第40話 五人とひとりと大怪盗 2章

「パライバ・トルマリンというのは、」

 グランパレスホテルの最上階、フェリペさんがリザーヴしたスイートルームの応接間で、唐突に比企のレクチャーは始まった。

「かつてブラジルのパライバ鉱山で採掘されていたトルマリンで、同じトルマリンでも他所で採掘されたものよりも発色がよいことから、特に鉱山の名を冠してこう呼ばれていた。が、」

 残念ながら、もう数十年も前に掘り尽くされて、新たなパライバ・トルマリンは二度と世に出ない、と比企は続けた。

「そのおかげで、今現在もなお、パライバと名のついたトルマリンは価格が高止まりして、値が下がることはない。トルマリンはさほど貴重な宝石ではないが、パライバに関してはその限りではないわけだ」

 ところが。

「二年前、フェリペ閣下の母国・レティラダ公国の地質調査で、とんでもないものが出てしまった。それがこの〈奇跡の孔雀〉。パライバ・トルマリンに劣らぬ発色の、大粒のトルマリンだった」

 美羽子がため息をついて、応接テーブルの真ん中に鎮座する宝玉を見つめる。

「確かに、とっても深くてきれいなピーコックブルーよね。それに透明度も高い」

 美しい石です、しかし、とフェリペさんがため息をついた。

「この宝玉はレティラダの国土に秘められた可能性を示してくれました。ですが、存在自体がとても危うい。扱い方を誤れば、悪魔の石にもなりかねないのです」

「どういうことだいフェリペ。君は昔から、故郷をどうしたら豊かにできるだろうって、いつも真剣に考えていたじゃないか」

 源の親父さんが親友の肩を叩いて案じる。比企が小父様、と声をかけた。

「閣下は、この宝玉が世に出て鉱脈の存在する可能性が露見したことで、無軌道な開発の手が伸びることを案じておられるのではないでしょうか」

「おっしゃる通り、私の心配はそこにあります」

「…そうか。確かに、君の故郷にこんな宝が眠っているとなれば、金の亡者どもが放ってはおかないか」

 親父さんが唸った。

「そうなんだダイキ、私の不安はまさにそれなんだ。レティラダはお世辞にも裕福とは言えない国だ。そこにこんなものがあったら、目先の金に目がくらみ、手当たり次第に森を切り拓き地を掘り返し、あっという間に土地は荒れて、元通りの自然は二度と戻らない。私はそれが恐ろしいんだ」

 レティラダに残された森林や海岸、自然環境は貴重なものだと言って、フェリペさんは両膝の上に肘をつき、頭を抱えてうなだれた。

「一度森を壊せば、地面を埋め戻して植林をしたところで、それはもう人工の森にしかならない。海を埋め立ててしまえば、砂浜も珊瑚も二度と戻らない。前世紀に開発の手が入ったコスタリカは、どうにか以前の環境を取り戻そうとしてはいるが、あと数百年はかかるとも言われている。それも、計画が順調に進むという前提で、だよ」

 閣下のご懸念は至極当然のことです、と比企がうなずいた。

「戦友諸君はナウル共和国の事例を知っているかな」

 全員が知らなかった。携帯端末で検索検索。オーストラリアとかニュージーランドとかの近くにある島国だそうです。

「昔、ナウルの島ではリンの採掘が大層盛んだった。アホウドリの糞が堆積した鉱脈は潤沢で、しかもリンは世界中で工業製品やマッチの原料となり、需要は絶えない。面白いように売れて、そのおかげで、ナウルでは遊んでいても裕福な暮らしができた」

「まじか」

 結城が感心したが比企はあっさりと、鉱脈が掘り尽くされるまではね、とバッサリ。

「元々が、のらくらしていても食ってはいける気候の南国だ。誰も餓死の心配をするほど食うに困った経験がないからね。採掘で得られた収入の分配も適当、長期リターンを見込んで投資をしたところで、緻密な管理なんか出来はしない。政治資金も運用も丼勘定で、人口は少なく、採掘以外の産業も乏しいおかげで、仕事らしい仕事といえば公共事業くらい、友人や親戚を見れば誰かしらが政府関係の仕事についている。どうも暮らし向きがおかしくなってきたなと気がついた頃には、リン鉱脈は尽きて外貨収入の見込みが絶たれ、後の祭りだった。産業がない、国民にはあくせく働く習慣もない、無軌道な開発で掘り返した土地は荒れて作物も育たない。そんな国でどうやって再起を図るのか。二次採掘に望みを繋いだ時期もあったが、結局お国柄は変えられず、国家予算は相変わらずザルのままだった」

