第53話 貴族令嬢VS鉄板ホルモン五の五
「鉄板ホルモン……?ほんと庶民はこういうのが好きなのねぇ」
「いらっしゃいませー」
店に入ると同時に、冷風がマリーの灼けた頬を撫でた。
灼熱の外とは違う、空調が効いた店内に脚を一歩、踏み入れる。その動作は、今までの生命力が漲るマリーとは思えないものだった。
「……」
パクパクと口が動く。普段ならば潤いに溢れた唇は今はひび割れていた。
「え、なんですか?」
店員が近寄る。マリーの耳元に耳を近づけ、コクコクとうなづいた。
「はい、はい、生ビール大、枝豆、ごま塩きゅうり。それとかしらとホルモンとアブラ、わかりました。ではこちらのカウンターどうぞ」
△ △ △
「はぁぁ……はぁ……はぁぁ……はぁ」
荒く呼吸をしながら、マリーはカウンターにぐったりと項垂れていた。横にはリュックサック、工事用ヘルメット。目は虚ろ、どこも見ていない。
とろけている。完全に意識がとろけていた。
唇はひび割れ、頬に潤いはない。まるで減量中のボクサーのように貴族令嬢は乾燥していた。
絶望、そう言い表すしかないマリーのこの姿。たおやかに、優雅に、そして太陽のように輝く彼女の姿はもうない。ズボラな小学生が学校で育てろと言われたが夏休みの間の水やりをサボったひまわりの如く力無く項垂れている。
ああ、マリー、こんな悲しい姿を我々は見たくなかった。
「はい、ご注文の生ビール大です。あと枝豆とごま塩きゅうり」
たん、と置かれたジョッキをマリーが視線だけを動かして見る。少し、間をおいてゆっくりと指が、手が伸ばされる。ひんやりと冷たい感覚があった。
「あ……あ……」
力無く、けれど必死の力をふりしぼりジョッキを近くへ引き寄せる。
力無く項垂れる彼女の前にあるジョッキ。その姿はどこか痛切で、そして敬虔なものに見えた。
まるで、祈りの姿に似ていた。
それは神に、あるいは、酒に捧げているのか。
ジョッキを持ち上げ、口を付ける。
一気に流れ込む極寒の液体。飲むベホマが染み込んでいく。
「ん……ん……」
弱々しい飲み込みが、やがて唸りをあげて響く。
「ごきゅ ごきゅ ごきゅ」
力が溢れる。飲めば飲むほどにマリーに力が戻って行った。
「ズゾゾゾゾゾゾズチュチュチュチュ……」
やがて詰まった排水溝のような音に変わった。ジョッキは傾けるどころかもはや逆さに近い。最後の1滴まで逃さんと吸い込む。マリー、吸引力の変わらないただ1人の貴族令嬢です。
ダン、と空になったジョッキを置き、一気にマリーは息を吸い込み、そしてシャウト。
「あああああうっめぇですわぁ! あ、生ビールジョッキもう1杯!」
店員が頷く。
「水分ギリギリで抑えて工事現場やってからの呑み屋直行生ビール即注入はやっぱんもぉバキバキに効きますわねぇ!失神もんですわこりゃあ!!」
※これは特殊な訓練をした貴族のみが行えるの飲み方です。庶民の方はけして真似しないでください。
「あー、健康に悪いと思いつつもついやってしまいますわね。しかし最近の気温は人類を殺しに来てるのでさすがに控えないと」
枝豆を一口、むしゃりと食う。口内に広がる香り。そしてごま塩きゅうりを齧った。
「失われた塩分とミネラルが吸収されていくぅ……」
「はい、ビールです」
「来ましたわね」
2杯目のビールに口を付ける。奔流する冷え冷えの黄金。やっとビールを味わえる余裕が出てきた。
「このクソ暑い季節では、ビール最初の1杯目など即消滅して当然……こんなものはカウントされませんわ。2杯目からが本当のビールタイム突入なのですわ。これが人間の証明というもの」
酒は味わうもの。生命危機、そして維持のために必死に流し込む水分扱いでは味わっているとは言えない。だから1杯目とはカウントしないのだ。なんと筋の通った合理的判断力。貴族的発想である。
「ビールで身体が冷やされれば、肉を楽しむ心の余裕も生まれてくる……」
「はい、ホルモンでーす。あとかしらとアブラですね」
小気味よく置かれるステンレスの小皿三種。その中に数枚の焼かれた肉があった。その全てにたっぷりとニンニクの香り高い特製のタレが掛けられている。
「これですわぁ」
まずはホルモン。付けられていた串1本で刺し、脂とタレが滴るそれを一口で頬張る。
「くああ……!」
吹き荒れるガーリック、甘辛な味わい、肉の脂の旨み。力が湧いてくる味だ。力こそパゥワー。パゥワーそのものとしかいいようのない快感がマリーの全身を貫く。強い。このタレが強い。
「そこにおっかけてビール……!」
ぐいと傾ける。甘辛とガーリックでノックアウトされた口内を沈める素晴らしいコンビネーション。
「完璧なる午後2時……!」
昼下がりに決める極限状態からのビール。これこそが人間らしい暮らし。人権が最大限保証されていることを実感した。
「鉄板ホルモン、いわゆる西成のやまきという飲み屋が有名になって知られたスタイルですけれど、あんまり関東じゃ見なかったのに最近増えましたわね。流行かしら」
