4章 暴走集団

第19話 腕相撲で勝負しようや

 暗く冷たいコンクリートの上で、俊一は雛子と身を寄せ合いうずくまっていた。俊一にもたれかかる形で雛子が静かに寝息を立てている。

 一面コンクリートで囲われている殺風景なその部屋には、入り口は一つしかなく、廊下の窓から部屋の入り口へかけて朝の光が細く薄く差し込んでくる他に、灯りと呼べるものはなにもなかった。

 一夜明け、体力が少しだけ回復した俊一はその部屋を見回して、自己の軽薄さを呪った。昨晩、二人が安心して寝泊まりできそうな場所を探してみたが、結局のところ一つも見つけることは出来なかった。諦めて路上よりは幾らかましな、住宅地の一角にある人気のない廃工場の一室へと、逃げ込んでいた。

 廃工場の中にはあちらこちらに端材が積まれていた。大きな鉄状のかごが脇に捨てられており、冷たく静まり返っている。その奥に危なっかしい階段が取り付けられていて、その上の階に十畳ほどの部屋があった。二人はその部屋にまるで幽霊のようにさまよい込んだのだ。雛子は暗い場所を恐がりはしなかった。それ以上に眠たくて仕方がなかったのかも知れないが、文句一つ口にせず俊一に手を引かれて、着いてきてくれた。部屋には小さな机と、シングルベッドの板の部分だけが取り残されている。寝ころがっても痛いだけだろうから、ベッドに背を預ける形で二人は眠ることにした。

 雛子はまだ眠っている。俊一は頭の中でいろいろと考えようとするも、また眠気に襲われて、再び瞼を閉じた。浅い眠りと目覚めを幾度となく繰り返しているような気がする。その記憶さえもまた薄れていき、身体が浮遊するような感覚を味わった。

 安らかな朝だと思えた。どこへ行くとも決まっていない落ち着いた朝だった。

 五分か十分、あるいは三十分くらいは経ったかと思えたそのとき、だんだんと外が騒々しくなってくるのに俊一は気づいた。バイクの音がぶんぶん鳴り響いてくる。数台規模ではなく数十台がいっせいにぶんぶんと迷惑な音を朝の郊外に轟かせている。しかも近づいてきていた。

 不快感を覚えて俊一はさすがに顔をしかめた。隣の雛子も身体の位置をずらし小さく鳴く。俊一はその一団がさっさと正面の道路を通り過ぎてくれることを願った。しかし一団は俊一たちのいる建物のすぐ近くで速度を落とした後、あろうことか俊一たちのいる工場の敷地内へと侵入してきたのだ。

 バイクの音が一段とうるさくなったのを聞いて、俊一は思わず前のめりの姿勢になる。雛子の身体が支えを失い、床に倒れそうになった。あわてて雛子を支え、揺り動かして声をかけた。

「雛子ちゃん起きて」

 俊一は立ち上がり雛子の腕をとる。雛子は床に片手をついて、すぐに立ち上がれそうもない。階下から響いてくるうるさい音に気付いて、ようやく目を覚ましたようだった。

「どうしたの?」

 雛子が聞いた。

「誰かきたんだ」

「うん」

「隙をみて逃げなくちゃ」

 二人が神経を尖らせて下の様子を探っていると、階下から粗暴な男たちの下品な声が聞こえてきた。二人、三人と会話する人数が増えていく。バイクの音がなくなり、男たちのげらげら笑う声だけが耳に届くようになった。

 間もなく複数人が二階へと続く階段を上ってくるのが分かった。

 俊一は周囲を見回す。しかし窓もなければ出入り口も一つしかないその暗く陰気な部屋は、身を隠せる場所などどこにもなかった。

 人影が現れ、部屋に踏み込んでくる。後ろの方から、もう一人が話し声を上げながら入ってきた。真っ先に入ってきた男がランタン型の懐中電灯を灯す。部屋中に淡い橙色の灯りが広がり、男が俊一たちの姿を見つけて、大声を上げた。

「うっわ! うわっ、びっくりした」

 大仰な動きで飛び退く。

「幽霊かと思った。びっくりした」

 男の声に一同、静まり返る。部屋の入り口からさらに二人が顔を覗かせる。全部で六人くらいの男たちが、俊一と雛子に一斉に視線を浴びせた。

 灯りでお互いの姿がよく見える。大声を出したのは細身の明るい金髪の男だった。目つきが悪く、頬ににきびをたくさん作っている。二番目に入ってきたのがタンクトップ姿の入れ墨男で、その次がロン毛の鼻輪男、ハンカチを半分に折って口元に巻いているとげとげ頭のヤンキー、入り口から顔を覗かせたのがモヒカンみたいな頭のやつと、やや場違い感のあるユニクロっぽいTシャツを着ている坊主頭の童顔の男であった。最後の一人を除いて服装はみな、だぶついた黒のズボンにブーツ、上はタンクトップの男を除いてみな、派手な柄の入った黒のスカジャンで統一されていた。どれもこれも下品な声から想像していた通りの、不良連中であった。

