第18話

 重力に任せて落ちていく中で、ふいに足の裏が押されるのを感じる。アリスの水流が、私たちに推進力を与えてくれているのだ。私たちは手を繋いだまま前方へと加速していく。汽車を後ろから追いかけるかたちで、接近していった。

 その汽車は先頭に機関車があり、それが後ろに続く四両の客車のようなものを牽引しているものだった。中心は、おそらく機関車にある。客車に客が乗っているのかどうかまでは、外からではよく分からない。

 私たちがアンの姿を見つけたときは、中心までの距離は私たちとアンで同じくらいに見えたけれども。私たちはアンを認めてから動き出したのに対し、アンは私たちが気づいたときには既にトップスピードで飛翔する最中だった。結果として、アンは私たちより早く汽車上空に到着してしまった。急制動して四両目の客車の屋根の上に軟着地する。

 アンは、例の黒い円柱状のものを屋根の上に置くと、すぐに小銃を取り出して構えた。汽車の進行方向後ろ側から迫る私たちを迎え撃つ格好だ。

 アンが銃の引き金を連続して引いた。アンの使う銃の弾は、いつもと同じ「捕縛弾」というものだろう。銃弾が当たると、当たったものの周りに突然黄色に輝く輪っかが出現し、即座にその輪っかが収縮することで当たったものを縛り付けてしまう。しかも、縛られている間はどうしてか水やリボンの魔法を使うことができなくなるのだ。

 今までのアンとの戦いの中では、捕縛弾で拘束されてしまい、その間にアンにアノマリーを退治されてしまうというパターンも何度かあった。だから、あれに当たるのだけは何としても避けなければならなかった。

 一方のアリスは、水流を操作して私たちの身体を左右に揺らし、蛇行しながら汽車への接近を試みる。アリスの水流による飛行技術も以前より洗練されてきていて、アリスと私の二人分の重さでも、重力に逆らわない限りは機敏な動きができるようになっていた。

 私たちは汽車の屋根と同じくらいの高さを飛びながら、じわじわと汽車との距離を詰めている。しかしいくら小回りが利いた機動をしていても、アンのこの弾幕の中でいつまでも銃弾を避け続けていられるわけではないだろう。運が尽きれば、どこかで当たってしまう。早く攻撃を止めさせなければ。

 私は、左右に揺さぶられる環境の中で、何とか狙いを定めようとアンを見つめた。リボンでアンの銃を狙って、弾幕に間隙を作りたい。

「く~」

 リボンを思いっきり早く伸ばしたけれど。左右に揺られる環境の中では狙い通りにリボンを飛ばすのが難しかった。きっと端から見たらリボンはゆらゆらと蛇行していたに違いない。それでもアンを牽制するくらいの役目は果たせた。

 私のリボンを警戒したのか、アンの銃の照準がリボンの真ん中あたりに向く。

 その隙に、アリスは水流の流量を増やして一気に加速した。

 できることなら、このままアンの頭上を突破して機関車のほうまで飛んでいきたい。アノマリーの中心があるのは機関車なので、そこまでたどり着けてしまえば、私がアンを足止めしている間にアリスが中心を退治する、なんてこともできる。アンも、それを避けたいからこそ最後尾の車両でこうして迎撃しているのだろう。

 しかし、アンの小銃捌きは流石と言う他なかった。

 私のリボンを瞬時に打ち抜くと、アンは私たちが頭上を抜けようとしているのを見て大きくバックステップを取った。三両目の客車の屋根に移動して弾幕を再開しようとする。

 アリスはアンを抜くのが無理だと分かると、すぐに止まった。的にされないように、私はもう一度リボンでアンを牽制する。そうして私たちは四両目の屋根に着地した。今なら揺れもないから、私のリボンは精度良くアンの銃や腕を狙える。私とアンはお互いに右手を構え、膠着状態となった。

