第12話 12、千の昼食

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 周平が言った。

「ご一緒に昼食をいかがですか。わたしがいつも食べているものですが。」

「ありがとうございます。この姿では無粋ですから馬車で着替えてから伺います。案内の者を一人残していただけませんか。」

「千さんと一緒に歩けるなら私はここでお待ちしております。」

「そうですか、それでは十分間ほどここでお待ち下さい。着替えてきますから。」

千は馬車に入り、十分後に出て来た。

織りが細かい薄赤の和服に白い足袋と軽そうな桐の下駄をはき、帽子はなく、光沢を持った黒髪を肩まで垂らし、先端はゆったりと曲がっていた。歩みと共に黒髪は動き、曲がった先端の髪の毛は軽やかに上下した。

対称的な小さな顔と肌理(きめ)の細かな透き通るようなもち肌であることは首筋と着物の袖から出た細い腕からうかがい知れた。

周平はこんな美しい女をこれまで見た事がなかった。

たとえ見たとしても恥ずかしくて近づけなかっただろう。

 周平は千の前を歩いて案内したが、見るのが恥ずかしくて後ろを振り返ることができなかった。

周平と金平と千は周囲が障子で囲まれた部屋に入り、車座に座った。

座布団はなかったし、座机もなかった。

昼食は御膳に載った白米のご飯と芋の煮しめと小魚の揚げ物だった。

周平はおいしそうに食べたし、千も慎ましやかに上品に食べた。

「万さんの食事は千さんが作るんですか。」

「左様です。」

「いつもどんなものを食べているのですか。」

「朝はパンと牛乳と豚肉の薫製の薄切りと茹で卵と野菜です。」

「パンとは何ですか。」

「小麦粉を酵母菌で膨らませた主食です。」

「酵母菌と言うのは酒を作る時の菌ですか。」

「同じ酵母菌ですがパンにはパン用の酵母菌を使います。」

「夕食はどんなものを食べているのですか。」

「白米と揚げ物や煮物や野菜、それに豆腐の味噌汁です。」

 「献立の選択は千さんがしているのですか。」

「そうです。栄養が偏らないように調理しております。」

「栄養とは何ですか。」

「人間が病なく生きるために必要な、食物に入っている必須の物です。」

「この食事はどうですか。」

「私でしたら少しの野菜を加えます。野菜のない食事を続ければ脚気にもなりますし眼病も生じます。歳をとれば如実に弊害が出てきます。長生きできません。」

「千さんは色々知っているのですね。」

「万から教わりました。学校が出来ればみんなも学び理解できるようになると思います。」

「万さんも凄いが、千さんもすごいですね。」

「私ごとき、万にはとうてい及びません。万は千の十倍ですから。」

 「万さんは何でも知っています。万さんはどこから来たのですか。」

「それは万が話したいと思った時に話すと思います。」

「千さんはどこのご出身ですか。」

「それも万が話したいと思った時に話すと思います。」

「千さんは軍事教練をどのように学ばれたのですか。」

「主に書物で学びましたが、重要な事柄は万から教えてもらいました。」

「万さんは軍事教練はできないと言っていたが、知っていたのでしょうか。」

「知っております。でも出来ないとは言ったはずです。万は多くの人と会うのが嫌いですから。」

「そうだったのか。」

「周平様は万が会うことを拒まない数少ない人の一人です。」

 その日の午後は行軍の訓練から始まった。

行と列を整え整然と行動するように要求した。

身を伏せ、回転して相手に相対する訓練もした。

部隊長に歩兵の武器を問い、全員に行き渡らない弓や刀があることを知った。

鉄砲の数も単発の先こめ銃が十数丁であることを知った。

軍服はなく、各自がどこかで用意したものだった。

「周平様、これまで軍備には予算をあまり付けなかったようですね。」

「その通りだ。弱い国は弱いままが安全だ。」

「軍事教練を始めたことはすぐに広まります。お覚悟を。」

「怖いが、そうだな。金は借金をしても工面できる。わしにできることはなんだろう。」

「ここの兵士が兵隊になればお金は作ることができます。今は冬です。最初はこの周囲に兵千人分の兵舎を早急に作って下さい。必要な材木は商人から買って下さい。商人には万がお渡しした金貨をお使い下さい。商人には今ならお金。半年後なら材料の倍返しをするとお伝え下さい。人柄が判定できます。金貨は供給できますし、半年経てば兵隊がお金を稼ぐようになります。」

