第2話
パソコンに向かっていると斜め向かいの席から「松岡くん、送ったから確認してー」と言われる。
「はい、分かりました」
部署内の共有フォルダを開き、そこから更に【松岡】のフォルダを開くとお願いしてあった資料が入っている。
「月見里さん、やっぱりさっきのあれも一緒に共有に入れてください」
それは先程僕がいらないと言った資料だったが、やはり必要だと感じてお願いする。
「あとそれから――」
あれと、これと、それと……、やらなければならない仕事を羅列するように月見里さんへ伝えるが、月見里さんは全てを正確に聞き取りきちんと把握してくれている。
仕事がやりやすいのは月見里さんの事務能力があってこそだとこの一年で学んだ。
こちらがお願いした事以上の所までを完璧に仕上げてくれるので、僕が指示を細かく言う必要はない。言わなくても繊細なほど細やかに仕上げてくれるので、取引先でも資料がいいと評価が高かった。
僕と月見里さんの息が合っているといえばいいのだろうか。仕事がやりやすいというのは、本当に恵まれている。
今度の取引先だって獲得出来たのは僕の力だとみんなは称賛してくれるが、それだって月見里さんが事務として支えてくれているお蔭だと僕は思っている。
それで僕が大変な時は、手伝える事ある? と出来る仕事を全部持って行ってしまうから、ついつい僕はそれに甘えてしまうんだ。
「月見里ー、19時すぎたよ? 私帰るけど大丈夫?」
「はい、大丈夫でーす。久保田課長お疲れ様でした〜」
だからほら、こんなに遅くまで残業する事になる。
「わっ、ほんと19時過ぎてる」
「月見里さんあとどれくらいで終わりそうですか?」
「えっとね、あと30分くらいで終わらせたいんだけど……、松岡くんは終わりそう?」
月見里さんと一緒に終わらせようと思った僕は、あと30分くらい、と言う。
「そっか。じゃああと30分頑張ろっ!」
あと30分で終わる訳ではないけど、今日はこの人ともう少し一緒にいたいと素直に思う。
会社を出て二人で駅までの道をゆっくり歩く。
「お腹空きましたね」
今日は僕誕生日なんですよね。ってそんな事言って、だからどうしたという反応を返されたらどうしよう。そんなの嫌だと思って言わない代わりに「夕飯いつもどうしてるんですか?」と聞いてみた。
それから他愛もない食事作りの話しをしていたらあっという間に駅に着いていた。
もう終わり。
ここでさようなら。
だけどまだ一緒にいたいと……それがどういう事なのかはっきりさせたいのも事実。
だけど月見里さんはあっさりと、お疲れ様と言って僕に背中を向けた。
同じ電車ならまだもう少し一緒にいれたのに、と思いながらも僕も背を向ける。
だけど、やっぱり……。そう思って振り返るが月見里さんは真っ直ぐに迷いなく歩いていて、それをわざわざ引き止めるなんて出来ない僕は諦めた。
なんだろう、以前ならそんな事考えもしないで思うままに呼び止めていただろう。食事だって、行きましょうよ、と誘っていただろう。
でも上手く出来ない。上手く言えない。
僕はやっぱりどこかがおかしくなっている。
月見里さんの事を考えると胸がざわざわとおかしくなるのだった。
翌日も僕は忙しかった。午前中は会社で資料をまとめ、午後から外回りに出て、夕方遅く戻って来てからまたパソコンに向かう。
仕事に励んでさえいれば、苛立ちも胸の苦しみも忘れてしまえるから。
何人かが帰っていく様子は分かっていた。それから月見里さんが残っていて、どことなくそわそわしているのも分かっていた。
なんだろう? と気になるが、どうせ自分には関係ないと言い聞かせて仕事に集中する。
しかし、ねえ松岡くん、と呼ばれる。
「どうしました?」
「今日も遅くなる?」
「そうですね、もう少し掛かりそうです。月見里さんはまだ終わらないんですか?」
「……う〜ん? うん、もうちょっと」
どっち付かずな返事に苦笑した。
「じゃあもう少し頑張りましょうか」
「そうだね、頑張ろ、頑張ろ!」
二人しか残っていない静かな部署内に息遣いが響く。それを打ち消すようにパソコンのキーをカタカタと叩いた。
どうにかまとめ上げたものを保存してパソコンの電源を落とす。月見里さんはまだ終わらないのだろうか、と思ってそちらを見ると、いつでも出来るような雑務をしていた。
もしかして僕が終わるのを待っててくれた?
