1-3 オラール家令嬢記憶喪失事件 file.002
セレスティーヌが蘇った。
それも、『いつものように』別人として。
だが――今回は、『いつものよう』ではなかった。今回だけは、例外だった。
確かに死んで、『自分たちに骸を晒した』はずの少女が、『棺から』蘇ったのだ。
どうして、と思った。
おそらく……葬式に参加した皆がそう思っただろう。
彼女の兄であるベルトラン・オラールもまた、例外ではなかったのだから。
ベルトランは、オラール家当主として、そして喪主として、セレスティーヌが棺から起き上がるのを見ていた。その姿に、胸中へ広がっていった感情の正体を、彼はどう表現すべきなのか、判断しかねていた。強いて言えば、失望、というのが正しかったのだろうか。
何故なら彼は、これで終わるのではないか、と淡い期待を抱いていたからだった。
これで、長年ベルトランとセレスティーヌを、否、彼らを含めた『この世界』のすべてを巻き込んだ現象に終止符が打たれるのではないかと、そう期待していたのだ。自覚があったわけではない。ただ……そんな期待を抱かずにはいられないほど、おそらく、ベルトランは疲れていた。だから、セレスティーヌが死んだことを――つまり、彼は、喜んでいたのだ。
セレスティーヌは、何者かに殺された。
そんなことはわかっていた。
わかりきっていた。
無論、彼女が殺されることが問題であったわけではない。それは一種の予定調和であり、近頃の常だった。これまで彼女は何度も死んできたし、ベルトランが彼女を殺したことさえあった。誰もが最早耐えられなかったからだ。当然、それで求めたものが手に入るわけではなかった。しかし、無力と無価値に膝を折ることもなかった。彼らにとって――『世界』にとって、それだけが唯一の、平穏だった。そのために、セレスティーヌは殺されてきた。
故に、ここでの問題は、彼女が殺されたことではなかった。
問題は――『死んだ彼女が棺に納められるまで蘇らなかった』こと。
『誰が殺したのか、まったくもって不明であった』こと。
この二点だった。
だが、セレスティーヌの肉体には一切の傷はなく、毒物の類も、呪いの類も見つかることはなかった。誰が殺したのか、誰にもわからなかった。無論、殺害した後、修復魔法で死体を修復したという可能性も考えなかったわけではない。が、その可能性は最も低いだろうとベルトランは考えていた。修復と簡単に言うが、この魔法は局所的に時間を巻き戻す『法』だ。故にそれは、この世界に生まれた人間ならば誰もが一度は憧れる『高等魔法』であり、市井に生まれ育った人々が容易に扱えるものではなかった。第三世代の人造魔法使いであるところのベルトランや、第四世代のセレスティーヌでようやく『普通に使える』程度の難度であり、その人造魔法使いたちは全員魔法院に管理されている。同様に、天賦の才によって彼らと同等の力を持って生まれた者も基本的には魔法院に登録されて管理されているため、魔法院に知られずセレスティーヌを殺し、その死体を修復するというのは殆ど不可能であるはずなのだった。そして、魔法院は、彼女の死について、関与を否定した。
有り得ないとさえ言える事態だった。
だからこそ――『初めて見る』妹の遺骸を前にして、ベルトランは期待した。
終わりを。
この世界が終わることを――心の底から祈ったのだ。
自分の終わりを祈った。
彼女の死の貴さに頭を垂れた。
だが、棺から申し訳なさそうに顔を出した少女によって、その祈りは裏切られた。
それ故に――
「――……、は……?」
「ご当主様!」
彼は、『いつものように』蘇って別人と化した妹を、愛用の剣で貫いたのだった。
◆
痛くない。胸から真っ直ぐに長剣が生えているのに、俺は、『ちょっと胸が痞えてるかも』くらいの感覚しか抱いていなかった。当たり前のように血も流れて来ない。死体だから当然なんだろうか、なんて俺は思考の隅で考えていた。脳に響くはずの痛みという信号も、視覚的に警報を鳴らすはずの血という信号もない暴力は、俺を、ひどく冷静でいさせていた。
それが、怖かった。
「ご当主様――」
「……死なない」
男が、澱んだままの真っ赤な目で、俺を射抜いた。そして長剣を、何も言えないでいる俺の胸から引き抜いて、また鋭く突き刺した。引き抜いて、刺す。それを、何度も、何度も、何度も――
こんなの現実であるはずがない。
眩暈にも似た、転倒が俺を襲った。手に持っていた鏡が、遠くで割れる音がした。
美しい男の向こうに、得体の知れない白色が眩く光る、天井があった。
「ご――ベルトラン様!!」
医師の絶叫で、ようやく男が止まった。胸の部分がずたずたになった俺はと言えば、床に転がったまま、指一本も動かせなかった。暴力的に振り回されていた剣は、俺の――というよりセレスティーヌちゃんの胸に突き刺さったままだった。
