第42話 五人とひとりと大怪盗 4章
パーティ会場が真っ暗だったのは、一瞬のことだった。すぐに照明がついて、きらびやかな明るい室内が戻る。ざわついた会場内は、すぐに落ち着きを取り戻し始める。
だがその空気は、あっ! という叫びで切り裂かれた。
「…ない! 」
ステージの隅にはけていた司会者がブルブル震えながら、台座を指差す。
ホールが三度どよめいた。今度は、驚愕と恐怖の声音で。
俺の名前は八木真、どこにでもいる、ちょっとチャームな高校三年生。現在、些細なきっかけで出席しているパーティの会場で盗難事件が発生。これから俺達どうなっちゃうんでしょ?
壇上にいたフェリペさんが、ケースのそばへ寄ると、はっとした表情で顔を上げた。震える手で、宝玉があったところに置かれている紙を取り上げる。
何か書かれているらしく、それを読んだフェリペさんが頭を抱え膝をついた。天井を仰いで嘆息する。スペイン語らしき言葉で何か叫んだところで、駆け寄ったコンベンションの主催者や仲間に声をかけられ、ああ、と応じてよろよろと立ち上がった。
「やられた…」
「どうされました公子」
「閣下! 」
「我が国の宝が…! 」
そこでフェリペさんは、会場の奥まで届けとばかりに叫んだ。
「レティラダの孔雀が奪われました! 憎き賊、ドヴェルグの手によって! 」
会場内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
警備はどうなっているんだ。こんなに警官が揃っていながら何をしていた。犯人はどこに行ったのか。轟々と響くのは、口々に喚き立てる会場内の客の声の集合体。
「戦友諸君、聞こえているな」
それを割って響く、聞き慣れた声は落ち着いていた。
耳の裏に軽く触れて応答する。
「バッチリ聞こえてるよ。比企さん今どの辺にいるのさ」
「私は会場を出たところだ」
え、と忠広と美羽子が驚き上げた声が、レシーバー経由で聞こえる。
「たぶんこちらが本星だろう。まだ中には桜木警視がいるはずだ。うまく連携して、閣下についていてくれ。皆がいてくれるだけで、気分的に違うだろうから」
わーった、とまさやんが答える。
「比企さんも手が欲しくなったら呼んでくれよ」
「ああ、あてにしている」
出入り口に近い辺りで忠広とまさやんが、低いステージに近い辺りから美羽子と源が、フェリペさんに駆け寄る。俺も結城とうなずき合って駆けて行った。フェリペさんのそばには桜木さんもついている。
俺達がステージの前に集まったところで、桜木さんがおもむろに、マイクをとってのたまった。
「警察庁の桜木です。皆様、捜査にご協力お願い致します」
ジャケットのラペルから取り出し開いた警察ID。
これ以上ない爽やかな笑顔とイケボで、桜木さんは宣告した。
「なお、大変申し訳ありませんが、今外へ出ようとされる方は、状況ゆえに容疑者と誤解され、所轄署でお話を伺わなくてはなりません。ここに参列された見識深く良識ある紳士淑女の皆様であれば、そのようなことはないと信じておりますが、その旨ご了承ください」
会場は水を打ったように静かになった。
桜木さんが身分と所属を明かした瞬間、自分は犯人ではない、外に出せとドアの前でごねていたおっさんが、ビクッと肩を跳ね上がらせてホールの中へ戻る。
膝くらいの高さのステージにどっこいしょ、と登り、源が美羽子に手を貸して引き上げる。フェリペさんはうつむいていて、腰くらいの丈の、細長い陳列台の上は、空っぽのままスポットライトを虚しく浴びていた。
「比企ちん今どこにいるんだよー」
結城が悲鳴のように訊ねる。
「俺こんな元気ないフェリペさん、見てらんねえよー! 」
「俺ら何すればいいんだよ」
「比企さん、犯人の心当たりないの? 」
結城の情けない悲鳴に、まさやんと美羽子が続く。
ふと、俺は違和感を覚えていた。
おかしい。何がどうおかしいのか、とにかくわからないけど、でもその何かが決定的におかしい。何かってなんだ。何かってなんだ。なんなんだってば!
