第2話、あの日の地にて

 道祖神のある小道を左に曲がり、竹林を抜けると、一群れの小さな墓地があった。

 遠くに見える山肌と、青々と茂った稲の波穂……

 あの日と同じように、竹の枝葉が、風にそよいでいる。

( 変わらないなあ。 静かな所だ…… )

 菊地は、墓地の入り口脇に自生している野菊を、あの日と同じように数本摘んだ。


『 綺麗な、お花…… 』


 菊地の耳には、そんな声が甦る。

 ひっそりと立ち並ぶ、無数の墓石。 菊地は、そんな数ある墓石のひとつに、摘んだ野菊を添えた。

 傍らに落ちていた小枝で、線香立ての中に固まっていた灰を、ほぐす。 持って来た線香を立て、火を付けると、菊地は、そっと手を合わせた。


 野鳥のさえずりと、竹林のそよぐ音……

 追憶の記憶に、しばらくの時が流れた。


 合掌の手を下ろし、小さく息をつく、菊地。

「 …変わらず、静かなトコだね、友美ちゃん。 お母さんと一緒かい? 」

 墓石に刻まれている澄子の文字の隣に、比較的新しく『 友美 』とある。 それを見つめながら、菊地は、静かに続けた。

「 何となく、急に思い立ってね…… 高山まで仕事で来たもんだから、寄ってみたんだ 」

 友美と一緒にここへ来た日の事が、まるで昨日の事のようだ。 もう、15年という歳月が流れている。


 あの日、ここで菊地が危惧した事は、その数日後、現実のものとなった。

 愛子・里美・春奈・桜井…… そして、友美。

 全ての者が、その若い命を落とすという最悪のシナリオ。

 同じように、敵対していた大館・浩子・社も、その渦中の中で、命を絶った。


 彼らが求めていた回天の夢。

 その暴走を阻止しようとした、彼女らの夢。

 全てが相殺され、元に戻った現在の社会事情……

 何の為に、立ち上がったのか。 何の為に、命を落としたのか……


 言葉が見つからない菊地は、友美の眠る墓石に向かって、そっと呟くように言った。

「 今度は、いつ来られるか分からないな。 お母さんに、よろしく… 」

「 あの、どちら様でしょうか? 」

 突然の後ろから声に、菊地は驚いた。

 慌てて振り向くと、中年の男性が立っている。

 白っぽいチノパンを履き、紺色のポロシャツを着ていた。 縁なしのメガネをかけ、少し薄くなった頭髪には、白髪が混じっており、紳士的な印象の男性だ。

「 …あ…… えっと… 私、菊地と申します。 以前、友美さんと親しくさせて頂いておりまして… その… お墓参りを…… 」

 間柄を、どうやって理解してもらおうかと模索しつつ、菊地は挨拶をした。

「 菊地… さん? 友美のお知り合いの方ですか。 それは、わざわざどうも 」

 男は、訝し気つつも頭を下げ、挨拶をした。

 菊地は、背広の内ポケットの名刺入れから名刺を1枚出し、男に渡した。

「 こんな所で、何なんですが… 菊地と申します。 初めまして 」

「 …あ、これは、ご丁寧に、すみません 」

 頭を下げながら、男は名刺を受け取った。 名刺の肩書きを見た男は、何かを思い出したようで、菊地に尋ねた。

「 …ああ、毎朝グラフの菊地さん、と言えば… 友美と、厚意にして頂いていた方ですね? アパートから病院に、第一報を入れて頂いた……! 」

 友美が息を引き取ったあと、アパート住人のトヨおばさんに友美の容態の急変を告げ、救急車を手配したのは菊地だった。

「 あ… はい、そうです。 今日は、仕事でこちらの方へ参りまして… 久しく寄ってませんでしたので、お参りでも、と思いまして… 突然で申しわけありません 」

 身元が判明し、納得したようで、男は、頭をかきながら言った。

「 いやあ~、どなたかと思いましてねえ~ 遠くから、こちらに歩かれて行く姿を拝見して、誰かな~? コッチは、ウチの墓地しか無いけどな~、って思いましてねえ~ そうですか、お宅でしたか。 遠い所、有難うございます。 私、笠井と申します 」

