第9話 先輩のことを思い出す

 先輩は、ガチャックをよく使う人であった。

 ガチャックというのは、コの字をした文具でクリップと同じようにペーパーを挟み込む用途で用いる。


 先輩は、ガチャックを信じているようにも思えた。

「ねぇ、一点豪華主義ってあるじゃない?」

「一点豪華主義ですか。」

「キミって、上司から困った時にさ、よくさ『後で考えます』って言ってるけどさ、それは一点豪華主義なんだと思うよ」

「えぇ」

「そう」

「それを言えば全てが解決すると思っているの」

 この頃の私は、社会に出たばかりで、何を言われているのかピンと来てなかった。

 普通の顔した女性だったが、なんだか考えていることは可愛い人だった。

 そんな私は、人の顔のことを評価することなどできないたちのブ男なのである。

 そんな私と先輩は、恋に落ちることなかった。席が近かっただけで、近い距離で、いつも仕事をするのであった。

 


 季節を二つ乗り越えた頃、先輩とサシで飲んだ。

「先輩は、一点豪華主義は好きですか?」

「うん? 一点豪華主義ねぇ」

「前に、そんな話したじゃないですか」

 先輩は、串で皿に円を描きながら、答えた。

「一点豪華主義というよりも、平均点が高いほうがいいと思っているけど、でも」

「ほう」

「具体的に聞くと、君は私の事、好き?」

「う、ううん?」

 思わぬ方向から話がきて、たじろいだ。

「あ、ごめん変なことを聞いたね、別に君と恋愛したいわけじゃないんだけど」「え、えぇ。いや、先輩はとてもステキなレイディですよ」

 先輩が、可愛らしい苦笑いをした。

「要は、私を受け入れられるかどうかなんだよ。とても綺麗な子を求めるのか、普通の人を認めるのか」

「僕は、顔も良くないですし、仕事もできないので、平均点で採点されるとそれはそれで厳しいですね……」

 先輩は、また可愛らしい苦笑いをした。

「平均点に何が項目が加わるかは、採点者にしか分からないけどね」


 先輩に教えてもらったことは、良くわからなかったような良くわかったような気がする。

 先輩が異動して、この職場から居なくなった後、ガチャックを使う人も居なくなった。

 私はそんなに悲しくなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る