第6話 拝読
病院待合室。
旦那さんが入院決定したことを、ナースが奥さんと少年二人に伝えていた。
奥さんはアルレットの声かけがよかったのか、会話ができるレベルにまでは落ち着いていた。
少年二人も大人しく待っていたようだった。
よく教育されているな、と俺は思った。
小太りの医者が旦那さんのカルテを取りに行っている間、俺は待合室に行きアルレットと目が合った。
アルレットは目を輝かせて俺の元に寄ってきた。
主人が家に帰ってきた時の犬のように見えた。
「お疲れ様です、放浪医さん」
「そっちもお疲れさん、お互い大変だったな」
アルレットは首を横に振り、そんなことないですと言う。
ナースが奥さんに入院手続きの話をしているところを横に見ながら、俺はアルレットに言う。
「もう奥さんは大丈夫そうだな。今日はもう帰って寝ろよ」
「あの、放浪医さんは?」
「俺は少しやることができた。帰るのはもう少し先だ」
俺はそう言ってアルレットに背を向ける。
もうアルレットにしてもらうことはない。
旦那さんを治療できるかどうかの話は俺の分野になる。
「夕飯ごちそうさん。あの店は美味かったな」
「ま、待ってください!」
診察室に戻ろうとした俺の腕をアルレットが握ってくる。
アルレットは奥さんや少年二人がこっちを見ていないことをちらりと確認してから、俺の耳元でこう聞いてきた。
「やる事ってひょっとして旦那さんの治療ですか?」
「・・・・・・」
俺はため息をつく。
俺のやる事、と言えば旦那さんがらみであることは予想できただろう。
ただ、アルレットがこうまで強く俺の腕をつかんでいるということは、多分、
「そうだ」
「だったら私もお手伝いします」
・・・・・・やっぱりな。
この子は旦那さんの件でまだ下がる気がないらしい。
「お前は医者でもナースでもない。できることはないぞ」
「確かに治療はできません。でも、お話を聞くだけなら大丈夫でしょう?」
頑固者め。
「俺がダメだと言ってもお前は付いてくるんだろ?」
「はい!乗っちゃった船です、とことん手伝います!一人より二人!」
精神論でなんとかなる話じゃない気もするんだがな。
この子と別れるのはまだ先になりそうだ。
「わかった。だが、俺が考え事をしている時は肩を叩いてくれ。俺は集中し始めると周りの声が全く聞こえない」
「了解です」
「とは言ったが、場合によったら今夜ここで解散するかもしれない。ケースバイケースだ」
「どういうことですか?」
「今から旦那さんのカルテを読むことになってる。それから治療をするかどうか決める。治療をしないと決めたらここを離れるってことさ」
アルレットと一緒に診察室の中へ入り、椅子にかける。
小太りの医者はまだ来ていないようだ。探すのに手間取っているらしい。
「俺が知っていることを今から話す。もちろん口外禁止だ、個人の医療情報だからな」
「はい」
俺はアルレットに簡潔に旦那さんの様態を説明した。
・旦那さんは末期ガンであるということ
・今回の旦那さんの症状はガンからの合併症であり、脳に支障を来した症状であったこと
・旦那さんは根治治療をしておらず、それが旦那さんの希望であったこと
・このままでいけば旦那さんは数日中に亡くなるかもしれないこと
途中、無意識に専門用語を話してしまったため、その専門用語を補足説明することもあったが、それを除いてアルレットは真剣に俺の話を聞いてくれていた。
「すまない、待たせたね」
俺の説明がほぼ終わると同時に小太りの医者が中に入ってきた。
「その子は君の連れかね?」
「たまたま居合わせた旅人だ」
アルレットは小太りの医者に深々と頭を下げ、自己紹介をした。
「放浪医さんの許可はいただいています。情報守秘も必ず守ります」
「ふむ、ならいいか」
小太りの医者は分厚い紙の冊子を俺に渡してきた。紙カルテだ。
これだけ分厚いということは、何年もこの病院にあの旦那さんは通っているのだろう。
「一応、通院初めの頃の分まで引っ張り出してもらった。ただまぁ、読んでもらえればわかるが、ほとんどは点滴の前回DOだよ。全て読むのにそこまで時間はかからないだろうさ」
小太りの医者は今日の治療についての内容を新しいカルテに記述し始めた。
読んでおいていいから自分は仕事をする、と俺に暗黙で語っていた。
「放浪医さん、前回DOって?」
アルレットが俺の横から手を上げて質問してくる。
「前の治療と全く同じことをしたってことだ。この場合だと単に点滴をしただけって事さ」
俺はカルテの1ページ目から目を通し始めた。
沈黙が流れ始めたが、アルレットはその間大人しく待ってくれていた。
旦那さんは33歳。新聞印刷工場で勤務。
30歳になった時に身体に違和感を覚えて、職場を抜けて検査来院。
血液検査をしたところ、ガン数値が高値であることが判明。
