第2話

 翌日の朝、営業部では結城さんのクッキーが美味しかったと感想とお礼を言い合っていた。


「良かったです! それじゃあまた作って来てもいいですか?」


 それに対して私が「もちろんだよ」と答えると、一瞬だけ松岡くんから鋭い視線が向いた気がしたのだが、結城さんが「松岡さんにも作りますね」と言うと、松岡くんは笑顔で応対していたので、あれはきっと気のせいだと思う事にした。


「さ、仕事頑張ろー! 今日が終わればゴールデンウイークだ!」

「はいっ!」


 明日からの休みに備えてパソコンに向かう。特にトラブルもなく私は連休を迎え、そして特に何もない連休をダラダラと過ごした。



 しかし、結城さんは『また作って来ます』との宣言通り、連休明けにクッキーを作って来た。




 結城さんには、先にお昼休み入っていいよ、とまだ仕事の切りが悪いフリをして横目で営業部を出て行く結城さんの華奢な背中を見送る。

 それから私は素早くデスクを回り込んで向かいの席――松岡くんの隣の席に着くと、どうするの? と小声で松岡くんに問い掛けた。

 しかし松岡くんには、訝しい顔で見下ろされる。


「だから、クッキー」

「ああ……」

「今日は捨てちゃダメだからね?」


 松岡くんは一つため息を付いて左手にある腕時計を見た。


「月見里さん昼ご飯は?」

「え? お昼はまだだよ。あ、コンビニに行ってくるけど何かいる?」

「じゃあ外に付き合ってください」

「へ?」


 『へ』の口で固まる間抜けな私を松岡くんは椅子から立って再度見下ろすと、ボードに【外回り】と記してそれからそのまま営業部の扉を開ける。

 一瞬だけ私に視線を送る松岡くんの目は「何してるんですか」と言っているように見え、私は慌てて後を追う。


「待って、私お財布持ってない」

「いいです、そのまま来てください」


 戸惑う私をよそに松岡くんは長い足を止める事はなかった。



 会社を出るとコンビニとは逆方向、しかも裏通りへと進んで行く松岡くんの後ろを黙って着いていくと古い店が数軒並んでいた。

 そのひとつ「うどん そば」と書かれた暖簾をくぐる松岡くんについて私もその店に入る。


「蕎麦が美味しいですよ」

「え? いや、私お金ないから」

「大丈夫です」

「全然大丈夫じゃないんだけど」


 しかもお客さん男性しかいないんですけど、と思っていたらおばちゃんがお冷を運んできた。


「あいよ、何にする?」

「月見そば二つ」

「はいはい」

「えっ?」


 私何も言ってないけど――と言う言葉を吐く前に注文を聞いたおばちゃんはさっさと奥へと戻る。


「ちょっと待ってよ」


 私がそう言うと松岡くんは大きなため息を、はあー、と思い切り良く吐いた。


「この間のこと見なかった事にするなら、もう放っておいてください。蕎麦も奢りますんでそれでしっかりすっかり忘れてください。それに大丈夫ですよ、社外で捨てますから」

「いや、だから捨てるのは、ちょっとどうかなと思うんだよね。仮にも結城さんは一生懸命作ってくれた訳だし、その好意をゴミ箱に捨てるのは駄目だと思うよ。ってか、奢るから忘れろってまるで買収――」

「はあ……。説教ですか?」


 私を見下ろす松岡くんはいつもと雰囲気が違う。優しい松岡くんから冷たさを感じて私は肩がびく付いた。


「せ、説教とかじゃ……。く、クッキー美味しかったよ? 捨てるくらいなら、その、ほら、私がもらってあげるよ?」

「なんでそこまでするんですか? 説教じゃなくてお節介ですか?」


 別にお節介のつもりはないけど、結果的にそうなのかもしれない。

 何か言う度にまた反論されそうで今度は口を閉ざしてしまった。だけど何か言わなきゃ何か言わなきゃと頭を回転させるうちに、回転し過ぎた頭はおかしな答えに辿りつき、それをおかしいと感じる間もなく私の口はそれを喋り始めていた。


「結城さん可愛いし、付き合ったらいいんじゃない? お似合いだよ? クッキーも彼女の手作りなら克服出来るんじゃないかな?」


 それを聞いた松岡くんの顔は言うまでもないだろう。ギロリと蛇に睨まれたカエルわたしは身を縮ませた。



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