ラストクリスマス

香月

第一話 柊千冬

プロローグ


 時刻は十九時。商店街はたくさんの人たちで賑わっていた。クリスマスイブということもあり、多くの店は煌びやかな電飾で彩られていた。

 一人の少女が引き攣った表情をしながら人を掻き分け懸命に前へと進んでいた。

 少女はとても急いでいた。少女の家から待ち合わせ場所までは歩いて十五分ほどの所にあり、本来であれば十分に間に合うはずだった。

 やっとの思いで商店街を抜けて交差点へと差し掛かる。目的の場所はこの交差点を渡ったすぐ先にあった。

 チラリと横断歩道の信号に目をやると青色が点滅していた。

(絶対に遅れないでって言われたんだから急がないと)

 少女が急いで横断歩道を渡っていると、運悪く猛スピードのトラックが交差点に突っ込んできた。急ブレーキのけたたましい音が響いた後に、ドンッという鈍く悪い予感をさせる音がした。しばらくすると焦げたゴムの匂いが辺りに漂ってきた。

 和やかな雰囲気だった周りの人たちはすぐには事態を飲み込めずにいた。コンマ数秒の静寂の後に女性の叫び声が聞こえ、みな我に返ったように事故が起こったことを理解した。

 少女が持っていたバッグは数メートル先に飛ばされていて、かなり大きな衝撃だったことがわかる。

 肝心の少女はトラックのすぐ近くに横たわっていた。

 大人たちは少女ではなくトラックからかなり離れた場所で倒れている少年を取り囲んでいた。

 少年は大人たちの呼びかけには応えずに、ただグッタリと車道に横たわっていた。

 少女はトラックで撥ねられずに済んだ。すぐ近くを歩いていた少年が少女を庇ったからだ。

 騒然となる事故現場には救急車のサイレンの音が鳴り響く。

 救急隊員は少年と少女を救急車に乗せてその場から走り去った。警察の現場検証がひと段落つくと、まるで何事もなかったかのように辺りは静まり返った。時計の針は午前零時を回ろうとしていた。

 そんなとき、どこからともなく鐘の音が聞こえてきた。カーンカーンという甲高い音は、しばらくのあいだ止むことはなく、まるで何かを祝福するかのように街中に鳴り響いていた。


2022年4月


「そうだな。星を持ってこい。そしたら願いごとを叶えてやるよ」

「星なんてどこから持ってくるんだよ。宇宙に行って取って来るのか?」

「そこのコンビニで星型のグミとか買ってくればいいんじゃない?」

「そんなに簡単だと叶え甲斐がないだろ。そうだな――下に河原があるだろ、あの辺から持って来いよ」

「河原の石って全部丸っこいだろ。星型の石なんてあるわけないだろ」

「別に無理にやんなくてもいいぞ。俺だって暇じゃないんだからな」

「河原の石なら簡単なのに。なんでわざわざ星型なんだよ」

「星に願いをってよく言うだろ」

「そんなこと聞いたことない。それに本当に願いごとが叶うっていう保証はあるの?」

「お前は難しい言葉を知ってるな。保証なんてあるはずないだろう。俺は可能性を提示してるだけだ」

「カノウセイをテイジってなんだよ。難しい言葉言われてもわかんねーよ」

「みんなは何か叶えたい願いごとってある?」

「俺は世界一のサッカープレーヤーになることだな」

「私はイケメンと結婚したい!」

「俺は特にねーよ」

「私はね、いつまでもみんなとこうやって楽しく遊んでたいな」

「明日の放課後にみんなで石を探そうよ」


 遠くから音が聞こえる。最初は小さかったその音は段々と大きくなり、それが耳障りな電子音だと気が付いた。

 目を瞑ったまま音の方へと手を伸ばして、目覚まし時計のスイッチに手をかけた。ボタンは指にかかってはいるけれど、どうにか押さないままでいた。昔から使っている目覚まし時計はスヌーズ機能なんていうものはなく、このままスイッチを押してしまったら間違いなく次起きるのは昼過ぎだ。過去の経験からそれは簡単に予想できた。

