第30話 6月8日(火))朝)

 ライブから続いていた晴れから一転。今日の空は今にも雨が降り出しそうなくらいどんよりとしていた。

 

 空模様と連動するように気分も曇りそうなものだけど寝る前にラジフラを聴いたおかげでジメジメとまとわりつく湿度も気にならない。


「おっはよ音弥おとや


「おはよう。昨日は寝落ちか?」


 だけどさすがに幼馴染が彼女面して腕に絡みついてくると鬱陶しいので挨拶だけはしっかり済ませて当然のように引っぺがす。


 僕には春町あかりという運命の相手がいるんだから軽率な行動は慎んでもらいたい。


「うん。さすがにあずみん愛を語りすぎて疲れたみたい。おかげで9時に寝て5時に起きちゃったわ」


「農家のおばあちゃんみたいだな」


 僕からの拒絶行動をもろともせず何事もなかったかのように会話が続く。これはこれで春原すのはらさんのいう夫婦感みたいでちょっと困る。


「将来は二人でこんな生活リズムかもしれないわよ?」


「あかりんと農業か。老後には悪くないかもな」


「にひひ。あかりんも言ってたじゃない。よく考え直せって」


「僕とあかりんは強い運命で結ばれてるんだ。それより真実まみ、メールは送ってないだろうな?」


「もちろん。内探にチクりメールは送ってないわ」


「おお! 真実まみが空気を読むなんて」


「っていうか、しばらくはライブの感想メールが中心になるだろうからチクりなんてサーバーの藻屑となって消えるわ」


「ああ、たしかに。明日の内探はライブ前に収録したやつだっけ?」


「そそ。だから次の回からライブの感想が読まれるはず。ラジフラのチクりメールなんて読んでる暇ないわね」


 言われてみればその通りだ。今回はただのライブではなく武道館での単独公演。昔からのあずみんファンだけでなく、最近ファンになった人や僕みたいに偶然参加できた人だっている。


 それはつまり今まで以上にたくさんの感想メールが番組に届くということ。

 

 真実まみ以外の人がチクりメールを送っていたとしても、それはたぶんサーバーの藻屑になってしまう。


「ま、あずみんならあの発言の真意はちゃんとわかるだろうし、むしろイジって盛り上がりそうだけどね」


「それな。あずみん先輩の前で申し訳なさそうに委縮するあかりん後輩の構図もちょっと見たいかも。せっかくの公開録音だし」


「じゃあ音弥おとやが送ってみれば? せっかく招待してもらったのに失言をチクられたらあかりんが可哀想」


「僕はあかりんの言葉には全力で従う。あれが逆に振りだったとしても素直に受け止める。あかりんが悲しむ姿は見たくない」


「あんた、言ってることが一瞬で逆転してるわよ」


「いつもと違う姿を見たいという願望と悲しませたくないという使命感が僕の中で戦ってるんだよ!」


 まず前提として推しに嫌われたくはない。しかも将来結ばれることがほぼ決定している運命の相手となれば尚更だ。


 だけど、あかりんは声優、役者でもある。彼女のいろいろな姿を見たいと思ってしまうのも一人の声優ファンとして願ってしまう。


「はぁ……ライブのあとに収録した内探もラジフラの公開録音も楽しみだわ。6月は祝日がないけど毎日があずみん記念日みたいなものね」


「毎日はさすがに言い過ぎだろ」


「にひひ。甘いわね。アタシのあずみん熱はもう止まらない。日々更新されていくから記念日になってもおかしくないのよ」


「それなら僕はあかりん記念日だな。毎日お祝いしよう」


「バカなこと言ってないで身近な幼馴染にしておけばいいのに」


「先に言い出したのは真実まみじゃないか」


 なんで真実まみのあずみん記念日は良くて僕のあかりん記念日はバカなこと扱いされてしまうんだ。


 ただ同じようにイチオシの声優さんに対する愛を形にしようとしているだけなのに。


「アタシは別に結婚とか考えてないし。ただ同じ女の子として目標にしてるだけだし」


「それなら髪型も似せればいいだろ。あかりんのサイドテールじゃなくてさ」


「またまた~。アタシがサイドテールにしてるのが嬉しいくせに」


「いや、似合ってるとは思うよ? あかりんには敵わないけどさ」


 真実まみが頭をブルブル振り回すとサイドテールが腕に当たる。

 じんわりと汗をかいているので髪が汚れてしまわないか少しは気掛かりだ。


「おい。サイドテールをムチにするのはやめろ」


「いいじゃない。音弥おとやってこういうの好きそうだし」


「相手があかりんだったらな」


 幼馴染がどんなに見た目を春町あかりに寄せたとしても絶対に本人にはなれない。真実まみが言うには胸のサイズも似ているらしいけどそこは小さな問題だ。

 小さなというのはそういう意味ではないことを付け加えておく。


「どんなに似せようとしても声が似てないじゃん」


「うっ……それは、まあ、別の人間だし?」


「そう考えると春原すのはらさんってたまにあかりんにものすごく似た声を出すよな。コラボカフェでもちょっと注目を集めてた」


「……ちゃんと声帯を交換してもらおうかな」


 あごに手を当て真剣に考えこむ真実まみの姿を見て、本当に残念な幼馴染だと思った。

 こういうところがなければどこに出しても恥ずかしくないSSR幼馴染だと太鼓判を押せるのに。


春原すのはらさんが真実まみの声になったら可哀想だろ。自分の声がやかましくて不眠症にでもなったらどう責任を取るんだ」


「失礼ね。アタシは毎日快眠よ」


「うん。だからそのままの声でいいってことだよ」


「きゅ、急にデレるのはやめなさいよ。調子狂うわ」


「ほう。押してダメなら引いてみろの逆バージョンか。まさかここに来て真実まみの新しい対策が見つかるなんて」


「にひひ。でもあんまり人前でデレると既成事実になるからね。アタシにがあるわ」


「そうか。じゃあやっぱり下手にデレるのはやめよう。あかりんに誤解されたくなしな」


「しまった……余計なことを言わなければよかった」


「そういう素直なところは真実まみの良いところだよ」


「……っ!」


 要は僕らのことを知る人の前でデレなければいいだけの話だ。

 例えば人通りの少ない通学路とか。


 ちょっと褒めれば耳まで赤くなるんだから羞恥心のハードルがよくわからない。

 僕の感覚では恋人でもないのに抱き着く方がよっぽど恥ずかしいんだけど。


 三度目の掃除機さんの幼馴染もこんな苦労をしてるのかなあ。

 この世界のどこかにいる似た境遇の彼に想いを馳せた。

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