悲鳴さえ出せなかった。
否、俺は出さなかったのだろうか。出なかっただけなのだろうか。
死後の世界ではなく、実は悪夢だったのかもしれない、と俺は少しだけ思った。落下して死んだところから、ずっと。俺は夢の中にいるのかもしれない。でもそれは――
(いやだな)
俺はぼんやり、そう思った。俺があの、謎めいた落下によって死んでない方が……俺は、嫌だな、と思っていた。
「……セレスティーヌが……死なないのなら」
男が、よろめきながら、銀色の刃を俺から引き抜いた。その刃よりも、男――医師曰く、ベルトランというらしい――の髪の方が美しく輝いて見え、どこか不思議な心地がする。
「この世界はこれからどうなる?」
「わかりません」
「セレスティーヌが死ぬからこそ――だからこそ――」
「それは皆が存じております」
何を言ってるんだろう、と俺は思った。事態についていけていない。てか、こんなひどいことされたのに誰も手を差し伸べたりはしてくれないのね……人権……ないんだった……。呆然と、俺は、ベルトランと呼ばれた男を床から眺めていた。
「誰が殺したのだ!」
「わかりません、ベルトラン様。セレスティーヌ様が亡くなった時、散々調査なさったではありませんか。その時、不明と結論づけたのはあなたでしたでしょう」
「それは――!!」
「それより、これからのことです。どうなさるのですか――このまま『いつも通り』に進むのならば、あの少女がこの世界に『生まれる』まで、あと三ヶ月もありません」
「……ッ!」
「此度、セレスティーヌ様は死にませんでした。『生き返ることさえなかった』。それ故に、殺すことも最早できません。私は所詮、年老いた第一世代改造魔法使いです。これからどうしたらよいかを決めるのは、ベルトラン様、あなた方第三世代の人造魔法使いです」
男は黙った。剣を手にしたまま、項垂れている。
(……。あ?)
俺はその姿に、セレスティーヌちゃんの外見と同じような既視感を覚えて、床に転がったまま目を瞬かせた。ベルトラン――彼がご当主様と呼ばれているのならば、家名はオラールでいいのだろうか。銀髪に赤い目、この角度……うん、見たことある気がする。でも俺は、この『肉の体』を持ったベルトランを知らない。こんな、俳優かモデルか?みたいなレベルの美形なんて知らないは、ず――
「――あ」
俺は漸く引っ張り出せたその記憶に、思わず声を上げていた。
「あああああ――――――――――――ッッッ!? ベルトラン・アーティ・オラール!?」
俺の声は絶叫に近かったのだろう。医師と男が殆ど同時に耳を抑えて顔を歪めた。だが、それどころではない。言葉にしてみて、俺は確信する。この男を、俺は『知っている』。
知らないわけだ。『肉の体』で知っているわけがない。
俺がこの男を知っている理由は。
「じゃ――じゃあこの世界、あのクソゲーの世界ってこと!?」
ゲーム配信サイトの概要欄にキャラ紹介イラストがあったからである。
「くそげー……?」
困惑した顔で、男が――ベルトランが俺を見下ろした。えっ、これまでの人はこの情報を知らずにこの世界来た感じ!? いやまあでもそうか、そりゃそうか。あんなクソゲー記憶に残してる人の方が珍しいよな。ダウンロードさえしてたか怪しい。プレイした俺だって今の今まで忘れてたわ。
常動曲。実のところ、このタイトルの読み方がどうなっているのか俺は知らない。つーかぶっちゃけクソゲー過ぎて、深掘りしたいとも思わなかったのだ。ゲームが起動しないのは当たり前、起動しても途中で落ちる、再現性がなく回避もできない、とにかく落ちまくる。マジで落ちる。デバッグしろボケと叫んだことは一度や二度ではない。そんなくそったれのゲームを何故俺が持っていたかと言えば、単純に、ゲーム配信サイトで新着として上がっていたからというそれだけだった。ついでに言えばこのゲーム、所謂フリーゲームというやつで、更に登録されていたイラストもお洒落とあって、俺から見ると、「シナリオがどんなクソでも観賞用にはなるだろうし、失うものは時間くらい」という作品に見えたのだ。そういう理由で、いそいそとダウンロードしたのをよく覚えている。尤も、そんな浮かれた気持ちは、起動させるためのダブルクリックが二十回を超えた時にはとっくに雲散霧消していたのだが。いやでもマジでさ……ゲーム説明の登場人物紹介に使われてた立ち絵も文句なしだったし、サンプルで出てたスチルもフリーゲームとは思えないくらいの超クオリティだったんだよ! ほんと! 落ちバグ満載のクソゲーとは思ってなかったけどなぁ! 普通起動さえできねえゲームは配信サイトの審査で弾かれるんだけどな!?