 なんとか二度寝の欲求に打ち勝って上半身を起こす。一度大きく伸びをしたあと、ようやく目覚まし時計を止めた。

 僕の生活サイクルは春休みに入ってすぐに崩壊した。朝に寝て、夜に起きる。昼夜逆転だけであればまだ可愛い方で、逆転に次ぐ逆転を重ねていた。新学期初日の今日でさえも、眠りについたのが朝方の四時頃だった。ざっと三時間しか寝ていない計算になる。さっき見ていた奇妙な夢も、きっと寝不足のせいだろう。


 気だるい体を引きずるようにしてリビングにいくと、父さんと母さんが朝食を食べていた。「おはよう」と言いながら席に着く。二人はテレビに夢中のようで、僕の方を見ずに「おはよう」と返した。すでにテーブルの上に用意されていたトーストと目玉焼きとサラダをもそもそと食べ始めた。

 テレビでは女性のニュースキャスターが興奮しながらニュースを読み上げていた。

「本日正午! 宇宙飛行士の宇野明さんが日本人初となる月面着陸に成功しました!」

 画面は切り替わり、宇宙服を着た人間が一人月面へと降り立つ映像が流された。その映像を見たとき僕は素直に感動した。いつもは日本人ということを強く意識したことはないけれど、同じ日本人が偉業を達成したと聞くと、何故だか自分も褒められているようで気分が良かった。ただし、その感動が長くは続くことはなかった。月面へ降り立つ映像はとても短い上に、これでもかと繰り返し流されるものだから感動も薄れてしまう。

 ニュースキャスターが「それでは宇野さんの半生を振り返って見ましょう」そう言ったあと、更に駄目押しで同じ映像が流れたときには、僕の中では見慣れたただの映像の一つとして処理されていた。

「それにしても出来過ぎな名前だよな。名前に宇宙と月が入っているなんて」

 父さんは口いっぱいにトーストを頬張りながら呟いた。それを聞いた母さんは「そうねえ」と相槌を打つ。テレビに夢中になっているのか生返事だ。

「もし俺がこの人の親だったら近所中自慢して回るな。俺の付けた名前のおかげだぞって」

 きっとこの宇野さんという人は、血の滲むような努力をして宇宙飛行士になり、そのあとも想像を絶する困難を超えて月に降り立ったのだろう。それなのに全てが親の付けた名前のおかげにされてはさすがに可哀そうだ。思わず苦笑した。

「それに比べて春人は良かったな。もうすでに春の人だ」父さんは大げさに笑った。

「それを言うなら春に生まれた人でしょ」

「ああそうだ。良かったじゃないか、生まれたときからすでに目標が達成されて」

 父さんの中では、名前が目標である、という話にすり替わっているようだった。

「目標って言えば、行きたい大学は決まったの? いくらかかるか分からないんだから早めに言ってもらわないと」

 いつの間にか母さんもテレビから目線をこちらに向けて会話に加わっていた。

 正直どの大学に行くべきか悩んでいた。やりたいことがたくさんあって目移りしているというわけではなく、むしろその逆だった。やりたいことがない、だからとりあえず大学にいっておこう。そう思うのだけれど、そう考える度に心に靄がかかるような気持ちになった。自分の本当にやりたいことは別にあって、けれどそれを見つけることはできない。なぜかそんな気がして進路を決めあぐねていた。

「そうだぞ、春人。うちには余裕なんて無いんだから早めに言ってもらわないとな」

 母さんは、あなたが言うのか、と言わんばかりの顔をして父さん睨んだ。父さんは気まずくなったのか、食べ終わった食器を持ってキッチンへと向かった。

 父親が大学の教授ということもあって、世間一般の家庭に比べて貧しいというわけではなかった。庭付きの一戸建てに住んでいて、車も二台所有している。母さんも昼間パートに出ているので、なおさらお金に困ることはないように思える。収入でいえば裕福な家庭といえるだろう我が家の問題は父さんのお金の使い方にあった。

