1-2

「ルーカスの言葉に、偽りはありません」

 おれたちの会話をじっと聞いていた姫が、こちらへ歩いて来る。

 声を聞いたのは初めてだったけれど、まるで小鳥のさえずりだと思った。

「わたくしを攫った魔王が言っていました。すまないと。少しの間、我慢してほしいと」

「恐れながら姫、それはどういうことですか?」

「彼は、自らが何千年も前に魔王を倒した人間であること。もう、ずっと一人で魔王として生きてきたことを、わたくしに語りました。ひっそりと、人間に危害を加えないようにしてきたとのことでしたが、彼の眷属である魔族たちを抑えることが、ついにできなくなってきたと言うのです。このままでは、魔族たちが人間を襲ってしまう。早く新たな、力のある者に魔王を継がせなければならない。そして自らも、生きていることに疲れてしまった、と……」

「そんな……」

 前魔王も気の毒ではあるが、だからといってルーカスさんへ何も知らせずに魔王を継がせるなんて。

「じゃあ、先代魔王は自分を倒してもらうために姫を攫ったと、そういうことですか?」

「ええ。彼の精神は限界でした。まだ人の心が残っていたことが奇跡と呼べるほどに。正常な判断など、できはしなかったでしょう」

 衝撃を受ける。そんなことが起こっていたなんて、どうして……。

「誰も、今まで知らなかったなんて……」

「きっと、語る者がいなかったんだ。だって、この通り語る者は、人間でなくなってしまうのだから」

 すべてを諦めたように、哀しい笑みを浮かべる魔王。

 こんな優しい魔王が討伐対象にされているなんて……。

「すべてを公表しましょう! 姫の証言があれば、きっと!」

「どうでしょうか。わたくしは一年もの間、囚われていた身。わたくしの話ですら、信じてもらえないかもしれません」

「そ、それは……」

 確かに、信じ難い話だ。

 ルーカスさんが姿を現したとしても、魔族に魂を売ったと思われて、姫の心を操っていると言われればおしまいだ。

 おれたちが同行したところで、この世界の魔王、魔族に対する恐れは根強い。

 すべては罰しろ。怪しい者は火刑。それが常識。当たり前だ。

 そんな世の中で、こんな話は世迷い言。そうあしらわれる程度なら良い。そんなわけはない。きっと四人とも、命がないだろう。

 もしかしたら、姫は幽閉で済むかもしれないけれど……。

 しかし、どう転んでも誰もが幸せになんてなれそうもなかった。

「じゃあ、どうすれば……」

「言っただろう? 君たちは姫を連れて帰還するんだ。魔王は倒したと言ってね」

「でも……!」

「約束だろう? 話したら素直に帰ると」

「っ……姫は、それでも良いのですか!」

 エレンが姫に詰め寄る。姫は、黙って俯いた。

 おれは、泣きそうな顔をした姉の肩に手を置く。

 そして、一つ頷いた。

「ダレン?」

 きょとんとするエレンの目は見られない。だって、きっと怒るから。

「ルーカスさん」

「何だい、ダレン」

「魔王システムは、魔王を倒せば成立したんですか? ……死ななくとも」

「恐らくはそうだと思うけれど、致命傷は与えていた状況だったから、実際のところはどうかわからな――ダレン?」

 ハッとしたルーカスさんに向かって、跳躍する。

 振りかぶったのは、おれの両手に握られた大剣。

 ガキンッと大きな音が響く。腕を痺れるような振動が駆け抜けた。

 タンッと後方に飛び退ると、困惑しながらも大剣でおれの攻撃を正面から受けた魔王が、警戒しながら立っていた。

「さすがですね、ルーカスさん」

「ダレン! いったい何のつもりだ!」

「またまた。ルーカスさん、気付いているのでしょう?」

「っ……こんなことはやめるんだ。約束しただろう、素直に帰るって」

「約束に応じたのはエレンだ。おれではないですよ」

 じりじりと機会を窺う。下手に飛び込むと、弾き飛ばされるだけだ。

「屁理屈を」

「いいえ、真実だ」

「ダレン、言うことを聞くんだ!」

「いくらあなたでも、これだけは聞けません!」

 彼とは衛兵時代、よく手合わせをしてもらった。彼の強さは、よく知っている。

 手を抜く余裕などない。気を抜けば大怪我だ。

 しかしよく知っているが故に、おれたちに本気になれないことも知っている。

 そして、彼の気持ちも――

「はあっ!」

 スピードは当時から負けていなかった。勢い良く回り込み、体を目掛けて剣を振るう――と見せかけて、狙うは彼の剣。

 軌道を予測していたはずの彼の頭の中を、混乱させる。

 それでも反射で動く彼の視界から消えてみせる。

 しゃがんで狙ったのは、足。

 しかし、さすがというべきか、躱されてしまう。

 そこに降って来るは、弾丸の雨。

 まさか彼女が手を貸してくれるとは思っていなかった。思わず口元が緩んでしまう。

「ダレン!」

「エレン!」

 それだけでいい。おれたちには、それだけで十分だ。

 再び彼女の放つ銃弾が、彼の手足を掠める。

 しかし、近くにいるおれにはまったく当たらない。

 彼女の研ぎ澄まされた感覚と確かな腕は、その芸当をいとも簡単にこなしてみせる。

 そして互いにどう動くかわかるおれたちに、言葉はいらない。

「くっ……やめろ。二人とも、やめるんだ。やめてくれ!」

 ガキン、ガン、と鈍い音が鳴り響く。苦しい。こんなにも苦しい戦いは、初めてだ。

 それでも、おれは決めたんだ。そして、それをエレンも許してくれた。

 たった一人の家族が、許してくれた。


 だから、もう一片の迷いもない――


「ごめんなさい、ルーカスさん。だけどあなたは、姫と幸せになるんだ――!」

「っ――!」

 一瞬の心の揺れ、惑い、逸れた意識。


 その隙を、逃さない――!


「ああああああああああっ――!」

 おれは手元を撃たれたルーカスさんの大剣を蹴り飛ばし、武器を失った彼の腹へと切っ先を向けて、駆けてきたエレンとともに突っ込んでいく。

 飛び込むように。まるで、抱きつくように。

 二人で握り締めた剣を、躊躇いなく彼へと突き刺した。

「ルーカス!」

 姫の叫びが響き渡る。

 彼には悪いが、ここまでしないと意味がない。彼を、魔王を倒したと誰の目にも明らかでなければならないのだから。

「はっ、はぁっ」

「はぁっ……」

 肩で息をするおれたち。手から滑り落ちた大剣が、ガランと音を立てる。

 二人目が合うと、どちらともなく抱きついた。

「馬鹿ダレン。一人で背負おうとするなんて」

「馬鹿エレン。一緒に背負おうとするなんて」


 ドクン……。


「ああ……!」

「うあああっ……!」

 瞬間、揺れる視界。

 まるで、体が燃えているかのように熱い。

 襲い来る体中の痛み。これが、彼の言っていた現象。

 ならば、おれは、おれたちは、人間でなくなる……。

 これで、良かったはずなのに。こうなることを、望んでいたはずなのに。

 どうして、心細いのだろう。どうして、不安なのだろう。

「ダレン、大丈夫だよ、一緒だからね」

「エレン、大丈夫だよ、離さないからね」

 おれたちは、互いの体を抱き締めたまま転がった。

「く、クロエ……!」

『わかってるわよ』

 精霊がルーカスさんの元へ飛んでいく。

 その姿を見届けてホッとしたおれは、そのまま意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る