ぐびりと飲みながら、今度はかしらに手を伸ばす。柔らかで歯切れの良い食感。そしてタレが当然美味い。
アブラ、これも当然のごとくやみつき。
「ホルモンというとやきとんのように串に刺すスタイルと焼肉屋で網焼きするスタイルに別れるのですが、これはそれとも違う鉄板で店員が焼いて特性のタレを掛けたものを串で食べる言わば第三のスタイルですわ。本当にホルモンは土地によって個性が出ますわ。ホルモンの食べ方に土地が出て、焼き方に人生が現れますのよ」
関西におけるホルモンの文化は多様である。現地酒飲みによって育まれたディープな代物なのだ。
「なによりもこのタレが美味い……心の中の部活帰りの中学生男子が唸って光り出すほどのニンニク甘醤油ダレに勝てる人類などいるわけが無い……!」
もぐもぐとホルモンを噛み締めてビールを流し込む。止まらない。これはもう止まらない。
手を挙げて、叫ぶ。
「この勢いを生かしたまま……! すいません、馬刺しと明太チーズオムレツください」
「はい」
「あとハイボール! メガで!」
「はい」
△ △ △
「はい馬刺し、それとオムレツとメガハイボール」
「ああ〜良いっすわね」
脂身の多いビジュの馬刺しをつまみ生姜醤油にとぷりとつける。口に運べば馬肉特有の旨みと脂身の甘さが素晴らしい。
そこをハイボールでぐいと追いかけた。
「ぷはぁ! 旨い……馬だけに! しかし昔は馬刺しは負けた競走馬がなるものと思っていたけれど、実際は違うそうなのねえ」
明太チーズオムレツ、これももう見ただけで美味い。スプーンを突き立ててればとろけて糸を引くチーズ。頬張れば卵とチーズが明太子の塩気を帯びて素晴らしい。
「馬刺しはきちんと食用に育てられた馬から作られるのですわ。レース用の馬では食用に適さないので、ドッグフードに回されるという……ほんと、勝負の世界って残酷ですわね」
メガハイボールを苦もなく持ち上げ、グビリと流し込む。もはやあの弱々しかったマリーの姿は無い。完全回復した無敵令嬢が復活していた。
「しかしわたくしの生きる世界もまた過酷……仕事がまた途切れましたわね」
またかよマリー。
「しかし待つこともまた勝負のひとつ、雌伏を耐えられぬものに勝利などないのですわ」
ぐびりと呑み、ホルモンを噛み締める。クーラーが効いて体も冷えてきた。窓から映る外の光景は、燦々と降り注ぎまくる灼熱の川口駅前の姿だった。
「幸い、この店の営業時間は午前11時から午前5時までという長・長期戦に適したものですわ。もうこの営業時間で川口の民の奥ゆかしさが伝わってきますわね」
奥ゆかしいかなぁそれ。
△ △ △
「ふぅ、チビチビだらだらとやってもう夕方近く。そろそろ〆を考えましょうか」
窓から指す光に赤が混じっていた。4杯目のハイボールを空けて、メニューに目を通す。
マリーの目が止まる。アレをやってみたいが、アレをやるのは貴族としてはしたないだろうかと少し迷った。
「秘めてこそ花といいますが、時には……心根を明かすのも美徳かもしれませんわ」
ゆっくりと息を吐き、意を決して店員に伝える。
「すんませんこの鉄板ミックスホルモンと白ご飯ください」
△ △ △
「はい、ミックスホルモン、それと白ご飯です」
「さて、これを」
マリーは受け取った肉の皿を、飯碗の上に持っていく。
「合体」
豪快に白飯の上に掛けた。白飯がホルモンやアブラ、かしらなどの肉とタレに覆われていく。
馨しいニンニクの香りを発する肉と米を、マリーは勢いのままにかっこんだ。
「うっめ! やっぱこのタレは白飯と相性抜群ですわこれ!」
噛み締める肉、そして甘辛ニンニクタレ。こんなん白飯と死ぬほど合うてもう最初からきまっとるやん。
「米1粒も残さずにフィニッシュ……!」
カランと、飯碗が音を立ててカウンターに置かれた。
「ふぅ……心地よい満腹感と満足感。いささか躊躇はしてしまいましたが、やはりこの食べ方は我ながら英断でしたわ」
立ち上がる。もうこの気持ちよさのまま、ゆっくりと家に帰りたい。どうせ明日は仕事はないので昼まで寝ていよう。
「……あら」
気がつけた窓の外はぼんやりと暗くなっていた。どこからか、微かに聞こえる音。
ゴロゴロという音。
「あら、これは」
やがて雲を断つような稲光。今度はハッキリと雷音が聞こえる。
ポツリと、小さな雨垂れ。すぐに大量の雨へと変わった。
勢いは強い。
「夕立ですわねぇ……風情はありますが、傘は無いのですわ」
あったところでこの勢いの雨ではとても外には出れまい。
「降られることを嘆くよりも、これも風流のひとつと愛でるほうが良い人生というものですわ」
カウンターに座り直す。夕立を肴に、飲むことに決めた。
「すいません、ウーロンハイひとつ」
貴族令嬢がジャンクフード食って「美味いですわ!」するだけの話 上屋/パイルバンカー串山 @Kamiy-Kushiyama
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