第94話 ガリガリくん

 小夜子たちが門を潜り抜けると、そこは代々木公園であった。

 ごくごく平穏な夏の代々木公園。夏休みということもあって、子供連れやカップルまで様々な人々が楽し気に過ごしている。

 空間を裂いて現れた小夜子たちに驚いた者もいたが、騒ぎにはならない。ガラル氏の異様な風体から、何かの撮影とでも理解したのだろう。

 現代の日本社会はこういうものだ。奇妙なことに出会っても、納得できる理由を探してくれる。


「ようやく戻って来れたのう。あんな場所はこりごりじゃ」


「あーし、マジで疲れた。サヨちゃん、お風呂入りたい」


 大冒険をした後だというのに、夕方にもなっていない。異界に飛ばされた時から大して時間は経過していないようだ。


「ここが、在りし日のトウキョウですか」


 ガラル氏は興味深いといった様子で、辺りを見回していた。

 廃墟の東京とは大きく違う。どこか暢気で、それでいて剣呑な東京の風景だ。異世界人には新鮮だろう。


「ガラル殿、折角の東京じゃが観光は後回しじゃ。真亜子を捕まえて、風呂に行かねばならん」


「サヨちゃん、お風呂の後じゃダメ?」


 ギャル谷は疲れた顔で言う。全身は埃やら何やらでドロドロ、汗のおかげでベタベタになっている。


「そうしたいんじゃが、契約してしもうたからのう。不義理は主義に反する」


 約束は破るためにある。しかし、似合わない行いだ。だから、小夜子はやらない。


「女の子なんだし、義理とかやめようよ。JKだよ、あーしたち」


「今風の物言いは嫌いじゃ。それに、カッコ悪いじゃろ」


「カッコイイとかカッコ悪いで決めることなの?」


「一番重要なことじゃ」


 ガラル氏は身体をくねらせて忍び笑いを漏らす。ここは間違いなくトウキョウだと、そう思ったからだ。女の会話に口を挟まない主義だが、ここは小夜子に乗る。


「くふ、ふふふ、ギャル谷さん、カッコイイのは大切なことですよ。それ以外は、どうでもいいのです」


「男の人が言うとロクデナシだよ」


 その回答もガラル氏には面白くてたまらない。今度こそ、大きく笑った。


「ははははは、ロクデナシですか。それはいい! はははは」


 変なツボに入ったらしい。

 ギャル谷は諦めた。話を聞かないタイプが二人いる多数決なのだから、お風呂は後回しにするしかない。


「ほれ、そこのコンビニでまずは水分補給じゃ」


「サヨちゃん、アイス買っていこ。ガリガリくん、ソーダかコーラ味」


「うむ、今日は冒険せずにソーダ味じゃ。ガラル殿も好きなものを選ぶとよい」


「ほう、あれは商店ですか」


 そういうことになって、公園を出てから最寄りのコンビニへ向かった。

 歩いているだけで、コスプレの人と思われて注目を集めてしまう。


 コンビニに寄るとなれば有言実行。アイスを買う。

 言わずと知れた【ガリガリくん】は、赤城乳業株式会社から発売されている国民的な棒アイスである。アイスといえばコレ、という知名度を誇る夏の友。

 ソーダ味を基本としてコンポタージュといった変わり種まで幅広い味をカバーしているのだが、全て美味いという並外れた偉業を為している。


 店から出ると、神速で袋を破った小夜子はガリガリくんソーダ味に噛り付く。


「んんんん。脳に突き刺さるソーダ味じゃ!」


 ギャル谷も同じく水色のアイスに噛り付いた。ガリガリしているのに齧りやすい、言わずと知れたガリガリくんの清涼感に充ちた甘味が口内に広がる。


「んあー」


 あまりの美味しさ! ギャル谷はついぞ妙な声を出してしまう。


 ガラル氏はガリガリくんのイメージイラストが面白いのか、しげしげと見つめた後に袋を破く。そして、仮面をズラすと初めての氷菓子を口に入れた。


 ガリ。ガリガリカリガリ。


「な、なんという。天上の美味ですな。これは良いものです。王侯貴族でもこれほどの美味を知る者はおりますまい」


