第17話
遠くで、汽笛が聞こえた。
目を開けると、私たちは、鉄骨の上に立っている。
激しい風が、私たちの身体を撫でていった。
「おー、高いね……」
アリスが、下を覗き込んでしみじみと言った。
私も釣られて下を見てしまって、足が竦む。奈落の底から、ひたすらに鉄骨が組み上げられて、そうして私たちが立っている足場が作られているのだ。
鉄骨の色は、紫色だった。ラベンダー色と言ったほうが良いかもしれない。
鉄骨でできた骨組みは私たちが立っている場所だけじゃなくて、横方向にも上方向にも遠くまで広がっていた。巨人が使うジャングルジムがあったら、きっとこんな感じだろうなと、何となく思った。骨組みの中の所々に、トタン板でできた建物も見える。建物の大きさは小屋サイズのものから体育館くらいのものまで大小様々。トタンの色はパステルな黄緑色で、縁にはさび付いているように水色の斑点が浮かんでいた。さらに、私の身体くらいの直径をした歯車が、骨組みの中に無数に存在している。鉄骨と同じラベンダー色のそれらは、いくつかの川を形作るようにズラッと並んで、噛み合いながら回っていた。それらの川は建物のすぐ側を通っている。建物からはピンク色の煙がモクモクと上がっていて、そこで歯車が回る動力が生み出されているようにも見えた。私たちの遙か頭上には、直径が何メートルあるか分からない巨大な歯車が虹のように宙に並んで回転している。あちらこちらから、ギシギシと歯車がきしむ音が聞こえていた。
まとめると、歯車で駆動する空中都市、といった様子だった。ラベンダーの色が持つ上品さが、歯車むき出しのハードな世界観に微妙に噛み合っていない。ここが今回のアノマリーのようだ。
「シラユキ、中心がどこか分かりそう?」
私の中心を探す感覚を養うために、最初に私が、中心があると思う方向を示すのが慣例になっていた。
私は目を閉じて、視覚の情報をシャットアウトする。そして、何となくの肌感に意識を集中させた。うん、今回は自信あるぞ。
「こっちかな」
袖口からリボンを一本出して、それで矢印を形作り、方向を指し示した。
最近は、リボンの色や形も自在に操れるようになってきたので、ついつい面白くなってしまって、無意味にリボンを使ってしまう。
「うん、ボクもそう思う!」
アリスからのお墨付きをもらった。
「やった……!」
「シラユキもだいぶ分かるようになってきたねぇ」
アリスの賞賛に私は胸を張った。
「そうと決まれば移動を開始しよう」
袖口から出したリボンを足元の鉄骨に絡めて、さらにそのままリボンを伸ばして、行きたい方向にある奥の鉄骨にリボンの先端を引っかけた。そのまま鉄骨の間を何往復かさせて、簡易的な吊り橋を作る。
「ありがと~」
アリスと私はそこを渡って、中心に向けて移動を始めた。
そうしていくつかの吊り橋を作って進んでいると、今度は別のものが空中に見えてきた。
「センロだ!」
アリスが声を上げる。さっきまではトタン製の建物と歯車の川の陰に隠れて、見えない位置にあったようだ。初めに聞こえた汽笛は、この線路を走る汽車が発したものだったのかもしれない。
その線路を渡って、私たちはさらに目的の方向へと進む。鉄骨の上を移りながら進んでいるので、ただ歩くだけでも神経がすり減った。足を踏み外そうものなら、奈落の底まで真っ逆さまだ。
「もし、シラユキが落ちちゃっても、ボクが助けに行くからアンシンしてね!」
私の思考を読んだみたいに、後ろを歩くアリスから声がかかった。わざわざ振り向かなくても、アリスがドヤ顔をしているのが目に浮かぶ。確かに、アリスの水流で宙を移動する能力があれば、助けてもらえそうだ。
「じゃあ、アリスが落ちたら私が助けるよ」
後ろを振り返りつつ、私もアリスにドヤ顔を送る。私のリボンの能力だって、この鉄骨だらけの環境では結構役立つのだ。
リボンを色んな鉄骨に絡めてワイヤーアクションみたいに動けば、実質空を飛んでいるようなもの。アリスに何かあっても助けられるはず。
「中心はどの辺りだっけ……」
さっき感じた中心の位置にだいぶ近づいてきたと思ったので、もう一度詳細な位置を確かめようと、独りごちながら目を瞑った。
しかし。
「――あれ?」
私の額に冷や汗がつーっと流れた気がした。
「さっき、あったはずの場所に、中心がなくない……?」
私はおそるおそる、アリスに確認を取る。
「え、まさか~~」
そんな冗談言わないでよ、という笑顔のまま、アリスは中心の位置を探ったみたいだったけれど、すぐにその顔から笑みは消えるのだった。
「動いている、のかな……?」
私たちは向き合って立ち止まって、目を閉じる。
二人して全力で中心の動きを追いかけた。
まだ中心の探索に慣れていないので、中心の動きを連続的に追いかけることはできなかったけれど。それでも、中心の位置を探る度にそれが少しずつ動いているのは分かった。私たちから百メートルくらい離れた辺りを、時計回りに弧を描いて進んでいるように感じる。
「きっと、あっちのほうから、こうやって動いているね!」
アリスが指を差して、その腕を右にズラしていった。私の感覚とも、一致しているようだ。
「どういう規則で移動しているんだろう…… 何か予測する方法があるといいんだけれど」
中心の移動スピードは、私たちの全速力に比べれば全く速くない。このまま感覚を頼りに追いかけていってもじきに追いつくけれど、可能なら先回りできたほうが良い。あまりウカウカしていると、もしアンが来ていたらまた先を越されてしまうかもしれない。
このアノマリーで、動いているものと言ったら何だろうか。そこから考えていけば、中心の移動先を辿れるかもしれない。
真っ先に思い浮かぶのは歯車だ。このアノマリーでは無数の歯車が回転している。これらを動力にして裏で何か動き回っていても不思議ではなさそうだ。けれど。そんな漠然としたイメージでは、中心の行き先なんて分かりっこないな……
行き詰まって、顔を上げると、アリスはまだ中心があると感じられる方向を指で示しているようだった。何となくその指に誘導されて、そちらの方向を見る。
私の目に映ったのは、もくもくと筋になって上っていく、ピンク色の煙だった。それは、尾を引くように、斜めに伸びている。
この光景と結びつく何かを、さっき見た気がした。
――!!
