第2話 天国と地獄
「御社ドラゴン印刷を選んだ理由はとくにない」
こんな本音を面接で言うわけにはいかないだろう。
次の目処もなく時間的余裕もなかったので、雑誌に掲載された求人欄から、地元で一番近いという理由だけでここに連絡を入れたのだ。もちろん腰掛であり、その間に本命を見つける予定である。
面接日には中小企業らしく、小太りな社長ともう一人が対応をしてくれた。部長かと思ったが本人は経理担当だという。大手ではないし、面接といってもこんなものなのだろうと僕は深くは考えなかった。
挨拶も程々に社長室に案内をされ、進められるがまま足を踏み入れる。
僕は目を疑った。
そこはゴミの山だったからだ。
カオスという言葉があるのならまさにコレがそうなのだろう。
床には薄汚れた液晶モニターが墓標のように並び、棚にはジャンクパーツが積まれ、さらに壁を背にしてPC本体が横倒しのまま積み重なっている。地震が来たら即死しそうな積み方だ。
正面の壁に目を向ければ、これだ。
『ほがらかに! にこやかに! 喜んで! 進んで! 働きます!』
何かの引用だろうか、社内スローガンらしきものが社長室正面に大きく掲げられているのが見えた。
まるで奴隷の合言葉である。
足首に絡まる用途不明のコードを払い、社長と経理担当はつまずきながら奥の応接セットの前へ進んだ。僕もカニ歩きで後に続く。
ソファーの上に置いてあった洗濯物を隅に移動させ、僕たちは応接セットを囲った。
テーブルの上には未開封のスナック菓子が並んでいる。
社長はそれらを蹴飛ばすように投げ入れ、にっこりと笑いながら何故か僕にお礼を言った。
「今日は面接に来てくれてありがとう」
「え?」
「あいにく今はエアコンが壊れてて、とりあえず送風にしとくね」
「はあ」
「あれ? リモコンの電池が切れてる」
「はあ……」
「ちょっとまってて」
そう言うと、ポケットからおもむろに缶ジュースを取り出し僕に手渡した。
「これ買いすぎちゃって一本あげるね」
「……」
面接でジュースをもらったのは人生初だ。驚く俺をよそに、社長はPCの山を指差し、自慢げに語り出す。
「古いパソコンって結構需要あるんだよね」
「そ、そうなんですか……」
「うちみたいな零細だと予算的にね、なかなかシステムの更新が出来ないのよ、印刷現場で使われているプリンタなんか、いまだにWindows MEで動かしているぐらいなんだよね」
「はあ……」
「おかげで僕の部屋、リサイクルセンターみたいになっちゃった」
そう言う社長から強烈な匂いが漂ってくる。多分、汗の臭いなのだろう……。
隣の経理担当からは強烈な加齢臭がした。
それらは混ざりあい、呼吸困難になるほどの臭いが部屋を満たした。
しかし、臭いはいずれ慣れる。そう自分に言い聞かせ笑顔で取り繕うが、二人には苦笑いに見えたかもしれない。
社長は戸惑う僕など気にとめず、ニヤリと笑い、得意そうにドラゴン印刷肝いりのシステムについて説明を始めた。
正直、匂いのおかげで序盤の話は頭にない。
「うちの会社はポイント制になっていてポイントを換金して給料としているんだよ」
「ポイント換金?!」
「最近流行ってるじゃない、成果主義っていうの? それをポイントという形で導入したんですよ~ぉ」
「成果主義、ですか……」
僕は首をひねる。
聞けば聞くほど怪しい。
社長によると各作業要素にポイントが設定され、それをこなすことでポイントが加算される。このポイントの総計で給料の額が決まるというのだが……。
肝心の集計システムはなく、全てが自己申告だという。
うーん、どう考えてもガバガバに感じるのは気のせいだろうか。
僕は社長に確認する。
「社員全員にポイントを?」
「もちろんです」
「社内で仕事の割り振りとかは?」
「これといって別に、出来る仕事から始めてください」
「それでは仕事の取り合いになりませんか?」
「取り合えばいいと思います」
「……」
冗談だと思って経理担当(加齢臭)を見ると、うっすら笑いながらうなずいている。
どうやら本気らしい。
ポイント換金なんて二度手間だ。直接金を配った方が早い。俺は前職の日々を思い出しながら、今度こそ苦笑いをこぼした。
さらに驚いたのが経営方針。ルールなし、社内規定なし、雇用契約すらなし。「お互い好きにしていい」という。要するに結果さえ出せば文句はないとのこと……。
マジか……。このやり方は労基法に抵触し完全にアウトなのだが、社長にそれらを気にするそぶりは、まったく見られない……。地方の個人会社はみんなこんなものなのか? いやいや、そんなわけない、こりゃクソだろう。
一考後――
まあなんだ……腰掛けと割り切っているわけだし、いまはあえて深く考えないことにするかな。
――僕は、流されるままに、どうでもいいと思っていた。
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