比企がそこで返事をした。
「戦友諸君、今どんな状況だ」
「俺ら全員ステージに上がって、桜木さんと一緒にフェリペさんのそばにいる」
忠広が答えた。
「あの陳列台の上は空っぽで、桜木さんがID出して、お客全員足止めしたところ」
比企はそこで、陳列台の上には本当に何もないのか、と訊ねた。おかしなことを訊くな。ないよと俺が返すと、本当かとしつこく訊ねる。くどい!
「ないって。あの、白い布の台座だけだってば。シルクみたいなフッカフカの、宝石の安定よくするようにしてあるあのまんまで、石がないだけだよ」
すると。
俺が半ばいらつきながら答えた言葉を聞いて、弾けるように笑い出しやがった。文字通りの哄笑、大爆笑だ。
「そうかそうか、そいつは重畳! ──桜木警視」
そこで比企が桜木さんに呼びかけた。
「もういいだろう、頃合いだ。予定通りに始めてくれ。こちらもそろそろ始めるとしよう。戦友諸君、」
今度は俺達に向けて、閣下を頼むと続ける。
「もうひと波が来るぞ。諸君のミッションは、決して誰も閣下に近寄らせないことだ。今、ステージのど真ん中にいるのは、閣下と諸君だけのはず。笹岡さんは閣下についていて差し上げてくれ。みんな、二人を頼んだ」
わかった、と応じながらも、比企は何をそんなにバカ受けしていたのか気になってしゃーない。
だが、そこで桜木さんがすっとフェリペさんの耳に顔を寄せ、低くひと言、お願いいたします、と囁いた。
フェリペさんがうなずいて、台座に手をかける。そっと白いシルクの布を摘んで、シュルッと取り払った。
俺は目を疑った。
だって。たぶんこれ、他の人が事情を聞けば、俺のこの気持ち、きっとわかってくれると思うの。
なんとなれば、布を剥いだその下には、さっきまであったあの、でっかいピーコックブルーの宝玉が、同じようにでんと鎮座ましましていたのだ! 騙したのね、ひどいわ!
会場内はタガが外れたように、お客がわあわあと喚き始めた。それを、壇上で両手を上げ制しようとする桜木さん。だが、驚愕から驚愕へと振り回された群集心理は暴走寸前だ。
破裂音。
再び会場が静まり返った。
失礼しました空砲です、と涼しい顔で、桜木さんがデザートイーグルをホルスターにしまう。うげ。この人も武装してたのか。
「捜査上の理由により、いささかドタバタした場面がありましたが、今お集まりの皆様には事情を包み隠さずお話し致します」
会場中の視線が、マイクを持つ桜木さんに集中。
「実は先日、フェリペ公子とお父君のレティラダ公爵の元に、国際的な犯罪者で、怪盗などと噂される人物、ドヴェルグからの犯行予告が届いたのです。標的はこちら、皆様が今まさにご覧になっているレティラダ公国の至宝〈奇跡の孔雀〉。犯行の日時は本日二十一時。まさしく、つい先ほど照明が落ちた、あの瞬間でした」
お客全員が聞き入っている。
「しかし、閣下はこの度のコンベンションで、この素晴らしい宝玉を、我々日本の国民に披露し、イベントに華を添えたいとお考えでした。そこで、特別にそっくりのダミーを作らせ、僕が監督官を務める勅命探偵スネグラチカ、及び警察庁上層部と密かに打ち合わせ、このような演出でもって、賊の裏をかき、可能であれば逮捕し国際警察へ身柄を引き渡そう、となった次第です」
おお、と低いどよめきが起こった。
しかし、さらっと比企と自分の関係を織り交ぜて説明する辺り、マーキングえぐいです桜木さん。
「というわけで、ご列席のお客さま方にはご不安、ご心配をおかけしましたが、こちらが真物、レティラダ公国の至宝〈奇跡の孔雀〉です! 」
会場が割れんばかりの拍手に包まれた。
そのとき。
会場の真ん中辺から、小さい悲鳴が上がった。