そうだ。さっき見たし、さっき聞いたものだ。
これを確認するには、上から眺められる場所に行きたい。
私は、右の袖口からリボンを目一杯伸ばして、私のいる場所から届く頭上の鉄骨のうち、一番高いところにあるものにリボンの先を絡めた。
「アリス、私に掴まって!」
空いている左手をアリスに向けて伸ばす。
私の意図を汲み取ったのかは分からないが、アリスはすぐにこちらに跳び付いてきた。
「うん!」
私としては「手を繋ごう」くらいの意味だったのだけれど。気づいたら、アリスの両腕が私の腰回りを抱きかかえる格好になっていた。突然の密着に心臓が跳ねる。確かに、右腕はリボンを頭上に出すために上を向いているし、左腕はちょうどアリスのほうに差し出していたから、胴周りにしがみつきやすかったのかもしれなかった。
何はともあれ、こんなにがっしり掴んでいれば振り落としてしまうこともないだろう。
「アリス、これから上に上がるから、離しちゃダメだよ」
どうしてかバクバク言っている胸の音がアリスに聞こえてしまわないか、少し心配になりながら。私はアリスに呼びかける。
「りょーかい!」
アリスのくぐもった返事が返ってきた。両腕はがっちりロックしているし、顔は私の腰に埋めているので、声だけでしかレスポンスできないようだった。
「じゃあ、行くよ!」
合図とともに、私はゆっくりリボンを巻き取り始めた。すぐに足が地面から離れ、身体が宙づりになる。吹き抜けていく風が、私たちを揺らしていた。
登るにつれ、私の見たかった物が少しずつ姿を現し始めた。
それは、そう、線路だ。鉄骨や歯車と同じラベンダー色の線路が伸びているのが、だんだんと見えてくる。線路は、ゆったりとしたカーブを作って、大きなトタン製の建物の陰になっている方へと続いていた。
リボンを巻き取るにつれ、その建物の裏側も見えるようになっていく。
そして、ついに、ピンク色の煙の発生源を視界に捉えた。線路の上を走る汽車だ。車体は、トタンと同じ薄い黄緑色をしていた。
中心の存在を感じる位置も、あの汽車が走っている位置とだいたい一致している気がする。
「中心がある場所、見つけたよ」
私の腰に引っ付いているアリスを見下ろした。
それを聞いたアリスは、一目見ようと体勢を変えるために身じろぎしたけれど、すぐに諦めたようだった。
……
残念ながら私の腰周りには無駄なお肉さんがちょびーっとばかりいらっしゃるので、腰にしがみつきながら無意味に動かれると、その存在を悟られてしまいそうでイヤだな。
そんな風に気を散らしたのも束の間。すぐにリボンを巻き取り終わったので、そのまま鉄骨の上へと身体を載せる。二人で立ち上がって、下の景色を眺めた。
線路は、一つの大きな輪を描いていた。途中クネクネとしながらも大きくぐるっと一周回って、元いた位置に帰ってくる。テレビゲームでカーレースをやったことがあるけれど、あれのコースみたいだなと感じる。
中心が汽車とともに移動しているのなら、だいぶ先回りがしやすくなった。汽車は、線路の上しか走れないのだ。これで、今回のアノマリー退治に大きく近づいたはず。
しかし、これでつつがなくアノマリー退治を遂行できるかと言えば。そうは問屋が卸さなかった。
アリスが私の肩を叩いて、注意を促す。アリスの指差す先を目で追うと、そこには空中を飛翔する黒い物体の姿があったのだ。あれは、もしや。
「アンが来たよ……!」
アリスは私と顔を見合わせると、大きく一回頷いた。
そして私の手を取って、前方にダイブする。蜘蛛の巣のような巨大な鉄骨の骨組みの中を私たち二人は自由落下していく。
アリスの手から、アンに遅れを取ってなるものかという強い意志が伝わってくるようだった。
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