「飲み会その2」




「大学生ちゃうねんから、ええ加減そういうの卒業しいや」




 独特な掠れた渋い声が聞こえる。


 明らかに、今話をしてるグループの中には存在しない声。



 誰だろう……?


 

 振り返ってみると、夏川先生の真後ろに仁王立ちしながら両腕を組む年配の男性が。



 身長は俺と同じぐらいの170センチ程度で、特別ガタイが大きいというわけではない。


 ただ、凄く目力があって……迫力を感じるというか。



 確かこの人は……。




「あっ、竹さん」



 同じく、夏川先生が後ろへ振り返り目の前の人物の名を口にする。



 竹先生。




「遅なってすまんの、今着いたわ。2年と3年の会場に顔出してたらもうこんな時間や」



「あー……そう言えば2年と3年担当の教員は別会場でしたっけ。お疲れ様です」



「おう……。んで、今のはなんや?」




 夏川先生が軽く労ってその直後、竹先生が夏川先生を強く睨み付けた。


 相手を避難するような鋭い眼光。




「え……えぇ、今のって」

 


「とぼけんな。無理やり酒飲まそうとしてたやろがっっ!」




 竹先生の声の温度が一つ上がる。


 叱り付けるような、糾弾する声。




「……っ」 




 いきなりの大きな声に夏川先生が一瞬強張り、連動するかのように愛沢先生と松岡先生の緊張が伝わってくる。


 空気をぶち壊すというのはまさに今の状況を指すのだろう、竹先生を除いたグループ全員の顔がひきつってしまっている。



 たった一言、たった一瞬で。




「ちゃうんけ?」



「……はい。のま……せようと、しちゃいました」



「飲酒の強要は御法度、ちゃんと説明したよな? なんやこれは」



「………」



「夏川、お前わかってんな?」



「……すいません」



「謝る相手はオレちゃうやろがっ!!」




 凍り付いた空気に竹先生の怒号が響く。



 夏川先生の体がピクッと動いて、愛沢先生が口元に手をあて、松岡先生が放心している。




 各言う俺は、、



 うおっ……こぇぇ…。




「春宮……ごめんね」




 夏川先生が伏し目がちに謝罪をくれる。


 さっきまであんな陽気だったのに……まるで叱られた園児みたいだ。



 なんかもう、やめたげて。




「大丈夫ですよ……僕は、大丈夫です。飲めないわけじゃありませんし、夏川先生にも悪気はありませんから……」



「飲めても、悪気は無くても、強要は強要です。問題のある行為なんですよ。春宮先生は嫌じゃないんですか?」

 



 夏川先生が居たたまれなくて思わず声を上げてしまうも、竹先生に目を合わせられ軽く怯む。



 夏川先生ほどじゃないにしろ……これ、かなり来るな…。



 5秒と目を合わせられず視線を横に反らすと、ショボくれた様子の夏川先生が目に入る。



 まあ、悪気がないのは本当のことだし……。


 迷惑ではあるけど夏川先生にとってはあれが普通のノリなんだろう。



 後のことを考えるとこのままの空気でいるのも気まずい、貸しを作るという意味でもやっぱり夏川先生を庇っておこう。


 これを機に、今後の俺に対する態度も多少はマイルドになるかもしれないし。




「嫌じゃ……なかったです。僕は今まで飲み会とかあまり参加したことなくて、あれはあれで新鮮に感じました。夏川先生も一人で浮いてた僕に気を使って、あえて絡んでくれたんだと思います……。なので、その、夏川先生のことをあまり叱らないでいただけたら……」




 額に冷や汗が滲み出る。


 最後の叱らないであげては余計だったかもしれない。



 しどろもどろになりながらの発言を最後まで聞いてくれて、再び夏川先生へと視線を向ける竹先生。




「夏川、ほんまに春宮先生は嫌がってなかったんか?」



「……ぇ」



「どっちや」



「………あの……なんか、ちょっと喜んでました」




 は?