誰かがこっちに突進してくる。誰だ、と見れば、さっき外に出ようとして、桜木さんが釘を刺した途端におとなしく戻ったおっさんだった。
おっさんは、他のお客をかきわけなぎ倒し、真っ直ぐステージに向かってくる。
「冗談を言うな! まさか、まさか俺が運んだあれが、」
血走った目で顔を真っ赤に充血させ、鼻息荒く喚く。
そっちが真物かっ! 叫んでステージに上がろうと足をかけた。
「こんな騒ぎになった以上、どうせ先はないんだ。そいつはもらっていくぞ! 」
まさやんがステージにかかった足をひょいと外した。ひっくり返って、おっさんはすぐに起き直りまた足をかける。
「あんな地の果ての島でおねんねしてるよりゃ、金に変えてやる方がよっぽど有意義ってもんだろうが! 」
結城がおっさんの顔面に足を乗っけて押し戻した。
あ、とフェリペさんが、おっさんの顔を見て声を上げる。
「お知り合いなんですか」
美羽子が訊ねると、領事館の日本採用スタッフです、とうなずいた。
「領事館の業務や父の公務の補佐で、何度かレティラダにも入国しています。勤続も十年近くになるはずです」
何度もステージに登ろうともがくおっさん。俺達は代わる代わる、おっさんの手を払い除け足を払いしていたが、ついに痺れを切らした美羽子がいい加減にしなさい! と叱り飛ばした。はいていたパンプスを脱いで、靴底でおっさんの横っ面を思い切りひっぱたく。
パチーン! といい音が響いた。
桜木さんが制服のお巡りさんを集めて、美羽子の一撃で腑抜けになったおっさんの身柄確保と、フェリペさんと宝石の護衛に振り分ける。
「閣下、僕らはこれで」
挨拶する桜木さんに、わかっておりますとフェリペさんがうなずいてから、実に楽しそうにニヤニヤした。
「彼女のことがご心配でしょう。パーティはまだ終わりませんから、そちらが済んだらまた戻っていらしてください。ゆっくりとお話ししましょう。皆さんも」
え、いや、と答えに窮する桜木さん。
フェリペさんはにやあ、と更に笑いを強めた。
「ご安心を。確かに麗しい姫君ですがね、口説こうにも騎士が難攻不落では不可能ですよ。ねえ? 」
俺達に同意を求めるのはやめてください。でも、今はまず比企のサポートをしてやらなくては。
行ってきますと挨拶して、俺達はホールを後にした。
比企はフランス人形の皮を被ったゴリラだが、それでも手助けは必要だろう。タイマンでは無敵でも、動ける手の数が決め手になる局面だってあるのだ。
屋上で合流だと言う比企からの通信で、俺達はエレベーターと非常階段、レストランフロア経由の階段と三手に分かれて向かった。俺は桜木さんと一緒に非常階段から向かう。
「さてここで問題だ」
移動の間、比企がいつも通りの淡々とした調子で始める。
「宝玉のトリックは諸君もご覧の通り。お披露目のためにあの台座へ据え置いたのは、私と桜木警視、閣下の三人だけの場でやった。領事館の人間も警察官もいない、無菌状態で三名だけ。皆たまげていただろう」
「俺らも驚いたよ」
「そこで、だ。照明が落ちたあの一瞬の後、ステージの上には誰がいた? 」
俺は、さっきのあのもやもやが、もう一度目の前に飛び出して、視界いっぱいに広がるのを感じた。
さっきのあの、ステージの上には、まずフェリペさんがいた。隅っこに司会者と、コンベンションの主催者がはけて、フェリペさんと台座にスポットライトが当たって、台座を運んできた警備員さんが傍に立っていて──
「あー! 」
俺と、階段から来ているまさやんが同時に声を上げた。
「肥後君と八木君は気づいたようだね」
そう、俺は思い出した。
あの明かりが戻ったホールの、ステージの上には、警備員さんが消えていたのだ。
「その場にはいても員数として認識されない人間とはどんなものか。歌舞伎の黒子。能狂言の謡方。それから、」
