第2話 幸福な騎士(ナイト) -2
部屋に落ちた沈黙が体に突き刺さる。遠くの工事現場の砂利を掬う音だけがやけに大きく聞こえる。無言の人形と対峙して
「あの、なぁ、ごめんな。なんか俺にはどうにも出来ないみたい」
どうにかしてやりたいのは山々だがどうにもならない。やはり関わるべきではなかったと思うが、今更聞かなかったことにも出来ない。仕方なく無理だと告げれば、人形の目に再び水の膜が張った。
「ありがとう、ございます。神様のお力でも無理だと解っただけでも良かったです。青さんもお世話になりました」
予想に反して、人形は涙を流さなかった。そうしてぎこちなく礼をする。その姿に胸が痛んだ。もう少しマシな断り方は無かったのかと、出て行った一姫への怒りが募る。同時に安請け合いした自分に胸が重くなった。
「なあ、気休めだけど、なにか出来ることを考えるか。姫が『奇跡は人が起こす』って言ってたし。あれでも一応神様だから多少は信じてみてもいいかもしれないし」
我ながら説得力が無い。正直一姫が役に立つようには思えなかったが、泣き出しそうな子供を放りだす気にはなれない。
「その子、どんな子? 好きな事とか、楽しい事とかあればさ、なにか変わるかもしれないし。病は気からっていうだろ?」
いっそのこと神頼みでも出来れば気は楽になるのだろうが、たった今その神に否定されたばかりだ。青が指先で人形の涙を拭うと、人形はその場に腰を掛けた。
「まきちゃんは体が弱くて学校を休みがちでした。なので本を読んでいることが多いです。それと『りき』くんっていう弟がいて、その子にはとっても優しいんです」
「へえ、持ち主はまきちゃんって言うのか」
「そうです。あ、それにとっても頭が良いって、家庭教師の人が言っていました。白雪姫やシンデレラが好きで、王子様が迎えに来るといいなって言っていました」
だんだんとテンションの上がってきた人形に小さく吹き出す。それとそれと、と後から後からまきちゃんについて話す人形は、ひとまず涙は引っ込んだようだ。
「本当に、まきちゃんが好きなんだな」
「はい。大好きです」
恥ずかしそうに両手で顔を覆った人形の頭を青が撫でる。くすぐったそうにそれを受けていた人形はしかしすぐに俯いてしまった。
「でも最近は外に出ることも出来なくて。痛くても苦しくても枕に顔を押し付けて耐えるんです」
ぽたりぽたりと再び雫が落ちて、小さな水溜りを作る。握りこんだ手のひらは震えていて、血の通っていないはずのその肌がなぜか一層白く見える。
「親より早く死ぬ子は天国に行けないって隠れて泣くんです。でも僕に出来ることなんてなんにもなくて。悔しくて悲しくて、気がついたら体が動かせるようになっていました」
「そっか。ならまきちゃんはお前と話せるようになったら喜ぶんじゃないか?」
「声を掛けたけど僕の声はまきちゃんには聞こえませんでした。それにまきちゃんはお化けが大嫌いなんですよ!」
天を仰いでわんわんと泣き出した人形に、青はその小さな体を抱き寄せた。子供のような派手な泣き方に少し安心する。歳の離れた弟がいるせいか、人ではないとはいえ子供に甘いらしい自分を自覚する。青の服に顔を擦りつけている茶色い頭を撫でながらこれからどうするか考えることにした。
ガッガッガッと機械音が部屋に響く。型が古く音の大きなプリンターから、白い紙がはらりと落ちた。A4の紙の真ん中にぽつりと短い文章が書いてある。
げんきだして、だいじょうぶ
たったそれだけの文字を人形は誇らしげに見ている。小さな指先で大事そうにインクをなぞった。
「これ、僕が書いたんですよね」
「そう。やってみれば簡単だろ」
あの後泣き疲れて顔を上げた人形に、手紙を書いたらどうかと提案した。声が届かないのなら文字で伝えればいい。字が解らないと言った人形にひとつひとつ教えてパソコンのキーボードを叩かせた。
ひらがなだけの簡素な手紙だが気持ちは伝わるだろう。こんなもので奇跡が起きるとは到底思えないが、今出来るのはまきちゃんを励ますことくらいだ。
「そういえばお前名前ってあるか?」
