第18話 蝶番

目が覚めると、良平は何故か蝶番ちょうつがいになっていた。



――――


良平は、リビングのソファに座った両親の前で正座していた。


「努力が足りなかったのね。ほんとにあんたは金食い虫ね。」


母親の口から放たれたそのセリフが、良平の心に痛烈なダメージを負わせるのは充分であった。


なぜそのようなことが平然と言えるのか、良平には分からなかった。


要領よくこなせるような人間ではないことは、自分が良く知っている。


頭は悪く、大学受験に三回も失敗し、親だけでなく、友人や教師からも「お前要領が悪いんだよ。」と言われる始末。


しかし、大学に行きもっと勉強したいという気持ちは人一倍あり、寝る時間も惜しんで勉強にいそしんだのだ、努力はしてないわけではない。


もう少し言葉を選んでも良いのではないかと言いたくはなった。


そんな良平の気持ちを微塵も理解せず、母親に続いて父親が追い打ちをかける。


「どうせお前大学行きたいのは勉強することよりも遊びたいからだろう。そんなんじゃあ受からんよ。まあ人生の休息みたいなもんだって言われてるからなあ分からんもんでもないが……。もうお前就職しろ、お前、居酒屋でアルバイトしてたんだからその延長線上ってことで正社員として雇ってくれるだろ。社会に出れば大学行きたいって思ってたことが馬鹿らしく感じるぞ。よし、そうしろ。」


俺がそんなことを思ったことは一度もない、アルバイトだから正社員になれるなんてそんな簡単になれるはずないだろ、と良平は食ってかかろうとしたした。


しかし、すぐに、彼は罪悪感に苛まれた。


(だめだ、だめだ、親に対してそんな刃向かうようなまねをするなんて……、俺を育ててきてくれた親に何てことをしようとしているんだ……。)


どうにも彼は自分の意見を主張しないところがあった。


「本当に申し訳ございません……。」


申し訳ございません。


俺はそういう奴なんです。


こういった言葉を大人や友人たちに言っておけば大抵何とかなるということをよく知っていた。


両親からの一方的な攻撃に耐え、リビングを出ようとした時だった。


キィ……。


リビングのドアに付いている蝶番ちょうつがいが哀しい音をたてた。


一瞬、彼は涙目になりそうだったが、自分の部屋に戻るまで耐えた。


(もう嫌だ……。)


ベットで横になりながら、そう思った。


家でもバイト先でも学校でもいじめられており、彼の精神は限界に達していた。


キィ……。


頭の中で哀しい音が鳴り響いていた。


キィ……。


不快な音のはずなのに、その奇怪な音は心地よい眠りへと誘った。


――――


目が覚めると、自分の体がおかしいことに気づいた。


(な……んで俺は、固定されてるんだ?)


体を動かさずとも視点を動かすことはどうにか出来た。


銀色の体であるが、昨日まで持っていた人間としての体ではなくなっていた。


どうやら留め具で固定されているらしく、二枚の巨大な木の壁を支えているような体勢になっており、自身が蝶番になっていることだけは分かった。


(ああ、俺人間じゃなくなったんだな……。)


驚きや悲しみよりも納得してしまう自分がいた。


視点を前方に移すと、両親が朝食を取っているリビングの光景があった。


ということは、俺はリビングの入り口に付いている蝶番になったということかと良平はすんなり理解した。


ここで何か叫べば両親は俺に気づいてくれるだろうかとも考えたが、すぐにやめた。


(また、人間に戻ったとしても辛い日々しかないだろう。もう、俺は人間じゃなくなったんだ。自由になったようなもんじゃないか。固定されているけど……。)


キィ……。


そんなこと考えていると、またあのもの哀しいが聞こえた。


キィ……。


すると突然目の前に「嘆いちまえよ。」と渋みのある声で話しかけてくる奴がいた。


そいつも蝶番の姿をしており、宙に浮いていたという点が良平と異なっていた。


おそらくこいつが俺をこんな姿に変えたのだろうということはなんとなく分かった。


「えっと、こんにちは。」


「挨拶が出来るなんていい奴じゃあねぇか。」


銀色の塊は応えてくれた。


「お褒めいただき誠にありがとうございます。」


「まあ、それよりもだ。お前さん、嘆いちまいたいほどいろいろ溜まってたんじゃなかったのか?。」


「……今はむしろ気分爽快って感じなので、鬱憤うっぷんが溜まっているわけではないのですが。」


つまんねぇ奴だなぁと目の前の蝶番はぼそっとつぶやいた。


「というか嘆いたら悲しくなるじゃないですか。」


「お前さんを痛めつけてきたきた奴らに仕返ししねぇかって言ってんだよ。」


仕返しという単語が出てきた途端、人間だった時の記憶が一気に押し寄せた。


「キィ……。」


言いたいことは沢山あったが、この擬音語しか発することで精いっぱいだった。


「お、なんだよ。言いたいことあるんじゃねぇか。」


「やっぱり仕返ししてもいいですか?」


「決断早いねぇ。まあええよ。」


すると、目の前の蝶番はくるりと一回転し、俺のそばに寄ってきた。


「いいか、あんちゃんよぉ。やることはそんなに難しいことじゃねぇ。今いった「キィ」って言葉を言いながら、憎みたい奴らを頭ん中で思い描くんだ。それだけだ。まあ、代償はあるけどな……。」


良平は、ためらうことなく言われた通りにやってみることにした。


「キィ、キィ……。」


繰り返し述べている最中、彼は思った。


もっと早くから言いたいことを言っていればもう少しまともな人生を歩めただろうかと。


「キィ、キィ……。」


こんな俺を少しでも認めてくれる人が他にもいなかったのだろうかと。


「キィ、キィ……。」


ある程度述べたところで、自分の銀色の体が徐々に曲がっていること気づいた。


そして、キィィィィィと耳をつんざくような悲鳴のような音が鳴ったかと思うと、己の体は留め具もろとも折れてしまった。


痛みよりも快感が勝った。


薄れゆく意識の中で、渋みのある声が聞こえた。


「どうだ、あんちゃん。嘆くことも結構気持ちいもんだろ。」


(ああ、本当に気持ちがいい。俺はやっと自分の気持ちを表現することが出来たんだなあ。)


――――


その後、巷では鼓膜が破れ、耳から出血した状態で死んでしまう人が続出する事件が続出した。


もちろん、良平に対してひどい仕打ちをしてきた奴らがほとんだなのだが、そんなことを良平は知る由もなかった。







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