 今ではすっかり海賊天国になってるよ、と比企は締め括った。

「何それ。海賊? 」

 忠広が頭をひねる。

「要するに」

 比企がニヤニヤ笑って、データヘイヴンだよと答える。

「税金を優遇すると謳って多国籍企業を誘致して、更にそのおこぼれを狙った無法者がわっさわっさ集まってくるんだ。企業の本体メインフレームは、物理的にはナウルにあるが、戸籍上は複数国にまたがっている。何せ事件が起こったところではるか南洋の小島でのことだし、調査しようにも限界がある。調べようがなければお手上げだ、おまけに所属国家が何ヵ国にもまたがれば、手続きだけでも煩雑で誰も裁きようがない、というわけだ。主権が曖昧になってしまったんだな」

 東京露人街や択捉イトゥルプ、竹島やレドンダと同じだよと言って、比企は大きく伸びをした。

「つまり、閣下は迂闊に開発などしようものなら、身にそぐわぬ富で国土と国民が蝕まれ、ナウルの二の舞になるのではと恐れておられるんだよ。そして、その懸念は当然のものだ」

 俺達高校生組は全員が、あまりにもひどい前例に、誰一人軽口の一つも叩けずにいた。

 ゴージャスなスイートルームの応接間は、空気がどよんと重くなっている。

 

 俺の名前は八木真。人間だけどヤギ、どこにでもいるちょっとかわいい高校三年生。だけど今、俺は仲間と共に、国際級の厄介な事件に巻き込まれつつあります。いやーん。

 

 比企がきれいなブルーのでっかい宝石を、丁寧に絹のチーフで包んでフェリペさんに返すと、さて、と息をついた。

「これで基本情報は飲み込んでもらえたと思うが、どうかな。フェリペ閣下のお国の事情や、この宝玉にまつわる面倒がどんなものかは、今説明した通りだ」

 比企以外の全員が、あまりにもシリアスな状況に表情を固くしてうなだれた。

 ここからは応用だ、と仕切り直す比企。パーティの後、そのままラウンジから流れてきているので、相変わらずあのチャイナドレスのままで、国籍不明な感じが濃厚だ。

「ドヴェルグについてだ」

 そこでフェリペさんが失礼、と中座し、ミニバーの冷蔵庫からフルーツジュースのパックを出し、全員分をグラスに注いでくれた。みんなでありがたくいただいて、喉を湿らせてから、比企が話を再開する。

 ドヴェルグというのは、世界を股にかけて活動する盗賊の名前で、貴重な宝石や財宝を狙う。旧態依然とした呼び方をするなら、

「いわゆる怪盗だよ」

 なんとなればこの盗賊は、ご丁寧に予告状を出し、自分がいつ何を盗み出すつもりでいるのかを知らせてくるのだそうだ。しかも、変装の達人だとかいう噂もあり、文字通り神出鬼没、犯行の成功率は七割を超えるとかで、狙われた宝の持ち主達は、予告状を受け取ったが最後、絶望しかない。

「これまでの犯行はすべて海外で、日本にはご縁がなかったからね。報道もあまりされてこなかった。戦友諸君がドヴェルグについて知らないのも無理はない」

 しかし、怪盗ねえ。アナクロも甚だしい。

 それで、と比企はフェリペさんに向き直った。

「閣下、予告状はどなた宛に、どこへ届いたのですか」

「はい。父宛で、ヨーロッパ各地の領事館からの外交行嚢に紛れ込んでいました。欧州に点在する領事館からの郵便物は、平日に一日一度マドリードの領事館で集配してから、航空便で本国へ転送されます。急を要するものや簡単な事務手続きの物については、電子メールで即時発信されますが、儀礼的なものや緊急性の低いものはこの方法です」