青は人形に名前を付けるような精神は持ち合わせていないが、人形を大事にする女の子なら名前くらい付けていそうだ。
「はい。ルークと言います」
「そっか、じゃあルーク。その手紙に名前を入れて印刷しなおそう」
人形をキーボードの前に置く。彼は少しの間パソコンの画面を見ていたが、振り向いて青を見上げた。
「僕の名前はいりません。まきちゃんが待っているのは王子様ですから」
「え、いいのか?」
「はい」
王子様がこんな簡素な手紙をよこすだろうか。素朴な疑問が浮かんだが、アンティークドール改め、ルークが満足そうなので青は黙って手紙を畳んだ。
一週間後、ルークは再び青の部屋にやってきた。どうやって二階のベランダに来るのかと思えば、彼はカラスに運んでもらっているらしい。カラスにつかまれて空を飛ぶ人形が、自分の部屋に通っていることを想像してほんの少し複雑な気分になる。目撃されてご近所におかしな噂が立たないことを祈るばかりだ。
きっとよくなるよ、だからひとりでなかないで
相変わらず壊れそうなプリンターの音を聞きながら、青はルークに視線を落とした。ルークはプリンターから吐き出される紙を小さな体を精一杯伸ばして見つめている。その様子からしてまきちゃんは先日の手紙を喜んでくれたようだ。
「ルーク」
まきちゃんの様子を尋ねようと青が名を呼ぶ。振り返ったルークの瞳に、その先を続けられずに口を噤んだ。ルークの緑の目にはただ切ない色が映っている。正確にはガラスの無機質な瞳に青が勝手にそう思っただけだ。でもそれ以上続ける気にはならず、代わりにどうでもいい質問をした。
「お前さ、どうやってまきちゃんの家から出てきてんの? 家の人が病院で留守の時にここに来てるならドアに鍵掛ってるんじゃないのか?」
「まきちゃんの部屋には外に出られるペットドアがあるんです。まきちゃんが病気になってからは使わなくなってしまったんですけど。鍵は勝手に開けてしまいました」
「ふーん、なるほど。あ、そーだ、もし来週も来るならこの時間にしろよ。俺、午後は講義だから居ないぞ」
「はい、ありがとうございます」
礼儀正しくお辞儀をする人形を眺めながら、青は眉を寄せる。ガラス玉の瞳を見た途端に胸に広がった不安を追い払うように軽く頭を振る。帰り支度を済ませたルークをベランダへ見送り、青は学校に行くために立ち上がった。
いたいのいたいのとんでゆけ、これでこんやはへいきだよ
やっぱりえがおがいちばんかわいいよ、わらって、わらって
ようやくわらったね、きみのえがおがぼくのいちばんだよ
「……なんというか、恥ずかしくないか、これ」
パソコンの画面を覗きこんで、一姫は露骨に顔をゆがめた。毎週青の部屋に訪れる人形に興味を引かれたのか時々様子を窺いにやってくる。正直、青もこの文面には赤面したくなるが、だからといって早々にルークの相談を投げ出した一姫に文句を言われたくはない。
言うだけ言って青のベッドで寛いでいる一姫を睨みつけるが、当の神様はどこ吹く風だ。プリンターの下で背伸びをしていたルークは、そうですか?、と不思議そうに言った。
「でもまきちゃん、最近少し元気になったんです」
幸い一姫の言葉に気を悪くした様子は無い。明るいルークに、青は先日の不安は取り越し苦労だったと息をつく。どうやら自分の方が悲観的になっていたらしい。
また来ます、と約束を取り付けてルークは手紙を抱えてベランダに出ていく。どこから来たのか黒い影がひったくるように人形を持って飛び去って行った。一仕事終えた青は肩を鳴らす。そろそろ出かける準備をしなければならない。
「姫ー、着替えるから出てけ」
服の裾に手を掛けて、ベッドの一姫に声を掛ける。素っ裸になるわけでなし、一姫に見られても構わないが、デリカシーが無い、等々向こうから文句が出るだろう。
「姫?」
しかし一姫は窓の外を見たまま動かない。この狭い部屋の中、聞こえない筈はない。もう一度問いかけると一姫は大げさに体を揺らした。
「な、なんだ驚かすな」
「さっきから呼んでる。俺、着替えるんだけど」
「ああ悪かったな」