俺は割と雑食ゲーマーだった。選り好みする方ではあったが、乙女ゲームとかも絵が好みならプレイする方だったのだ。シナリオが趣味に合うかどうかなんてイラストだけからじゃどうせわかんないし、とりあえずプレイしてみようの精神が根付いていた。それでその時も迷わず手を出したのだが……。
(馬鹿みてえに落ちまくってたからストーリーなんかほぼ覚えてねーんですけどぉ!?)
そもそもこのクソゲー、気付いた時には配信停止されていた。何故それを俺が知っているのかと言えば、プレイ中、あまりにゲームが落ち過ぎるので流石にブチギレ、鬱憤を晴らす意味合いも込めて、低評価のレビューを書いてやろうと配信サイトを開いたためだ。しかしバグのせいか何か知らないが、このクソゲーはいつの間にか消えていた。因みに俺はそれを見て、「公式サイトさえ残さず消してんじゃねえええええ!!」と咆えてマウスを投げた。
正直、アンインストールしてやろうと思った。遊べないゲームとか存在価値ないし。俺がそれを選ばなかったのは、ひとえに、『このままクソゲーに負けていいのか?』というこれもクソみたいな理由による。勝ち負けとかいう謎の基準が出てきている時点でもう正常な思考能力がないのだが、俺の頭は当時煮えていた。何時間かけた? 落ちまくるゲームを、読み込んでくれないセーブを何度消してやり直した? なんのためにここまで選択肢をメモってきたんだ……!? 完全に意地だった。なんの意地か? 知るか!
(覚えてること……このクソゲーの内容で覚えてること!? ハァ!? ねえよ! ベルトランのことだってキャラ紹介にあったから――)
そこで、俺はふと、概要欄にあった説明を思い出した。思い出したというか、説明なんかそれくらいしかなかったというか。
『悪役令嬢モノが流行っているようなので、乗っかって作ってみたものです。このゲームには所謂悪役令嬢が出てきます。よろしくお願いします』。
「……アッ、ワアァ――――――ッ!?」
床で頭を抱えて、俺は再び絶叫した。はい思い出しました。はい! 悪役令嬢ね! はいわかりますよ俺です。セレスティーヌ・オラールです正式名はセレスティーヌ・アーティ・オラール! 馬鹿か悪役令嬢モノって普通転生とか生まれ直しとかで既存作品の悪役令嬢が悪役令嬢っぽくないことしてハッピーエンドになるぜみたいなジャンルのことだろそのまま悪役令嬢出したゲーム出してどうする!? そもそもセレスティーヌちゃんが悪役っぽいことをする間もなくゲームが落ちてたんだが!? いやしたことあったっけ……!? 一周くらいはどうにかクリアした気もするけど全然覚えてない!! ウオオ記憶を絞り出せ俺……!! 雑巾のようになるまで……!!
「……ご当主様が刺し過ぎたのでは? あるいは転倒した時に打ち所が悪かったか……」
「そ、そんなことがあるのか……?」
不安そうな美形。こいつこういうキャラだったのか……マジでクリアしたのか俺!? 絶対出来てないと思うんだが!? 少なくともこいつは攻略してないね多分。くそっ、せめて話のあらすじくらい思い出しておきたい! セレスティーヌちゃんは断罪されるのか!?