「そうした区分けについては、秘密にしているのでしょうか」

「いいえ。国民に限らず、一般市民はなかなか領事館の事情など、触れる機会はないでしょうが、特に秘密にしているということはありません。知りたいと思えば簡単に調べられるでしょうね」

 ありがとうございますとひと言、比企はじっと考え込んだ。

「つくづく、明智小五郎も銭形警部もいないのが悔やまれるな」

「比企ちん何それ」

「何それって、結城君は江戸川乱歩もモンキー・パンチも読んだことがないのか」

「え、誰それ」

 嘆かわしいと比企は天井を仰いだ。

 それで、と気を取り直して、予告状はどんなものでしたかと、改めてフェリペさんに訊ねる。

「これです。一通り調べましたが、ごくありきたりの便箋でした。父の手元に置くには忍びなく、宝玉と一緒に持っております」

「お父君のご病状はよろしくないのですか」

「いいえ。幸い、今は落ち着いておりますが、歳が歳ですから。心労の種になりそうなものは、触れさせたくなくて」

 もう一度フェリペさんのラペルの中から出てきたのは、紋章入りの封蝋で閉じられた、シンプルだけど高級感溢れる封筒だった。

「ハトロン紙に赤インク。本気になったときの水木しげる先生にでもなったつもりか」

 拝見しますと断って受け取り、便箋を開くと比企はよくわからないことをぼやき、匂いを嗅いで封蝋を観察。

「ヘリオトロープ。…それから、これはなんだ。柑橘、シトラス、いやオレンジか? 」

 俺は男子高校生というあほな生命体なので、比企の手元にうんと顔を近づけてふんふんと匂いを嗅ごうと試みた。横を見れば親友四人も同じ挑戦をしている。一人じゃないってステキなことね!

 だけどなんの匂いもしないぞ。こいつの鼻はどうなっておるのか。犬か。わんちゃんか。警察犬か。

 文面は赤いインクの細いペンで、これは、何語で書いてあるんすか。あと筆記体読みづれーんですが。

 比企がざっくり翻訳してくれた。

「六月二十九日二十一時、貴国の所有する宝玉〈奇跡の孔雀〉を頂戴致します」

 おー、すげえ。

「何語で書いてあるのこれ」

「スペイン語」

 忠広の質問に答える比企。なんで読めるのと訊く俺に、国連軍にいたときに教わったから、とあっさり答えなすった。

「スペイン軍から出向してるおっさんが、簡単な読み書きを教えてくれてな」

 なるほど。

 フェリペさんがコンベンションに宝玉を持ってやってきたのは、こうして自分が持ち歩くことで、予告の日時に日本にいれば、多少なり裏をかけるのではないかと思ってのことだった。

 もしも本国で盗み出され、大々的に報道などされてしまったら。そんなことになってしまったら、世界中でドヴェルグの動向を観察する追っかけや、鵜の目鷹の目で珍品を探し回る宝石コレクターに、レティラダの鉱脈の存在が知られてしまう。一度知られてしまったら、もう開発の手が押し寄せるのは時間の問題だ。今回日本へ持ち込んだ表向きの目的は、コンベンション最終日のフェアウェルパーティでお披露目するためだった。環境保全のためのアピール半分、残りは自然保護活動への支援金集めを当て込んでの公開だ。同じ人目に触れるのでも、盗まれるのとはイメージがまるで変わってくる。

「そのパーティって、何日にあるんですか」

「日本時間で二十九日。この予告状と同時に、コンベンションの主催者から最終日程表が届きました」

 それもまたすごい偶然だな。しかし、疑い出せばキリがないぞ。

「コンベンションの運営に一枚噛んでいるのか。それとも偶然でしかないのか。今はとにかく、いかにして宝玉を守るかに集中しないとな」

 とはいうけどさあ。どうすんのこれ。ねえ。

 

