第2話

 翌日、どことなくニヤニヤ笑いを浮かべている結城さんに「何?」と聞いていた。


「昨日はどうしたんですか? 二人でディナーとか? キャッ、いいな〜」

「はい? なんの事?」

「またまた〜、とぼけなくていいですから!」

「え……」

「え?」


 全く分からない顔の私を見て、冗談ではないのだと悟った結城さんがその大きな目を更に見開く。


「まさか?」

「え? だからなんなの?」

「昨日は何月何日ですか?」

「五月三十一日?」

「はい。それで?」

「それで……?」

「うわ〜マジですか!?」

「え、何なの、何なの???」

「だから〜、誕生日じゃないですか」


 最後に小さく、松岡さんの、と囁かれる。

 そう言われてみれば、川辺と松岡くんと結城さんと四人でご飯食べに行った時に自分の誕生日が何月だとか言っていた気もするが、それを今の今まで綺麗に忘れていたのだ私は。


「彼氏の誕生日なのに何もしてないんですか?」


 結城さんに向かってコクコク頷く。


「どうしようか? どうしたらいいかな?」

「私に聞かれても……。とりあえず、……おめでとう、くらいは言った方がいいと思いますけど」

「そうだよね。ありがとう結城さん」

「いえ。……でも何か意外です。そういうのマメな方なのかと思ってたから。意外と抜けてるんですね月見里チーフ」

「あはは、そうだねー」


 笑って誤魔化すが、確かに恋人の誕生日を忘れた事なんてなかった。毎年毎年、誕生日が近付くとプレゼント選びに当日どう過ごすかおおいに悩んでいたというのに……。

 私と松岡くんの間にあるのが嘘の関係だとしても、彼女のフリをしてあげると言った以上はちゃんとお祝いもしてあげるべきではなかったのか。……いや、ちゃんと計画的にお祝いをしてあげたかったなと落ち込む。

 それに結城さんは誕生日を覚えているのに私は覚えていなかった。それが想いの大きさを示しているようにも思えてまた胸が苦しくなる。

 息苦しい。

 この想いに蓋をしておくのも、そろそろ限界なのかもしれない。




「じゃあ電気消すね」


 誰もいない営業部の電気を落とす。


「お疲れ様でした」


 今日は遅くなりそうだという松岡くんに合わせて私も最後まで残業した。


「あ、あのさ」


 帰ろうとする背中へ声を掛ける。本当は食事でも行こうよ、って誘いたい。……でも誕生日の事も忘れてる私に誘われても嫌な気分にさせてしまうんじゃないだろうかと、どこか後ろ向きになる。


「どうしました?」

「えっと、……その」

「外で待ってますから、着替えて来てください。ほら、早く」

「あ、うん、着替えてくるね」


 パタパタと走ってロッカールームに急ぐ。制服を脱いで私服に着替えて、はっとする。

 普段通りと言えば普段通りだけど、可愛いさの欠片もない服に、この後の時間を二人で過ごすには似つかわしくない気がして、やはり食事に誘うのは辞めようかと悩んでしまう。

 悩んでいても解決する訳ではなく、松岡くんが待っている外に急ぎ足で出た。


「ごめんね、お待たせ」

「じゃあ帰りましょうか」


 うん、と頷いて並んで歩く私の横で松岡くんが、お腹空きましたね、と言う。

 そう言えば昨日も同じセリフを言ってなかったっけ?

 昨日は自炊するのかという話しに流れたが、これはもしかしたら、食べて帰らない? と誘える雰囲気かもしれない。

 今日こそは、と息を吸い込んで誘ってみる。そう、なるたけ自然に、自然に、誘ってみるんだ。


「私もお腹空いたな。ねえ、どこか食べに行かない?」


 私のその言葉に松岡くんは私の目を見ると、ええ、と頷いてくれる。


「いいですよ。どこに行きましょうか?」

「松岡くんは何が食べたい?」

「僕は何でもいいですよ、月見里さんは?」


 私が訊いているのに聞き返さないでよ、と思いながら、そうだな〜と考える。

 ちょっとお祝いも出来るようなお店で、予約してなくてもすぐに入れそうな所は……、と思い悩むのだが頭に浮かぶのはどうしてか【キッチン みやび】で……。


「あぁ〜、だけどなぁ〜、あそこは……」


 一応身内がいるが、松岡くんをただの同僚だと紹介すれば大丈夫だろうか。


「どこですか?」

「うん、ご飯の美味しい所があるんだけど」

「じゃあ行きましょうよ、そこに」


 だけどまあいいか、と了承して案内する。

 雅くんにならデザートプレートを、バースデー仕様にしてくれと無理も言えるし、……そうしようと私は考えて【キッチン みやび】に向かった。





「こんばんはー」

「いらっしゃい! 彩葉どうしたの? 今日木曜だけど? それに連れが違うじゃん?」


 染め直したばかりなのか綺麗なオレンジ色に染まった頭の雅くんが出向えてくれる。


「ごめん雅くん。あっ、松岡くんはあっちの空いてる席に座ってて、ねっ!」


 松岡くんを奥の席に促して雅くんに言い訳がましく説明する。


「同じ会社の同僚なんだけど――」

「ホントに同僚? だったら許さないよ俺」

「んな訳ないじゃん! だよ。それで新規の取引先と上手く行ったお祝いと、それに彼、昨日誕生日だったみたいでさ、お祝いしてあげようと思ったんだけど、浮かんだのがココしかなくて……。それでさ雅くん、デザートプレートをね、」