「いえ、わかりかねますが……ひとまず修復魔法でもかけてみては……? 見ず知らずの者に刺されたことで錯乱しているのやもしれませぬし……」
「あ、ああ、そうだな……」
頭を抱える俺に対して、ベルトランが剣を振る。まさかそれ杖!? そんなもん人に刺してんじゃねえ――
――ギッ。ギッ。ギッ。
ガチン。
「……?」
ひどく巨大な時計の針が、軋みながら動いたような音――気のせいか? 驚いて上半身を起こしてみるが、医師も男も、気にしたような素振りがない。
「……あの……? 今、時計の音がしました?」
「時計?」
「あっ聞こえてないならいいです……」
やっぱ気のせいだったっぽい。割とはっきり聞こえたように思うんだけどな……まあいいか。てか、修復魔法ってやつ思ってたよりすごいな。俺は、傷一つなくドレスごと元通りになったセレスティーヌちゃんの胸元を見た。この分だとこの世界に病気とかなさそう。全部魔法でエイッ!で終わりとかね。夢あるなぁ。よろめきながら立ち上がり、並んでみると、ベルトランの背の高さがよくわかった。見上げる位置に顔あるぞ……でっけえな……。
「落ち着いたか」
「あっはい……」
優しいなこいつ……。いやよく考えたら初手刺突だったわ。挨拶より先に剣。全然優しくない。あーでも。
「俺が……ってかセレスティーヌちゃんが死なないとなんか困るんですか?」
刺した理由は、『セレスティーヌが死ぬかどうかの確認』だったように思えたので、俺は、直截にそう訊いた。その質問に、ベルトランが思いっきり眉を寄せる。だが、返事はすぐに返ってきた。
「困る」
端的だった。シンプル過ぎる……。クセと陰のある美形かと思っていたが、こいつ見た目より遥かに素直な男なのでは……。
「どう困るんです? 具体的に教えてください」
「知らない」
待てや! 今時自動チャットでももうちょい長文返すぞ!?
「し、知らないんですか?」
「知らない……というか、誰にも『わからない』だろうというのが正しいな」
「『セレスティーヌ様の死』だけが我々に残された唯一の手段でしたからね」
「えーと……」
やばい、これはあれだ、『常識の摺り合わせができてないために、話が通じてない』というあれだ。せめてシナリオをちょっとでも覚えてる作品ならなあ! 俺は片手で顔を覆った。
「まず、この世界はどうなってるんですか?」
世界がどうたら言ってたんだから、多分そういうことだろう。そうであれ。ベルトランはこの質問にも素直に答えてくれた。
「どう、と質問されると、私の知っている限りで良ければこう答える――『これから二ヶ月と十五日後に訪れる、春の十三日から三年ほどを、永遠に繰り返している』」
「……永遠に?」
嫌な予感がした。『常動曲』。それはどういう意味なのだろう。俺は調べなかった――それなのに、今、寒気がしそうなほど、不安に襲われている。この死んだ体で、そんなもの感じられるとは思えないのに。
「ああ。……いや、少し事実とは異なるか。繰り返しているのはその部分だけではないし、永遠かどうかも本当はわかっていない。春の十三日からきっちり半年前だ――そこを起点として、ほぼ三年半を、我々は、この世界は、既に数百回繰り返している。今回は……六百二十四回目だったか? ただ、記せるものがないので、これは正確ではないかもしれない」
そして、その事実を、春の十三日になれば、全員が忘れる。
「もう一度、『三年半前』の朝に目を覚ますまで、誰もそれを思い出せない」
その三年半で成し遂げたすべては水泡に帰す。死んだ者さえ帰って来る。
「我々がすべてを忘却して過ごす三年の前に半年間の猶予があるのは――我々の見解で恐縮だが、我々に与えられた準備期間なのだろうと思っている。事実、この半年間があるおかげで、この現象に対する様々な研究が進められ、結果として」
ベルトランは、一度だけ瞬きをした。それは、痛みを堪えているようでもあった。
「セレスティーヌが死ぬことによって『起点の日』へ戻ることができると判明した。セレスティーヌは、この現象の中で、今のところ必ず死ぬ。ただ……」
「……ただ?」
「消え去る三年を過ごすことが苦痛だという訴えによって、繰り返しが百回目を越えた頃に、セレスティーヌを事前に殺すことが提案された。セレスティーヌが死ねば起点の日へ戻るというのなら、我々が我々として生きられる半年の間に先んじて殺してしまえば、無為な三年を過ごさずに済むだろう、とッ」
――思わず、男の胸倉に掴みかかっていた。
「っざ、ざけんなよッ!?」
声は裏返っていたと思う。なんだそれ。なんだそれ!? 器物だから人権がない?