 フェリペさんがちょっと悪戯っぽい笑みで、実は、と少し身を乗り出した。

「我が公爵家の孔雀は、赤坂にある領事館の金庫室に収められている、ことになっています」

 比企がニヤリ笑って、考えましたね閣下、と愉しそうにうなずく。

「赤坂にあるのは、公爵家お抱えの職人にこっそり作らせた替え玉です。色も比重もそっくり同じ、ただしこちらは特殊な樹脂製なので、簡単に傷がついてしまいますが」

 当日の展示までは、真物は私がこうして持ち歩きます、とフェリペさんは、ジャケットの胸をポンと叩いた。

「いけない方だ。もしや他にも何か、いたずらの種を仕込んでおいでなのでは? 」

 メチャクチャ愉しそうな国籍不明のロシア人。フェリペさんもノリノリで、実はと朗らかに答えた。

「一定の操作なしに専用のキャリーバッグが領事館から出ると、その場で爆発するようになっていますから、先に盗み出しておいて、当日に騒ぎを起こして騙す手口は使えません。とはいえ人口密集地ですから、キャリーの内部のみが破裂するような仕掛けです。でも、それなりに衝撃はありますし、派手な音がしますから、さぞかし人目につくことでしょうね」

「そいつはステキだ」

 あっはっはと爆笑する二人に、源の親父さんが待て待て、と水をさした。

「そんな最重要事項を、私達に話してしまっていいのか? 私とかみさんや倅はともかく、大牙の友達は、君にしてみれば初対面の相手ばかりだろう」

 そりゃあ、みんな信用できるいい子ばかりだが、と言葉を濁すが、うん、その心配は無理もない。

 そこで比企が実に面倒そうに、バッグから例のキラキラ赤いIDカードを出し、桜木さんにもなんか出しとけとせっつく。

「訳あって、こういう下品な仕事をしておりますので、機密情報の扱いや守秘義務については心得ております。こちらの保護者は監督官。上司です」

 そこでラペルから警察IDを出してエヘヘと取り繕うように笑う桜木さん。源の両親は目を丸くしてぶったまげており、フェリペさんがこれは驚いた! と腹を抱えて笑い出した。

「いや、これはこれは、日本語ではええと、たまげた、と言うんだっけか。ああ、ダイキ、シノブさんも、いいんだ。ありがとう。心配してくれていたんだろう。だが君達の息子さんが見込んで親しく付き合っている仲間とガールフレンドだ。疑う方がどうかしているよ。それにしても、まさかトリスメギストスの姫君が、こんな仕事をしていらしたとはね」