「あー、はいはい。特別バースデープレートにしてサプライズしたいって事か。オッケー、オッケー。はいはい、で飲み物は?」

「私はビール、……えっと松岡くんは、後で注文するから、お願いね、雅くん。よろしくね」

「へいへい、お任せあれ〜」


 急な頼みを聞き入れてくれた事に胸を撫で下ろしながら、松岡くんが座っている席に着く。


「知り合いなんですか、あのの人?」

「あ〜〜、店長?」


 オレンジ色の髪が身内というのは恥ずかしくて誤魔化す。


「松岡くん飲み物どうする?」

「じゃあビールで」

「何食べる? どれも美味しいよ!」

「月見里さんのオススメは?」


 聞かれるままにメニューの上に指を滑らせて、これとかこれも美味しいよと言うと、それにします、と松岡くんが言う。


「雅くーん、注文お願いっ!」

「はいはーい」


 注文を終え、雅くんが厨房に戻って行くその背を見ていた松岡くんが口を開く。


「よく来るんですか?」

「うん、毎週金曜はだいたい来てるよ」

「じゃあ明日も?」

「そうだね。忘れてたけど、今日木曜だったんだ。まあ毎日来てもいいくらいご飯が美味しいから松岡くんも気にいってくれると嬉しいな」

「はい」


 また少し機嫌を損ねてしまったのか松岡くんが黙ってしまう。


「松岡くんは、こういう雰囲気のお店苦手だった? ごめんね」

「あ、いや、別に、違いますよ。気にしないでください」

「?」


 気にしないでと言われて、気にしないでいることなんて出来ない。でも原因がよく分からなくて、どう声を掛けるべきか悩んでいる所にビールが届いた。


 お疲れ様、と軽く乾杯をしてビールを飲み、特に会話のないまま注文した料理を食べる。

 美味しい? と聞いても「まあ」としか返ってこない。

 食べ終わった頃に、雅くんがデザートプレートを運んで来てくれた。そして小さなケーキに差してある花火に火を入れるとパチパチと明るく弾ける。


「「ハッピーバースデートゥーユー」」


 雅くんと私の歌に合わせて周りのお客さんとスタッフが手拍子をしてくれていて、その中心にいる松岡くんはとても驚いていた。


「お誕生日おめでとう。って一日遅れになっちゃったけど」

「あ、りがとう、ございます。いや、びっくりして……、ありがとうございます」

「ふふ」


 私が笑う横で、厨房に戻ったはずの雅くんがまた出て来る。またお皿を持っているけど、今度は何だろうと思っていると、私の目の前にそれが置かれた。


「はい、今度は彩葉の分! こっちは一日早いけどな! おめでとう〜」

「えっ! いや、ちょっと雅くん」

「月見里さん、明日なんですか?」

「あ、はい、そうです……」

「おめでとうございます」

「ありがとうございます」


小さなケーキとアイスとフルーツの乗ったプレートにはチョコレートで『Happy Birthday Ayaha♡』と書かれていた。





「今日はありがとうございました」

「本当は昨日お祝いしてあげるべきだったよね、遅くなってごめん」

「いえ、今日で良かったんじゃないですか? 僕と月見里さん二人の誕生日に挟まれた、この今日で」


 そう言われてドキリと胸が鳴る。そんな風に言われたら何だかこの何でもない日が特別になってしまったように感じてしまう。


「もしかして明日もさっきの店に行くんですか?」

「うん。明日は多分、陽菜が――総務部の中山がお祝いしてくれるから」

「そうなんですね。そうだ今度は僕が違う店に連れて行きますよ。また一緒に食事しましょう。今日はありがとうございました。お疲れ様です」

「お疲れ様」


 また一緒に、と誘われた事に浮つくくらい嬉しい気持ちと同時に、『違う店に連れて行きますよ』と言われたと言う事は、松岡くんは【キッチン みやび】を気に入らなかったのだと落胆する。

 駅にてその背を見送りながら、気に入らないお店に連れて行ってお祝いまでして悪かったなと気分が沈みながら帰路についた。


 それから家に帰り着くなり雅くんにメッセージを送る。

 今日は急なお願いに対応してくれてありがとう。それから今日来た事は陽菜には言わないで。

 その二点を念押しして送ると、了解、と返ってきた。そして見た目と違って根は真面目な雅くんらしく、陽菜に何か言う事はなく、雅くん自身も敢えて深く聞いてくる事もなかったのだった。




 そして私は翌日、29歳の誕生日を迎えた。



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