2025年7月1日 09:33
予示される主題?への応援コメント
工藤さまマルグリット・ユルスナールの引用箇所、なるほど見習うべきものになり得るのかもしれませんが、完全な「善」或いは「美」となってしまうと、やや味気ない印象を受けるようにも思います。人も事象も、清濁は表裏一体なのかもしれませんね。三項目が何処から来て、(又はそもそもそこに存在していて)、如何様にして認知されるかというのは、ひじょうに興味深いテーマかと思いました。シンクレティズムというと、日本の宗教行事を思い浮かべます。神社に参拝し、クリスマスを祝い、結婚式を教会で挙げ、仏式の葬儀を執り行うけれども、「特定の宗教を信仰しない」日本人は多いですよね。信仰の厚い外国人から見たら不思議に感じるようです。然し乍ら、こうなるまでに歴史において血が流れた事もありましたね。こちらの退職された浅井教授は「婚姻というシンクレティズムの現代的位相」というテーマで講義をなさったようで。聴いてみたいなと興味を惹かれました。続きを楽しみにしております。
作者からの返信
葵樣油断しておりましたらお返事の遅くなってしまいまして失礼致しました。引用箇所は更にこう続きます。-----この君主たちは人間的諸問題においてそれぞれの役割を演じたのであって、今後、このわたしがなさねばならぬ務めは、彼らの行為のなかから継続すべきものを選び、最上のものを強固にし、最悪のものを改め、かくして将来、わたし以上に資格のあるか、わたし以下かはしらぬが、しかしわたしと同じく責任負うた人びとが、いまわたしがしているようなふうにわたしの行為をとりあげるにいたるその日まで、その務めを果たすことであった。-----善性や徳を謂わば“曇らせる”もの、故に除かれ剥ぎ取られ、改められるべきものは、仰るように然しこれと「表裏」関係にある要素であるようです。「明晰」に付きものの「過酷さ」、「博識」に付きものの「惰弱さ」などのように……〈明晰と愚昧〉〈博識と浅学〉と云った二項の「対立」とは異なるこの「表裏」の関係は相即不離である以上、醇乎として“まじりけ”なき全き善性や徳、或いは美など見果てぬ夢なのかも知れませんけれども、逆に故にこそ志向したくなる、若しくは志向せざるを得なくなるのは、殊に後継者と歴史の審判に身を委ねざるを得ない地位に在るハドリアヌスのような為政者にとって宿痾のようなものでもあるでしょうか。浅井の“講義(に近いもの)”も含まれる本篇をお目に掛けられる日を迎えられるよう細々と進めて参ります。何時もコメント頂戴しまして有り難うございます。追伸:「完全」と云うものに伴う「味気ない印象」、「清濁は表裏一体」……仏の坐す蓮華とて根差すところ泥中にあり(御作ですね!)
2023年2月2日 04:16 編集済
生物が地球に誕生し、進化の過程を経て人類が誕生し、さらに人類も進化の過程を経て複雑に多様化し、現在に至る謎についてふと思い至りましたので、ささやかながらコメントしておきます。続きも楽しみにしています。
中澤樣お返事の遅くなりまして失礼致しました。「ささやか」と仰る中澤さんのコメントが何時も励みになっております。有り難うございます。★を頂戴しまして愈々、私も「観念」すべき時を迎えているのかも知れません。字数はあれど中身を練りきれずに難渋しておりますけれど、続話、今暫しお待ち下さいますようお願い申し上げます。
予示される主題?への応援コメント
工藤さま
マルグリット・ユルスナールの引用箇所、なるほど見習うべきものになり得るのかもしれませんが、完全な「善」或いは「美」となってしまうと、やや味気ない印象を受けるようにも思います。人も事象も、清濁は表裏一体なのかもしれませんね。
三項目が何処から来て、(又はそもそもそこに存在していて)、如何様にして認知されるかというのは、ひじょうに興味深いテーマかと思いました。
シンクレティズムというと、日本の宗教行事を思い浮かべます。神社に参拝し、クリスマスを祝い、結婚式を教会で挙げ、仏式の葬儀を執り行うけれども、「特定の宗教を信仰しない」日本人は多いですよね。信仰の厚い外国人から見たら不思議に感じるようです。然し乍ら、こうなるまでに歴史において血が流れた事もありましたね。
こちらの退職された浅井教授は「婚姻というシンクレティズムの現代的位相」というテーマで講義をなさったようで。聴いてみたいなと興味を惹かれました。
続きを楽しみにしております。
作者からの返信
葵樣
油断しておりましたらお返事の遅くなってしまいまして失礼致しました。
引用箇所は更にこう続きます。
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この君主たちは人間的諸問題においてそれぞれの役割を演じたのであって、今後、このわたしがなさねばならぬ務めは、彼らの行為のなかから継続すべきものを選び、最上のものを強固にし、最悪のものを改め、かくして将来、わたし以上に資格のあるか、わたし以下かはしらぬが、しかしわたしと同じく責任負うた人びとが、いまわたしがしているようなふうにわたしの行為をとりあげるにいたるその日まで、その務めを果たすことであった。
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善性や徳を謂わば“曇らせる”もの、故に除かれ剥ぎ取られ、改められるべきものは、仰るように然しこれと「表裏」関係にある要素であるようです。「明晰」に付きものの「過酷さ」、「博識」に付きものの「惰弱さ」などのように……〈明晰と愚昧〉〈博識と浅学〉と云った二項の「対立」とは異なるこの「表裏」の関係は相即不離である以上、醇乎として“まじりけ”なき全き善性や徳、或いは美など見果てぬ夢なのかも知れませんけれども、逆に故にこそ志向したくなる、若しくは志向せざるを得なくなるのは、殊に後継者と歴史の審判に身を委ねざるを得ない地位に在るハドリアヌスのような為政者にとって宿痾のようなものでもあるでしょうか。
浅井の“講義(に近いもの)”も含まれる本篇をお目に掛けられる日を迎えられるよう細々と進めて参ります。何時もコメント頂戴しまして有り難うございます。
追伸:
「完全」と云うものに伴う「味気ない印象」、「清濁は表裏一体」……仏の坐す蓮華とて根差すところ泥中にあり(御作ですね!)