「とりあえず軍事訓練に必要な武器と衣服は万に伝えて用意してもらいます。

 「何から何まですまんな。伝令をとばそうか。」

「昨日の今日ですから準備できているはずはありません。気になさらないで下さい。伝令の必要はありません。万が住んでいる山からはこのお城のこの位置が見えます。風船を上げて伝えておきます。」

「そうか、万さんは遠眼鏡を持っていたな。」

「はい、強い光り蘚(ごけ)を塗った風船ですから夜でも観測できます。」

「すごいな、千さん。夕食はどうする。」

「夕食はこの馬車で致します。準備することもありますから。また翌朝お会いしましょう。」

「わかった。今日は驚くことばっかりだった。衛兵は周囲に配置しておく。」

 翌朝、城の門の前に四台の荷車が止まっているのを門衛は気がついた。暗い夜だったので門衛は誰が運んで来たのか気がつかなかった。

門衛の報告で周平は朝食を止めて門に急いだ。

そこには万は居らず、武器と鎧がびっしり詰まった4輪の大型荷車が四台あっただけであった。

先頭の荷車には「千に」と書かれた紙が張ってあった。

周平は荷車を城内に運び入れ、千の馬車がある広場に向かった。

千は戦闘服に身を包み、地面に線を描いている最中であった。

 「おはようございます、千様。門の外に万さんから届いたと思われる荷車が止まっていたのでお持ちしました。」

「おはようございます、周平様。今日もいい天気ですね。」

凛と響く魅惑的な声で千は答えた。

「はい、快晴です。」

「クルコルを入れましたのでお飲みになりますか。」

「クルコルですって。お持ちになられたのですか。」

「馬車にはいつでも用意してあります。今日は竹筒ではなく白磁のカップに入れます。竹筒よりも白磁のカップの方がおいしいのです。少々お待ち下さい。それと、お手伝いください。」

 千は馬車の後ろから折畳みのテーブルを取り出し、馬車の横に広げた。

「同じ位置から折畳み椅子を二脚出して並べて下さい。」

千は馬車に入り、薄い白地に大きな花の絵が刺繍されている布を出し、テーブルに広げた。

それから馬車から白磁の皿の上に載った同じ模様の白磁のカップを取り出し並べた。

最後に出て来た時には手に琥珀色の液体が入った球形のガラス容器を両手を添えて運び、テーブルの中央に置いた。

ガラス容器の底は平になっており、テーブルに安定して乗った。

「周平様、どうぞお掛け下さい。」

千は立ったままガラス容器を取り、白磁のカップに注いだ後に椅子に座った。

「あっ、お砂糖が出てないですね。今、持ってまいります。」

「いや、砂糖はいりません。このままの方がおいしいと思います。」

「わかりました。私もそう思います。」

 二人は広場を眺めながらコーヒーを飲んだ。

周平は三杯もおかわりした。

「今日は何をなさるつもりですか。」

「武具を降ろし、馬車を壊して武器保管所を作ろうと思います。必要な材料は馬車に積んであると思います。」

「私は兵舎の建築の準備をします。時々ここに伺ってもよろしいでしょうか。」

「いつでもどうぞ、周平様。もしよろしければここで昼食を召し上がりませんか。今日は万が食べている朝食をお出しします。パンをご存じなかったようなので冒険してみて下さい。」

「ぜひ、お願い致します。金平を呼んでもよろしいでしょうか。」

「三人分用意致します。」

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