 頭上を抜くことはできなかったけれど、ひとまず一両下がらせただけでも御の字かもしれない。ここから少しずつ前進していけば良い。

 走る列車の上は、風が強かった。

 ラベンダー色の建物と鉄骨の中を、列車はガタンゴトンと走って行く。

「貴女方も全く懲りませんね」

 アンが口を開いた。

「あなたが毎回のアノマリーに来ないから任せたくても任せられないんですけれどね」

 私は皮肉で返す。これまで何回もアノマリーで戦ったので、だいぶアンのペースに慣れてきていた。

「しかし、わたくしも貴女方がアノマリーを退治したところを拝見したことがございませんわ」

 それは全部アンが退治してしまうからだ。

 よっぽどそう言ってやりたかったけれど、ここは挑発に乗ってはいけない。

 冷静に、冷静に。

「それなら、今日はお見せできると思いますよ」

 私は笑顔を浮かべる。できる限り不敵に見えるように。

「ふうん。言ってくださるわね」

 アンは不愉快そうに見えた。

 そうして、おもむろに、銃を持っていない左手を肩の高さに持ってくる。

 何かするつもりなのか。

 私は威嚇のために一歩近づく。

 しかし、アンは意に介していない。

「ですが、残念です。本日も、わたくしが退治してしまいますので」

 そう言うと、アンは左手で親指を鳴らした。

「シラユキ!」

 私の後ろから、アリスの叫びが耳を差す。振りかえるとアリスが私のほうに手を伸ばして飛び込んできていた。そして、もう一つ、私の視界に入ってきたものがある。それは、黒い円筒形の筒だ。あの小惑星を破壊した、謎の兵器めいたもの。

 アンが四両目に着地したときに置いたものだ。さっき三両目に下がったときは一緒に持っていかなかったので、今も四両目の後ろのほうに置いてあった。

 筒の底面は下を向いていたが、そこからは橙色の輝きが漏れ出している。

 今回はこの車両を破壊するつもりなのか……! せっかく弾幕を切り抜けて列車に乗り込めたところだけれど、これは一旦待避するしかない。

 アリスが私に抱きついたところで、その橙色が爆ぜた。一気に客車の屋根が捲れ上がる。私はアリスに抱えられて、そのまま木っ端微塵になる四両目から飛び去った。飛んできた小さな破片が、私の頬を浅く切ったのを感じた。

 急上昇しながら眼下を見ると、汽車は残りの三両の客車を引きながら、線路の上を滞りなく進んでいくようだった。四両目の客車は跡形もなく粉々になり、残骸が飛び散っている線路には大穴が穿たれていた。あの円筒形は、砲弾か、そうでなければ太いビームのようなものを打ち出したのだろう。

 アリスはすぐに手近な鉄骨の上に立って、私を下ろす。私は、アリスの手に引っ張られながら立ち上がった。

「アリス、ありがとう」

「うん。またやられちゃったね……」

 アリスの青い瞳は走り去る列車を見ている。その表情は暗い。

 私は、頬を滴る血をリボンで拭き取った。

「うん。でも、まだ挽回する方法はある、と思う」

「ほんと!?」

 アリスは数秒前が嘘のように瞳を輝かせた。

 単純すぎて心配になるけれど、その単純さはこういうときに助かる。

 それに。別に、複雑なことは、私がやれば良いだけの話なのだし。

「とにかく、まずやらなくちゃいけないのは、アンにアノマリー退治の隙を与えないことだね。アリス、またお願いできる?」

 私は手を差し出した。

「りょーかい!」

 さっきから飛行手段をアリスに頼りっきりなのは申し訳ないところだけれど、私のリボンで空中を移動するのでは、リボンを巻き取って進むためにあまり小回りが利かない。弾幕を回避する上ではアリスの水流のほうが適切だった。