 比企が実に複雑そうな顔になった。

「比企さん気にすんな」

 思わず慰めてしまった。ああ、と比企は苦笑いして、

「まあ複雑ではあるが、こんなことでも閣下の気鬱が軽くなるなら、いいだろう」

 フェリペさんがひとしきり笑ってスッキリしたところで、比企はそれで、と話を続けた。

「閣下、替え玉の件ですが、他に知っている者はいるのでしょうか」

「父と職人だけです。父親の代から公爵家の仕事をしている忠義者で、職人ながら、他言無用と言われたことは、何があっても漏らしません」

「了解しました。今この部屋にいる十一名だけの秘密ということですね」

 そこで桜木さんが、ハッと顔を上げた。盗聴器! と小さく叫び腰を浮かせるが、心配ないと比企が座らせた。

「閣下が入室される前、パーティの間に、領事館の保安要員が一通り調べているはずだよ」

「そこまでご存じとは」

「私も軍属時代に散々やりましたので。VIPの宿泊先の消毒は、要人警護の基礎中の基礎です」

「比企さん消毒言うなし」

「物騒かよ」

「日本に住んでるんだから言葉はオブラートに包もうよ」

「もっと語彙を豊かにしなさいって」

「あんまり怖いと俺おしっこ漏れちゃう」

 一斉に入る男子五名のツッコミ。

「下のコンビニ、パンパースあったっけ」

「俺やっとトレーニングパンツになったんだ」

「俺ムーニーマン派」

 すかさずボケに入る俺と忠広、結城の頭を美羽子が順序よく叩いていった。

 フルーツジュースで喉を潤しながら、それにしてもと源のお袋さんがため息をついた。

「怪盗だかなんだか知らないけど、あんなマフィアみたいな人達まで差し向けるなんて。随分荒っぽいやり方よねえ」

「ああ、あれはたぶん…」

 そこで比企が何かを言いかけたが、ふっと口をつぐんだ。

「どうした比企ちん」

「ぽんぽん痛いのか」

「むしろお腹すいた? 」

「あとでコンビニ行こうぜ」

「最上階のレストランって何時までだったっけ」

 わあわあと一斉にしゃべる男子五名。うるさくってゴメンネ!☆

 とりあえず、フェリペさんには当初からの計画通り、本物の宝玉を肌身離さず持っていてもらうことになった。

「睡眠時や入浴の際にもご注意ください。必ず、脱いだ衣服とは別にして、閣下自らバスルームにも携行されるのが確実です。お目の届く場所にある方が、閣下もご安心では」

「ありがとうバンノチカ。そう致します」

 そこで比企が、閣下、と話を変えた。

「どうぞ、学友たちと同じように、もう少し気軽にお呼びください。確かに私もロシアへ帰れば大公家の一員ではありますが、この国にあっては、所詮薬屋の娘風情。閣下のお立場であれば、もっとぞんざいに呼びつけにされてもよろしいのです」

 すると、フェリペさんがぶっと吹き出した。笑いを噛み殺しながら、ではコウメさん、と応じる。

「私のこともフェリペとお呼びください。閣下と呼ばれるのは少々堅苦しいですし、お友達の皆さんと同じようにと言うことでしたら、私も同じように、友人としてもっと気軽に接していただきたいです」

 そこで、とフェリペさんは続けた。

「あなたとミスタ・サクラギに、私の、正確には私と〈奇跡の孔雀〉の警護をお願いしたいのですが、依頼はどこへ、どのように申請すればよろしいでしょうか? 」

 比企がずるっと椅子からずっこけた。

 

 フェリペさんのスイートルームを辞して、源のご両親はこだま市の、源のお祖父さんお祖母さんの家へ帰るという。みんなでフロント前のコンコースまで見送った。

 ご両親は一体どうやって息子が比企のようなセレブと知り合ったのかと不思議がっていたが、そうか、言われてみればセレブだったよな、ぐらいに麻痺してる俺。でもさ、放課後に町中華で大盛りメニューばっかり注文してバカ喰いしてる姿を見てると、そんな感じはまったくないよね。パーティ会場でのあの立ち回りについては、しれっと護身術です、で通していた。何が護身術だ。

 二人を見送ってから、そのまま地下鉄駅との接続があるフロアへ向かうと、深夜営業のカフェレストランで飯を食った。立食パーティって腹が減るんだな。一つ勉強になりました。

 比企は料理が出てくるまでに、どこやらへメールを打っていた。たぶん、馴染みの情報屋に頼んで、レティラダの内部事情やらコンベンションの情報やらを集めるのだろう。

 またしてもウェイトレスのお姉さんをオーダーで驚愕させ、しこたま飯を食い、帰りがてらコンビニでがっつりおにぎりやサンドイッチを買い込んで、俺達はフェリペさんが取ってくれた部屋へ引き揚げた。

 美羽子と比企が部屋に入り、野郎だけになると、桜木さんがいきなり座り込んだ。

「うわあもうほんとなんなんだろ…」

 しゃべりが平仮名になってるよ桜木さん!

「ねえ今日の小梅ちゃん見たあれ。何あの破格のかわいさなんなの僕を試してるの。ほんともうむりしんどいつらい」

「しっかりして桜木さん! 」

「見た瞬間、わ…ぁ…。ってなっちゃったもの」

「ちいかわになってますよ桜木さん! 」

「あと比企さんは右腕にサイコガンみたいな魔改造されたフランス人形だから! 大丈夫心配ない! 」

 とりあえず部屋に押し込んで、さすがに日付も替わってたので、スーツだけはシワにならないようハンガーにかけてから、早々に寝てしまった。

 そして翌朝。緊張してたのだろうか、俺はいつもより早く目が覚めて、二度寝しようにも寝付けず、かといってスッキリもしないのでシャワーを使っているうち、やっぱり目を覚ました忠広と一緒に着替えを済ませた。ふと見れば桜木さんの姿がなくて、テーブルの上にメモが。宿泊客向けのスポーツジムに行っているそうだ。健康的だな。