 いや喜んではいない。 




「ホンマかいな?」



「はい、ホンマです」




 違う……全然違うけど、流石にここで口は挟めない。




「おーん……ならええわ。でもな夏川、飲酒の強要は御法度、くれぐれも忘れんなよ?」



「は、はい…」



「愛沢先生と松岡先生も注意して下さい。周りがやろうとしていたら叱ってそれを止める、こういった場やからこそ節度は守りましょう」



「……了解です」



「は、はひっ」




 愛沢先生が噛んだ。


 さっきまで酔っ払っていたのが、いつの間にか素面に戻っている。



 松岡先生は松岡先生で顔が白いし……気が付けば、周りの教員全員が動向に注目している。


 先輩の教員は他にいくらでもいるのに、声を掛け納めようとする教員は一人もいない。



 まさに、この場にいる全ての人間を圧倒している。




「んじゃ、自分は他の先生方んとこ挨拶行くんで。白けさせてもうてすんません」




 最後に一言、そう言い残して竹先生は去って行った。



 来るのも唐突なら去るのも唐突で、まるで嵐みたい……。




 恐い。



 確かに恐くはあるけど、その恐さは正しさでもあって……どこか、先生の先生みたいだなと、そう思った。





―――――(★)―――――





「春宮ナイスゥゥウウウ! いやマジ焦ったわ! 春宮あんたマジファインプレイ! てか竹さん超こえええええっ!!」




 ジョッキに注がれたビールを一気に煽りながら、夏川先生がテンションを爆発させる。



 凄いよ……さっきの今でこれは。




 そうか、この人はこういう人らしい。


 庇わない方がよかったかな……。




「恐かった……恐かったです。あ、あんな……ヤクザみたいな…」



「ねっ! 超恐かったよね! ひっさびさに怒られたけど竹さんマジヤバいわー」




 愛沢先生と夏川先生の落差が激しい。


 怒られた当人がなぜか興奮気味なのに対し、なにもしていない愛沢先生は軽く青ざめている。




「おい春宮、どうして夏川のこと庇ったんだ? ほっときゃよかったのに」



「ほっとけばって、あそこでなにも言わなかったら後が気まずくなるじゃないですか……。同じ一年担当ですし、先輩としてこれからもお世話になっていくと思うので」



「……そんなもんか?」 



「そんなもんです」




 松岡先生に問われ、無難に返す。



 正直言って夏川先生にお世話がどうとかそんなものは期待していない。


 ただ、少しでも態度を改めてくれればそれで十分だ。





「あの、お仕事の話とかしませんか……? こう……この空気のままっていうのもあれなので、明るく行きましょう!」



「いいねいいね、明るく行こう! 鬱陶しい教員とかウザい生徒の話で盛り上がってこうぜぇ!」



「い、いぇーい」




 仕切り直しにと、愛沢先生が舵を取ってくれる。


 夏川先生がそれに続いて、松岡先生も小さく頷く。



 こういうとき俺はなにも出来ないから、自分の力で流れを変えられる愛沢先生は純粋に取り入り方が上手いと思う。




「えっと、じゃあ……松岡先生。松岡先生から見た今年の一年ってどうですか? 私、新任なので何もかもが初めてで……通年と比べてどうなのかなって、気になります」



「……ん、オレに聞くの?」



「はい、聞いてみたいです。この中で一番先輩ですし」




 松岡先生に話題を振る愛沢先生。



 そう言えばこの二人が会話してるところを初めて見る。


 もしかしたら、愛沢先生視点それとなくコミュニケーションを取る意味合いも含まれてるのかも。




「一年か……別に。強いて言うなら例年より生意気そうな奴が多い」



「生意気、ですか?」



「ああ、生意気。憎たらしい顔してるやつが多いよ」



「雑っ! ちょっと松岡君っ、愛沢ちゃんが聞いてんだからもっと真面目に答えてあげて下さいよ!」



「答えてるだろ真面目に。それを言うならお前はどう思う? 言ってみろ」



「え、あたしですか? あたしは……うーん……なんか、ヤバそうな生徒が……多い?」 



「ほとんど同じだろ。お前も雑だ」



「違いますっ、あたしは全然雑じゃないです! どうヤバそうか具体的に答えられますもん!」



「じゃあ言ってみろ」



「ま、まあまあ……落ち着いて下さい」




 そっちのけにされて、生徒の話題へと話が進んで行く。



 口を挟まずに済むならそれに越したことはないから、一番楽でいい。


 一対一の会話なら対応出来るけど、複数いる中で自分から話を切り出すのは普通に難しいし。




「うーんとですね……あ、そうそう、春宮のクラスがヤバいと思います。一年三組だっけ? ねえ春宮、あんたんとこのクラス変な奴多くない?」




 傍観者に徹しようと思っていた矢先、夏川先生に話を振られる。



 名前を呼ばれた瞬間、僅かドキりとして、、


 変な奴ってなんだろう……妙に心当たりがある分、嫌な振りに感じてしまう。




「そ……そんなこと、ないと思いますよ。みんな可愛いくて良い子達です」



「ウソつくな。なにあの伊藤って言う子? あの子ヤバくない?」



「いや、そんなことは……」




 夏川先生の口から伊藤という言葉を聞いて、明らかに心拍数が上がったことを自覚する。



 伊藤さ……まさかお前、他のクラスにも……。




「なんかさ、授業中にいきなり手上げ出したから質問かなって席を覗いたら、数学の教科書開いてここの問題教えてくれって、理科の授業中に理科の教師に聞いてくんのよ? あの子なに!?」



「……はは」



「あとさ、大声で下ネタ叫びながらクラスの男子追っかけ回したり、男の教員がいる前でおっぱいのサイズいくつですかって聞いてきたり。あの子どうなってんの? 普通じゃないよね?」



