第6話 デッドエリア
ドラゴン印刷には、会社案内にも存在しない「秘境」がある。
それがシール印刷部だ。
敷地の辺境にあり、そこだけ時間が止まったような空気。誰も寄りつかず、存在すら忘れられている。
なぜ、この様な部署が存在するのか、それは三ヶ月目にして分かったような気がした。
信じられないことだが、シルク印刷の優位性を証明するための当て馬としての役割である。
シルク印刷のライバルは同じシルク印刷やインクジェットなのだが、一部をシール印刷が奪っている。
シルクの優位性である印刷強度を示すため、会社的にも営業的にもシールという悪役を立て利用しているのだ。
つまり、シールならこうですが、シルクならこんなに凄いんです。と、お客様に同じものを見せ宣伝するのだ。
そんな部署に僕はたたずんでいた。
とても同じ会社とは思えない空気感が心地よかった。
辺境とはよく言ったものである。
名付け親はここの主任だが、彼はここを祖国と呼び、自らを総理と名乗る変な人であった。
こんな部署だから訪れる者は無く、来たとしても総理が目立ちすぎて僕が居ても気にされないのだ。
こんな癒し空間が社内にあるとは今の今まで気がつかなかった。
最近は総理との雑談が日課になりつつある。
「僕が社長なら、ここ潰しますね」
「俺が社長でも潰すな」
「一致しましたね」
「めでたく廃業だ」
こんな自虐ネタにもかかわらず、二人の意見は合った。
「ここもな、昔は複数人いて、売り上げにも貢献していたんだよ。それが二代目になったとたんシルクに集中し、ご覧のありさまさ。おかげで、シルクが落ち込むと歯止めなく売り上げが落ちるだろう。まあ俺のしったことではないがな」
「なんでシルクに集中を?」
「前主任と社長の仲がわるくてな、理由をつけて追い出した後は規模縮小さ。それっぽい理由もあるが取って付けたものがほとんどだな」
営業も社長がらみで離反したと聞いたが、どの部署も私情経営なのだと知らされる。
シールだけではない、シルクも数人斬られているし、仕上工程に関しては全社員を入れ替えたのだそうだ。
結果、現在のドラゴン印刷は、先代に雇われた古参と、二代目に雇われた新人グループとで二極化しているのである。
冷遇される古参と特別扱いを受ける新人、これが続けば間違いなく溝となり関係は壊れていくだろう。
この話を振ると総理は腹を抱えて笑い出した。
「まるで社長の親衛隊だなぁ」
「ならば、仕上の主任が親衛隊長ですね!」
「さすが田中君、親衛隊の末端を支える男はわかっていらっしゃる。まあせいぜい社長を持ち上げて隊長になってよ」
「いえ! 僕はレジェンドになります」
「ちょ、田中君とばしすぎ!」
朝から機械の止まった部署で二人の歓談はつづいた。
総理は深々と椅子に座り脚を机に乗せ「昔はよかった」と懐かしむ。勤め上げること三十年、総理も古参の一人なのだ。
古参であるがゆえに冷遇はひどく、社長の肝入りであるポイント制を強制され、その後、業績不振を理由に所得は半減したそうである。
僕はふと今月稼いだポイントを思い出した。
簡単に計算しても二千円分のポイントしかない。
想像を絶するスローペースに口元が緩む。
「営業の方はどう? もう回ってるんでしょ?」
暗い話題を変えるように総理は僕に聞いてきた。
「いやぁ、すごいですね。行く先々謝罪から始まるんですよ」
「ほほぅ~」
僕は笑って答えたが事態は最悪だった。ドラゴン印刷からは誰一人、営業をかけていないのである。
おかげで訪問と同時にお叱りを受ける有様であった。
なぜ放置しているのかを営業会議で尋ねると「遠いから」「逆方向だから」「金払いが悪いから」と行かない言い訳を連ねてきたのだ。
つまり『デッドエリア』なのである。
これはどの会社にも感染する病だ。長く勤めた社員ほど重症化しやすく、末期になると車で5分の距離も“僻地”になる。同じ人間であるがゆえに、各社関係なく、営業がめんどくさいと感じる地区が、どんどんかさなっていくのである。
僕はそのような地区をデッドエリアと呼んでいる。
さらに致命的なのは、社長と部長、舌霧も含めデッドエリアがやたら広いのである。
総理はため息を吐きながら天を仰ぐ。
「めんどくさいて思いは口に出さなくても伝わるからねぇ……お客様に」
「そうそう、そうなると次はないんですよ」
「だよね」
そう言うと総理は思いついたように僕を覗き込んだ。
「でも田中君はそういうところばかり営業してるんでしょ? お客さんになんて言って顔だしてるわけ?」
「ああそれはですね、僕は新人ですし、腰掛で失うものもないんで、まあ、結構めちゃくちゃやってますよ」
「めちゃくちゃ?」
「実験的にね」
そう言うと、すぐに妙な笑いがこみ上げてきた。
「先日、隣町の養蜂場に行ったとき、黄色いタオルを首に巻きつけ、小躍りしながら事務所に乱入したんですよ」
「乱入!?」
僕は飛び出した腹を叩き、体を揺さぶりながら「デブですからね」と前置き入れ、飛び抜けるような裏声で当時を再現した。
「こんにちわ~、くまのプーさんが、はちみつの匂いに誘われてやってきました~~~~テヘペロ」
それを聞いた総理は咳き込み、思わず椅子から滑り落ちそうになっていた。
「ちょ、それ初見でやったの?」
「えぇ、馬鹿ウケでした」
「そりゃ、なんというか」
「特に女性にウケまして、何人かは目を白黒させてましたがすぐに溶け込んでましたね」
「たしかに、そんな掴みでこられたら怒るスキがないわな」
「でしょ」
僕は子供ぽくブイサインを突き出し、してやったりという笑いで答える。
「その後はどうなったの?」
「5年も取引なかったですからね、当時の取引リストがあったら持ってきてほしいと言われました。出せるものがあれば僕の方に仕事を回してもいいそうです」
「すごいじゃん」
「持ってきてほしいというのが味噌なんですよ、脈なしの時は郵送してくれですからね」
「うちの社長なら自分から郵送しますよって言いそうだな」
「楽して稼ぐがスローガンですからね」
「手抜いての間違いだろ」
「あはは」
次の日の朝礼。社長が「お客様からドラゴン印刷が選ばれなくてはいけません」と口にする――
正直、意味がわからなかった。
“選ばれる”とは何だ?
なぜ選ばれるのを“待つ”必要がある?
お客様は人だ。零細相手なら情も通じる。
だが、社長も営業も『心をつかむ』気はない。
ゴルフも釣りも、お中元すら放置だ。
おそらく対人関係が苦手で、顧客を「企業」という器で括り、
中身を見ようとしない――そういうことだろう。
僕は鼻で笑った。
「お客様は人であり、企業は器でしかないんだが……」
意味が分かったのか、総理はヘラヘラ笑い、こう言った。
「ドラゴン印刷ってまるで自販機だね……」
いやはや、笑えない冗談である。
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