そうだよ! 忠広と源、美羽子も気がついて声を上げた。
「VIPに張り付く警備員」
エレベーター組の結城が、うえー、と情けない間投詞を発する。
まじか。いや、まじか。
愕然としている俺達をよそに、比企は淡々と続けた。
あの暗がりでの早技のあと、比企はすっと後ずさり足音を忍ばせ去ろうとする警備員の姿を見て、照明が戻った瞬間外へ滑り出た。
「まあ、ほぼ予想通りの行動だったよ。バックヤードへ潜り込んで、変装を解いて表へ戻り、何食わぬ顔で屋上階へ向かう。あとはアドバルーンなりフランス製のヘリコプターなり、用意した脱出手段でずらかるのみ」
アドバルーンってなんだそりゃ。
「なんでヘリがフランス製」
忠広が突っ込むと、なんだ岡田君は少年探偵団を知らんのか、とがっかりしたようにため息をつく比企。いや知らんて。
嘆かわしいと比企はもう一つため息。屋上の広い階段室から、まさやんや美羽子が出てくる。扉の外には比企が立っている。非常階段から屋上へ入り、俺と桜木さんもそこに合流した。
比企の視線の先、屋上のど真ん中。
そこに立っていたのは、思いもしない人物だった。
夜風に軽くなびく金髪、ステキな青い瞳、しなやかな手足、出るとこは出て引っ込むとこは引っこんでるボンキュッボンをキャットスーツに押し込んで、それでもこぼれそうな白い美乳が、ばっくり開いたスーツの前から覗いている。
キャットはキャットでも、この美女は、男を軒並み頭からパックリ喰っちゃいそうな子猫ちゃんだった。コワイ!
比企は実につまらなさそうに、紹介しよう、と俺達に美女を指し示した。
「あそこにいるのが峰不二子、じゃなかった、今回予告状を送りつけ、騒ぎを起こして宝玉を盗もうとした張本人。ドヴェルグのバッタもんだよ」
…はあー?
「はああーん? 」
「ファッ? 」
「へあ? 」
「チッちちちちちょまー⁈ 」
「うえー⁈ 」
「えー! 」
一斉にバラッバラのリアクションする俺達高校生組。
「え。え。え。ちょっとまってバッタもんって、え。にせ? 」
愕然とする桜木さん。そうだよと比企は面倒そうに答えた。
「このネエちゃんは今言った通り、忍法ニセ怪盗だよ。正体と、今回とった手口の予想はつくけどね」
まじか!
美女はちょっと訝しげに眉をひそめると、へえ、と向き直った。
「あたしが何者で、どうやってこれを盗み出したのか、当てられるって言うのね、お嬢ちゃん」
胸の谷間から宝玉、いや、そのコピーをつかみ出し、顔の横でヒラヒラかざして見せる。すげえなこのいい女ムーブ。
「それにしても、あたしがドヴェルグじゃないなんて、何を根拠に言ってるのかしらねえ。ねえ? 」
色っぽいウィンクをひとつ、金髪美女が困ったお嬢ちゃんね、と笑う。
「坊やたちもそう思うわよね」
曖昧な半笑いでお愛想する俺達だが、源と桜木さんはスルー。金髪ネエちゃんはそこで美羽子を見て、あらかわいい、なんて手を振っている。
比企がついに堪えきれなくなったと言わんばかりに、腹を抱えてゲラゲラ笑い出した。
ウヒャウヒャ笑ってくの字に体を折って笑い転げ、しまいにはネエちゃんを指差してブフォ、と吹き笑い。
「何がおかしいのよ」
ネエちゃんが怒りを孕んだ声で訊ねると、いやだってさ、と比企はまだヒャハヒャハ笑いながら答えた。
「お前、その石ころ、ちょっとその辺の地べたで擦ってみろよ。いやいいから。やってみって」
怪訝そうな顔で、それでも足元にかがみ込んで石をサッと擦ってみると、何これ! と美女は悲鳴を上げた。
「偽物じゃない! 」
更にゲタゲタ笑う比企。黙って立ってりゃ美少女なのに。
「お前が偽物だって根拠を示せって言ったよな。じゃあ、ひとついいこと教えてやるよ」
笑いを収めると、比企は実に底意地のわるいニヤニヤ笑いで言った。
