第5話

 悲鳴が聞こえた。

 轟音が響いた。

 目の前の景色が、いつも見慣れていたものとは異なる。本当にこれは現実なのかと疑った。頭が正常に働かなかった。ただただ足を震わせ、唇を震わせ、呆然と立ち尽くしてしまう。

 見慣れた景色が、

 どんどん崩れ落ちていく。


「逃げろ! 他国の魔女が襲ってくる!」

「早く逃げなさい!」

「この国の魔女はどうした!?」


 あちこちに飛び交う声。必死に逃げ惑う人々の影。中には崩れてしまった建物に飲み込まれてしまった人もいた。

 死んでいく。

 この国の人達が、死んでいく。


「エルマ! ここはいいからお前は早く自分の家へ!」


 呆然と立ち尽くしていたエルマに、一人の男が声をかける。エルマ同様にショットガンを携えた男だった。必死の形相で訴える。

 何度も頷き、エルマは崩れゆく街の中を駆けた。頭上には数体の魔女が飛び交っている。杖を手に、街のあちこちに魔法を放ったのだ。

 あぁ馴染みの店が燃えている。

 よく行った公園に激しい落雷が。

 知り合いの家が割れた地面に飲み込まれてしまった。

 まさに地獄絵図だ。平和で幸せだった筈のこの国は、こんな簡単に地獄の世界へと叩き落されてしまうのか。

 何故魔女が来た。

 何処から来た。

 全く状況が読み込めないまま、エルマは街の中を駆ける。無数の死体が倒れていく中で、それでも足を止めなかった。

 家へ。家へ。

 どうか無事であってくれと何度も祈りながら。


「シェーン! ラドナ!」


 名前を呼びながら、エルマは目的の場所へと辿り着く。外壁が剥がれ、屋根が吹き飛んだ凄惨な状況ではあったが、なんとか家の形は保たれていた。いや、外見が良くても、中がどうなっているのか。


「二人とも無事か!?」


 壊れたドアを蹴破り、エルマは中へ踏み入る。そしてその有様に愕然とした。家具は倒れ、食器は散らばり、崩れた屋根の残骸が床にばら撒かれていた。

 ここは本当に俺の家か?

 そう疑いたくなった。


「……エルマ」


 ふと声が聞こえ、エルマは振り返る。崩れた屋根の下から、弱々しい女性の声。何度も何度も聞いた、その声。


「シェーン!」


 エルマは屋根の残骸を押し上げる。あぁ彼女だ。その美しい金の髪を忘れる筈がない。

 シェーンは落ちた屋根に挟まれている状況だった。体力が枯渇しているのか、表情は虚ろで、弱々しい。早く救出しなければと、エルマは必死に残骸を持ち上げる。

 しかし、重い。全く動く気配がない。


「無事で良かった……。ラドナは?」


 エルマの問いに、シェーンは目を伏せる。そして静かに首を振った。

 それが何を意味しているか、即座に気がつく。


「……嘘だ」

「ごめんなさい……。私の、腕の中に」


 エルマはぐっと力を込め、僅かに屋根の残骸を持ち上げる。そして見えた。ほんの小さな隙間から映る、金の髪の小さな影を。

 全く動く気配のない、小さな影。


「……ラドナ」


 まだ5歳だった。元気に走り回るやんちゃな息子だった。つい先日も、公園で遊んで膝を擦りむいたばかりだというのに。

 これから、未来へ向けて生きる筈だったのに。


「ごめんなさい、エルマ。私は母親失格だわ……」

「お前のせいじゃない、シェーン。……だが、どうしてこの国に魔女が」


 平和で、覇権争いに一切の興味もなかったこの国に、突如として他国の魔女が侵攻した。その魔女達は何処の国が保有しているか分からない。

 つまり、見ず知らずの国に襲われているという状況だ。


「王はなんとか逃がした。衛兵の仕事も住民の救助が最優先となっている。……だから、お前だけでも助けたい」

「エルマ、でも足が挟まって……」

「救援を呼んでくる。ここで待っていてくれ。ラドナもまとめて助ける」


 もうラドナが動かなくても、必ず助け出さなければいけない。安全な場所へ避難して、それからゆっくり眠らせないと。

 他の衛兵を呼ばなければと、エルマは急いで飛び出した。救助で忙しいかもしれないが、シェーンだって優先すべき救助者だ。

 近くに誰かいないかと、エルマは駆け出した。

 その直後だ。


「……っ!?」


 背後で激しい轟音。

 思わず足を止め、振り返る。まさか今の音の方向は……。

 そしてエルマは愕然とする。先程まで半壊のままで立ち並んでいた建物が、一瞬にして崩れ落ちてしまったのだ。

 その中には、エルマの家も。

 まだシェーンが中にいるというのに……!


