第34話 懇親会 ②

「そういえば、この間はありがとうございました」


「ああ、あの時か。別に気にしなくていい」


「マジ助かりましたよ〜。死ぬかと思いましたもん」


「そりゃあれだけ強面の男に囲まれたら誰だってビビるさ」


 怯えた藍葉の顔を今でも覚えている。

 あれがトラウマになることを懸念していたが。

 自分から話題を出すあたり、恐らくは大丈夫なのだろう。


「何がともあれ、お前が無事でよかっ……」


 無事でよかった。


 俺がそう言いかけたその時。

 ふと上手の方から圧のようなものを感じた気がした。


 恐る恐るそちらに視線を移せば。

 人の陰からこちらを見ている麗子さんとバッチリ目が合ったのだ。


(こわっ……)


 思わず心の中でそう呟いてしまったほど。

 全身に寒気を感じ、俺は衝動的に立ち上がった。


「もうお手洗いですか?」


「あ、ああ」


 驚く藍葉に目もくれず。

 俺は逃げるようにしてトイレに駆け込んだ。


「何だったんだよあの視線……」


 用を足しながら確かな恐怖を噛み締め。

 少し時間を置いた後、俺は席に戻ろうとした。


 すると——。


「随分と長いトイレね」


「れ、麗子さん……⁉︎」


 トイレの扉を開けた瞬間。

 目の前に不吉な笑みを浮かべた麗子さんがいたのだ。

 顔はめちゃくちゃ笑顔なのに目だけは全然笑ってない。


「お、お手洗いですか?」


「いえ全然」


 じゃあ何でここにいるんですか!!

 そう突っ込みたくなるのをぐっと堪える。


「藍葉さんが言っていた『この間はありがとう』って一体何かしら」


「き、聞こえてたんですか……」


「随分と仲が良さそうに話していたようだけど」


 だいぶ距離は離れていたはずだが。

 どうやら藍葉との会話を聞かれていたらしい。

 この人の耳は一体どうなっているんだ。


「いや、別にやましいこととかじゃないんですよ」


「じゃあ何?」


「この間たまたま藍葉がナンパされてるところを見かけて、助けてあげただけです」


「ナンパ?」


「はい。だからさっきお礼を言われたんですよ」


「そうだったのね……」


 俺が事情を説明すると。

 以外にも麗子さんはすんなり納得してくれた。


「ごめんなさい……ついに浮気したんだと思ってしまったわ」


「ついにって……後輩相手に浮気なんかしませんよ」


「ってことは後輩じゃなかったらもしかして……⁉︎」


「ないです」


 もしやこの人は酔っているのだろうか。

 普段ならここまで拗らせることはあまりないのだが、内に秘めたメンヘラがここぞとばかりに火を吹いていた。


「とにかく誤解ですから。藍葉とは何もありませんよ」


「ならいいのだけど……」


「それよりも早く戻りましょう。部長たちが待ってますよ?」


「そ、そうね。あまり席を外していても怪しまれるし」


 仕方ない人だとため息を溢し。

 俺たちは揃って皆んながいる座敷へと戻った。


 するとまさかのこちらでも。


「ねぇねぇ才加ちゃ〜ん。俺ともお話ししようよ〜」


「え、普通に嫌ですけど」


「そんなこと言わずにさ〜。ちょっとくらいいいじゃんか〜」


 俺が元いた場所には顔を真っ赤にした堀が座っており、酔っ払った勢いで向かいの藍葉にダル絡みをしていた。


「せっかくの懇親会だし、この機会に仲良くなろうぜ〜?」


「…………」


 一方の藍葉はというと。

 さっきまでの金を儲けてウハウハだったはずの表情が嘘のように曇り、明日にも世界が終わるんじゃないかぐらいの、冷酷で闇深い表情になっていた。


(こっちはこっちで地獄だな……)


 麗子さんといい堀といい。

 なぜこうも酔うと歯止めが効かなくなるんだ。


「無視だ無視」


 俺はしれっと藍葉の背後を通過し。

 堀が元いた場所に避難しようかと思ったが。


 ガシッッ。


 藍葉にノールックでシャツの袖を掴まれ、無言の圧力で『こいつなんとかしろ』とでも言いたげな、鋭い視線を送られてしまった。


 これでは流石に無視するわけにもいかず。

 俺は無理やり堀を元いた席に引きずり戻し。

 闇のオーラを纏っている藍葉の前に静かに腰を下ろした。


「お前は相変わらず堀が苦手なのな」


「だってあの人何考えてるかわからないんですもん」


 それはお前も同じだと思うぞ。


 なんて思ったが口には出さず

 気分を落とした藍葉を尻目に、しっぽりと酒を飲み進めた。




 * * *



 

 懇親会は滞りなく進行し、3時間みっちりと酒を嗜んで、おじさんたちがベロンベロンになったところで本日はお開きとなった。


 ちなみに俺は色々な緊張からか。

 ほとんど酔うことができなかった。


 最後こそまだマシにはなっていたが、目の前の藍葉は終始真顔。麗子さんに至っては、定期的に俺に謎の視線を向けてきていた。


「ほしゃか〜、もういっけんこうれ〜い!」


 その発端とも言える堀は終始こんな調子だ。

 気持ち良く仕上がっている姿を見ると、無性に腹が立つ。


「てめぇはさっさと家に帰れ」


 ドスッ、っと。

 呑気な堀を軽くど突いてやると。

 ヨレヨレっと電柱にもたれ掛かってしまった。


「誰かこのバカ駅まで連れてってくれ」


 呆れた口調で俺がそう呟くと。

 面倒見のいい後輩が堀を送ってくれるようだ。


「じゃあらぁ〜! ほしゃかぁぁ〜!」


 2人がかりで介抱され、去って行く堀。

 どうやらこの感じだと二次会はないらしい。

 堀に続いて上司たちも次々と飲み屋を後にしていく。


 気づけば残っていたのは俺を含めたった3人。

 俺、麗子さん、そして少し不機嫌な藍葉だけだった。


 何がとは言わないが、とてつもなく気まずい。


「こ、この後どうします?」


 苦し紛れに麗子さんに尋ねると。


「保坂くんが行くなら私も行くわ」


 と一言。


「藍葉はどうする?」


 続けて藍葉に尋ねると。


「センパイが行くなら私も行きます」


 と一言。


(あなたたちに意思はないんですか……)


 思わず嘆息してしまいそうになったが。

 一応2人とも次に行く意思だけはあるらしい。


 こうなると俺に選択権はなかった。


「……二次会行きますか」


「そうね。せっかくだし行きましょうか」


「センパイが行くなら仕方ないです」


 俺はもう帰ります。

 とは口が裂けても言えず。

 地獄の二次会がスタートすることになってしまった。

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