第2話 黒き森の山羊 その二



 ガブリエルにつれられて、龍郎はシベリアの森へ出発することになった。

 しかし、飛びたとうとする天使を、呼びとめる者がある。穂村だ。自宅の玄関先だから、穂村がいても不思議はない。


「待ちなさい。私もつれていきなさい」

「えッ? 穂村先生もですか?」

「うん。宇宙のすべての智を知りつくしたと言われる私の好奇心がうずく」


 龍郎はガブリエルの顔色をうかがった。人間が二人になれば、そのぶん足手まといが増えるだけだろう。と思ったのだが、ガブリエルはうなずいた。


「フォラス。あなたの知恵は前回の戦でも大いに役立った。以前の協定がまだ有効ならば、今回も我々と共闘していただけようか?」


 そうだった。人間の姿をしているが、本性は魔王だ。ということは、何億年前だか、それ以上前の天使と邪神の戦争時にも、穂村の本体であるフォラスは存在しているのだ。


「うむ。いいだろう。私の未来的思考は、君らの神と相反するものではないという見解だ」


 穂村は気安く承諾しているが、龍郎は心配になった。


「だけど、穂村先生のその体は人間ですよね? 危険の予測される地帯へ行くのはマズくないですか?」


 ニヤリと穂村は笑った。

「そこらへんは問題ないとも。何、君たちに迷惑はかけんよ」


 というわけで、龍郎は清美とガマ仙人に手をふって、穂村とともに、ガブリエルにつれられていった。


 異空間を飛んでいく方法でなら、ほんの数瞬のうちにロシアまで移動できる。

 街にはカラフルなタマネギのような頭の塔を持つ建物や、教会などが目につく。眼下をながめた龍郎は愕然とした。


 たしかに世界中で起こる異変について、穂村に録画映像を見せられた。グラーキとも戦った。それでも、まだまだ日常のほうが主体であって、異常なことはなのだと思っていた。


 だが、今こうして空中から見ると、人間世界はまたたくまに荒廃している。このままでは、数日のうちにも滅ぶだろう。


 録画で見た這いずる巨大な触手が地面を覆い、そのあいまを火の精がとびかい、さらには犬のような猿のような豚のような怪物が走りまわっている。巨人や、鱗の生えた人間の姿も見えた。そして、ときおり、なんとも不快な山より巨大な影がゆらめく。


 息を呑む龍郎を見て、ガブリエルが注釈する。

「世界のなかでも、今現在、ここがとくにヒドイ。それというのも、倒しても倒しても、この地で邪神がよみがえるからだ」

「なるほど」


 つまり放置しておけば、いずれ、世界中がこうなってしまう。いや、もっと悪くなる。


「必ず、謎を解明しよう」


 龍郎が言うと、ガブリエルは嬉しそうに口をひらこうとした。が、そのとき、周囲にわらわらと天使たちがよってくる。


 アスモデウスを筆頭に、金髪や銀髪の美しい天使たちだ。二十柱ほど。どれも光り輝いている。なかにウリエルもいた。ウリエルの茶金色の髪は、全体に白っぽい天使たちのなかではよく目立つ。


「これが星の戦士か。ただの人間ではないか」

 開口一番にそう言ったのは、オレンジジュースにミルクをまぜたような赤毛の天使だ。これもめずらしい。瞳はピンク色。


「肉体的には彼は人間だ」と、アスモデウスが説明する。「しかし、わたしの目の前でグラーキを倒した。浄化の光もそれなりに使いこなすようだ。並の能天使パワーズよりは、よほど戦える。人間の割にはな」


 端々に皮肉も感じるが、それでもアスモデウスに認められるのは嬉しい。よこ顔をながめてウットリしてしまう。あの鼻筋やあごの線は青蘭にそっくりだ、と思う。


「御身の言なれば信頼もしようが……いいか。人間。我々の足をひっぱるな」


 赤毛の天使は言いすてて、ぷいとそっぽをむいた。天使というのはもっと慈悲深いものかと思っていたが、幻想だったらしい。


 ガブリエルがそっと龍郎の耳元にささやく。

「彼はラファエル。四大天使の一柱だ。彼は以前からミカエルに敵愾心てきがいしんを抱いていたからな」

「なんで?」

「理由までは知らない。自分が星の戦士になりたかったからではないかな?」


 ガブリエルとコソコソ話していると、アスモデウスの目がしだいに冷たくなってくる。なぜだろうか。青蘭のころの記憶はないはずなのに。


(青蘭、ヤキモチ妬きだったからなぁ。誰かが自分より別の人と親しくしてるだけで不愉快なのかな?)


 一度、話しただけだ。まだ龍郎のことが気になっているとまでは、さすがにうぬぼれていない。


 しかし、そういう表情の機微は、龍郎だからこそ察知できることらしい。天使たちは何事もなく、隊列を組んで飛んでいく。街の上空を通りすぎ、やがて森についた。森のなかほどあたりで、天使たちは地上へと降りる。


「この姿って、人間たちには見えてるの?」


 ガブリエルにたずねると、「見えているかもしれないが、あれだけ邪神や奉仕種族に侵食されていては、それどころではないだろう」と、もっともな答えが返ってきた。


 それにしても、穂村が異様に静かだと思っていたら、森についたとたん騒ぎだした。


「おおっ、ここはツングースカ大爆発の爆心地ではないかね? まだ磁場の歪みが残っているな。やはり思ったとおりだ。とびきり巨大な石物仮想体が落下したのだな。キロ級のやつだ」


 天使たちは穂村のハシャギようを、あまり気にしたようすがない。もしかしたら、古代からこうだったのかも。したがって、龍郎が相手をするよりなかった。


「なんの大爆発ですか?」

「ツングースカ大爆発だよ。君、知らんのかね? 二十世紀初頭に起きた謎の大爆発だ。戦争のせいで調査をされたのは爆発から十三年後だった。それでも、爆心地は同心円状にあたり一帯の木が倒れ、枯れはてていた。半径三十キロ以上の樹木が焼失したという。さきほどのイルクーツクでも爆発の衝撃で地震を感知されたというよ。隕石の落下説だとか、ガス噴射説などが言われてきたがね。私はずっと、石物仮想体が原因だろうと考えていた」

「石物仮想体は前にマイノグーラが出てきましたよね」

「そう。邪神が星間を移動するときの姿だ」

「えーと、つまり……?」


 わざわざ聞かなくても答えはわかっていた。だが、認めたくなかったのだ。案の定、穂村は龍郎の恐れていた答えを提示した。


「この森にとてつもなく強力な邪神が巣食っている」

「やっぱり!」

「おそらく、外なる神ではないかな」


 外なる神——

 これまで龍郎が対峙してきたのは、クトゥルフやクトゥグア。ほとんどはグレートオールドワンズだ。太古、外宇宙から飛来し、地球に根ざしてきた神である。


 クトゥルフやクトゥグアとの対戦には苦闘した。外なる神とは、それらの父や祖父にあたる怪物のなかの怪物だ。つまり、すこぶる強い。


 はたして、この森に、どんな神が待ちかまえているのだろうか?

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