 ガリガリくんは、狂気的な暑さの日本の夏に欠かせぬ風物詩。老若男女に愛される棒アイスである。


 ガリガリくんといえば、もう一つの楽しみを忘れてはいけない。

 凄まじい速度で食べ終えた小夜子は、名残惜しさに残った棒を見て目を見開く。


「おおっ、当たっておる! わらわ、こういうの全然当たらんのに今日に限って当たっておるぞ!」


 ガリガリくん、一本たったの七十円。驚きの当たり付きであった。

 【一本当たり】の文字が棒に記されていれば、もう一本貰える。まさしくプライスレス。


「あー、いいなあ。あーし外れだし」


「お嬢様方、当たりとはどのようなもので?」


 ガラル氏の問いにはギャル谷が答えた。


「この棒のとこに当たりが出たら、もう一本貰えるの。あーしもこういうの苦手なんだよね」


 ガラル氏も食べ終えたアイス棒を見てみるものの、はずれていた。


「もう一本、ガリガリくんがもう一本じゃ!」


 そういうことになり、小夜子は二本目を貰いにコンビニへと走り込む。


 そうこうしている内、ギャラリーが集まり始めた。

 撮影を頼まれたので、メイクが崩れつつあるギャル谷が撮影に回り、小夜子とガラル氏は見物人と共に写真を撮る。

 ガリガリくん効果で上機嫌なガラル氏も、この時ばかりは特別と撮影に応じてくれた。


 小学生の女の子と写真撮影した後、真亜子のことを思い出した一行は急ぎタクシーに乗り込む。


 タクシーの運転手は若い男であった。とんでもない客を乗せたとも思ったが、ここは東京大都会。妙な客など日常茶飯事のこと。すぐに気持ちを切り替える。


 未来のハジメと契約した小夜子であれば、ハジメがどこにいるか分かる。

 タクシーは渋谷センター街へ。たどり着いたのは、昭和時代から営業していると思しき古めかしい喫茶店だ。


 小夜子は運賃を支払うと、タクシーを待たせて喫茶店のドアを開けた。

 チリンチリンと年季の入ったベルが鳴り響く。

 未来のハジメが見せた記憶には無い音だ。


 それは、ハジメが真亜子のために生きようと決意したその時。


「僕は、キミに会うために生まれたのか」


 真亜子がハジメを絡め取ったと確信したその時、本来であれば存在しなかった小夜子が現れる。


「誰がどこで出会うか、そんなもの誰にも決められておらんわ! 原初の人間、創生を行う者、【ハジメ】とはよく名乗ったものよ。今の貴様がやっているのはオワリそのものじゃがの」


 ハジメが動くよりも小夜子が速い。

 世界のバックアップを受けたハジメであっても、神ならぬ身である。無原罪にして異界の超越生命である小夜子を縛るなどできようもない。


「お前は何だ? 人間、なのか」


 ハジメは小夜子を見て戸惑う。人間であり人間でなし。そして、穴だらけで満たされている歪な心がある。


「ハジメよ、未来の貴様から真亜子を救うよう頼まれた。それより真亜子よ、お前のせいでわらわの休日はもう散々じゃ! なんとかしてやるから、ついて参れ」


「え、あの、なんですか? 意味が分からないんですけど」


 猫を被って迷惑そうにする真亜子に、小夜子は冷たい視線を投げかけた。


「淫魔共はお前の味方ではないぞ。真亜子よ、すまぬがここからは力づくじゃ」


 小夜子は息を吸い込むと、真亜子に対してふうっと吐息を吹きつけた。

 真亜子が甘い匂いを感じた時にはもう遅い。瞼は重くなり、強制的に眠らされる。甲賀はマンジ谷に伝わる忍術の秘奥であった。


「バケモノがっ、真亜子に何をする」


 ハジメは小夜子に手をかざすが、人を樹木に変えるはずの奇跡が発揮されない。小夜子はあえて受けてやろうとしていたのだが、奇跡は雲散霧消している。


「くふふ、私の前で神の権能を行使するなど、許されませんよ」


 ハジメの背後に立つガラル氏が囁く。そして、気づいた時にはハジメの喉元にガラル氏の指先があった。籠手の指先は鋭く尖っている。異世界の魔王であれば、ハジメの喉どころか首をもぎ取ることなど容易たやすいだろう。


