可読性と解釈性と相互理解可能性
もう一年の三分の一が過ぎたってさ(自分と相手に同量ダメージ:阻害不可)。KACなんていうお遊びで一ヶ月を消費させられたので大慌てで新作に取り組み始めたわけですが、書き出して四ページで詰まったわ。ワハハ。なんでだ。
地の文の可読性と解釈性と相互理解可能性に悶絶したからです。
いきなり性が三つもでてきた。えっちじゃん。
まず可読性。これは分かる。読みやすさ。かんたんでやさしいぶんしょうはよみやすい……かといって平仮名だらけは読みにくいが。面倒くさい。まあいずれにしても難しい漢字は避けた方がよく、かんたんな言い回しがいい。たぶん。いまどき重厚な文体なんぞウケないのだ。
次に解釈性。分かりにくい。元はAIの学習プロセスの話で、AIが下した判断はどういうプロセスでなされたのか、人間が理解できる度である。度て。でも高い低いだから度数で表せなきゃおかしいのである。
最後に相互理解可能性。ざっくり言うと別の言語を話してるはずなのになんとなく意味がわかっちゃう度である。ほんまおどりゃあめんこいざます。河内広島東北山の手弁だが、なんとなく分かるはず。めんこいがハードル高いか? わからん。
地の文は、これら三つが整ってないと目が滑る。滑られるような気がする。
奇妙な受動態を用いたのは、私は比較的だいじょうぶだから。雑読家なので。
ただ最近わかったのだが、私は商業ベースの雑読家らしい。カクヨムで読みに回ると大抵は目が滑りに滑って内容が頭に入ってこなかったりする。まったく合わない文章もあるのはいい勉強であった。
で。
自分の小説の文章を書くとき、特に描写をするとき、最近とても悩んでおる。今回は十三世紀くらいのヨーロッパをイメージして書いているのだが、主人公が現地の人なので、もちろん『十三世紀ヨーロッパの街並みだ』なんて省略はできない。――いや実際のところやってもいいのだが、『裁くのは俺じゃない』現象が見えておる。
なら街並みを描写しようとなるわけだが、ここで迷う。
たとえば、
手にぶら下げたオイルランタンの光が、苔むしひび割れた石畳を照らす。
とか書く。どこまで見通せるのか分からん。だから書き足す。
細い芯に灯る火は弱々しく、歪んだ風防硝子を通すと十歩先にも届かなくなる。
ここで私の脳が爆発する。先の文章を私の想像どおりに理解してもらうためにはオイルランタンの構造と中世のガラス事情が分からなければならない。無理とは言わんがだいぶ苦しい。だから書き足す。
この時代を生きる人々にとって、十メートル先の暗闇は恐怖そのものだった。
誰だ、お前。メートルて。こうなる。分からん。少なくとも書いている時の私はなる。しかも全部の文章をつなげると三行を超えかねない。どうでもいい描写なのに。解釈性と相互理解可能性を高めようとした結果、可読性が下がった。分からん。分かりにくい。それでも続けると同じことが、
描写を出す順番に影響する。
前にもどっかで書いたが、描写は大きいものから小さいもの、またはその逆がわかりよい。同様に、抽象から具象、具象から抽象がよい、叙情からじょじゅちゅ。
デカい。たわわに実る可読性が二つ。手のひらには収まりきらないだろう。推定で九十。いや、もっと。それは、人目を惹きつけるに十分だった。
抽象から具象、抽象への回帰である。分かりやすそうでいて読みにくい。いつまで同じ話をしてるんだお前はとなる。
なんか、ちょうどいいバランスが、分からん……。
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