 そこに内線電話が入り、フェリペさんから朝食のご招待が。迷わず行きますと答えて電話を切り、チャットで全員にご招待を知らせると、どうやらみんなもう起きていたようだ。まさやん達と女子二人の部屋にもお誘いの電話があったというので、全員でゾロゾロとお邪魔した。

 俺達五人、男子は全員がジーンズやカラーパンツにTシャツや半袖のカッターシャツ、スニーカーという、まあ年相応の清潔感ある感じ。美羽子もパフスリーブのブラウスにスカート、踵のぺったんこなパンプス。女子のきちんとしすぎない程度に整ったお出かけ服だ。が、比企は見事にいつも通り。ゆるーい珍妙なTシャツにブーツカットのジーンズ、足元はいつもの下駄履き。シャツの胸には「次回、ウサギが猿をボッコボコ! 猿の運命やいかに! 」と書かれて、その下には鳥獣戯画のウサギが棒持って猿を追い回してる絵が入っている。どこで買ってくるんだ、こんなシャツ。

 そこに桜木さんがひと汗かいてスッキリ、といった表情で戻ってきた。ご招待のことを伝えると、ちょっと待ってて、と慌てて部屋に戻り、十分とかからず身支度を整えて出てきた。シャワーやなんかはスポーツジムで済ませてきたのだろう。

「みなさん、昨夜のパーティではあまり食べられずに物足りなかったのでは」

 フェリペさんは笑って、朝食はしっかりしたものにしましたからご安心を、とウィンクした。

 うん、あの後しこたま食ったけど、何せ高校生ですから。すでにもう腹が減って仕方ない。ましてや比企はねえ。

 広いダイニングに、九人分の朝食が運び込まれた。フレッシュジュースに果物はマスカットと桃、ヨーグルトと、簡単なコンロとフライパンがワゴンで運び込まれていて、ギャルソンが卵料理のリクエストを訊いてから、目の前で焼いてくれる。カリカリのベーコンが添えられて、トーストはほかほかで、とにかく豪華な朝食だった。

 最後はコーヒーと紅茶で締めくくり。ここで、話題は自然とゆうべの一件になった。

「昨夜の不逞の輩は、さる多国籍企業の孫請組織の者でした。いわゆる荒事専門の業者です。自分らではPMCなどと名乗っていますが、やくざものと同じです」

「PMCって何だ」

 まさやんの質問に、比企が戦争する会社、とざっくり答える。

「業務内容が戦争ってだけの企業だよ。昔からあるけど、普通の暮らしをしてれば馴染みはないね」

 そんな会社あるんか。絶対就職したくない。

「まあ連中に関しては、調べたところ、お国の開発計画を売り込みにきたものの、閣下とお父君に門前払いを食わされた企業のうちの一社が、腹いせで傘下の戦争屋を送り込んだようです。ドヴェルグは荒事をあまり好まないですし、過去の犯行のパターンからも大きく外れている。別口と捉えて問題ないでしょう」

 比企は今はまず情報だ、と言ってカップを置いた。ずっとワゴンと一緒に控えていたギャルソンが、すっと次の一杯を注ぐ。すげえ慣れてる感はちょっと女王様チックでもあるぞ。女王様は携帯端末を出して何やら操作すると、ホログラフの画面がぽわんとダイニングテーブルの上にあらわれた。ずっと比企はメーカー市販の端末を使っているのだと思ったら、ビジネス用のハイエンドモデルにやっと導入され始めたばっかりの技術だぞ。手のひらサイズの端末に、どうやって搭載してるんだ。

 ギャルソンが気を利かせて、窓のカーテンを閉める。画面がぐんと見やすくなった。

 あらわれたのは何かのリストと、あちこちに赤い点がついた世界地図。

「これが、過去にドヴェルグが予告状を出し盗み出した、あるいは盗もうとしたものの一覧です」

 数自体はあまり多くない。十をちょっと越したくらい。赤い点はヨーロッパや北アフリカ、北米、中国や中央アジアにバラけていた。ただ、その盗品リストは実に、どう判断するべきか、俺は頭が痛くなった。

