第26話 発見

「只今戻りました。」駐車場に車を停めて、

漁師さんにもらった発泡スチロールのトロ箱をかかえながら三階の教授室に顔をだす。

「あぁ、戻ってきたか。ちょうど良かった。今度の調査に同行する国営放送のスタッフから、簡単な台本が来ているから、目を通して変な所とか、不自然な点指摘してあげてね。」ちょうど電話を終えた所だったらしく、田邊教授が振り返ってそう告げる。前にもちらっと言ったが、テレビ局が撮影をする前に、ざっくりでも台本の様なものを要求することは、水族館全体の方針となりつつある。何故かというと、テレビ局がイメージとして水族館に抱いている姿と、現実の間には、かなりの割合でギャップがあることが身に染みて解るからだ。例えば飼育していない生物を台本のなかで取り上げてみたり、その生物が生態として絶対やらない行動を想定内に入れ込んでみたり。素人という表現はあまり好きではないが、せめて取材する対象に関しては、多少の下調べくらいはして当たり前のマナーだろうとは、いつも思わされる。

「はい。わかりました。目を通しておきます。ところで田邊教授、今日焼津漁協のかたに、例の傷のある個体を頂きました。まだ凍っているので、このまま解凍して、明日にでも調査解剖をしようとおもいますが、よろしいでしょうか。」漁協の冷凍庫はマイナス40度位まで冷却出来るものなので、焼津からハンバーグを食べて小一時間かけて帰ってきたが、まだ、半分以上凍っている。

「うん。どれどれ………」発泡スチロールの箱の中身を確認して、田邊教授は軽く頷いた。魚種としては、ハタの仲間に見える。体長は60センチ程の中型の個体だ。半解凍の状態だが、やはり腹部に“例の傷”があるのはみてとれる。

「そうだね。明日の午前中に解剖してみよか。日置くんにも、声かけておくね。」日置さんというのは、当館の研究スタッフの一人で、ハタを研究の専門としている人物だ。専門家が一緒に調査したほうが、気付くことも増える可能性が高まる。

「よろしくお願いします。……じゃあこれは、解剖室に運んでおきます。」私が持ち上げようとすると、京極君がさっと手を出して持って行ってしまった。いつの間に着替えたのか、さっきまでのイケメン風スーツ姿からいつもの閉館作業用の作業服になっている。

「はじめさんは、さっさと着替えて来て下さい。僕がこれ置いてきます。」京極君がさっさとエレベーターに乗り込むので、私も自分の作業服のある更衣室に向かうことにする。

その後は通常通りに作業して、結局京極君と一緒に帰路につく。

「はじめさん。僕さっき運んでる時にちょっと気がついたんですけど、……」海岸沿いの遊歩道を自転車を押しながら京極君がぼそっと呟く。

「……こないだの鮫のときにも気のせいかなぁと思ってたんですけど、……臭いますよね?あれ。」それは、たしかに今日、水族館に到着してからトランクから発泡スチロールの箱を出した瞬間から感じた臭いだ。単なる魚の腐敗臭とは異なる、どちらかというと金属イオンのような匂いと、硫化水素のような、俗にいう“卵の腐ったような”匂い、そしてもうひとつ、何故か“ニンニク”のような匂いが入り交じっているような気がするのだ。

「……うん。前回の鮫と、同じような臭いがするね。あれ。」良くある組み合わせではないので、多分これは、『気のせい』ではないだろう。それに関しても、一度報告書をもらった各水族館にもう一度問い合わせを掛けたほうがいいようだ。明日の研究解剖の際にも、腹腔内の空気を採取して、ガスクロマトグラフィーにかけるくらいは、してみる価値があるかも知れない。

「…じゃあ、また明日よろしくお願いします。」明日の研究解剖について考え込んでいる私を気遣ってか、京極君は、食事の話もせずにアパートの前でおとなしく帰って行った。いつも思うのだか、自転車でそっち方向ということは、多分水族館から直接反対方向に帰るほうが近道のような気がする。