「じ――人権なんか、セレスティーヌの人権なんか、最初からないじゃねえか……ッ!?」
男は顔色を変えない。
「だがセレスティーヌはそれを受け入れた」
「……」
「それでいいと言った。それでいいと――言ったのだッ」
華奢な手は振り払われた。男は表情を変えない。だが、俺は、それ以上男を責められなくなっていた――男の奥底に、煮える怒りを見たからだ。ああ、こいつ、本当に、素直なやつなんだな。
誰かのために、大勢の知らない誰かの訴えのために、セレスティーヌを殺す。
それを一番受け入れたくなかったのは、こいつだったんじゃないだろうか。
「ともあれ、それで……数十回は、上手くいった。だが……」
今度は、今のお前のように、別の人間として息を吹き返すケースが発生し始めた。
「どれだけ体が損壊していても、その時は必ず息を吹き返すのだ。傷一つなくな。そうなると、我々に与えられた半年の間でその者を殺すことはできなくなる。あの無意味で無力で、くだらない三年間を絶対に過ごすことが決定するのだ。おそらく何かがおかしいのだろう。我々には、何がおかしいのか、未だわからないが」
俺は、こいつを初めて見た時、『澱んでいる』と感じた理由を理解した。疲れているのだ。何もかもに。
同じ時間を何百回も繰り返すという現実に。
セレスティーヌが何百回も死んでいくという現実に。
損壊。セレスティーヌという少女を殺すのに、どんな手段が用いられたのか。俺は考えるのも嫌だった。
くそったれ、とんでもない事実ばかりで眩暈がする。こういうものは、身体の問題だけではないのだな、と俺は思った。もう、ギブアップしちまいたいよ。こういう状況なんて言うのか俺は知ってるぞ、賽の河原って言うんだよ。
「魔法で……わかんねえのか……」
「魔法はただの『法』だ。ああ……そこから説明が要るのか? 流石に長くなるが……」
「……後でいいや」
わかった、とベルトランは頷いた。
「あのさ……春の……」
何年生きてることになるんだろ、こいつらは。数百年じゃすまないんだろうな。
「春の十三日に、何があるんだ」
そう言えば、敬語使ってねーや。まあいっか。怒って無さそうだし。
「本来は、魔法院の学舎が十八歳以下の若者向けに開放されて、前もって募った学徒が通い始める日だ。だが、この現象が始まってからは、この日に突然個体名ドロテが発生し、学徒として魔法院に登録される。その際の登録名はドロテ・ジェイル。十六歳の、天然魔法使いだそうだ」
「こ、個体って……」
「ドロテ・ジェイルは人ではない」
(――あ、)
ドロテ――思い出してきた。それは。
「この世界に歴史を持たない、存在しないはずの、『何者か』だ」
――あのクソゲーの、主人公のデフォルトネームじゃなかったか。
そうだ――あのゲーム。名前を変えると、やっぱり落ちるんだ。だから、ドロテのままでプレイするしかなかったんだ。
「春の十三日が来るまで、ジェイル家さえ、この世界には存在しない。十六歳ということは十六年という歴史が、この世界に存在しているはずなのだ。たとえ名前を変えようが、顔を変えようが、それは消えない。どこかに綻びができる。だがドロテにはそれさえない」
そもそも。ベルトランが続ける。
「彼女の名前は、現時点で既に作成されている学徒名簿に存在していない。加えて言えば、学徒の募集を中止しても、春の十三日が訪れれば、何故か魔法院の学舎が開放されて学徒が通うように『なっている』。現時点では対処のしようがない『現象』なのだ。そのため、彼女の正体については、憶測の方がまだ多い。例えば、彼女こそが我々が扱う『魔法』そのものだと――」「――ま、待ってくれ!」
俺は結局、ギブアップした。情報量が多すぎる。何? もっと簡単な設定にしてくれよ!
というかマジでハードモード過ぎる……俺もっかい死ぬのか……?
(……や、待てよ?)
話を整理しよう。セレスティーヌは絶対死ぬ。死んだら最初に戻る。主人公ドロテは突然ポップする。多分ゲームスタートなんだろう。セレスティーヌちゃんの死がゲームエンド。つまり悪役が死んでハッピーエンド、ということなのだ。きっと。そしてこの世界の人間は皆、その三年間を、ループのこととか全部を忘れて過ごすことになる。最初に戻ったら全部思い出す。セレスティーヌは時々違う人間……多分俺みたいなやつ?になって準備期間じゃ死ななくなる。
(……? 入れ替わった人間は三年間記憶ないまま過ごすのか?)
