ゲヘナ 5
処理はすみやかに、しくしくと行われた。
少女の死体は回収され、レネゲイドウィルスの数値を検査されてのバイタルチェック、小学校全土の確認と記憶処理と事件の隠蔽――これがオーヴァードの当たり前の日常だ。
夢子はバイタルチェックを終えるとさきに支部に戻され、報告書を書くことにした。
有栖川は現場の処理の手伝いをすると口にしていた。彼の音を聞き取る力はこういう処理にも向いている。なので現場ではなにもできない夢子が書類関係の後処理を追うのは当たり前のことだ。
精神がひどく疲れている。
能力を使ったせいなのか、それとも、犯人を捕まえたせいなのか。
ため息をついてディスクの端にある新聞が目にとまった。
そういえば、最近複数名の行方不明書が出ている。
これもまたオーヴァードの犯行かと言われて、現在調査をしているものの一つだ。エージェントは複数の事件を追いかけるようになっているが、本当に手がまわらない。
「疲れた」
ぽつりとぼやいて夢子は、天井を仰いだ。
素敵な日になると思ったのに、牧間はUGNの本部からそのまま現場に向かったらしくて、仕事場には夢子しかない。他の同僚たちも出払っている。
無性に文字をかきたい。
墨をすすりたい。
牧間に会いたい。
どれも満たされなくて辛くて、苦しい。仕方ないと見切りをつけて立ち上がり帰路につこうと歩き出す。
あれは正しかったのだろうか? あれはジャームではなかった。けれど自分のためだけに人を傷つけられる生き物だ。それを許したら、きっとこの世界は崩壊する。だから
「人を殺したことに理由をつけていちいち納得するなんて馬鹿みたい」
夢子は自分を罵った。
自分はどんな理由であれ、自分の、自分たちのためにあの少女を脅威と感じて殺したのだ。
こんな自分は牧間に顔向けができない――いいや、今までだってそういうことはあった。けど無理やり納得してきた。
オーヴァードと人間が共存できる未来のため、自分たちが求める楽園のために。
けれどひどく疲れて体が重い。
廊下を歩いて、ようやく外に出た。
もう暗い。
携帯電話を取り出して、一応メールを送る。夕飯どうするっと、返事が来るかわからないが今日は一緒に食べたい。ちゃんと。
暗がりの道に人影があったのに、夢子はぎくりとした。
誰だろうと目を凝らすと、それは有栖川だった。
「あ。おつかれさま。もどってこれたの?」
「うん。もうちょっと早い時間から帰ってきてたんだけど、ここなら夢子ちゃんを待てると思ったんだ」
当たり前みたいに、なにかひっかかることを口にする。
違和感を覚えながら夢子は言葉を選んだ。
「早く帰りましょう」
「君は僕のためにもそんな顔をしてくれるのかな」
「……有栖川さん?」
「実験したんだ、僕みたいなのがいるのか、どうなのかって
「……何を言っているの」
「君は、きっと成功する」」
祈るような言葉とともに有栖川が口を開いた。白い歯がまるで狼の牙のように言葉を――囁く。
肉体から力が抜けて、夢子は手のなかかに携帯電話を落としていた。
有栖川がつかつかと近づいてくると、それを拾いあげる。少し迷った顔をしたあとに携帯電話で何か打ち始める。
なにをしているのかと目だけ動かす。
満足した文字を打ったらしく笑顔で有栖川は携帯電話を捨て、夢子の片腕を持って、ひきずるようにして抱える。乱暴なのに、両腕で抱えるときはとても優しい。
「ちょとだけ移動するね? 僕の秘密基地がここから海の見えるところにあるんだ。牧間さんはそのうち来るから」
「……っ」
「しゃべっていいよ」
はっと夢子は息を吐いて、有栖川を睨みつけた。
「なんで」
「先も言ったけど、実験をしてるんだ。あ、さらった人たちは死んでないよ、まだね。連続失踪事件は僕が犯人だよ」
「……。それって死にそうな人もいるの」
「いる。このままほっといたら死ぬ」
天気の話をするみたいに当たり前みたいに口にする有栖川に夢子は目を閉じた。
「あなたはジャーム? そんな風に感じない」
「違うよ。けど、いずれはジャームになる」
「いずれって」
「だって僕たちのこれは病気だからね。いつかはジャームになる。唐突に、いきなり、知らない間に、なんてよくある話だよ。自分だけがならないなんて保障はどこにもない」
とてもドライな台詞なのに夢子は反論出来なかった。
それは誰もが思うことだ。
夢子だって怖い。いつか自分がジャーム化することが。怖いから、牧間に頼んだ――もし、ジャーム化したら、そのときは――殺して、と。
UGNの共存を信じながら実際信じていないのは自分だ。ジャームがいずれは治るなんて信じていない。
「僕はさ、あんまり力が強くないんだ。今日は君と戦ってびっくりした。きっと君が引き出してくれたおかげなんだろうと思う」
しみじみと有栖川は口にする。
「その力があれば、僕は自分の望みを叶えられるかなって思ったんだ」
「……有栖川さんの望みって」
「なんだと思う?」
ふふっと悪戯っ子みたいに有栖川が笑う。
「わからないし、わかりたくもないわ」
強がりに言い返すと有栖川は頷いた。だよね、と囁いて、彼はスピードを増した。走る、飛ぶ、自分の言霊を自分に使い、能力を最大限まで引き出し、風を巧みに操り、街のなかを疾走する。
「そういうと思った。君はわからない、本当に? うん、そうだよね、好きなものを傷つけたいとか壊したいとかこの感覚が社会で壊れているのは知ってるよ。これでも一応二十年くらいは生きてるんだし、けど、それは君たちの決めたことだ
あの女の子もそうだよね? ただ自分のしたいことをした、他人なんてどうでもいい、他人の気持ちなんてわからない
そういう人種もいるんだよ。それを悪っていうの?」
「……」
「UGNはいい組織だよ。けど、理想のためにそれ以外を切り捨ててるのも真実だ」
反論は出来ない。けど
「あなたは」
「君に贈り物をあげる」
とても優しく有栖川が口にした。
「僕の全部をあげての贈り物だよ」
愛を囁くように、優しく、髪の毛を撫でて告げてくる言葉とともに潮の匂いがした。
見ると、街の端にある港まで移動していたようだ。
足場にしている倉庫の屋根から有栖川が降りたつと、なかに連れていかれた。
そこは
いくつもの並んで転がる人々の肉体とうめき声と鉄の匂い
昼間に見た動物の死体の山を思い出させた。
吐き気がして呻く夢子の背中を有栖川が気遣うように撫でた。
けどさ、と耳元でささやかれる。
「こんな風に死体を重ねてその上に立っているのは君じゃないか、夢子ちゃん」
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