 宝石や資産価値の高いクラシックカー、発掘されたヴィンテージワインといった、いかにもお宝という感じの品に混ざって、稀に挟まれるこれは何なのか。

 古い乗馬鞭。これまた骨董というよりガラクタといった方がよさそうな鈴。同じく古いだけの縄束や手旗。

 おいおい、フェリペさんもちょっと困ってるぞ。でも比企は澄ましている。

「報道はどうしても、なぜ狙われるのかわかりやすいものばかりを追いかけますからね。意外と思われるものもあるでしょうが、予告が届いたものの、なぜこんなものを狙うのか気味が悪いというので、受け取った方は警察に通報したのですよ」

 確かに謎だ。

「うん、ごみみたいなものを、わざわざ予告状まで出して盗むって、ちょっと気味悪いわね」

 美羽子もうなずいた。

「最初の事件では特に署名はなく、子供の落書きのような小人の絵があっただけ。次の事件でもご同様。ここまではネットのヨタ記事で、謎の盗難事件と煽られて、小人の盗賊などと面白半分で冷やかされているだけだったが、三件目、アラブの王族の別荘から乗馬鞭が盗まれたことで評価が一変した」

 品物はどうでもよかったけれど、問題は別のところにあったから、と比企は言った。

「夏場の数週間しか滞在しない避暑地の別荘とはいえ、警備は厳重に、通年行われている。しかも場所は、本国ではなくニースだ。危うくUAEとフランスの間で国際問題になるところだった」

「まじか」

「そこまででっかい問題になっちゃうのかよ」

 まさやんと忠広が顔を引き攣らせた。なるよと比企があっさり返す。

「警備体制についてってだけでも面子の問題になる。ましてや今回狙われているのは、レティラダの国宝にも匹敵する貴重な宝石。スペインもレティラダも親日国だが、いや、そうであるだけに、犯行を許せばもっと深刻な問題になるだろうね。さてフェリペ様」

 ドヴェルグの犯行予告について、日本の警察組織にはお話しされていますか、と比企が訊ねた。

「警察庁に父の友人がおりますので、その方に。あまり大きな騒ぎにはしたくなかったので。大浦警視監とおっしゃる方です」

 名前を聞いた瞬間、比企はゴワッと険しい顔になったが、すぐににこやかな表情を取り繕った。わかりましたとうなずいて、今朝早くに公社から、フェリペ様から依頼が入り、担当を私にとご指名をいただいたとの知らせを受けました、とひと言、お茶を飲んだ。

「立ち合ったのも何かのご縁、この依頼、謹んでお受けいたします」

 フェリペさんがホッとしたように、ありがとうございますと頭を下げた。

「犯行予告の当日までのスケジュールを教えていただけますか。警護の計画を立てなくては」

「わかりました」

 ええっ、と思わず立ち上がる俺達男子五人。

「じゃあ比企さんしばらく学校休むの」

「出席日数大丈夫か」

「結構ギリギリじゃないの」

「卒業できるのかよ」

「留年とかダメだろー、結構小っ恥ずかしいぞ」

 そうじゃないでしょ、と呆れ顔の美羽子だが、桜木さんが学校はちゃんと行かないと! と乗っかった。

「進路はともかくとして、ちゃんと卒業しないと! 」

 ごもっとも。フェリペさんが笑いを必死で堪えているのを見ると、比企は苦々しげに顔をしかめて、仕方ない、と舌打ちを一つ。

「お聞きの通りの事情で、私が直に警護につける時間は限られてしまいますが、その間の手は打ちます。それについても後ほどご説明いたしますので」

 あまり頼りたくはないんだが、とぼやくように呟いて、比企はカーテンを開け放った。

 

 部屋へ戻る途中、比企はそうだった、と端末を出すと、どこかに電話をかける。二言三言やりとりして、すぐ切ってしまった。

「どしたの」

 訊ねると、ちょっとした確認だ、と笑う。何だいそりゃ。  

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