そこで桜木さんに、イヤホンを外して握っておけとひと言、警察用のイヤホンマイクを外し、とんでもない爆弾発言を放り投げた。
「だって、真物のドヴェルグは今頃、師父にコッテリしごかれてるんだからな! 」
「…は? 」
「つまり、真物は私の弟弟子。
「…はいー⁈ 」
比企以外の全員が、驚きの声を上げた。
「正確に言うなら、小虎と私の分業制。世に散逸したお山の至宝を取り戻すため、姿を偽り動いたとき、気がつけばそんな呼ばれ方をしていたのさ」
元はといえば、小虎が始めたいたずらでな、と比企はやれやれ、と苦笑した。
「あいつが最初の仕事で、いたずら半分に広告の裏に落書きした絵を置いていったのがきっかけだ。三件めの頃には、すっかり小人の盗賊なんて呼ばれるようになってたよ」
「…え、あの、小梅ちゃん、あの、」
「ああ、私と小虎の仕事は、乗馬鞭と鈴、縄束と小旗の四件だけ」
残りは全部、私達の名を騙った模倣犯だとあっさり断言。
「え。あの、ガラクタ盗んで、盗まれたお宅のどこも、被害は全然ないけどちょっとキモいって言ってた、あれ? 」
「他は全部、勝手に名乗りもしてない名を使われただけさ。今回みたいに。大体、太極に至るために修行を重ねる仙道が、目先の財宝なんか欲しがるわけがないだろう」
結城の言葉にうなずき、比企はプスプス笑いながら、ものの価値を知らないって哀しいよなあ、と続けて、
「大方、どこかの工作員崩れなんだろうが、ドヴェルグを名乗ったのが運の尽きだったな。あんな洒落た予告状、私も小虎も送りつけるわけがないだろう。スーパーのチラ裏に落書きが精一杯だっての」
うん、確かに。千の言葉よりひとつの暴力な比企と、お気楽極楽なクソガキの財前では、あんな大人なムードの封筒と便箋は使わない。こいつらにそんなセンスはない。
「さてネエちゃん、警備員になりすまして、お宝を掠め取ったと思ったら、正体はバレるわ偽物をつかまされるわ、踏んだり蹴ったりだったわけだが、感想はどうだ」
金髪ネエちゃんが悔しそうに、ぎりぎり唇を噛んで睨みつけた。おおすげえ、視線で人が殺せるんじゃないのか。
「舐めた真似してくれたわね。胸も尻も足りないお子様が、大人を馬鹿にするとろくな死に目に遭えないわよ」
ネエちゃんが血ヘド吐くような声で罵り、宝玉のレプリカを投げ捨て背中に手を回した。
「これでもまだ虚勢を張れるのかしら。あたしをここで逃さなければ、お友達も一緒に蜂の巣よ」
いかにもやばそうな、見るからにマシンガン。それを腰だめに構えて、ネエちゃんが追い詰められた猛獣の笑みを浮かべる。まずい、と桜木さんが俺達を背中に庇った。源が美羽子の前にすっと回る。まさやんが脇を固め、結城が俺と忠広のガードに回る。
比企が、ちょっと自販機でお茶でも買うような足取りで前に出た。
ニヤニヤ笑って比企が言う。
「おい、私を胸も尻も足りないガキだとか抜かしたな。それでわかったよ。お前、ハニートラップがお得意なんだろ。戦闘用でもなきゃ諜報もそれなり、男から情報を吸い出すだけの工作員だ。大方、領事館の誰かを体で籠絡して情報を吸い出し、手駒にして潜り込んだんだろうが、──いいか、真物のスパイってのはな、てめえの知恵と才覚でどんな相手からも情報を引き出し、鍛え抜いた技術でもってそれを持ち帰るんだ。胸や尻がないと仕事ができない内は、ど三流もいいところだよ」
あ。これちょっと気にしてるのか。してるねたぶん。貧乳扱いをさあ。比企はニマニマ悪い笑顔で、いいじゃねえかと嘯いた。
「そんな結構な得物を持ってるんだ。ちゃんと使えるんだろ。なあ、使ってるところ見せてくれよ」
ネエちゃんが歯を剥いて雄叫びを上げた。重心を落として引き金を引く。あ。これ死んだ。俺死んだ!