 父さんは考古学を専門にしているため数多くの骨董品を所有していた。そのほとんどは研究や講義のためではなく、趣味で収集した物だった。色の剥げた気味の悪いお面や、意味が分からない図形が羅列された掛け軸、小学生が作ったかのような歪な形をした土器など種類は様々だった。

 問題といっても他の父親より多少趣味に使うお金が多い程度だろうと思っていた。本当に問題があるなら母さんが黙っているわけがない。無言の圧を発している理由としては、わけの分からない物にお金を使っている父さんへの牽制だ。僕自身も骨董品に興味がないので母さんとは同じ意見だった。それでも母さんが文句を言い切れないのは、毎晩自室で晩酌をしながら嬉しそうに自分のコレクションを見ている父さんの姿があったからだろう。あんなに幸せそうにしている姿を見たら、よっぽどのことがないと止めろとは言えない。

 これ以上の話しをすると父さんに被害が及ぶため、「ごちそうさま」とだけ言って二階へと向かおうとすると、テレビの生中継で宇野さんへの質疑応答が行われていた。

「宇野さんはもともと月へ行くメンバーじゃなかったんですよね?」

アナウンサーの問いかけに少し間が空いてから宇野さんは答えた。

「そうなんですよ。僕も驚きの連続で、それこそ奇跡みたいなことのような――」

 面白そうな話だけど、このまま聞いていたら完全に遅刻してしまう、足早に自分の部屋へと向かった。


 部屋に戻りクローゼットから制服を取り出す。母さんがクリーニングに出してくれていたようで、薄い透明のビニールがかけられていた。これまで何百回と着ている物なのに、たった二週間着ていないだけで初めて袖を通すかのような感じがした。長期の休み明けはいつもそうだ。

 無造作に置かれた学校用のバッグの中には大量の教科書が入っていて少しゲンナリした。終業式の日に学校に置いてあった教科書を持って帰ってきてそのままになっていたからだ。バッグから教科書を取り出し適当に机の上へと置いた。

「もう出ないと遅刻するわよ!」母さんが一階から大声をあげた。

 新学期初日から遅れるのは流石にまずいと思い、急いでバッグを手に取り家を出た。


 家を出て住宅街を抜けると目の前には川が流れていた。昔は自然な河原だったけれど、区画整理のために味気ない人工河川へと様変わりしていた。ちょうど登校時間のピークだからか、沢山の生徒たちが皆同じような足取りで川沿いを伝い学校へと向かっていた。歩道が狭いため、前の人間を容易に追い抜くこともできないし、逆にペースを落とすことで後ろがつかえてしまうこともはばかられるので、皆同じペースで歩き続けるしかなかった。この道以外に学校へ行く道がないわけではないけれど、他の道では遠回りになってしまうので、大半の生徒がこの狭い川沿いの道を同じペースで通学する他なかった。

 川沿いから道を逸れて長い坂を上ると段々と校舎が見えてきた。久々の登校だから心なしか息があがっているように感じた。

 校門の前に着いて深呼吸をする。空を見上げると雲一つない青空が広がっていた。昨晩まで長く大雨が続いていたので、久々の快晴に清々しい気持ちで一杯になった。 ふと目の前を見ると、本当なら満開で生徒を迎えるはずの桜の木は花一つ咲いていなかった。こんな門出に申し訳ないと言いたげに、ひっそりと校門の脇に立っていた。    