「………」



「それ、私もされました……。あと……遊びとか言って、浣腸とか」



「ええっ、マジっ!?」




 ごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさい。




「あの、春宮先生……伊藤さんは可愛いくて良い子だと思いますけど、少しヤンチャなところもあるので注意していただけると助かります」



「そうそう! 今だから甘く見てるけど、そのうち本気で雷落とすことになるから!」



「はい……その、伊藤には……常々言っておきます」 




 目の前にいる二人の女性教員から本格的なクレームを入れられてしまう。


 学歴の話とか、お酒の一気とか、そういうのとは違った意味でこれはけれで嫌な流れ。 



 自分の受け持つクラスの生徒がやらかすと、当然担任である自分の方にそのヘイトが向かって来る。


 仕方がないことだけど、理不尽に感じてしまう自分がいる。




「松岡君は春宮のクラスどう思います?」



「春宮のクラスか……オレ的にその伊藤って生徒はなにも、今のところ変なちょっかいも掛けられてないし。それより左端の席の……暁とか言う生徒、あいつはちょっと気持ち悪いな」



「暁……どんな子なんです?」



「どんな生徒かは知らん。なにかしてくるってわけじゃないけど、歳の割りに妙に理屈っぽくてやりづらい。……あと、目が合ったときニタニタしながらウインクしてくる」


 


「きんも。なんですかそれ」



「俺じゃない! その、暁って生徒がやってるんだよ」




 もう、この話は止めて欲しい。


 伊藤もヤバいし暁もヤバい、それでいいじゃないですか。




「春宮先生は暁君や伊藤さんとどう接してるんですか? 上手い対応の仕方があるなら教えて貰いたいです」




 ある意味で一番難しい質問を、愛沢先生から問われてしまう。




「上手い対応って……別に、普通ですよ」 



「普通って何ですか?」



「や……それは」 



「春宮、ゴマかすな! 愛沢ちゃんの質問にちゃんと答えてあげな」




 肩に手を置かれ、ぐわんぐわんと夏川先生に揺さぶられる。


 この人、さっきあんなことがあったのに俺に対する態度がまるで変わっていない。




「ゴマかすとかじゃなくて……僕も、迷走中というか」



「は? あんた担任でしょ? 自分のクラスの生徒じゃない」



「……まぁ」



「授業中はどうしてますか? 暁君は大人しいですけど、伊藤さんとか一度当てたらしつこく絡んで来るじゃないですか……どう対応してますか?」



「それは、そうですね……今は、当てないことで対策としてます」



「はぁ?」



「なんですかそれ」




 夏川先生と愛沢先生から非難めいた視線を浴びる。



 だってしょうがないじゃないですか、当てたらむちゃくちゃにされるんだから。


 伊藤にしろ名前が挙がってない南原にしろ、一度当ててしまうと大騒ぎを起こして授業が崩壊してしまう。



 だから、当てない。



 この対応が何の解決にもなってないことはわかってる。でも、授業がむちゃくちゃになって機能しなくなると真面目に受けようとしてる生徒にまで迷惑を掛けてしまう。



 そうなるぐらいなら、最初から当てない方がマシだ。




「あんたねえ、そんなやり方じゃ長く続かないよ。今は良くてもこれから先ずっと当てないまま授業続けていくつもり?」



「ずっとってわけじゃ」



「今は当てないけどいつかは当てるって? そんなの無理。いい春宮、あの子達は新入生で学校に来てまだ1ヶ月も経ってないの。今のこの時期に教師の方から逃げてたら完全に舐められるし、最後に一番困るのは自分自身。わかってる?」



「……すいません」



「これからどんどん学校に馴れていって悪さをする生徒達も増えてくる。そんな生徒達に滅入って辞めちゃう教員もいるの。あんたのそのやり方だと確実に長くは続かないわ。周りの生徒だって不安になるし、本当に困ったときに頼ってくれなくなる。そこから大きな問題に発展することだってある。……春宮、教師としての威厳って凄く大事なの。わかる?」




 完全に説教モードの夏川先生。



 言ってることは正しいけど、辛いな……。


 正直言って逃げたい。






 ん……。


 逃げ……たい?



 あれ……そう言えば、なんで逃げてないんだろう?



 今日の飲み会なんて顔だけ出して帰るつもりで、橘先生もそうするって……なのにどうしてこんな長居してるんだ?



 夏川先生達と、こんな長々話をする予定なんてどこにもなかったのに。

 



 それに……。


 いつの間にか橘先生の姿が消えている。

 


 もう帰ったの……俺を置いて?


 帰るんだったら俺も連れて行って欲しかった。




「コラ――ッ!! 人が真剣に話してんのにボーっとするな! 前から思ってたけど、お前あたしのこと舐めてんでしょ!?」



「ぐえっ」




 他の事を考えていたのが見透かされたのか、両頬をつねられグニグニされる。




「お前は周りの教員のこと舐めてるの、だから生徒にも舐められるの。ほら、あたしが去勢してやる! オラオラオラッ」




 つねる手の握力がまして、グニグニどころの騒ぎではなくなってしまう。



 痛い痛い、痛いです。

 



「とぎっ……らっ……とぎらっ」




 もういい、強引に離脱しよう。


 タイミングなんて関係ない。




「あん、なにッ!?」



「トイレッ!! すいません、トイレ行って来ますっ」



「うわっ、ちょっと春宮ッ!」 




 両腕を掴んで無理やり外す、そしてダッシュで逃げる。





 これでいい。


 別に逃げたっていいんだ……教員からも生徒からも。




 もとより、望んで入った道じゃないんだから。

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