だが。生憎俺は死ななかった。源もまさやんも結城も、美羽子も忠広も死ななかった。桜木さんも死ななかった。
俺は信じられないものを見た。
前に立った比企が、何十本もの手で銃弾をつまみ取って落としていた。自分の体に当たったものは一切無視。なんとなれば、あのド派手なチャイナドレスは防弾スーツだったのだ。そんなこったろうと思ったよ!
「乾元山流体術、千手」
すぐに弾が尽きる。マシンガンを投げ捨て、ネエちゃんがギッと天を睨んだ。ポケットから小さなスイッチを出して押す。
どこからともなくやってくる、無人操作のドローン。一人乗りのシートがついていて、屋上の何メートルか上でホバリングする。ネエちゃんが垂らされた縄梯子に捕まろうと手を伸ばしかけた、そこで比企は髪飾りの花びらを指先で弾く。ドローンが急にふらふらとコントロールを失った。めちゃくちゃに飛び回るドローンが、唐突にぼん、と異音を立てる。
ドローン大爆発。
「今何があったの」
美羽子の質問に、比企は向こうのビルのてっぺんを指して、山崎が撃ち落としたんだと答えた。
「この髪飾りってどんな機能してたの」
「ドローンのリモコン電波のジャミング。一瞬だけ、強烈な磁気で掻き回すんだ」
源にしれっと答える。
呆気に取られてへたり込むネエちゃん。
桜木さんが手錠をかけ、レストランフロアへの階段室へ引っ立てていきながら、小梅ちゃんあとで色々聞かせてもらうからね、と釘を刺した。うわあい、お説教タイムだね!
そこで比企が、ドレスの腿の辺りを軽く摑んで下へ引っ張った。ぼとぼと、と落ちるのは、先が潰れて平べったくなった弾丸。
「確かに貫通はしなかったが、鉄球のタコ殴りじゃないか」
ぼやいたが、ドレスの表面には傷ひとつついていなかった。
金髪キャットスーツの美女を警察に引き渡し、パーティ会場へ戻ると、桜木さんが説明はあるんだろうね、と比企に問いただした。
仕方ない、とため息をついて、シャンパンのグラスを取り、会場の片隅で真相を語り始める。
「もともと、私と小虎が四度にわたって白波稼業の真似事などしていたのは、師命だったからだよ。内容は、散逸していたが発見された
そこまでしゃべって、ひと息にシャンパンを半分呑んで喉を湿らせると、あんなものは人界にあったところでなんの役にも立たない、と比企は軽く笑った。
「使い方も知らずに持っていたって、宝もゴミにしかならない。使い方を知ってしまえば、何かしら悪事に使おうとする馬鹿が出る。ならば持ち主に謹んでお返しするのが一番の解決策だろう」
そりゃあそうだけどさ。
だからって何も盗まなくたっていいだろう、と桜木さんがたしなめた。
「もちろん、そうでなくもっと穏便に、値をつけられるから買い取れる類のものは、見合った対価で買い取ったさ。その末に残ったものを、私と小虎が盗み出したんだ。でも、ガラクタに大金積んで、このボロいのがビンテージ感濃厚で最高なんです、なんて誤魔化そうとしたって、説得力ないだろう」
おっしゃる通り。
確かにそうだけど、と桜木さんは口を尖らせた。
「実際、小梅ちゃんが関わった四件だけは、被害届も何も出てないけどさ。──それにしたって君は秘密が多すぎるよ。そんなに僕は信用できないのかな」
「信用云々じゃない。私の前職を忘れたのか。中途半端に首を突っ込めば死んじまうぞ。好奇心は猫を殺す」
あんたのためを思って伏せてるんだ、と比企がしれっと返す。が、今日という今日はもう、そんなことで誤魔化されないよと桜木さんは食い下がった。
「君はいつまで工作員のつもりでいるんだ。一生ついて回るのかもしれないけど、その覚悟ができてるのと、一人で死ぬのは寂しいのとは別だろ。僕はね、君を一人で、つらくて寂しい死に方なんかさせたくないんだよ。いい加減、一年以上もコンビを組んでるんだ。他人行儀はやめてくれないかな」
「何馬鹿なこと言ってるんだ。他人行儀だから、周りから他人だと思われて安全なんだろうが。いのちだいじにって言葉を知らんのか」
あ、これ犬も食わないやつだ。始まった。もうこうなると俺達、口なんか挟めません。てゆうかコワイ!