 私たちは、再び宙へと身体を踊らせた。

 列車を追いかけながら、私はアリスに説明を続ける。

「もう一つ、気をつけなくちゃいけないことがある。それは、今回の退治にタイムリミットができてしまったこと」

「タイムリミット?」

 アリスはオウム返しで聞き返してきた。

 私は、さっき見た大穴を脳裏に思い浮かべる。

「あの汽車は、輪になった線路の上をグルグルと走り続けてる。だから、しばらくすれば、もう一度さっきと同じ線路を通るはずなんだ。そして、さっきの線路にはもう……?」

「穴が空いちゃってる!」

「そう。だから、あの汽車がもう一周してあの大穴に差し掛かったとき、汽車は下に落ちていってしまうはず……」

 穴の下は、鉄骨の骨組みに囲まれた、奈落だ。ここからでは底が見えない。私もアリスも空中を動けるから、汽車が落ちてしまった後も探しにいけるかもしれないけれど。でも、もしどこまでも底がなかったら、自由落下し続ける汽車に追いつけるとは思えないし、どこかに底があったとしても、そこまで行く間に力尽きてしまうかも知れない。汽車が線路を走っているうちに、決着を付けるべきだ。

「でも、それはアンにとっても同じはずなのに。どうしてこんな破壊行動をしたんだろう……? そこまで深く考えていなかったのかな」

 私はほとんど独り言のように言葉を続けた。

 しかし意外なことに、アリスはそれに応えた。

「きっと、アンはケガしないからじゃないかな……?」

 ――。

「アリスも、知ってたの?」

 アンが、自身の夢として、アノマリーに潜り込んでいることを。

「うん、あのあとボスから聞いたんだ」

 生身でアノマリーに入っている私たちと違って、アンはこのアノマリーを、眠っているときの夢として見ている。だから、たとえ身体に怪我を負ったとしても、現実世界の彼女の身体にはそれが引き継がれないはずだ。

 少なくとも、理論上はそうらしい。しかし、だからと言って、夢の中で受けた苦痛が本当に現実世界に影響しないとは、言い切れないのではないかと、疑いたくなる。

「怪我をしないからって、こんな自滅みたいな手段を取るなんて……」

 このアノマリーでどんな目に遭っても構わないから、最悪の場合は汽車と一緒に落下することで、私たちの追跡を振り切ろう。アンの狙いは、そういうことだ。

「アンにも、きっとそこまでしてアノマリーを退治したい理由があるんだと思う」

 アリスは、静かに言った。

「いくらなんでも、そんなことはさせられないよ。汽車が一周する前に、私たちで決着を付けよう」

「うん!」

 私たちは、汽車の後ろをフラフラと飛んで、アンの気を引きつけている。このままアンの弾幕が効かない範囲を迂回して前方から回り込むという手もあるけれど、そんな時間を与えてしまえば、アンに中心を退治されてしまうだろう。このまま、後方から突破するしかない。

 私には、作戦がある。今まで練習してきたアレを使えば、きっとアンを出し抜けるはずだ。そのためには、ちょうどいい地形を探さないといけない。

「シラユキ、また血がたれてるよ」

 アリスが、私の頬を一瞥して、声を揺らした。

「だ、大丈夫だよ。ちょっと切っちゃっただけだから」

 本当に、これはただの浅い切り傷だ。けれど、そんな風に心配されるとこちらとしても申し訳なくなってくる。

 そうだ。

 私は、リボンを少しだけ伸ばして、頬の切り傷に当てた。そのままリボンの余分な部分をちぎり取る。

「アリス、見て」

「――! ばんそうこう!」

「そう。だから、もう大丈夫だよ」

 私はアリスに笑いかける。

 汽車は大きなカーブに差し掛かっていた。曲がった先の線路の左側に、平たくて広い建物が見える。あの建物の上であれば、万が一飛行中に捕縛弾を受けて飛べなくなっても、奈落の底まで落ちずに、屋根の上を転がるだけで済むだろう。

 汽車は、もう少しであの大穴から半周するところだった。

 作戦を実行するなら、きっとこのタイミングしかない。

「アリス、これから言う通りに動いてね――」

 私は、アリスに作戦のあらましを伝えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る