 改めて菊地に挨拶をしたその男は、笠井と名乗った。

( 友美ちゃんの身内か… おそらく、見元引受人だった笠井社長の弟だろう。 確か、現在は、笠井製薬を継いでいるはずだ )

 笠井は続けた。

「 その節は、お世話になりました。 友美も色々、物騒な事件に巻き込まれて… 今、思えば、不憫な子でしたなあ。 あの頃は、私共も、あの子は気がおかしくなったと思っていましたからねえ。 菊地さんも、取材されたんでしょ? 友美を 」

 菊地は、少々、言葉を濁しながら答えた。

「 …ええ… まあ…… 」

 笠井は続ける。

「 物が飛んだとか、人が消えたとか… おかしな事ばかり、言ってましたからねえ。 まあ、目の前で何人も死ねば、気もおかしくなるってモンでしょう。 私共も、もう少し配慮してやらにゃ、イカンかったと思います。 …何と言っても、養子でしたからなあ、友美は… 血がつながっていないと言う、その辺りが、どうしても親身になれなかった理由でしょうなあ…… 情けない話しですが 」

 友美が、笠井社長の実の娘であった事は、今となっては菊地以外、誰も知らない。

 今更、その事を伝えたとしても、何の価値があるのだろう。 喉元まで出かかった真実を、菊地は、ぐっと押さえ込んだ。


 友美の遺言で、母と同じ墓に入れて欲しい、と聞き取った事にして、そう笠井家に伝えたのは菊地だった。 友美の魂が、母と共に安らかに眠れるようにと思う、菊地の配慮だった……


 野菊が供えられた墓を見ながら、笠井は言った。

「 血のつながらん他人の墓に、何で入りたいんだろうと、親戚中、みんな思いましたよ。しかも、どこで調べたのか、兄貴の前妻の墓ですからねえ。 昔、兄貴が医薬会の会合でコッチに来た時、時々、友美を連れて来ていましたから、その時に、ここへ寄っていたのかもしれませんね。 まあ、今、考えりゃ、寂しかったんでしょうなあ…… 施設で育ったと聞いてましたから、母親というものに、憧れておったんでしょうなあ。 かわいそうな子でした 」


( …これでいい )


 実の子であったという事実は伝えずとも、このままでいいのだ。

 菊地は、そう思った。

 …今、友美は、母といる……

 生前の、波乱な出来事を清算し、長年、探し続けた母に、優しく抱かれて眠っているのだ。


『 やっと… やっと逢えた… お母さん……! 私、寂しかった…… 』


 あの時の友美の声が、菊地の耳に甦る。

「 会社の方は… その後、いかがですか? 」

 話題を友美から離したく、菊地は、笠井に尋ねた。

「 ええ、まあ… 兄貴の不祥事の影響で、一時は大変でしたが、何とか 」

 再び、頭をかきながら、笠井は続けた。

「 以前は、一般小売の薬が多かったんですが、現在は、医療用がほとんどです。 おかげ様で、大学病院とのパイプも結構、多くなり、手術器具などの製造も始めている状況です。 …そういえば、菊地さんは、記者さんでしたよね? 大学の先生から聞いたんですが、臓器移植のドナー、まだまだ登録が少なくて大変なんだそうですよ。 一度、取材されたらいかがですか? 」

「 臓器移植… ですか 」

 医療関係の取材経験が少ない為、少し戸惑いながら菊地は答えた。

 笠井は言った。

「 私も、商売柄、意思カードを持っているんですが… 結構、抵抗があるみたいで、持っている人は少ないですね。 肝臓移植や腎臓移植など、提供者を待っている患者さんは、沢山いるんですよ 」