「お前は神殺しか……、ニンゲンの敵どもめ」


 ハジメは憎々しげに言う。

 造られた【最初の人間】。彼は、人間という種を新生させるための存在だ。邪進化した真亜子がどれほどおぞましくとも、人間から進化したのに間違いない。


「ふん、生まれたての赤子が知ったようなことを。まあよい、わらわに従ってもらうぞ。言うことを聞かねば、真亜子は未来永劫の眠り姫じゃ」


「……いいだろう」


 生まれたてのハジメであっても彼我ひがの戦力差は分かる。詰みの状況である今は、従うしかない。


「外にタクシーを待たせておる。今からわらわの屋敷に招待してやろうぞ。続きは風呂に入った後じゃ」


 小夜子は真亜子を抱き上げ、ガラル氏はハジメの背後に張り付いて、ギャル谷が会計を済ませて喫茶店を出た。

 外で待っていたタクシー運転手は、増えた人数に怪訝な顔をした。しかし、タクシーというものは運賃さえ支払ってもらえばどこまでも行く。長距離となれば断る理由が無い。


 ここで一つの問題が発生する。


 タクシーの乗車人数は運転手を含めて五名。一人分が定員オーバーのため、気を遣ったガラル氏は外を走ることにした。


 ガラル氏の変身を東京でやるのは流石によくない。そういうことで、小夜子が見えないよう目くらましの術をかけることになった。

 勘の良い者なら見えてしまうだろうが、それでもお化けを見たという話にしかならないだろうという判断だ。


 小夜子が行き先を告げると、若い運転手は「かしこまりました」と短く答えて発車する。

 すし詰めの車内で、助手席のギャル谷があくびをした。


「ふわああ、サヨちゃん、ちょっと疲れたねえ」


「ギャル谷よ、家まで送ってもよいぞ」


「いーよ、最後まで付き合う。帰れなんて言わないでしょ?」


「そう言うと思っておった。若松に風呂の準備をさせておくからの、屋敷についたら先に入ってよいぞ」


「うん、ありがと」


 小夜子はスマートフォンで若松に連絡を取りながら、眠らせた真亜子を見やる。

 このまま真亜子に人類の敵でいられては、ハジメを始末したところで意味がない。別の何かが真亜子を使って同じ結果に至るだけだ。

 生じてしまった因果は、根から取り除かねば昇華させられない。


「ハジメよ、悪いようにはせん。このクソ女のために命をかけてもらうし、不愉快な思いをしてもらうがな」


「真亜子に傷をつけたら、タダでは済まさん」


 面倒なことだと小夜子は思う。

 ハジメのそれが恋心であれば、パパ活ビッチの真亜子を見せてやれば百年の恋も冷めただろう。その方が、何倍もマシだった。


「ヒヨコめが、最初に見たもんを親と思い込みよって」


 真亜子が人類の敵となっているのは、遺伝子と壊れた精神性によるものだ。脳を初期化して赤ん坊にしてやることもできるが、後味はよろしくない。それに、小夜子が好む悪の行いでもない。


 小夜子は大きなため息を吐き出した。


精神に入るサイコダイブしかあるまい。兄上に頼らねばならぬとは、最悪じゃ。せっかくの休日じゃったというのに、よりにもよって……あのドグサレを呼ばねばならぬとは!」


 小夜子が宿す因果であれば、兄に当たる御方。

 大いなる境界を支配する水蛭子神ひるこのかみに助力を願わねばならない。

 小夜子は暗澹あんたんたる未来に今から落ち込むのであった。

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