4-6

 ショーを観終わって、お土産物屋さんを適当に眺めているうちに、閉園時間になった。菜穂美はすごく楽しそうに、また私の手を引いて、ホテルに向かう。私はもはや何も考えたくなくて、されるがままにしていた。


 ホテルに着いて、混雑する前にと、私たちすぐに大浴場に向かう。そして、一日歩いてパンパンになった足を労った。こんなときにも、意識すればするほど、菜穂美の存在が気になってしまう。


 思えば菜穂美の身体なんて見たことがない。一緒に旅行したりするのが初めてだから、当然なわけだけど。でも今までは不思議と、別に見たいとかそういう気にはならなかったし、特別に意識することなんてなかった。


 だけど、意識しないようにするには、もう色々なことがありすぎた。私はなるべくそちらを見ないように注意しながら、お風呂を済ませた。


 お風呂から部屋に戻る頃には、心も少しは落ち着いてくれた。なんとなく、ホテルのコンビニでお酒を買い込んできて、いつもの酒盛りを始めてみる。ほんとうに、大学生だなと思う。これも多分、振り返ればいい思い出になるのだろうな、と思った。


「ほんと、楽しかったよ。誘ってくれて、ありがとうね」


 一応、しっかりと感謝を言葉にしておいた。こういうこと、今言っておかないと、多分言えなくなると思ったからだ。


「ううん、こちらこそ。一緒に来てくれて、ありがとう」


 菜穂美も笑ってそう言ってくる。他意のない純粋な笑顔にやられそうになる。お風呂上がりの石鹸の香りと開いた部屋着の胸元、それからほろ酔いの上気した素肌。触れたくないと言ったら、嘘になる。そんなことはもうずっと、わかっていた。


 私達はとりとめのない話をしながら、酒を飲んだ。なんの変哲もないただの缶チューハイ。二人とも酔う気なんかさらさらなく、ただ飲酒という行為の雰囲気を楽しみたいだけだった。


 ひととおり酒を飲み終わって、私たちはベッドに座って話をする。こうして平和で楽しい一日が幕を下ろすはずだったのだけど。


「あのさ」


 菜穂美は真面目な顔をして、唐突に言う。


「柚月は結局、卒業後はどうするの?」


 それは、あまり訊かれたくない質問だった。私はみんなと違ってまともに就活していなかった。甘えと言ってしまえば、そうなのかもしれない。


 元来、根なし草のような私は、どこの企業にも馴染める気がしなかったのだ。かといって、亜弓みたいに学問の道に進んだり、菜穂美のように、専門的な職業を今から目指せるわけでもない。


 大学の名前は有名だし、優秀な卒業生も多い。多分世間からしたら恵まれている方なんだろう。だけど私は、将来に対して何の夢も希望も抱いていなかった。


 ここを卒業したら、とりあえずどこか遠くへ逃げ出すつもりでいた。私は誰かに必要とされたり、誰かに愛してもらえたことがない。いつも自分に自信が持てないし、好きなものを好きと言う勇気もなくて。


 生きるということそのものに、そもそもあまり関心がなくて、刹那的な考え方をしてしまいがちなのだ。自分は30手前で死にたいだとか、そんなことばかり思っていた。


 ましてや菜穂美が言うような、好きな誰かと愛し合って暮らすような、そんな一般的な幸せが得られるとはとても思えなかった。

 

 私が言い淀んでいると、菜穂美は静かな声で言った。


「私、柚月のこと、好きだよ」


 真面目な顔で、淡々と。当たり前みたいに言う。


「だからさ、気になるんだよ。……柚月が、ほんとは何をしたいのか」


 気づいたら、手を握られていて。


「まさか、どこか遠くに行っちゃうとかないよね?」


 不安そうな表情で言う。菜穂美の声はなんとなく震えていた。


「別に、いいじゃん、何でも。適当にやるって」


 精一杯の明るい声で言ったけど、菜穂美は許してはくれない。強く握られた手が熱くて、恥ずかしくて、私は菜穂美から目を逸らしていた。


「もう、柚月のこと心配してるのに」

「大丈夫だってば」

「柚月……ねぇ。……私じゃ、だめ? 私が彼女になって、そばにいたら、ちょっとはやる気、出ないかな」


 菜穂美はそんな、わけのわからないことを言う。ちっとも酔ってなんかいないはずなのに。顔が、身体が熱くてたまらない。


 どうしてそんなことを言うんだろう。ヘテロのくせに、処女のくせに。軽々しくそんなこと言わないでほしかった。


 胸の奥が抉られるような痛みに耐えて、やっとのことで言葉を絞り出す。


「……馬鹿。そんなこと軽々しく、言うな。そんなこと言ってると襲うぞ」

「……襲っても、いいよ?」


 その瞬間、時が止まった。私は菜穂美の顔が見られなくなって、どうしていいかわからなくなって、目を伏せた。


「もう寝る」

「……おやすみ」


 なぜか寂しそうな声を出す菜穂美に背を向けて、自分のベッドにはいった。

 目を閉じる。心臓の音がやけにうるさくて。どうしたらいいか、わからなかった。

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