、次に会った時、きっとお礼を言われると思っています。そこで私は、お嬢様の為でしたら、大した事ではありませんよと返すのです。今から楽しみです」

「……そんな」

「悪いなナラ、10分だ」

 圭を強引にどけるように大樹が後ろから現れ、及川匠の手を後ろに回させる。

「そんな事しなくても、逃げやしませんよ」

「念の為だ。じゃあナラ、すまんな、こいつを署に連れてかなきゃならんから、先に行ってるぞ」

 携帯で応援を呼ぶ大樹の声が、圭の耳にはどこか遠くに聞こえた。

 圭は呆然として、目の前のメモ帳に、自分が何も書き留められて居ない事に気がついた。が、指が震えてとても字など書けそうになかった。それだけ、及川匠の常識と正論は、圭とは次元が違い過ぎていて、ショックだったのだ。

 不意に風が吹き、匠が供えられずに打ち捨てられた薔薇の花束が、ころんと転がった。その薔薇の花束は、八本の赤い薔薇で構成されていた。

 折角だからと圭はその花束を、水原家の墓に供える。そしてふとどこかで聞いた、薔薇の花束は本数によって、花言葉が変わる事を思い出した。

 八本の薔薇の花束、その花言葉は『あなたの思いやり、励ましに感謝します』

 思い出した瞬間、全身が怖気を震った。

「桜さん、この花束を、あいつは、誰の為に、何の為に、こうして、これを捧げに来てたんすかね? 桜さんは、どうして、死ななきゃいけなかったんすかね?」

 匠が花言葉を知っていたかどうかは分からない。だが、彼女の死を心から喜ぶような無情の行為に、圭は自分の胸が締め付けられるような苦しさを感じた。

「これを知った私に、何が出来るんすかね?」

 答えの無い問いは風に吹かれて、冬の空へと霧散して行った。

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