珍しく素直に謝った一姫に内心首を捻る。いつもなら嫌みの一つでも飛んで来そうなものだ。少し不審に思ったが面倒臭いので追及するのは止めた。
次に窓が叩かれたのは三日後だった。薄曇りだった空がいつの間にか厚い雲に覆われている。窓を開けると、吹き込んできた風が湿り気を帯びていて雨が近い事を教えていた。
「どうしたんだ? 土曜日だからたまたま居たけど、普段なら俺この時間学校だぞ」
言いながら、右手でルークを持ち上げる。すみません、と恐縮した声が聞こえた。
「いや、責めてる訳じゃないけど」
落ち込んでしまったルークに思わず弁解をして、パソコンの電源を入れる。起動と同時にブゥウンと大きな音がした。安物のパソコンは時折嫌な音を立てる。長時間使うと本体が熱くなることには、あえて気付かない振りをしていた。
ルークをキーボードの前に降ろすと、小さな顔で青を見上げた。
「今日は一姫様はいらっしゃらないのですか?」
「リビングにいるから呼べば来るけど。呼ぶ?」
さっきまで一姫は
「おい、アオ」
唐突に掛かった声にびくりとする。椅子からずり落ちそうになった体を押しとどめて振りかえると、いつの間にか一姫が立っていた。大げさに驚いた青を見て残念そうに溜息をつく。何か言い返したかったが、良からぬ事を考えていたのは自分なのでそれ以上絡むのは止めた。一姫が定位置のベッドに座る。
「一姫様。良かった、僕今日でここに来るのは最後なのでご挨拶をしに来たんです」
「最後?」
「はい。まきちゃん少し遠い病院に入院するんです。病院には僕も連れて行くからって」
「入院するってことは、悪くなったのか?」
「詳しくは解りません。でも最近まきちゃんはなんだか楽しそうなので逆だと思います」
「そっか、良い治療法でもあったのかな? 良かったな」
「はい!」
嬉しそうなルークに、青も胸を撫で下ろす。手紙の効果かは不明だが、もしかしたら本当に奇跡が起きたのかもしれない。
「じゃあ最後の手紙はなんて書く?」
青がルークに尋ねると、少し考える素振りをしたルークは顔を上げた。
「元気になったら遊びましょう、がいいです」
「了解」
手近にあった紙にキーボードを見ながらメモをする。ふと思い立って、青は文章の最後に少し書き足した。
GENNKININATTARA ASOBIMASYOU RU=KU
「はい、この順番にキーボード押して」
ルークは慣れたもので小さな掌でぽちぽちとキーを押す。パソコンの画面にひらがなだけの簡素な文が映し出された。最後まで打ち終えて息をついた人形を確認して、印刷をかける。プリンターから出てきた紙にルークが満足そうに頷く。折りたたんで持たせてやると、大事そうに胸に抱いた。
「青さん、一姫様も、本当にありがとうございました。たくさんお世話になりました」
ルークが深々と頭を下げる。胸に抱えた紙が折り曲がった。
「こら、手紙がぐしゃぐしゃになるぞ」
注意すると慌ててルークが顔を上げた。幸いそれほど折り目はついていない。
「おい、ちょっと待て」
挨拶を終えて帰ろうとしたルークに一姫が声を掛ける。一姫が空中で右手を振ると、掌に巾着袋が現れた。赤地に菊と松の柄の小さな袋だ。
「これを持っていくと良い」
一姫が袋を青に手渡した。人間には掌にすっぽりと収まるサイズだが、ルークには大きい。青は巾着をルークの肩に掛けてやった。バッグを持つ様な格好だ。
「良い香りがしますね。これは?」
ルークが首を傾げる。黙ったままの一姫に代わって青が説明をした。
「それ表の神社の匂い袋。和久永神社にはお守りが『厄除け』の一種類しかない代わりに一姫が作った匂い袋を置いてるんだ。なんかリラックスできる、とかでわりと人気」
「手紙、早く届けてやるといい」
珍しく一姫からも優しい言葉が出る。
「まきちゃん、早く元気になるといいな」
青は人形の頭を指先で撫でる。ルークは二人にもう一度丁寧に礼をしてベランダに戻った。黒い鳥が人形をひったくるように連れて行く。その背を青は手を振って見送った。
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