「シェーン!!」


 叫んだ。喉が潰れるほど叫んだ。家の残骸へと駆け寄り、彼女の名前を呼ぶ。瓦礫に埋もれ、彼女の姿が何も見えない。

 嘘だ。嘘だ。生きている。きっと無事だ。どうかそうであってくれ。

 願いながら、祈りながら、エルマは瓦礫を必死に押しのける。大きな石の塊が持ち上がらない。小さな石を退かすだけでは時間がかかる。

 誰か、誰か。

 愛しい妻と息子を助けてくれ……。


「……!」


 と、エルマは人の気配を感じて顔を上げた。肉眼でも確認できる場所に、1人の女性が浮かび、こちらを見ていた。目深にフードを被り、杖を持った女性だった。

 ひと目で魔女だと分かった。

 そしてこの魔女が、建物を壊したのだ気づいた。


「……お前が、お前がっ!」


 怒りと憎しみを込めて叫んだ。魔女達は全てを奪った。エルマの家も、家族も、この国も。

 許す筈がない。許せるわけがない。今すぐに撃ち殺してやると、エルマは抱えていたショットガンを構えた。


「……」


 しかし魔女は何も言わないまま、くるりと振り返り、また何処かへと飛んでいく。待て、待て! とエルマが叫んでも、戻ってくることはなく。

 だが微かに見えた。フードの隙間から、魔女の顔が。

 左目は真っ黒なのに対し、右目は碧眼だったのだ。


 ◇◆


「エルマ、大丈夫?」


 少女の声に、エルマははっと目を開ける。そして慌てて飛び起きると、精算な街の景色は何処にもなく、見覚えのある部屋が飛び込んだ。

 夢だった。

 いや、夢のようで夢ではなかった。あれは過去の情景。エルマが全てを失ってしまった過去を映し出した夢。

 国も、家族も、全部全部。


「魘されていたけど、悪い夢でも見た?」


 いつの間にかアーティーは戻っていた。窓の外を見ると明るいが、微かに赤みがかっている。

 夕暮れが近いようだ。


「……国を失う夢を見た」

「……」

「妻も息子も失った、あの地獄をまた見る羽目になるとはな」


 あの後、衛兵の協力を経て瓦礫を撤去したものの、シェーンは息をしていなかった。彼女の損壊は激しかったものの、腕の中のラドナは綺麗なままだった。母親としてしっかり子供を守ろうとしたのだろう。

 そして無事に逃せた筈の王も殺害された。王侯貴族は軒並み魔女の魔法で殺され、生き残ったのは僅かな民間人と衛兵だけとなった。

 国は滅んだ。

 魔法と科学を結びつけて研究する、《魔法科学の国》は、滅んでしまったのだ。


「あれからもう5年か」


 そしてエルマは僅かな武器と資金を手に、旅をした。魔女狩り屋として、魔女を滅ぼすことを決めた。何より、シェーンを殺した右目が碧眼の魔女だけは絶対に殺さなければと誓った。


「エルマ。辛いなら今日はもう休む? 町長さんのところへは明日行けばいいと思う」

「いや、大丈夫だ。いつまでも引き摺っていたら仕事にならん」


 失ったものもあれば、得たものもある。


「それに、お前がいるから今は寂しくない」

「本当に? よかった」


 アーティーは満足気に笑った。天真爛漫な姿は、本当の16歳の少女と言っても過言ではない。

 エルマは先日、37の誕生日を迎えた。そんな彼にとってアーティーは、もう1人の子供と言っても過言ではない。

 彼女がいるから、まだ立ち上がれる。例え彼女が魔女だとしても。


「アーティー、出発できるか? 町長のところへ行くぞ」

「うん、任せて!」


 エルマはベッドから降り、大きく息を吐く。過去の情景を見てしまったが、いつまでも悔やんではいられない。

 この悔やみは、魔女への復讐へと向けるのだ。そう決意した。

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