 骨髄移植などの白血病患者が、提供者であるドナーを待っている事実は、政府広告などでよく見かける。 事情は理解出来るが、菊地もやはり抵抗があり、登録はしていない。

「 実は、友美も、そんな感じで協力しましてね 」

 菊地は驚いた。

「 え? 友美さん… ドナーカードを持っていたんですか? 」

 笠井は右手を振り、その事実を否定しながら、菊地に答えた。

「 いえいえ、そうじゃないんです。 死因を特定する為に、監察医の先生による司法解剖が行なわれまして… その結果、心因性ストレスによる心臓マヒと断定されたんですが、最近、サラリーマンに多い、突然死の原因解明研究に、役立たせて欲しいと言われましてね。 いわゆる献体です 」

「 …… 」

「 有名な外科医や、世界的に評価されている著名な脳神経外科の先生、数名が来られましてね。 是非にもと、おっしゃるんです。 私共としましては、当然、抵抗はありましたが、がんとして譲れない理由も、ありませんでしたし…… 」


 臓器移植ドナー登録……


 倫理的な観点から、その意志表示は、人それぞれである。

 自分の死後、その臓器を他人に提供し、長らく病魔と戦って来た人を、健全にその苦痛から開放する……

 その展開には、おそらく、誰もが賛同する事であろう。

 しかし、何の不具合も無く、健康に過ごしている者にとって、それは自身の死を考える要因であり、やはり、あまり触れたくない事実の確認をするという認識的要素が、多分に含まれていると思われる。 意志表示に抵抗を感じ、検討する事すら、拒否する人もいる事だろう。 生体間で行なわれる骨髄移植や成分献血とは、一線を画するのだ。


 今、笠井の話しの中に出て来た、献体の事実……

 医療の進歩の陰に、研究用・実験用として、数多くの献体の存在があるのは周知の事実だ。 その行為自体については、勿論、否定しない菊地ではあるが、あの友美が献体とされていた事については、動揺を隠せなかった。

( 実の子供… あるいは親族だったら、おそらく同意していなかったんじゃないだろうか? 血がつながっていない他人だから、同意したのかも…… )

 その後、色々と説明をする笠井であったが、菊地は、ほとんど聞いていなかった。


 気持ちを通じ合い、共に過ごした時間……

 お互いに負傷し、助け合った、あの日、あの時……

 瞳を潤ませ、震える肩を抱いた、あの感触……


 愛おしささえ感じていた友美が、何も事情を知らない、若い研究医たちの手によって、その体を、切り刻まれたのだ。


 耐えがたい屈辱にも似た、怒りのような感情が、菊地の心に、沸々と沸いて来た……


「 …でしてね。 まあ、広くドナーの必要性を告知するには、時間が掛かるんですよ。 菊地さんのような、メディア媒体の方に取材掲載して頂いたら… 」

「 よく分かりました…! それで、その病院は何ていう病院ですか? 暇を見て、お邪魔します 」

 込み上げて来た感情を押し殺し、幾分、笠井の言葉を制止しつつ、菊地は尋ねた。

「 三沢大学病院です。 ほら、政治家や、有名人なんかがよく入院するトコですよ。 ウチの担当は、田所先生って言う教授です。 脳神経外科の世界的権威ですよ。 友美の献体を申し出て来た先生です 」

( 三沢大学病院…… 最近、殺人事件に遭った被害者が勤務していた病院か…… )

 菊池は言った。

「 お手数でなければ、笠井さんの方から、先生にお話しを通しておいて頂けませんか? もちろん、アポを取ってからお邪魔しますが 」

「 いいですよ? 来週、納品にお伺いしますので、その時にでも、お話ししておきましょう 」


 この笠井という男には、何の罪もない。

 友美の献体を容認した事に憤りを感じるのは、菊地だからこそ抱く感情であって、他人であれば、むしろそれは、敬意に値する行為と思われる場合もあるかもしれない。


 しかし、菊地は不愉快であった。


 出来れば、聞きたくなかった事実である。

 笠井に一礼し、足早に、想い出の地を後にした菊地であった。

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