じゃあ俺も? でもなんかそれは変だ。記憶がなくても、セレスティーヌが別人になったのなら、セレスティーヌは『セレスティーヌとして』三年間を過ごすことはできないはずだろう。
――悪役令嬢。
「……もしかしてなんですけど、ベルトランさん?」
「何か?」
「セレスティーヌは、『ドロテを殺すために動く』とかあります?」
男は首を傾げた。違うっぽい……?
「正確には、別人になったセレスティーヌであれば、三年間記憶を失わずに動ける。だから『死なないために』ドロテを消そうとしたことはあった」
今と同じ説明をしてきたからな、と男は言った。
「セレスティーヌちゃん本人は?」
考え込む素振りをしている。記憶が遠すぎて思い出そうとしているのだろうか。
「……そうだな、ドロテを消そうとしていた……のか? あいつの本心はいつもわからないのでな、それが正しい理解なのかは私には判然としない」
「具体的に何をしてました?」
「具体的に……?」
「いじめたりとか……?」
「いじめ……?」
眉根を寄せる。美形の眉間にしわが寄っている。
「いじめなどという品のないことはしていなかったが……」
「していなかったが……?」
「……ドロテは主に十代後半から二十代後半の独身男性と恋仲になろうとする傾向がある。というよりも、いつの間にか『そうなってしまう』のだが……そのため、その対象に、私やフィリベール……ああ、これは後で説明するが、要するに彼女の親しい人間が入ってしまうのだ。第三、第四世代の人造魔法使いの殆どは年齢的にドロテの対象として適しているからな。それで彼女はドロテを嫌っている。彼女も、彼女自身として春を迎える時はあの三年の間これまでの記憶を失っているはずなのだが……嫌ったまま絶対に仲良くならないのは彼女の性格だったのだろうな」
うーん悪役令嬢……判定でいいのかこれ? よくわからねえな……。
とにかく、別人の時はドロテ消そうとはしてたんだな。なるほど……なるほど……。
(……。俺らみたいなプレイヤーが、現実世界で起動しようとするたびにループしてるとかじゃないよねこれ?)
連動してたりしないよね!? 怖いよ? 並行世界と繋がってて……とかじゃないよね! やめてくれよな! 俺の意地張った行動が無辜な少女を犠牲に世界を回してたってなったら切腹じゃすまないからね!?
あれ――でもちょっと待てよ。
「セレスティーヌは必ず死ぬ……?」
「ああ」
「なんで死ぬんですか?」
「……」
わかるぜ、苦虫を噛み潰したような顔って言うんだな、これが。この美形、ほんとに感情がかなり素直に出るなあ!
「『羨望と嫉妬をドロテに抱いたから』だ」
「い――抱いたから? それだけ!?」
「そうだ。人の頭の中は自由だ。それを裁く法律などないのに――彼女は何故か死ぬ」
神がそう思し召したとでも言うように。
我々が必ず彼女を殺すのだ。
「誰もがそれをおかしいと思わない。三年の間は、すべてドロテを中心に回る。だからこそ我々は――自己嫌悪と、無力感と、ドロテという存在に対する屈辱と憎悪を抱えているのだ」
あれは何なのかと。
何故我々はあれに歯向かえないのかと。
「そもそも、天然魔法使いに対して人造魔法使いは圧倒的に優位だ。無論、同時に不自由でもあるが、だからと言って、天然魔法使いに羨望も嫉妬も抱くことはない。興味がないのだ。それは恋情についても言える」
急に知らん単語が出てきたけど、俺は流した。今は多分聞かなくてもなんとなくわかっておけばいいやつだと思ったので。
「だが我々はドロテにあの三年の間支配される。だからわからないのだ――あれは一体、何なのか」
そして。
「今回、セレスティーヌを殺したのが誰なのか。それさえも、我々には今、わかっていないのだ。何故、お前が、『葬儀を執り行われた』彼女の中にいるのかもわからない。この意味がわかるか、セレスティーヌの中に居る『誰か』よ」
「……き、極めて深刻な……異常、事態?」
そうだ――そういうことだ。
セレスティーヌは『死ななければならない』。
死ななければ、ゲームエンドが来ないのだから。
だが俺は死なない。セレスティーヌは死んだから。
矛盾が。
矛盾が――
「今回何が起きるのか、何が起きているのか、最早誰にもわかっていない」
少しでもわかっている者がいるとしたら――それは。
「今回、セレスティーヌを殺した者だろう、ということだ」
セレスティーヌ・オラールの数奇な事件簿~転落死したはずの俺が同じく死んだはずの悪役令嬢に成り代わって生きるまで~ 蔵野杖人 @kurano_tsuehito
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