「……まぁ、いいか。」遅めの昼食で食べたハンバーグがまだ若干胃に残っているような気がする。夕食は、実家から送ってきたそうめんで簡単に済ませることにしよう。

朝だ。いつものように海岸沿いの遊歩道を歩いて出勤する。そろそろイケメンの話題にも飽きたらしく、入口の警備さんも特にリアクションはなくなった。普通に名簿に記入して、名札を受け取って入ろうとすると、

「あ、おはようごさいます。イケメン学芸員さん。」背後から大声で声を掛けられた。

聞き覚えのある声に振り返ると、テレビ番組でカメラマンとして同行していた緒方とかいう男性だ。

「…今日は、何かご用件でも?」若干愛想の度合いが低めになってしまった気がする。

「今度のJAMSTECさんと共同の調査航海で、海中カメラマンとして協力することになりましたんで、田邊先生にもご挨拶をとおもいまして。」ニコニコしているが、業界の人種の笑顔はなぜか胡散臭い。

「海中の撮影ということは、潜水士も持ってらっしゃるんですね?」危機管理上ライセンスの有無は、それとなく把握しておきたい。

「……潜水士?……あ、ああ持ってますよ。」この返答、多分持ってなさそうな気がする。まぁ、実務的には技術があれば問題はないが、万が一事故が起きた時に責任者が資格の有無を知らないでは済まされないのだから。後でしっかり証明書類の提出を念押ししておこうと内心で決めて、この場は流すことにする。

「……じゃあ、今から教授室に向かいますのでついでにどうぞ。」裏口から一緒に入ってエレベーターの前で待っているところに日置さんと、京極君がやってくる。

「…あ、おはよう。今日の調査解剖だけど、……」口止めする間もなく日置さんが話かけてくる。案の定緒方氏が好奇心丸出しの表情でこちらを見ている。特に秘匿するようなことでもないのだが、マスコミに対する不信感が、どうしても私の表情にでているようだ。京極君が何やら勘づいて挙動不審になっているが、日置さんの話は止まらない。結局三階の教授室につくまでに、日置さんは段取りを話続けて、今日の予定はカメラマンにすっかり把握されてしまうことになった。

「あ、おはようございます。ご無沙汰してます。緒方です。調査航海ご一緒させて頂きます。よろしくお願いいたします。」教授室に入ると同時に如才なく田邊教授に向かって挨拶をする緒方氏。突然登場したカメラマン氏に目をぱちくりさせながらも、受け答えする田邊教授を横目に見ながら、とりあえず私達は調査解剖のための下準備にとりかかる。

結局カメラマンの緒方氏は、しれっと調査解剖室まではいりこんで、どこから出したのか手持ちのハンディビデオカメラで撮影を始めている。

「…教授、撮影してますけどいいですか?」一応田邊教授には、小声で確認をとっておく。

「…うん、まぁ、今度の調査航海の番組の素材としては使い道あるかもしれないからね。あと、一応プロだから、僕らが撮るよりも上手いだろうし。」魚の解剖なんて、他に使い道もないだろう、という理由で、撮影は黙認、というかほぼ放置で、こちらはこちらの作業を黙々と進めることにする。

「…ガスクロマトグラフィーの検体採取、出来ました。」解剖台に魚体を出す前に、発泡スチロールにビニル袋のままで、内部の空気を専用の採取器で採取して、密閉したまま検査に出すためのケースに収める。外気が混入するのを防いで、出来るだけ検査の精度を上げておきたいのだ。昨夜のうちに、田邊教授にはメールで京極君と私の感じた“匂い”についての相談はすませてある。田邊教授は余り匂いについては印象に残っていなかったが、二人感知したなら、それは“気のせい”ではない可能性があるということで、専門の検査機関に検体提出の許可をもらってあるのだ。

不思議そうな表情の緒方カメラマンは放置して、日置さんと協力して全長80センチ程の魚体を解剖台の上に取り出す。解凍はすっかり済んでいるようで、いわゆる“ドリップ”といわれる水分が、結構な量ビニル袋内部に溜まっている。それらも溢さないように注意しながら用意したバケツに移しておく。

「…やっぱり、匂いますね。」京極君がボソッと呟き、田邊教授と日置さんが鼻をすんすんと鳴らす。二人が目を合わせて頷いているので、やはりこれはこの“傷跡”をつけた謎生物独自の臭いなのかもしれない。