 散り落ちた花びらは多くの生徒たちに踏み歩かれ、見る影もなく、辺り一面に泥が点在しているように見えた。


 ジイサンが壇上に上がりボソボソとした小さい声で訓示を述べていた。

 この学校の校長は生徒たちのあいだではジイサンと呼ばれていた。小柄な白髪の年老いた男性。安直なようでいて不思議としっくりくる。中にはジジイといった過激な呼び方をしている生徒も見かけたけれど、僕は流石にそこまでの勇気はなかった。たまに教師が言い間違えそうになっているところをみると、どうやらジイサンと呼んでいるのは生徒たちだけではないようだった。

 しばらくして、後ろにいる野中が周りには聞こえないくらい小さな声で話しかけてきた。

「ジイサンの声、相変わらずちっちゃいな」

 茶化して僕を笑わせようとしているのは明らかだった。振り向いて注意することもできないので口を閉じて肩を震わせる。

「これじゃあジイサンじゃなくて坊さんだ」

 抑揚が無く、途切れることのない、それでいて言葉の内容が理解できない、そういう意味では確かにお経と似ていなくもなかった。一瞬、お坊さんが壇上で話しているところを想像して吹き出しそうになる。笑いを堪えるのも限界に近かった。

僕が肩を大きく震わせているのを見て、ふざけているのがバレると思ったのか、野中がそれ以降は話しかけてくることはなかった。

 お経のような話を聞きながらぼうっと立っていると、いつの間にか始業式が終わっていた。


 教室へ戻ると黒板には座席表が貼られていた。新学期は座席が名前順なので、すぐに自分の名前を見つけて席に着く。

「ようハルちゃん!」

 野中が僕の肩を強くたたき、勢いよく椅子にどかっと腰を下ろす。

「さすがにジイサンの話の最中に笑わせるのは反則でしょ」笑顔で文句を言った。

 野中は高校で知り合った。一年のとき同じクラスになり、なぜか馬が合った。気づいたらいつの間にか冗談を言い合う仲になった。僕のことを「ハルちゃん」なんて呼ぶのはコイツくらいなものだ。サッカー部に所属していて、ポジションは右のサイドバック。高校から始めたらしく万年補欠だった。素人目にも上手いとは言い難かったけれど、野中が楽しそうに練習する姿を見るのが僕は好きだった。

「そういやニュース見た? 日本人初月への上陸! すげーよなぁ」

「野中もそーゆーのに興味があるんだ?」

「あるよ、あるある! 地球は青かった、だっけか? ロマンだよなー」

 その言葉を発したのはガガーリンで月へは行っていないし、実際に月に行ったのはアームストロングだということを指摘しようとするも、そもそもなぜ自分がそのことを知っているのか疑問に思った。今まで一度だって調べたことがなかったからだ。

「それにしてもよー、このクラスの女子のレベル高くなーい?」教室中に響き渡る大声で聞いてきた。

 野中はクラスメイトの視線を一斉に集めると、水を得た魚のように、意気揚々と近くの女子に話しかけた。

「ねーミヨちゃーん」

「何? ナノちゃん」すぐ隣に立っていた村瀬さんが返事をした。

 野中信夫、ノナちゃんという愛称なら分からなくもないけれど、村瀬は何故かナノちゃんと言った。あるときその理由を聞くと、村瀬は「ナノちゃんってなんか小さくてカワイイでしょ?」そう答えた。確かに野中は男子の中では身長が小さい方だけれど、クラスの中で一二を争うほど小さい村瀬がそう思うのは何故か納得がいかなかった。

「ミヨちゃんが可愛いって言ったんだよー」そういって村瀬の頬を人差し指でつつく。

「もー、そんなことないよー」顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 クラスのマスコットのような存在で、隠れたファンクラブが存在する、そんな村瀬がどうして野中なんかと付き合っているのか皆不思議に思っていた。

