冬村家は気まずい(5)

 幸い俺らの自宅と母親の住まいは、それほど大きく離れていない。衿が母恋しくなれば、すぐに帰れる距離だ。あとは母親がどう言うかだが、あの母親ならなんでも「いいじゃない」と受け入れてくれそう予感がする。さんざん俺らに勝手なことをしてきた母だが、人の意志は尊重するだろうという、妙な確信が俺の中にはあったのだ。

「多数決ではこっちが優勢だ。僕ら奇数で良かったなぁ。いや、これからは四人になるのか」

「お兄様、なに言ってるの。さんに……いや、ふたり! わたしと読お兄さまのふたり兄妹だよ! 日本書紀にもそう書いてある」

 窓は余計なことしか言わない。いや、窓がトンチンカンなことを言うせいで、衿に対する圧力が確実に下がっている。もし俺らが三人とも、似たような慈悲の顔で、全力でうちにおいでよと誘ったならば、衿に圧力をかけることになる。

 窓はそこまで考えて――いや絶対になにも考えていない。こいつにそんな思慮深さなどない。

 衿ばかりに構う読の隣で、おもしろくなさそうに草を踏み、ぷんすかしている。

「衿が嫌ならいい」

「わたし、は………」

「すぐに決めなくてもいいから。じゃあまた」

 来たときと同じように、突然去ろうとする読。その背中を見て、衿は動いた。うつむいていたあごの角度を上げた。前髪が揺れる。

「冬村さん……待って。まだここにいて」

 消え入りそうな声だった。

「もう決めてるから。わたし、退院したらおじいちゃんとおばあちゃんの家にいく」

 冬村と呼ばれたが、明らかに彼女は読にだけ届けようとしていた。言われた通りに読はそこに立ち止まって、それ以上歩を進めなかった。

「わかった」

 読が答えて、微笑んだ。

 手持ちぶさたで、窓がその隣を陣取りながら戸惑って、冷たい目で衿を見返すが、衿はもうなにも言葉を発さない。俺もまた、ベンチで衿の隣から動くことも叶わずに、ただ居座り続けるしか仕様がなかった。

 風もなく心地のいい午前の庭で、なにをするでもなくただ四人とも黙っている。

 おい、おい。こんな気まずい状況、他に例があるだろうか。修羅場のほうがまだ対処できるかもしれない。助けを求めるようにじりじりと視線を動かして読を軽くにらみつけた。読は目をそらすことなく真顔で軽く頷く。

「うーん、じゃあなにか雑談するか。温、おまえ話題を出せ」

「俺が出すの!?」

「衿の件とはまったく関係ない話がいいな。ゲームでもいい。道具がなくてもできるやつな。考えておけ。窓、売店で飲み物とお菓子でも適当に買ってこよう」

「はい、読お兄さま!」

 一瞬で機嫌を取り戻した窓は、読と連れだって病院の建物内に行ってしまった。

 裏切って帰るのではないか、と心をよぎったが、そこはもう兄の良心を信じるしかない。しかしこいつに良心などあるのだろうか。心がないように感じるのに。

 いや、人の心がないからこそ深く考えずに衿に、うちに来るように言えたのではないだろうか。俺だったら細かいことをうだうだと考えてしまって、三ヶ月くらいかけないとその一言を言えそうになかった。

 またふたりで残されてしまう。衿の隣でいたたまれない思いを全身にかみしめながら、俺は缶コーヒーに口を付けるくらいしかすることがなかった。缶の底が見えてくる。しまった、すがるものがほかにない!

「あ!」

 え、と衿が驚いたようにこちらを見てくる。

「いや、ちょっと、思い出した。トイレ行ってくる」

 少し気分を変えて、これから提供する話題を精査したかった。衿はまた首を元に戻すと、ぽつりと言った。

「……わたしも行きたいんだった」


 俺らが戻ると同時に、読と窓も戻ってきた。そのあと、衿の病室に移動して、ほんとうにただの雑談をした。衿の昼食の時間が来るまで、だらだらと。

 雑談と言っても、衿が参加することはなかった。ただ衿は黙って輪の中にいた。

俺たち三人も、気を使って衿に話を振ることもしなかった。そういう気の遣われ方は、本人も嫌がるだろうと三人ともがなんとなく察していた。ただいつも家のリビングで、無為な時間を過ごすときと同じノリに徹した。

 いつものように窓が、はやく読と結婚したいと言いはじめて、俺がすかさず突っ込みを入れていった。家の外でも窓は、読の恋人であることを隠そうとしないので、すぐに衿が不審の目つきで窓を見ることになった。非常になにか言いたげな白々とした瞳で衿が窓を見ていたが、窓は無視した。

 

 お菓子をつまんだにもかかわらず、三人とも、やたらと腹が減っていた。

 家に帰ると遅くなりそうだったので、病院の近くのファミレスに入ることになった。

 このへそ曲がりの窓と外食するなんて、もう一生ないだろうとぼんやり思っていた。大人になってどちらかが結婚するときの顔合わせの会食レベルに、体裁として出席が必須な会合でもないかぎり、ないと思っていた。

 でも今、ひとつのテーブルを挟んで向かいには、十年も家に寄りつかなかった読がいて、ずっと口をきいてくれなかった窓がいて、ふたりがあれこれ好き勝手に言い合いながらメニューを吟味している。

 窓は中学生には見えないので、美男美女の歳の差カップルの様相を呈しているわけだ。

 いや俺、これって端から見れば、カップルの食事に空気読まず付いてきちゃった要らない子じゃない……?

 聞こえるように大きくため息を付く。俺は一人でメニューを開く。

 だいたいここのお金、誰が出すのだろうか。読はニートで期待するだけ無駄、窓は中学生でバイトもできない子ども。俺か? 俺なのか? はぁ。

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