「では、これより、調査解剖を始めます。」

何となくではあるが、一応命あるものを調査させてもらうというような意味合いで、全員でそろって一礼する習わしになっている。

きょとんとしているカメラマンを除いて合掌一礼して、全長などの外部データの計測から順に、淡々と解剖作業をこなしていく。

「では、これより、腹部の傷について調査計測始めます。」日置さんがひとしきり必要な計測を終えた所でようやく本題の“例の傷”にたどり着く。まずは傷の直径(通常ならば縦横の幅を計るが、今回も、以前と同様に傷跡は円に近い形状を示しているので直径にする。)そして深さを計測するためにライトを当てながら慎重に定規を差し込んでいく。

「……うーん…ちょっと暗いなぁ」試行錯誤しながら京極君がライトを調整していると、横から更に照明が追加される。

「……これも良ければ使って下さい。」カメラマン氏が自分の鞄からハンドライトを取り出して追加で当ててくれている。

「あ、ありがとうございます。助かります。」“傷”ではないところに定規を間違って差し込まないように注意しながら計測して、定規を抜き取る瞬間に、視野の奥で何かしら不自然な光が目に入った。一瞬、肋骨の先端が露出しているのかと思って目を凝らしたが、位置関係からすると明らかに骨の向きと異なる。

「……もう一度、ライト二つでお願いします。」何度か角度を調整しながらもう一度、さっき光った所を凝視する。

「……これだ。……」ピンセットを傷口に差し込んで、慎重な動きでその、“光るもの”をそっとつまんでみると、明らかに魚の肋骨とは形状が異なる、長さ1センチほどの“トゲ”のようなモノが傷口から採取出来た。紛失しないようにすかさずシャーレの中に保管して、乾燥等の変質を予防するために生理食塩水で浸して蓋を閉めておく。その後も何度か光源の角度を変えて傷口内部を探したが、“謎のトゲ”はそれだけだった。その後も通常通りの手順で腹部切開、各器官な観察、計測と進め、“例の傷”が主に肝臓を大きく損傷していることが判明して、それらのデータをすべて記録して、取り出した各器官をホルマリン標本にするための下処理、片付けと進んで調査解剖は完了した。どうやらカメラマン緒方氏は、ホルマリンの匂いが苦手らしく、各器官保全処置の辺りからは撮影を魚体ではなく研究者主体にして、遠くから撮影を続行している状態だった。特に肝臓の摘出時には、かなり件の“匂い”が辺りに広がって、思わず日置さんが軽く吐き気をこらえた程だったので、そのあたりの判断は妥当だったかもしれない。あとはホルマリン固定が完了してから、通常と同じように薄片標本作成や、資料作成が待っている。

「……それにしても、コレ、一体なんなんでしょうね?」片付けを完了して、京極君はシャーレを片手に、しみじみと呟く。

「…それはこれから調べることだよ。」開始からすでに4時間、とりあえず遅い昼食をとって、休憩しながら検討会となるだろう。

「…あ、緒方さん、この後はどうされますか?」検討会まで撮影するならば、簡単な食事を用意しなくてはと思い、振り返ると、鞄のなかにカメラを片付けながらも、緒方氏はかなりげっそりしているようだ。

「はい。ちょっと用事思い出したので、これで失礼します。」こういう反応をみると、自分達研究者と一般人との感覚のズレを自覚する。私達はこの後、解剖した記録を観ながら昼食を取りながら検討会をするのが当たり前だが、一般人は『解剖の画像』で食欲不振になるらしい。

「…あ、じゃあさっきの記録画像だけ、コピー良いですか?」私がそう言うと、緒方氏はおもむろにカメラから記録媒体を外してこちらにまるごと渡してくれた。

「このまま使って下さい。後日返却でお願いします。他の画像は入ってませんので。」それを聞いて、私はちょっと反省する。緒方氏は、ノリは業界人らしく軽いが、わざわざ最初から記録係として、参加してくれていたのだ。有り難く媒体をお預かりして、緒方氏は帰って行った。

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