「そういやこのクラスの担任、今年赴任してきたらしいぜ。若くてキレイな先生だといいよなー」

 僕の嫉妬なんて想像もしていないのだろう。話題は新しい担任に移っていた。

ガラガラとドアを開ける音がして担任と思われる人物が教室に入ってきた。

 期待をしていた担任の先生が五十を過ぎた男性と分かると、野中はあからさまに落胆の表情を見せた。

 好きなグループで固まって話をしていたクラスメイトはぞろぞろと自分の席に戻っていった。

 新しい担任の先生は、全員が席に着くまでの間教室の中を見回していた。何の変哲もない教室なのに、何をそんなに見るべきところがあるのだろうか。

 ひと通り教室の中を見まわしてから自己紹介を始めた。

「初めまして。今日からこのクラスの担任になる星野誠一です。担当科目は化学、物理です。みんなよろしく」

 そう言ってしばらく無言になった。顔は相変わらず生徒たちに向けられている。

 沈黙のあと、おもむろに出席簿を手に取り、星野先生は教室を出ていこうとした。

あれで終わり? と言いたげに野中が僕を見る。

 クラス中が困惑している中「バン!」と大きな音がした。

音の鳴ったほうを見ると、一人の女子生徒がドアの前で息を切らし立っていた。

「君は?」と星野は言った。

「え?」女子生徒はキョトンとしている。

「君の名前」

 自分の名前を尋ねられたことがわかると、星野先生に仰々しく向かい直り、ペコリとお辞儀をした。

柊千冬ひいらぎちふゆです」

 彼女は黒板で自分の席を確認して向かうのかと思いきや、星野先生の前で立ち止まる。

「あれ? 先生どっかで会ったことないですか?」

「なんだ。新手のナンパか?」

 柊さんは納得できないといった表情を浮かべながら、ふらふらと教室を歩いて僕の右の席に雪崩れ込むように座る。

 その一挙手一投足をクラス中が注目していた。遅刻してきたのに悪びれもしない態度もさることながら、みんなの目を惹いたのは絶望的な髪型だった。

 確か二年生の三学期に見かけたときには髪は長かったはずだ。その長かった髪が短くなっていた。ただ短くなっていたのではない。中途半端に短く、文房具のハサミで切ったのではないかと思えるほど無残に毛先が切り揃えられていた。どことなく日本人形に似ていると思ったのはきっと僕だけではないはずだ。

 そんなクラスメイトの反応などお構いなしにバッグに入っていた教科書を机に仕舞い始める。

 星野先生はすでに教室からいなくなっていて、部活のある人たちは早々と席を立ち、教室にはほとんど人はいなかった。教室に残ったクラスメイトは仲のいい友達と話をしているようだった。遠くてよく聞き取れはしなかったけれど、たぶん柊さんについてだろう。彼女の髪形は、思春期の高校生からしたら恰好の話のネタだ。

 当の本人はというと、席に着いたまま教室のありとあらゆる場所を観察していた。教室中を見回していたかと思うと、じっと一点を見つめ、また教室中を見回す。それの繰り返しだった。

橘春人たちばなはると君だよね?」

彼女は視線を僕に移し話しかけてきた。

「そうだけど」突然話しかけられたことに驚きながら答えた。

「私、柊千冬。私のこと覚えてる?」

彼女の『覚えてる』という言葉には少し違和感があった。よく知らない同級生がここで言うべきは『覚えてる』ではなく『知ってる』だ。過去に彼女と話したことはないか思い出してはみたけれど、話す以前に接点すらなかった。

「柊さんだよね。前に話したことあった?」

 僕の返事に彼女は少し考え込んだ。

「そっか。そうだよね」

 彼女はあからさまに落胆した表情を見せた。しばらくして、ふと何かを思い出したかのようにバッグを手に取るとそそくさと教師を出て行った。去り際に、彼女は満面の笑みで「じゃあね」と僕に言った。