じゃあ何かと比企は頭をボリボリ掻いた。
「全部話して、あんたこの先何かあったときに、私と一緒に戦うとでもいうのか」
「戦うよ」
あっさり即答。あの、もう少し考えるそぶりだけでもしましょうよ桜木さん。
「僕はいつだって君の味方でいるよ。相棒だからね。監督官だからって上司ヅラする人間もいるけど、僕は君の相棒なのであって、対等な立場だよ」
「あのな、あんたもう少し考えてものを言え。どうした東大文一」
「どうもしないよ。思ってることをそのまま素直に言ってるだけ。要するにもっと信じて欲しいだけ」
信じてるだろうが、と比企がシャンパンの残りを呑み干した。桜木さんもシャンパンのグラスを取るとひと息に呑み干す。
「毎日警戒せずにあんたの出す食事を食っているだろう。おかしな薬なんか盛らないと信用してるからできることだぞ、わかってるのか」
「でもいまだに他人行儀じゃないか。一年経っても桜木警視って、君にとって僕はそんなに緊張を強いられる相手なの」
「ケジメは大事だろうが」
「そういう段階はとっくに過ぎちゃってるでしょ。ルームシェアしてるんだし」
「嫌なら出るぞ」
「絶対ダメ。君、また前みたいに廃屋寸前のボロ屋とかトランクルームに住もうとするでしょ。僕の仕事の一つは、君に文明的な生活をさせてベストコンディションでいてもらうことなんだから」
おお、比企が押されている。すげえな桜木さん。
じゃあどうすりゃあんた満足なんだ、と不貞腐れて比企が訊ねた。
「そうだな、もっと親しみのある呼び方に変えてくれればいいよ。他にもあるけど、まずはそこから」
してやったりという笑顔で、桜木さんが答えた。
「なんでもいいよ。真之介君でもお兄ちゃんでもダーリンでも」
ああ、そういえばこの人、比企のことが好きすぎてやばい域に入り込んでるんだったっけ。比企はいくぶんげっそりして、ああまったくと荒いため息をついた。
「小っ恥ずかしいから黙れ。もういい、お前なんか呼び捨てるくらいがちょうどいい。散々気を遣ってきたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。…おいシン、」
「え、」
驚いて顔を上げた桜木さんに、比企はニヤリと太い笑みを見せると、こんな小便同然のソフトドリンクは物足りん、もっときついやつを探すぞ、とホールの真ん中へ歩き出した。
どうなったのと美羽子が二人の背中を見送りながら漏らす。うーん、と源が苦笑いした。
「仲直り、ってことでいいんじゃない? 」
そだな、とうなずく忠広。まさやんもホッと息をついて、落ち着くとこに落ち着いたってことだろ、と首筋を掻いた。
「なあ、俺腹減っちゃった」
結城が情けない声で情けなく訴える。
「行こうぜ。サンドイッチくらいあるだろ」
俺も、ボーイさんを捕まえて出させたウォッカを呑み始めた比企と桜木さん、そこに二人を見つけて加わったフェリペさんのいる辺りへ近づいていった。比企の呑みっぷりに、周囲の人が歓声を上げている。
比企は酒が好きみたいだけど、俺達はまだ、オレンジジュースとサンドイッチの方がいい。お酒は大人になってから、だ。
フェリペさんが俺達に気づいて、笑顔で手招きした。
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