幕間〜よそ者と猫の位置関係


昼下がりの宿兼居酒屋「命の水亭」。

厨房からは炒め物の香ばしい匂いが漂い、客席では子連れの母親たちが食事を取りながら井戸端会議。

大工のニックが汗だくで昼飯にありつく横では、ギルド支部の仮の仕事場となった一角で、アレンダンが山積みの書類を前に苦戦していた。


足元の机の下。そこには茶トラ猫のイコモチがいる。丸くなっているわけでも、くつろいでいるわけでもない。子どもたちの視線と手から逃れ、まるで「ここなら安全だ」とでも言いたげに、机の影に身を潜めていた。


「イコモチ〜、どこ行ったのかな〜?」


赤ん坊を抱えて働いているファナの上の子、三つくらいの男の子が、店内をウロウロと探し回っている。


アレンダンの視線が自然と下がり、机の下でイコモチと目が合った。

ぺたりと耳を倒し、視線を逸らす猫。その様子にアレンダンは小さく笑った。


「静かにしてれば見つからない、って顔してるな。」


そうつぶやくと、イコモチは尻尾だけをふいっと動かした。


「アレンダンお兄さーん」


子どもが近づいてきた。アレンダンは慣れた手つきで屈み、相手の視線に合わせてしゃがむ。


「イコモチ、見なかった? おかーさんが赤ちゃん寝かすから静かにしてって……」


「遊びたいのか? うーん……悪いけど、見てないかな」


「そっかー……」


子どもが去っていくのを見送ったあと、イコモチは小さく「なーお」と鳴いた。アレンダンは肩をすくめる。


「貸しイチだぞ、イコモチ」


そんな会話めいたやり取りをしているところに、ミクシが飲み物を運んできた。黒髪を後ろでまとめ、いつものエプロン姿。今日も変わらず、よく動く。


「はい、昼の冷たいお茶。あと、仕事がんばってるみたいだから、甘いやつも用意してる」


「……助かるよ。」


「また冷たいのばっかり食べてる?ダメだからね!」


「だって、猫が近くにいると暑くて……」


「ふふ、イコモチは『アレンダンお兄さん』が好きみたいだね。暑いの嫌い同士で、気が合うのかもよ?」


わざとらしく名前を強調され、アレンダンはわずかに眉をひそめた。


「アレンダンお兄さんって、長くないか?」


「え?」


「アレンでいいよ、ミクシちゃん」


その呼び方にミクシは一瞬、何かを飲み込みそうになって言葉を止めたあと、照れたように笑った。


「……じゃあ、アレン、ね。OK!」


「うん」


不思議な間が生まれる。店の喧騒の中、ふたりの間だけ時間が緩やかに流れた。


「それにしても……」


ミクシがアレンの肩を見て笑う。


「イコモチ、いつの間になついたの?」


いつの間にか、イコモチが机の下から這い出て、アレンダンの肩に飛び乗っていた。居心地がよさそうに足をたたみ、丸くなっていく。


「……懐くのはいいけど、暑いんだよな、こっちは。毛皮は遠慮してほしい」


「そんなこと言って、うれしそう」


「まあな。……少し、な」


笑ったアレンの表情は、ふだん見せる笑顔とは別のやわらかさがあった。ミクシは、目の前の男がどれだけ人との距離感に慎重で、それでも少しずつ街に馴染もうとしているのかを思い出す。


よそ者。──それは、きっと彼自身が誰よりも強く意識している言葉。


「ねえ、アレン」


「ん?」


「私、もっとアレンのこと知りたいなって思ってる」


唐突な言葉にアレンダンは驚いた顔をしたが、すぐに視線をそらした。


「……ありがとな。でも、知ってどうする?」


「知ったら、もっとちゃんと助けになれるかもって思うから。ギルドのことも、ダンジョンのことも、街のことも──あなたのことも」


そう言ったミクシは、ほんの少し赤くなっていた。


「手始めに、好物があったら教えてよ。作れそうなら作るから!」


「お、おう。」

「で、好物はなに?」


顔を近づけてくるミクシにちょっとだけ距離を取るアレンダン……に、

さらに数センチジリジリ詰め寄るミクシの、透き通った琥珀に似た大きな瞳から目をそらして、アレンダンは口を開いた。


「あー、部屋に置いててくれる、ナッツに砂糖絡めてあるヤツ、今ハマってる……かな?」


「あ、あれ? あれならたくさん作り置きあるよ。もしかして携帯食料にしたいとか? 砂糖多めとかも出来るから言ってね! 今持ってくるよ」


ミクシはヒラヒラと手を振って仕事に戻ろうとした。


「あ、あのさ。じゃあ、次はミクシちゃんの好物でも教えてくれ」


「え?」


「まだ知り合ったばかりだからな。互いに、ちょっとずつ」


「……うん、そうだね。じゃあ、今度は、私の好物、聞いてね」


そのやり取りの横で、「なーお」とイコモチが鳴いた。まるで「それでいいのさ」とでも言いたげに。


幕間は、火山の町の一角。猫と、よそ者と、少女の想いが、じわりと距離を縮める午後のひとときだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る