そこから精密検査開始。身体の至る所に陰影あり。
健康診断は欠かさず受けていたが、ガン検査などは実施しないため発見されなかった。
当時、旦那さんにガンが見つかったことと即入院の必要性を説明したが、旦那さんはそれを拒否。
医療費を支払う余裕が自分にはないと。
家族を養うために働かなくてはいけないと。
医者は何度も説得を試みたが、旦那さんの意志は変わらず。
この日は応急処置として点滴加療のみで終了。職場へ戻る。
それから身体の違和感を覚えては点滴を打ちに来るの繰り返し。
初めは不定期だったが、今度は定期的になり、月1回が月2回に。そして週1回と間隔が狭くなっていき、今は週に2回の頻度。
途中、かかりつけ以外の医者が治療をするよう説得するも、旦那さんは拒否。
口論に発展することもあったが、旦那さんは「自分の命よりも家族が大事だ」の一点張りだった。
血液検査でガン検査数値を定期的に確認しているが、日を追うごとに高値になっており、現在は高値で横ばい。
言い方を変えると限界点まで上がりきってしまっているとも言える。
家族にはガンの説明は伏せており、内臓関係の数値が少し悪化しているので通院していると嘘をついていると。
「馬鹿な旦那さんだな」
一通り読んだ後の感想がそれだった。
アルレットは目を見開き、小太りの医者は頭をかいた。
「やはりそう思うかね」
「馬鹿以外の何者でもないだろ。働く身体がなくなったら収入もゼロだ。この旦那さんは計算ができていない」
多額の治療費を払って健康に戻り社会復帰するのと、治療費を渋って寿命が縮まり収入がなくなるのとでどっちが収入面でプラスか。
言うまでもなく答えは前者だ。
だが、旦那さんは冷静にそういう考えができていない。
頭が良ければ、冷静に今の自分と未来を考えて方針を決めることができる。
頭が悪くても、医者や家族に相談して方針を話し合っていくことができる。
だが、旦那さんはそのいずれも選ばず一人で抱え込むことをしてしまった。
つまりは救うことができない馬鹿者なのだ。
だが、こういう馬鹿は少なからず存在する。
少し前にでも根治治療を望んでいれば、まだなんとかなっただろうに。
「もう何もかも手遅れだ。医者としての治療はできない。もう今夜はこれで解散だな」
俺は小太りの医者にカルテを返す。
小太りの医者は小さくうなずいた。
納得してくれたか、といった様子だった。
「ちょっと待ってください!」
話に納得できていない少女が立ち上がった。
「放浪医さん、本当にそう思っているんですか!?」
アルレットの顔が少し赤くなっていた。喜怒哀楽が激しい子だ。
「自分のことを理解できていない奴を他人が助けることはほとんどできないんだよ」
「でも、放浪医さんならそんな人を何人も見てきたんじゃないんですか?」
「あぁ嫌っていうほど見てきた。そこのドクターも一緒だろう」
「だったら!」
「嫌っていうほど見てきたよ。で、嫌っていうほどそいつらを治すことはできなかった」
アルレットはそこで固まった。目に涙を浮かべていた。
「ドクターさん、邪魔して悪かった。俺たちはもう帰るよ」
「いや。こちらも話し相手ができてよかったよ」
「参考までに旦那さんの病室は?」
「610。6階の東病棟だ」
「旦那さんに伝えておいてくれ。家族を心配させるなってな」
俺はそう言って自分のトランクケースを持って診察室を出て行く。
遅れてアルレットがついてきた。
目をゴシゴシとこすりながら、俺の後をついてきた。
病院の外へ出て、俺は夜空を見上げながら葉巻タバコに火をつけた。
アルレットが黙ったまま俺の隣に立っている。目はこすったせいで赤くなっていた。
「まだ怒ってるか?」
「だって・・・・・・どうしようもない馬鹿って言い方、あんまりじゃないですか」
アルレットが鋭い目つきでこっちを睨んでくる。
「正直、失望しました」
「失望されることにはもう慣れっこだ」
夜空は星がいくつか光っていた。
その空を、俺のタバコの煙が横切っていく。
「アルレット、明日の朝にもう一度ここに来る。今日はさっさと寝るぞ」
「え?」
鋭かったアルレットの目が丸くなる。
「聞こえなかったか?」
「え?それってどういう・・・・・・」
どうやらこいつには1から全部説明をしないとわからないらしい。
「俺はあの部屋で言ったよな。『自分のことを理解できていない奴を他人が助けることはほとんどできない』」
「はい。確かに言ってました」
「つまり『ほとんどできない』けれど、『少しだけならできる』って事だ」
アルレットの顔が明るくなり始めた。期待と希望の眼差し。
正直、俺にとっては眩しい眼差し。
「明日は旦那さんとICだ。まだ俺たちにはまだできる事がある」
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