そう思えば自然と心が温かくなる。昨日のように駅まで一緒に帰れるんだ、と思えば頬が緩んでしまいそうだった。
「月見里さん、お待たせしました。帰りましょう」
「うん」
その返事にやっぱり待っててくれたんだと確信する。電気を消して、それから月見里さんは着替えるためにロッカールームへ向かうのだと思っていたのに、何故かその場で何か言いたそうにしている。
「どうしました?」
「えっと、……その」
「外で待ってますから、着替えて来てください。ほら、早く」
「あ、うん、着替えてくるね」
そう言うと、ひっくり返りそうな勢いで走っていくから、その後ろ姿を見て僕はついつい、ふっと笑ってしまった。
「何なんだろ、可愛い……」
つい口から漏れた言葉に自分で驚く。
可愛い、と言った口を押さえるが、手で感じ取れるほど顔が熱くなっていく。
なんだよ、コレ……。
そう悪態をつきながら僕はさっさと会社の外へ出るべく足を急ぎ動かした。
ねえ、どこか食べに行かない?
月見里さんのその言葉に誘われて月見里さん行きつけの店に向かった。
まさか月見里さんから誘ってくれるなんて思ってもなくて、嬉しい気持ちがどんどん膨らむ。
だがしかし、その店に入ってすぐその嬉しい気持ちは砕かれてしまった。
「いらっしゃい! 彩葉どうしたの? 今日木曜だけど? それに連れが違うじゃん?」
オレンジ頭が月見里さんを軽々しく「彩葉」と呼ぶのに、のっけから苛立つ。
「ごめん雅くん。あっ、松岡くんはあっちの席に座ってて、ねっ!」
お互いを『彩葉』『雅くん』と呼び合う関係に僕は嫉妬してしまう。そして追い払われるように奥へと促されるが、苛立つままに二人の方へ聞き耳を立てた。だが所所しか聞こえない。
「――だけど」
「――悪い虫だっ――」
「――ないじゃん! ただの同僚だよ。……………。それでさ雅くん――」
「あー、はいはい。…………オッケー、オッケー」
「…………雅くん、よろしくね」
「へいへい、お任せあれ〜」
話しが終わったのか月見里さんが戻ってくる。
「知り合いなんですか、あのオレンジの人?」
「あ〜〜、店長?」
そういう事を聞いてるんじゃないんだけど。友達なのだろうか、だがそう言うものよりもっと親密な関係がうかがえる。それは言うなら、元恋人とか……。
そう思い至って、ちくんと胸が痛む。
もしかして待ってるっていう恋人なのだろうか。そう思えば気分は沈んでしまう。
落ち込んだり、苛立ったり、本当にどうしたんだ僕は……。
僕が自分を持て余しているなんて知らない月見里さんが、飲み物どうする、と聞いてきた。
「じゃあビールで」
「何食べる? どれも美味しいよ!」
「月見里さんのオススメは?」
嬉しそうに、楽しそうに「これも美味しいし、こっちも美味しいよ」と教えてくれるので、それでいいです、と適当に決めてしまった。
あーー、なんだろう。元カレが店長だというお店に連れて来られたこの気持ちは……?
しかも毎週金曜日は会いに来ているらしい。
その後、食事をしてそれからサプライズで誕生日を祝ってもらえたのには驚いた。だけどそんな事より月見里さんは明日が誕生日なんだと言う事を知る。
月見里さんの誕生日を知っているこのオレンジ頭はやっぱり元恋人なんだと思った。
だって、月見里さんのバースデープレートには『Happy Birthday Ayaha♡』と丁寧にハートマークまで入っていたんだ。
僕のプレートなんて『おめでとう』だぞ?
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