 教室に残っていたクラスメイトの男子が話かけてきた。少し変わった女の子と喋っていたことに興味があったのだろうか、適当に話を切り上げて教室を出た。


 校門を出て空を見上げる。日が高く四月にしては少し汗ばむ陽気だ。

 グラウンドを見るとサッカー部が試合を行っていた。試合をしているメンバーの中には野中はいなかった。

 野中は究極的な運動音痴で、常日頃運動をしていない僕から見ても運動能力に欠けていた。体育でサッカーを行ったときも、ほぼ初心者の僕にドリブルで簡単に抜かされるほどだった。授業のあとで野中が「ハルちゃんすげー上手いじゃん。サッカー部入れば?」そんなことを、いつものようにふざけて笑顔で言ってきた。てっきり恨みごとの一つでも言われるかと思ったけどそうではなかった。野中は純粋にサッカーが好きで、そこに上手い下手は関係ないのだろう。

 下校中の川沿いの道は人通りが少なく、朝の窮屈な様子が嘘のように思えた。いつもどおりぼんやりと川を眺めながら、朝の鬱憤を晴らすかのごとくゆっくりと歩いた。

 後ろから足早に近づいてくる音が聞こえた。歩きながら狭い道の端に寄り抜き去るのを待っていた。しばらく道の端を歩いていたけれど、僕を追い抜かす人がいなかったため確認するために振り返える。後ろには柊さんが僕を尾行するかのように一定の距離を開けて歩いていた。

 僕が立ち止まると、柊さんも僕に合わせて立ち止まる。また歩き出し、後ろの足音もついてくる。再び立ち止まり振り返る。先ほどと変わらない距離で柊さんが立っていた。

 柊さんを見つめ、柊さんは僕を見つめる。沈黙して立ち尽くすのに耐えきれず質問した。

「どうしてついてくるの?」

「話がしたいの」

「話がしたいなら、こんなストーカーみたいな真似をせずに声をかけてくれればいいのに」

 そう言うと、彼女は黙ってしまった。

しばらく待っても返事がないので振り返り、再び歩き始めた。彼女は小走りに隣に並ぶと相変わらずの沈黙のまま僕の横で歩いていた。

「とりあえず、何から話そうか」

 僕への相談なのか、自分への疑問なのか、彼女が言った言葉はどちらともいえないニュアンスで返答に困っていた。

「じゃあこうしよう! 春人君は何から聞きたい?」

「僕と柊さんってそんなに仲良かった?」いきなり名前で呼ばれたことに驚きながらも、当然の疑問をぶつける。

「はい不正解!」

 質問をしたのは僕のほうなのに、どうして不正解なのだろうか。

「正解は――千冬でした!」

意味が分からず、ただ彼女の顔を見てしまう。

「だーかーらー、柊さんじゃなくて『チ』『フ』『ユ』。前みたいに千冬って呼んで」

そうか不正解とは呼び方のことだったのか、なんて納得できる訳がなかった。

「前みたいにって、一度も柊さ――」

 彼女が人差し指で僕の唇を塞ぐ。唇に指が触れたことに恥ずかしくなり途中で口をつぐんでしまう。

 彼女は首を横に振っていた。再び間違えた僕をたしなめるようだった。

「一度も千冬さんて――」言い直そうとした僕の口を再び塞いだ。

「千冬さんじゃない、千冬」

 彼女はいいかげん訂正するのにうんざりしているようだった。

「一度もチフユ、って呼んだことないよ」

多少カタコトになったけれど、どうにか言うことができた。

「そう! そこも間違い!」

「いや、本当にないって」明確に否定をする。

「春人君は忘れているだろうけど、小学生のときにはそうやって呼んでくれてたんだよ?」

「小学生のときに? 僕ら会ったこともないでしょ」

「はい! いいところに気が付きました」手を盛大に叩いたあと僕のことを指刺した。「といっても、そこが問題なんだけど」

 威勢のいい態度から一転、急に千冬は黙り始めた。しばらく考え込んだ後、意を決したかのように口を開いた。

「どうやら私たち、同じ小学校で、すごく仲良かったんだよね」

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