「おいなんやこいつ」

 ハンカチを巻いている男が俊一を指さして言った。

「ヒュー。お取り込み中でしたか」

 ユニクロの坊主頭が茶化しを入れた。

「んなわけないやろ」

「前はここカップルおったからな」

「そこのガキちいせぇし、普通じゃないぞこいつら」

 各々が思ったことを口にしていく。

 はじめに驚いた細身のにきび男が、一歩前に踏み出してきた。

「どこの誰か知らんけど、ここ俺らのシマなんよ。勝手に入ってもらっちゃ困るんよ。びびるからね、ふつうに」

 俊一の目を見て話しかけてくる。俊一は無言のままでいた。適当な言葉が思いつかなかったからではなく、ただなにも返せないくらいに呆然としていた。最悪な場所に居合わせてしまったという後悔の念と、雛子を連れて早くこの場から立ち去りたいという思いに駆られた。大柄な体格をした不良どもに、足がすくむ。

「おいカズキ。ちょっと待てーや」

 ロン毛の鼻輪の男が先頭に立つにきび男を呼び止めた。

「こいつら俺知ってるよ」

「知り合いかよおい」

「いや知らんよ。だってあれ俺、今朝ニュースでみたわ」

 そう言って鼻輪をしている色黒の男がポケットから携帯を取り出した。そして皆に聞こえるように言った。

「これ。ほら六歳の女の子とアルバイトの男、行方不明。警察は誘拐と見て捜査を進めている」

「この写真の男こいつやん。こいつか? 似てるか?」

 ハンカチを巻いた男が携帯の画面と俊一を見比べて言った。

「お前の名前は瀬上俊一て言うのか」

 俊一は答えなかった。

 返事がないのを確かめると、手前に立っていたにきび男が、携帯の周りに群がっている他の仲間たちへ向けて尋ねた。

「ガキの名前は?」

「小林雛子ちゃんだと」

 仲間が答える。

 にきび男が振り返り、雛子に声をかけた。

「お前の名前は小林なんたらで合ってるか?」

 雛子は目つきの悪いその男が怖くなったようで、俊一の後ろに回り込んでやはりなにも答えなかった。

「女児の服装の特徴とそっくりそのまま合うよ」

 背後の仲間の一人が付け加えた。

「確定ですな」

「どうする? これ俺ら感謝状もらえるのちゃうの」

「は?」

「いやだって警察連れて行ったら」

「はははっ、感謝状?」

 男たちが一斉に笑いだした。

「感謝状て、うははっ。もらえるんか感謝状」

「どんな格好していくん? やっぱスーツ着なん?」

「武器持って行こーぜ」

「ふはははっ! すいません、悪いやつ連れてきました! よし、お前らもついでに逮捕だ」

「ぶははっ、うける! ははっ」

 なにがおかしいのか、全員アホみたいに笑いだした。俊一たちは笑いが収まるまでじっと待たされた。雛子が無言で俊一の右手をとった。その不安げな表情を見て、俊一は拳に力を込めた。

「いやでも、割とまじでどうする? こいつら」

 にきび男が、みなの笑いを打ち消すように言った。

 別の一人が応じる。

「警察に突き出すんは、反対ないよな」

「なんでや」

 とハンカチ男が口を挟む。

「なんでやって、どういうこと?」

「警察の手伝いすること、あります?」

「それはね、ほらここで恩を売っとくとか」

「俺らが売った恩なんて誰も買わんで」

 ハンカチを巻いている男が続ける。

「サツに恩売って返してくれるんはヤーさんだけよ。僕らそんなサツと仲良くないやん」

「恩を売る以前の問題だろ」

 今度は入れ墨をしているタンクトップの男が言った。

「その男はどうでもいいけどさ、そこの女の子は可哀想でしょ。家に帰したげな。俺らヤカラには喧嘩売るけど弱いものいじめはしない主義だしよ」

「でたー、ロリコンの松本。おまえはええやつや」

「おい貴様、あとで覚えとれ」

「あ? やんのか、おい。こいよ。かかってこいよ!」

 そう言ってモヒカン頭の男が腕をぶんぶん横に振り始めた。

「腕相撲で勝負しようや」


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